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饗宴編 ミルリーゼのおねがい

 




 レオンは大量の書類に囲まれながら、ガラハッド伯の書斎のソファにて雑魚寝をしていた。

 いま短期で雇われているガラハッド辺境伯は武人としては心から尊敬できる人物だが、文官としては壊滅的だった。


「書類仕事を手伝って欲しい」と声をかけられ、ガラハッド伯が提出を先延ばしにしていた期限ギリギリの書類の山を見た時は、レオンは苦笑いを浮かべながら絶句した。


「すまないレオン殿……私をはじめ辺境にいるものはどうも書類仕事に不慣れでして」


 そう言って大柄な体を小さくさせて申し訳なさそうにするガラハッド伯に相対しながら、過去数年分の書類と格闘してレオンはなんとか期限までに書類仕事の補佐を完遂させた。


 去年の納税書が見つからないとろくに整理されていない地下書庫を漁ったときは、短気な彼は火をつけたくなる衝動と戦っていたし、国に提出する大切な書類にどうでも良いメモ(どうやら夫人に頼まれた買い物リストと推定)が書いてあったときは『このオッサン、どつくぞ』とさえ思った。


 流石に相手は高位の貴族、こうして指名手配をされている自分たちに安全な場を与えてくれた恩人だ。

 本当に手が出たりはしないが、少なくともガラハッド伯への尊敬の目には少しだけ、濁りが混じるようになっていた。


「いやー、今年はすんなりと提出できてとても助かりました。レオン殿、また来年もよろしく頼みたい」


「はは……」


 数徹の疲れから力無く笑うレオンに、ガラハッド伯は心からほっとした表情で出来上がった書類を抱えている。

 この領地には早急に優秀な文官を採用すべきだとレオンはこっそりと思った。




「失礼します。ガラハッド辺境伯閣下、朝早くに申し訳ございません。ミルリーゼ・ブランでございます、お時間少々よろしいでしょうか?」


「………」


 最高に上品ぶった仲間の声がして、レオンは顔を手で覆った。

 徹夜明けの朝からミルリーゼの相手をするのは正直遠慮したかった。

 彼女のテンションが高いときは、頭の良いレオンでさえその発想に追いつけない時が多々あるのだ。


「おお、ミルリーゼ嬢。昨夜は泊まっていったと妻から聞いているよ、よく眠れたかね?」


「おかげさまでエルさんとあたたかな布団で身を休めることができましたわ、これも閣下の温情のおかげです。心より御礼申し上げます」


「いやいや良い。気にしないで心ゆくまで休んで行ってくれたまえ、さて私に何か御用かな?もしやお貸しした店舗の開店の準備が整ったのかな」


「いえ、準備の方は順調ですがもう少々かかります。実は私が用事があるのはそちらで休まれているレオンさんです」


 ミルリーゼはチラリとソファで横になったままのレオンに目線を送った。


「レオン殿、ミルリーゼ嬢が貴殿に用事だそうだ。さて、私は席を外すからここで二人で話してくれて構わないよ」


「ありがとうございます閣下、レオンさん大切な話がありますの、いまお時間宜しくて?」


 ガラハッド伯はそう言って部屋を出ていく。その大きな背中をにこやかに見送ってからお上品ぶった歩き方でミルリーゼはレオンのいるソファに近寄ると、横たわったままの彼の整った顔を覗き込んだ。


「何だ」


 レオンは寝不足も相まって不機嫌な声で尋ねる。


「お兄ちゃん、お願いがあるんだよ。僕のお店でバイトをしないかい?時給は銀貨一枚」


「断る。この話は終わりだ。寝かせてくれ」


「仕方ない銀貨一枚と銅貨一枚に上げてやるよ、どうだいバイトをしないかい?」


「しない」


「仕方ない銀貨一枚と銅貨二枚に……」


「いくら賃金を上げてもバイトはしない。俺の意思は変わらない。この話は終わりだ、ミルリーゼ嬢、今猛烈に眠いから寝かせてくれ」


「………」


 ミルリーゼの誘いを強制的に打ち切って、レオンは睡眠を続行させた。

 徹夜明けの体は全体的に重くて、今にでもレオンは瞼が閉じそうだった。


 しかしミルリーゼが次に口から出た単語を聞いた途端、彼の睡眠欲は無慈悲にも奪われることとなった。



「ねぇ、お兄ちゃんって女の人を口説くのが得意なんだって?」



 ミルリーゼは先日、ハウスシェア中の魔法使いから得て勝手に改竄した情報を唐突に口にした。


「……何の話だ」


「ブラン商会の合言葉を手に入れる為に随分と張り切ってたみたいだねぇ、お兄ちゃん?」


「………誰から聞いた。カイルか?」


 レオンは眉間に皺を寄せて記憶を手繰る。

 絶対に話すなと、旧都でブラン商会の合言葉を入手した際に同席したカイルには念入りに圧をかけたはずだが足りなかったかと己の不足を嘆いた。

 あの場には、セラフィナもいたがレオンは清廉な彼女には全面的に信頼を寄せていたので初めから疑ってはいない。

 カイルがうっかり話してしまった可能性が一番高い。どうシメてやろうかと黒いオーラを放ちながらぶつぶつと計画を練り始める。


「お兄ちゃん、バイトしたくなった?時給は銀貨一枚!」


「何で値段が元に戻るんだ!?」


「掃除と接客をお願いしたいんだ。時間は9時から17時まで!休憩は昼に1時間取っていいよ」


「断る!!」


「ねえ、エルーーーー!!聞いてーーーーー!!!」


 ミルリーゼは、その小さな体のどこから出たのか疑問に覚えるほどの声量で彼の主人の名前を読んだ。


「こら!人の家で騒ぐんじゃない!!そしてつまらないことでエル様を呼ぶな!!」


 レオンは慌てて起き上がり、ミルリーゼを掴もうとするが、眠気で鈍った彼の手では走り出したミルリーゼは捉えられず、彼女はするりとレオンの手をくぐり抜けるとそのまま部屋の外へと走り出した。


