1.ポイント・ネモ
ポイント・ネモ……地球上で最も孤独な場所。
世界で最も陸地から遠い地点は、かつて宇宙を長い時間旅した人工衛星の終着点であり墓場であった。
だが、今は違う。
ここは全ての人類が宇宙に飛び出すための始点であり、一歩目を踏み出す為の場所となっていた。
ポイント・ネモの上に超大型フロートをいくつも組み合わせて出来た仮初の陸地は、20XX年現在、新しく各国が結んだ”ネモ条約”によって南極条約と同じ制約を受けている。南極条約とただ一つ違う所と言えば、平和利用という条項が削除され、各国の軍や準軍事組織が拠点を構えているという点だ。
「幸盛ー、今日の”任務”は”帯同”だってさー」
一日の始まりのコーヒーを、優雅に楽しむ朝のひと時を邪魔する、返事をするのも嫌な”帯同”という言葉が聞こえた。
私を名指しで呼ぶ声を無視していると、透明なテーブルを挟んだ向かい側のソファに、綺麗な黒髪を後ろにまとめた女性が座る。髪色と同じ黒い瞳は、手元にある数枚の紙に目を落としたまま、手はテーブルに置かれたコーヒーカップを口元に運んで……
「アッツゥ!」
「里美よぉ、お前は猫舌なんだから、冷ましてから飲めよ」
目の前に座る山科 里美は、毎日この反応をしている。
「うるさい!この熱さが良いの!!あっ……」
「……なんだよ」
「今日、学者帯同だって」
「はーーー!めんどくさ!!」
思わず嘘偽りのない声が飛び出た。
それと同時に後頭部に鈍い痛みが走り、低く渋い男の声が頭上で響く。
「蠣崎。言葉を慎め」
バインダーで叩かれた頭を撫でながら、反省を表明するように頷くと、対面にいた里美が口元を緩ませ、私に下った罰を面白がっている。そのまま調子よく「一条隊長おはようございます!」なんて一人がけソファに座った隊長に言って、こちらを余裕の表情で見てくるくらいだ。
これで27歳だというのだから信じられない。女子中学生かよと言いたくなるが、彼女に言ったが最後、圧倒的な口述能力で制圧されるオチが見えているので何も言うまい。
ここは素直に撤退を決めて、静かに自分の手元にあるコーヒーに目を落とすと、静かに液面が揺れている。これが海が見えない超広大なフロートの上にいる自分にとって、絶海の”孤フロート”にいるという事実の確認で、少しの孤独を感じさせる。
「おはざ~す」
「「「おはよー」」」
隊長より少し遅れて自分の隣に座ったのは、ソフトモヒカンで清潔感が溢れる髪型とは対照的に、圧倒的な顔の濃さを誇る長身マッチョのいかにも軍人風な、榊原 隆信。
先程までの会話を聞いていた筈なのに、特に表情の変化がないのは感情表現が乏しいと言いたいところだ。逆に言えばどの場面でも冷静であるので、それが良さでもある。
「おはようございます!」
「「「「おはよー」」」」
最後に来たのは新隊員の那須 香蓮。長身で茶髪のショートヘアーと、少し色黒で利発そうな顔立ちを裏切る事のない元気印の女性だ。那須という名前にもかかわらず、使っている主武装が軽機関銃というのも、彼女の元気に面白いほど良く似合う。
「うし。全員揃ったな、じゃあ朝のブリーフィングしようか」
朝のブリーフィングの音頭を取るのは我らが偉大な隊長一条 義弘。小柄な体格に似合わない肩幅と、迷彩服の腕が今にも張り裂けそうな筋肉は、隊員たちに安心を与える。更に短く刈り揃えた黒髪を、丁寧に整髪料で左に流しているのは、その姿を見る度にいつも通りの日常というものを与えてくれた。
「はい、じゃあ今日も”レイド”の担当は昨日に引き続き、私たち第4分隊ね」
先程の女子中学生みたいな里美は鳴りを潜めて、年齢相応の落ち着きを取り戻した里美が出現した。
「今回のレイドは”トラピスト1-d”。これは帯同する学者先生の希望で、その護衛が今回の任務。レイド時間は1000(午前10時)から8時間で、他の国は同時刻にはいない予定。以上」
ミッションの概要を読み終えた里美は、机に一枚ずつ紙を広げて自分達に見せた。
「”ポータル”の制限時間は?」
「マージン1時間のオープンから計9時間。帰還次第クローズ」
「うん。まぁトラピストならいいか」
この宇宙開発が始まって12年、既にトラピスト1-dは探索され尽くしていると言ってもいいほど、隅々までマッピングされている。面倒なのは我々に学者が帯同しているという程度のことで、普通のミッションより時間が長い事を気にする必要もないだろう。
だが、一条隊長はそうは思っていない様子で、自分のバインダーと眉間にシワを寄せて睨めっこをしていた顔が前にあがると、自分達と目が合った。
「虫……トラピストのこの時期は”虫共”がいるな、しかもデカいのが」
「居ますね、間違いなく」
ゆっくりと頷くのは、この隊の副隊長でもある里美だ。
ネモの夏はトラピストも夏だという事を忘れていた。虫嫌いな自分にとって、折角陸地から遥か彼方に離れて虫と決別できたのに、向こうで会わなければいけないというのは何と最低な季節だろう。
「蠣崎、どんな顔だよ……ホントお前は……」
「嫌なもんは嫌です!」
自分の顔に余程「この任務は中止しましょう」と書いてあったのだろう。一条隊長が呆れた顔でこちらを見つめている。
「アボートはしない!先方様の注文通り行くぞ。榊原、バグズ対策で今回は火炎放射器を持ってくれ」
「了解」
嫌な顔一つせず隊長の言葉を受け取れる榊原が、羨ましいくらいだ。その虫への耐性を少し分けてくれと、今度お願いしてみる事にしよう。
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ポイント・ネモ:世界の大洋で最も陸地から離れた地点で、最も近い居住地が400km上空の”ISS”国際宇宙ステーションとなる事がある孤独な場所。
はじめまして。都津 稜太郎と申します!
再訪の方々、また来てくださり感謝です!
今後とも拙著を、どうぞよろしくお願い致します。




