饗宴編 ミルリーゼのおみせ①
「おっエルじゃん、もう起きて平気なん?」
エルたちは居間でのやり取りを終え、大量の朝ごはんをなんとか片付けると屋敷を出てミルリーゼの店へ向かった。
パンは全ては食べきれず、残すのも勿体無いのでカイルに手伝ってもらった。
ごく普通の一般女性の胃の容量については、時間のある時におしえてやる所存だ。
ガラハッドの街のミルリーゼが借りたと言う店舗は大通りのとても良い立地にあった。
旧都にあったブラン商会の店舗が薄暗い裏通りの目立たない場所にあったことを知っているエルは、その広さや清潔さ、日当たりの良さの落差に驚く。
商家のお嬢さん風のワンピースの上に防寒用の厚手の外套を着たミルリーゼは、店にやってきたエルに気づいていつもと変わらない声をかけてきた。
「ミルリーゼ……あの」
「なんだい、まだお店は開いてないよ。これから仕入れ先に連絡して納品をお願いしたりするからもうちょっとかかるよ」
「そうじゃなくて、あの……」
「何?」
エルを見たミルリーゼの反応は、エルの予想したものよりだいぶ淡白なものであった。
「ごめんなさい、私、昨日……」
「ん?何かあったっけ、僕は過去は振り返らないから忘れた。エルがもし僕に謝るようなことがあったと思うなら、それは僕の中では解決済みだから気にしないでいいよ」
「………それでも謝らせて。心配してくれたあなたの手を払ってしまったこと後悔しているの。ごめんなさい」
エルは頭を下げた。心からのお詫びだ。
後ろで心配そうにエルについてきたセラフィナが二人の様子を窺っている。
「僕だってきみとはじめて会った時、結構ひどいこと言った自覚があるよ。じゃあこれでチャラね。この話は終わり、もっと楽しい話をしようよ。僕はそっちの方がいい」
ミルリーゼはそう言って、エルに頭を上げるように促した。
ミルリーゼが言っているのは、旧都で出会った時の問答だろう。
彼女を警戒させたこちら側にも非はあるが、確かに思い返すと結構きついことを言われた覚えがある。
「ミルリーゼ、あなたってとても素敵な性格をしているのね」
「まぁね、いい女だろ?もう少し背が高かったら世の中の男が放っておかないぜ?」
エルの皮肉に、ミルリーゼは笑って返した。
からっとした小気味の良いやりとりはエルの悩みをいつのまにか拭い去っていた。
「何故かしら、たまにあなたと話しているとすごく年上の女性と話してる気分になることがあるわ」
「ああん!?」
「ふふふ、ミルリーゼ様のお話はとても面白いということですわ」
「お姉ちゃんは皮肉とか言わないから本心なんだろうけど、なんだろう……ちょっと複雑だなあ」
セラフィナはミルリーゼの頭を優しく撫でた。
ミルリーゼが昨日、エルを心配して落ち込み、涙をこぼしたことは知っているがエルに言わなくていいと悟ったのだろう。
少女の矜持を守るため、セラフィナは何も言わずに小さな彼女の頭を撫で続けた。
「ちょっと子供扱いしないで。僕はエルと同い年の立派な淑女なんだからエルと同じように扱っておくれよ」
「申し訳ございません、ミルリーゼ様が可愛らしくて……つい」
「もー!カイルのお父さんのところではちゃんとやったんだよ!ロッドもカイルもレオンも見てるから後で聞いてみて!」
「あら、そういえばロッドさんは?」
エルは店内を見渡した。
いつもそばにいる、ミルリーゼの世話役兼店舗従業員の青年の姿が見あたらない。
「王都に行かせてるよ、人を迎えに。しばらくは帰って来ないんじゃない」
「ミルリーゼ、それじゃひとりなの?」
「おじさんもいるから大丈夫だよ。大抵は部屋で酒飲んでるか寝てるけど」
「あの人、本格的に禁酒させようかしら……」
ミルリーゼの店の部屋を借りたと言うオズの存在を思い出す。
思ったより店舗が広いので一部屋貸しても問題はなさそうだが、未成年のミルリーゼと成人男性のオズを二人きりにして大丈夫なのかと心配もあった。
