饗宴編 辺境伯邸の夜
「もう無理……動けない……」
食事を終えエルの客間にやってきたミルリーゼは寝台に寝転んだ。
今夜はエルの使わせてもらっている部屋に共に泊まることになった。小柄な彼女なら、エルと同衾してもベッドのサイズ的には問題はなさそうだ。
「大袈裟ね、あんな少ない量のスープ一皿で満腹なんてあなたの体はどうなっているの?あなた、パンも魚も殆ど手をつけてなかったじゃない」
「プティングもね!食べたかったのに!ひどいやエル」
なんとかスープだけは完食させて、今宵の晩餐は終了した。
夫人の用意したデザートにはミルリーゼはありつけなかった。スープを食べ切るまではデザートに手をつけることをエルが絶対に許さなかったのだ。
ミルリーゼが食べられなかったデザートは明日の朝食に回してもらうこととなっている。
「私も付き合いで我慢したのだからむしろ喜んで欲しいわね、じゃあミルリーゼお風呂に入りましょう。カイルの家の浴室すごい広いの。男女に別れてて……辺境伯のご趣味かしら、一緒に入らない?背中を洗ってあげるわよ」
「はいらない」
「もしかしてそういうの恥ずかしいタイプ?それなら仕方ないけど、じゃあ私、行くから」
元公爵令嬢のエルの屋敷には彼女の湯浴みの際に身体を洗ってくれた侍女もいたので誰かとの入浴に抵抗感はなかったが、他人との入浴に恥じらう年頃の少女の気持ちも理解はあるのでミルリーゼの同行拒否も一旦は受け入れた。
「………いてら〜」
エルは入浴用の準備を整えてから、ベッドに横たわったままのミルリーゼを置いて部屋を出た。
そして、数秒後戻ってくる。
「ミルリーゼ、あなたもしかしてお風呂嫌いとか言わないわよね」
「…………」
「私の目を見てもらえる」
「…………」
「お風呂は入るわよね?」
「入らない」
「…………シャワーは?」
「いらない」
「ひどいひどいひどいひどいひどいひどいはなしてはなしてはなしてはなして」
ガラハッド邸の廊下で、ミルリーゼの悲鳴にも似た声が響き渡った。
ミルリーゼ曰く、冬に風呂に入ると風邪をひくから嫌らしいがガラハッド邸は北国の建築仕様のためか防寒設備が万全だ、吹雪の中でも十分に暖かさが保たれている屋敷でその意見は通らなかった。
「あなたが風邪をひくのは偏食と夜更かしのせいよ。旅の間は仕方ないけど街にいる間は清潔にしなさい!あと騒がないで、うるさいわ」
抵抗するミルリーゼを掴みながらエルはグイグイと浴室に向かって足を進めた。
ミルリーゼは頑張って踏ん張るが、いかんせん体格と腕力はエルの圧勝であった。
「や〜〜め〜〜て〜〜、えーん誰かぁ、乙女の純潔が暴かれる〜」
「ちょっと変なこと言わないでよ!勘違いされるでしょ!!」
「お風呂ヤダーーーーー!!!」
「駄目よ。私の仲間内での衛生状態は私が責任を持ってしっかり管理します」
グイグイと引っ張ってエルはなんとか浴室に着く。
中に誰もいないことを確認してから、脱衣所にてミルリーゼの衣服に手を伸ばした。
「そんな、おやめくださいエルさま〜!お嫁に行けなくなってしまいます〜!!」
「馬鹿なこと言ってないでさっさと脱ぎなさい!徹底的に綺麗にしてあげる!」
「きゃーー、ご無体ーー」
「ええい、観念しなさい!」
「………エルさん、ミルリーゼさん。お風呂場で何をしているの?」
若干エルもミルリーゼも悪ノリの域に突入していた茶番に、真面目な声で問いかけられた。
いつの間にか浴室の入り口にエリザベートがいたのだ。
「………」
「………」
気まずさにお互い目を合わせる二人と、不思議そうなエリザベート。
沈黙がどことなく重かった。
「もしかして、そういうノリが都会の流行り?」
「………そうよ」
