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学園編⑨

 



 王都のロデリッツ邸に、馬車に乗せられて強制的に帰還させられたエスメラルダを待っていたのは、家族からの失望と憐憫の目であった。


 婚約破棄の報はすでに家長である父親の元に届いており、心身ともに疲れ果てた娘の帰宅を、温かく迎える家族は屋敷にはおらず、いつも無表情な兄が何かを言いたげにこちらに向き、項垂れた母はひたすらに傷害事件を起こした娘への自らの教育不足を嘆いて泣き続けていた。


 エスメラルダの抗弁を聞く耳を父であるロデリッツ公は一切持たず、一方的な王家側からの伝達を信じているのかエスメラルダが同級生への加害行為を行ったと疑わなかったように感じて、エスメラルダはこの世界のどこにも味方がいないと言う辛すぎる現実を受け入れて全てのことに絶望した。


「呼ばれるまで部屋にいなさい」


 低い声で父にそれだけを告げられて、エスメラルダは自室へと閉じ込められた。


 外側からは硬く鍵をかけられた音がして、彼女は鳥籠の鳥のようにどこに行くことも飛んでいくことも許されずに狭い部屋の中へ軟禁生活を余儀なくされる。


「お嬢様どうなるの?」


「修道院送りじゃないかしら?極刑もあるのかしら?怪我させた子、王子様の恋人だったっていうし」


 一睡もせずに膝を抱えて夜を明かすと、部屋の静かさにエスメラルダは寝ていると勘違いしたメイドたちが本人が聞いているとも知らずに他人事のようにこそこそ話を囁いた。


「(私の未来は修道院か、処刑台の露になるのか……)」


 食事を差し入れる用の小さな出口からスープとパンが差し出されるが、エスメラルダはそれに口をつける気がしなかった。

 もう疲れ果てて、生きる気力もなくなっていた。


 何がダメだったのだろう、家族の期待にも王家の期待にも応えて完璧な令嬢である自信はあった。


 その結果、殺人未遂の濡れ衣を着せられて死ぬまで自由を奪われる未来が確定してしまったのだ。


「もう、いっそ死んでしまいたい……」


 いつのまにか何度目かの夜が来て、灯りのない真っ暗な闇の中でそう呟いていた。


 メイドが朝と夜に質素な食事を差し入れるか、エスメラルダはもう食べる気力がなく、空腹を訴える感覚すら麻痺していた。


「(そこの窓から飛び降りたら逝けるかもしれない)」


 部屋の隅の小窓が目に入った。

 開かないようにはなっているが、ガラスを取り外せば、外に飛び降りることができそうだ。

 そう考えたら、月明かりが照らす窓から落ちた世界がエスメラルダに許された最後の自由に見えた。


 いまの体力的に、外壁を伝ったり受け身を取ることは不可能だ。

 それに、いまのエスメラルダにはそこまでして生き延びる理由もなかった。


 吸い寄せられるように窓辺に寄り、目線を地面に落とす。

 すると、突然コツンと小さな石が窓を叩く音がした。


「?」


 パラパラと小石は何度も窓を叩くので、エスメラルダは最後の気力を振り絞り、窓の枠を取り外した。


 新鮮な空気が、籠っていた部屋の空気を入れ替えて新鮮な空気はエスメラルダの肺を満たした。


「……メ…ルダ様!」


 彼女の姿が見えたのだろう、地面から誰かの声がした。

 下を見ると、エスメラルダがよく見知った顔がこちらに向かって手を振っているのだ。


「れおんせんせい……!」


 その顔を見て、エスメラルダは息を飲んだ。

 彼はエスメラルダが学園に通う前に習っていた家庭教師の青年であった。


「エスメラルダ様、共に逃げましょう。受け止めます!」


 数年ぶりに会った青年は、大胆に彼女を誘った。

 エスメラルダは戸惑うが、死刑が修道院かというどちらもエスメラルダにとってはバッドな選択肢の隣に突然に現れた第三の選択肢は非常に魅力的なものであった。


「………れお、ん先生、私……わたし!」


「エスメラルダ様、時間がありません。私と逃げましょう」


「でも、めいわく……かけちゃ……」


 公爵令嬢を無断で連れ出す。

 それはいうならば誘拐だ。彼女はまだロデリッツの籍にいる。

 彼女を連れ出す行為の代償が、決して軽くないことは彼の頭脳なら知らないわけがない筈だ。


「構いません。あなたとなら、どこまでも逃げます」


 その言葉が聞こえた瞬間、エスメラルダは衝動的に窓の外へ飛び降りた。


 元から飛び降りて死ぬ予定だったのでレオンが抱えられずに落ちて死んでも構わなかった。

 もう裏切られる事には慣れてしまったのだ。

 公爵令嬢エスメラルダ・ロデリッツは、一連の所業で心を壊されて死んだのだ。


「……っと」


 エスメラルダの体はレオンに何の問題もなく抱えられた。


「エスメラルダ様、気づかれる前に逃げましょう」