別にオズを疑っているわけではないが、いまいち誠実性が欠けるのだ。
「大丈夫大丈夫、僕から見たらおじさんはわかりやすいし、いろいろと割り切ってるから付き合いやすくて嫌いじゃないよ」
「ミルリーゼがいいならいいけど……ロッドさん何も言わなかったの?」
「僕がロッドの言うことなんて聞くわけないじゃん」
「………ロッドさんに同情するわ、本当に可哀想」
胃痛持ちの青年の青い顔が浮かんだエルは、そっと彼らのやり取りを想像し、苦笑した。
「お姉ちゃんがカイルの招待された婚約パーティーのパートナーになった話は聞いた?僕はまだ少し反対の気持ちだけど」
「その話はセラフィナが絶対に譲らないからもういいの。でもミルリーゼはよくわかっているようね」
爵位は違えど貴族の令嬢同士わかるものがあるのだろう、ミルリーゼとエルは頷きあった。
王宮は怖い。それはこの国の現実的な貴族令嬢にとっては共通認識なのかもしれない。
「譲りません」
にっこりと微笑みながらセラフィナは頷いた。
「もう反対はしないから安心して、それでドレスを用意したいのだけど」
「手配をしてるよ。商会の仕立て屋を呼んでるから彼女が辺境についたらお姉ちゃんを採寸するよ。費用はうちで出すから気にしないで」
「ミルリーゼ様、そんな……」
「いいよ世話になってるしこれくらいさせて。旧都から辺境の引越しだってきみたちの手助けがなかったら来れなかったし」
旧都からの旅路は、何度も魔物に遭遇した。
戦う手段のないミルリーゼとロッドだけでは魔物への太刀打ちは実質不可能だっただろう。
「一流の冒険者を雇って、無事に着いた上に荷物も守れたと考えたらドレスの一着二着くらいくらい安いよ」
「じゃあお言葉に甘えて……いまのドレスの最新の流行はどんなやつかしら。髪飾りも合わせて流行の最先端なドレスをよろしくね」
「えー、僕はお姉ちゃんはシンプルで流行り廃りのない正統派な奴がいいと思うな。素材が一流なんだから下手に着飾るより素材の良さを引き立てる感じ」
「……一理あるわ、さすが旧都出身」
きな臭い噂はあっても、旧都は表向きは芸術と服飾の街だ。ミルリーゼの意見は納得である。
「本人の意見も聞きたいわ。セラフィナはどんなドレスが好き?」
「わ、わたくしは……」
エルとミルリーゼのドレス談義を聞いていたセラフィナは、質問に対して少し困ったような表情を浮かべた。
「実は服はこの修道服以外ほとんど持っていないのです。だから好みを聞かれてもお答えできません。申し訳ございません」
「そ、そうなの!?修道服以外の着用を戒律で禁止されてたりする?」
「いえ、そんな戒律はございませんが……」
「お姉ちゃん、もったいないよ!もっとおしゃれしようよ、僕の服、貸してあげるから今度着てみて」
ミルリーゼは服をたくさん持っているのか、街にいる彼女は毎日ちがう服を着ている。18歳の女性と考えたらたまに幼く見える服を着ている時もあるが基本的には小柄で幼い顔立ちの彼女にとても似合っている装いだ。
家を飛び出した時に服は特に持たなかったエルは羨ましく感じる時もある。
「……ミルリーゼの服じゃ入らないんじゃない?」
ミルリーゼとセラフィナの身長、体格、その他諸々の差を眺めながらエルは呟いた。
彼女の子供服を成人女性のセラフィナに着せるのは少し違和感を覚える。
「うーん、それもそうだね、じゃあドレスを仕立てる時ついでに何着か普段着もつけるね。エルの分は?」
「私は別にいいわ。それより王宮の使用人の服が欲しいのだけど婚約パーティーまでに準備できる?資金は払うわ」
「勿論、まかせて」
なんのために使うのかミルリーゼは深く尋ねずに二つ返事で頷いた。
「ご注文どうも、ブラン商会の誇りを持ってご用意してみせるよ」
「ありがとう、頼りにしてる」