「これがつまらないことなら、世の中の殆どがつまらないよ!ねえお兄ちゃん、僕黙っててあげるからさ!バイトしてよ!時間は9時から18時までで良いからさ!」


「何で勤務時間が伸びるんだ!絶対やらないしお前、そろそろ本気で黙らせるぞ!」


「ひぇーこわいこわい、たすけてエルーーーーー!!」


「おい!だから、いちいちエル様を呼ぶな!!!」


 廊下を駆け出したミルリーゼを追って、レオンは徹夜明けの疲労困憊の体で追いかける。

 すばしっこいミルリーゼは楽しそうに駆けていく。

 いつもなら逃げる前に捕まえられるのに、数徹の身体はすぐに息が上がった。


「ちょっとミルリーゼもレオンも、人様の家で何騒いでるのよ。恥ずかしい」


 最悪なことに、このタイミングでエルが廊下の端からやってきた。隣では戸惑った様子のセラフィナもいる。


「きいてエル!とっておきの情報、知りたい?」


「何よ」


「お兄ちゃんが……フガッ」


「黙れ!!!」


 エルの姿が見えた瞬間、震える体に鞭を打ったレオンは滑りこんでミルリーゼの口を手で塞いだ。


「エル様なんでもありません。あとカイルはいますか?少々問い詰めたいことがありまして」


「カイルならあっちの部屋にいたわよ、ミルリーゼとっておきの情報ってなあに?」


「もごもごんん!!が!もがもが!!」


 レオンはミルリーゼの口を塞いだままにこやかに微笑んだ。その微笑みには明確な殺意が宿っているのを邪念に敏感なセラフィナには感じ取れていた。

 エルは従者の様子に気づかないまま不思議そうに首を傾げる。


「エル様……ミルリーゼ様はレオン様とお取り込み中のようですし、あとで伺うのはいかがでしょうか」


「それもそうねミルリーゼ、後で聞かせてね。あとあんまりレオンを怒らせるなって昨日言ったわよね。……まったく本当に仕方のない人」


「もがもが!!もごごごもがが!もが!」


「ありがとうございますセラフィナ嬢、エル様も申し訳ございません。それではまた」


 レオンは気を利かせてくれたシスターに最大の感謝を向けながら、彼女たちが去った後、ようやく捕まえたミルリーゼの頭を力一杯鷲掴みにした。


「いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい」


「……本当にふざけるなよおまえ、最近少しおとなしくしていると思っていたが結局これか。本当にクソガキだなおまえ」


「お兄ちゃんこそ元気いっぱいだね!そんな自分が接客に向いてると思わないかい?」


「思わん」


「お兄ちゃんの顔の良さをブラン商会で生かしてみないかい!僕たちが組んだらきっと天下を狙えるよ!」


「うるさい、おまえと天下を狙ってる暇など俺には一秒たりともない」


「いででででで……お願いだよお兄ちゃんうちで働いてよー!!じゃないとうっかり秘密を喋っちまうよ!お願い、だれにも言わないからバイトして!」


「しつこいぞ!しないと言ったらしない!おいカイルいるのか!話があるんだが」


 盛大にブチ切れながらも、レオンはミルリーゼを乱暴に掴みながらカイルがいると言われた部屋の扉を勢いよく開ける。


「うおっ、レオン!?」


 中にはカイルはいた。

 その突然開いたドアの勢いに驚いていたが、その周りにはテーブルを囲んでいる彼の父と母と妹もいた。


「レオン殿、息子に何か用かね?なにやら大きい声を出していたがどうかしたのかな?」


「………大変失礼いたしました。少々、閣下のご子息にお話が」


「ガラハッド辺境伯閣下、わたしの店でレオンさんが働いていただくことになりましたの。先ほどの声は接客の発声練習ですわ」


 レオンに雑に掴まれたままのミルリーゼは朝のように優雅に振る舞った。

 彼女のオンオフの切り替えの早さは異常である。


「はァ!?しないって言っただ……あ、いえなんでもないです」


 勝手なことを言い出したミルリーゼを反射的にツッコミそうになりレオンは理性で抑える。


「レオンさんとミルリーゼさん、また漫才をしてるのかと思ったわ。お店はアタシも楽しみにしているの。開店したらお邪魔させてね」


「雑貨屋ができたらいろいろと便利だからね、ワタシも開店が待ち遠しいよ。レオンさんみたいなハンサムな店員さんがいたらきっと街の女の子にモテモテね」


 家族水入らずでお茶をしていたエリザベートとガラハッド夫人が悪意なしで話を進めた。

 もう撤回は遅い空気をレオンはひしひしと肌に感じる。


「レオンはバイトしてる余裕があって羨ましいぜ……オレはこれからまたセラフィナとダンスの練習だからさ。まぁ頑張れよ……えっ何その顔怖い」


 レオンは親の仇のような目でカイルを睨むので思わずカイルは挙動不審になる。

 ナンパの情報流出に関しては彼はどこまでも無実なのだ。


「それじゃ時給は銅貨90枚ね。よろしく〜」


 レオンに抱えられたまま、ちゃっかりと時給を最安値に下げたミルリーゼはマイペースに喜んだ。


 どこまでもゴーイングマイウェイである彼女をとめられる者はこの場にはいないようだ。


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