 レオンは彼女の手を引いて、足早に屋敷の外へ駆け出した。

 レオンに手を引かれながら、エスメラルダは屋敷を振り返る。


 彼女が生まれてから18年間暮らしていた家は、なんとなく、もう二度と縁がない場所に感じた。





 レオンと共にエスメラルダは夜を駆けた。


「事情は伺っております。エスメラルダ様、大変な思いをされましたね」


 レオンは心から彼女を労るようにそう、やさしく語りかけた。


 久方ぶりに心からの優しい言葉に、壊れたエスメラルダの感情はボロボロと大粒の涙を流した。

 手のひらに伝わるレオンの暖かさがまた彼女の感情を揺さぶるのだ。


「わた、し……頑張った。頑張ったんだよ、頑張った。でもダメだったの。どうして……」


 堪えきれない涙を啜りながら、咽び泣くエスメラルダの涙をレオンはそっと指で拭った。


「よろしいのですよエスメラルダ様、よく頑張りましたね。私が評価します。私はあなたの味方です」


「っ、うわああぁぁぁぁん!!」


「エスメラルダ様、此処にあなたの敵はいません。もしいたら、私が消します。許しません」


「私も!私を裏切った奴ら全員消してやりたい!許せない許せない!許さない!」


 それまで我慢をしていた感情を剥き出しにして、エスメラルダは怒って泣いた。

 公爵令嬢が普段なら表に出すことが許されない感情の災禍はもはや止めることはできない。


 思い切り爆発させた後、夜も遅くなったということで追手が来ることはこないと思われる下町の連れ込み宿にはいった。

 高潔純真な公爵令嬢が、恋人と共に過ごす宿に、恋人ですらない男と入るだなんて誰も思わないだろう。

 ざまあない。

 そこまで彼女を堕としたのは、他でもない追いかけてくる側なのだ。


 エスメラルダより、レオンの方が焦っていた。

 大切な主人をなんていうところに連れてきてしまったのだろうと内心戸惑っていたのだ。

 だか、本来の彼女の身分が使うような高級な宿屋など、エスメラルダがいなくなったと気づいた公爵がまず探しに来るような場所である。


 できるなら避けたい選択肢だ。



「シャワーを浴びます」


 エスメラルダはそういうと、焦っているレオンをおいたままシャワールームへと消えていった。

 居た堪れなくなったレオンは、勢いでエスメラルダを連れてきた後悔とはまた別の後悔で頭を抱えるのである。


「お待たせしたわ」


 数分後、シャワールームから主人が出てきた。

 来ていたドレスを脱いで薄着で現れたので目線に困ると戸惑いながらレオンが彼女を向き合うと彼女の手にはいつの間にか部屋の隅にあった果実ナイフが握られていた。


「見ていてレオン先生、私の覚悟を」


「な、何を」


 エスメラルダは短く言い切ると、短剣を自分に向けて勢いよく振り翳し、レオンが慌てて止める前に、彼女美しく長い金の髪をバッサリと切り落としてしまったのである。


「……これでエスメラルダ・ロデリッツは死んだわ。あいつらが殺したんだ」


 毛の束をパラパラと床に散らしながら、エスメラルダは自らの死を嘲笑い狂ったように笑った。


「公爵令嬢エスメラルダ・ロデリッツは死んだ、私は今日からエルと名乗るわ。アルフォンス、リリエッタ、ソフィア。私はあいつらを絶対に許しはしない」


 彼女の怒りと共鳴するように、スルスルと彼女の金髪が黒く染まり始めた。


 エスメラルダに魔法を使う能力はないが、貴族である彼女は魔力を保持していたのでそれが原因なのだろう。


「レオン先生、誘拐犯にさせてしまって申し訳ないけど、こんな私についてきてくれる?」


「エスメラルダ……いえ、エル様。私はあなたの忠実な駒となりましょう。ロデリッツ家に拾われた時から私はあなたを導く教師であり、忠実な家来でもあります。どうか存分にお使いください」


 片膝をつき、レオンはそう言って彼女の靴に躊躇いもなくキスを落とした。

 その様子を満足そうに見ながら、生まれたばかりのエルは跪くレオンの手を取った。


「私はもう誰も信じない。でもあなたの言葉は信じるよレオン、一緒に行こう」



 こうしてこの世界にひとりの公爵令嬢は死に、新たな復讐者が生まれた。


 彼女がこの国をやがて大きく動かす存在になる存在となることは、いまはまだ誰にもわからないことである。


 やがて訪れる大きな荒波を前にして、一人の少女の旅がここから始まるのであった。




 学園編 完






プロローグの学園編完結です。

番外編2本を挟んで、次章 奔走編を乗せていきます。

どうぞよろしくお願いします。

次章からはもう少し明るめな路線になります。

エルの旅路を見守っていただけると幸いです。



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