「………うん」
少女の純粋無垢な問いかけに、エルとミルリーゼは目を逸らしながら虚実を肯定した。
少女のどこまでも透き通った瞳が、とても居た堪れなかった。
その後、三人は普通に入浴した。
入浴を終えエルはまだ起きていたいとごねるミルリーゼを無視して消灯した。
枕元の照明の蝋燭を消して、真っ暗な寝台で目を閉じる。
外の吹雪が窓を叩く音が少し不穏に感じたが、すぐ隣の同じ布団に気の置けない仲間がいると思うと恐怖はそこまで感じなかった。
「ねぇ起きてる?」
「寝てる」
「起きてるくせに、寝るまで少し話さない?」
エルの呼びかけに、背中を向けたままのミルリーゼはぶっきらぼうに答えた。
「何の話?」
「できたら楽しい話がいいわ、あなたの話をなんでもいいから聞かせてよ」
「………」
ミルリーゼが身体をこちらに向けた。
少し眠いのか彼女の空色の瞳がまどろんでいる。
小さな口であくびをしてから、ミルリーゼはボソボソと呟き始めた。
「……僕はね、エルの友達になりたいって最近思うんだけどエルはどう思う?」
「それって面白い話なの?」
くすっ……とエルは微笑みを漏らした。
もうとっくにエルはミルリーゼを仲の良い友達だと認識していたからだ。
「面白いよ、だって僕はつい最近までソフィア以外の友達なんていらないって思っていたんだもん」
「私の友達になりたいなら偏食はやめて、きちんと身体を清潔にして、夜は早く寝なさいね。あと必要以上に人を煽ったりしてはダメ」
「うぅ……無理そう。やっぱ今のなし、エルとはビジネスパートナーのままでいいや」
「あら?でも私はもうとっくにあなたのことは友達だと思っているのよ」
「………」
ミルリーゼが小さな手のひらを伸ばし、エルの頬に触れた。
「友達は諦めて、エルの親友になろうかな」
「調子のいい人」
「僕は戦ったりはできないけどエルが冬が終わって新しい旅に出る時、ついていける理由が欲しいんだ。……前も言ったけど僕はこれからもきみについていきたいよ、ダメ?」
「ダメではないけどお店はどうするの?」
「ロッドが戻ってきたら店頭に立ってもらうし、何ならバイトを雇おうと思うんだ。アテはあるし」
ミルリーゼはもぞもぞも寝具の中を移動させてエルに身体を寄り添った。
「辺境の街の先もついていきたい。僕も連れていってよエル。きみの復讐の手伝いはできないけど、まだ間に合うならソフィアを止めたい。その為なら協力も惜しまないよ」
「ミルリーゼ……」
あたたかな温もりが伝わる。
エルは優しく微笑むと彼女の体に寄り添い返す。
そのまま幼い子にするように、彼女の髪を優しく撫でた。
「仕方ないわね、ついてきても私は構わないわ。でもあんまりレオンを怒らせないでね。彼、すごく優しい人なのに、あなたやオズと話してる時はたまにすごく怒りっぽい人に感じる時があるの」
「いやお兄ちゃんは怒りっぽいよ、エルが相手だと紳士ぶってるけど、絶対僕たちと話してる時が本性だよ」
髪を引っ張ったり、足を踏んだり。
エルのチームのトラブルメーカー二人の相手をする時のレオンは少し荒っぽい。
そんな彼も、エルの前にいる時はいつだって優しいヒーローなのだ。
「……そんなことないわよ」
「あるよ!お兄ちゃん絶対エルのこと好きだもん、これは乙女の直感!絶対そう」
「うふふ……」
「あ、エル、きみ半分寝てるだろう」
ミルリーゼはエルの腕の中で不満気に口を尖らせた。
いつの間にか小さな寝息を立て始めたエルを見て小さなため息を漏らすと、そのままミルリーゼもゆっくりと目を閉じた。
人肌のぬくもりを分かち合う冬の夜は、とてもあたたかな寝心地だった。
ミルリーゼちゃん、風呂キャン界隈




