饗宴編 復活の朝に①
「おはようございますエル様、お加減はいかがですか?」
新しい朝が来て、セラフィナがエルの部屋に訪れた。
優しい声色でエルに声をかけながら、窓のカーテンを開く。
すっかり雪の積もった白銀の世界が窓の外には広がっていた。
「もう大丈夫よ。心配をかけてごめんなさい」
「とんでもございません。顔色が良くなって安心しました。起き上がりますか?」
「うん。着替えたら部屋を出るわ」
「お手伝いさせてくださいね」
セラフィナは侍女のようなことをやるつもりなのか、部屋のクローゼットから服を取り出す。
エルがいつも着ている服ではなく、冬用の厚着だ。
いつの間に入っていたのだろう。
「別に着替えくらい一人でできるわ、ドレスを着るわけでもないんだし」
「わたくしがやりたいのですエル様」
「……もう、今日だけね」
昨日はセラフィナにはたくさんお世話になったので、あまり彼女に強く反対できなかったエルは今回は折れてやることにした。
セラフィナは嬉しそうにして、エルの身支度を整え始める。
どこからか用意した厚手の防寒服を着せてから、鏡の前にエルを座らせすると彼女の髪を丁寧に整え始める。
屋敷を出てから他人に髪を触らせるのは、レオンに適当に切り落とした髪を整えてもらって以来であった。
あの日から数ヶ月がたったので、短かった髪も少し伸びていた。
「別にいいのだけど、私の髪の色もう戻らないのかしら」
元々金色だったのに、屋敷を出た日に感情の揺らぎと共に魔力と共鳴して黒く染まった髪を見ながらエルは呟いた。
「どうなんでしょうね。エル様は金の髪も朝焼けのようでお似合いでしたが、夜の帷のような黒の髪も素敵です」
「恥ずかしいから全肯定しなくていいって。でも、感情と魔力の共鳴が原因なら昨日なんらかの変化がまた起きてもおかしくないけど特に変わらないのね」
「そう言われればそうですね」
セラフィナは不思議そうにエルの髪を梳かしながら首を傾げた。エル自身も自分の体のことなのに仕組みはいっさいわからない。
ぐぅぅぅぅと、その時エルのお腹が空腹を知らせた。
「……聞かなかったことにして」
「そんなそんな、昨日は何も召し上がってなかったのですから当然ですわ。朝ごはんをいただきましょう。こちらにお持ちしますか?」
「いえ、外に出るわ」
「承知いたしました。では急いでご支度しますね」
セラフィナはどこまでも侍女のようなことをするつもりなのだろう。
今日は大人しくやらせるが、明日以降は流石に止めようとエルは心の中でそっと思った。
エルにとってセラフィナは侍女ではなく対等な存在で仲間なのだ。
「(でも今まで散々尽くしてもらっておいて、それも都合のいい話なのかしら)」
食事の準備から、服の洗濯、破れたところの補修に掃除や洗い物まで公爵令嬢故に自活スキルの低いエルの代わりに旅の中でセラフィナが女手の必要なことはすべてやってくれたのだ。
不満一つ言わずに献身する彼女は、エルにとっては足を向けて眠れない存在だ。
「(でもいつまでも甘えてないで、明日から私も家事ちゃんとやろう……)」
「?」
頭の裏にいつの日にか勝手に作って、鍋の中が阿鼻叫喚になった謎のスープを思い出した。
まずは料理スキルをどうにかするのが最初の目標にする。なんでも美味しそうに食べるカイルが一口で「無理!!!」とか言ったり、レオンが食べた後、半日ほど地面に伏して動かなくなるのは流石に大問題である。
「さぁ、参りましょう」
身支度を終えたセラフィナは部屋を出る際に手を取ろうとしてくる。
「私は一人で歩けるわ、でも、心配をしてくれてありがとう」
「エル様……」
彼女の差し出した手を放置することなく、エルは握手をしてから彼女の介助を不要として廊下を歩き出した。
北の国のデザインだろうか。見慣れない独特の模様の刺繍の入った絨毯が敷かれたガラハッド邸の廊下は窓の外の膝の辺りまで積もった雪も相まって異国にいるように見えた。
流石に王都では、雪はたまに降ることはあれど、なかなかここまで積もったりはしない。
「屋敷の中には誰がいるの?」
「レオン様とカイル様がいらっしゃいます。ミルリーゼ様とオズ様は昨夜に街に戻られました」
「そう……後でミルリーゼに会いに行かなきゃ」
昨日、心配して手を伸ばしてくれた彼女を拒絶してしまった記憶が胸にのしかかる。
いつも生意気でへらず口の彼女が、初めて見せる顔をしたのだ。
傷つけてしまったミルリーゼには謝らないといけない。
「一緒にいきましょう。お側におります」
「ありがとう」
この時ばかりは隣に支えてくれているセラフィナの存在が心強かった。
「おはよう、昨日は騒がせてごめんなさい。もう大丈夫よ」
居間にいくと、カイルがいた。
「エル……!あ、あぁ……うん!よかった!」
カイルは部屋に来たエルに気づくと、何か気の利いたことを言おうとして思いつかなかったのか言葉を濁らせた。
そんな彼の不器用な優しさが温かい。
「体調は大丈夫なのか?」
「もちろん。強いて言えばお腹が空いて倒れそうなくらい」
「母さんがエルの分も朝食作ってたからオレ持ってくるよ。ごめん、先食っちまった」
「ありがとう……私が少し寝坊したから気にしないで」
カイルは座っていた席から立つと急足で台所の方へ向かっていく。
「セラフィナも朝ごはんは食べたの?」
「わたくしもいただきました。明日は一緒に食べましょうねエル様」
後ろに立っているセラフィナに声をかける。
できたら隣に座って欲しくて、少し目線を泳がせると察した彼女はすぐに隣の席に腰を下ろした。
「明日……そうね、こんな雪だと出発はしばらく無理そうだしミルリーゼのお店の開店を見届けるつもりだったけど、……あの子いつオープンさせるのかしら一週間くらいはこの街にいることになりそうだわ」
「それなのですがエル様……」
「エル、あのさ。旅を再開させるの少し待っていて欲しいんだ」
プレートに大量のパンとスープを乗せてきたカイルが戻ってきた。
流石に多すぎる量にエルはギョッとさせる。ただでさえ普段から食べる量が少ないエルにどれだけ食べさせるつもりなのだろうと思ったが、彼の言った『旅の再開の休止』も気になった。
「カイルそれ何人分?」
「ん?エルの分だよ、足りなかったか?今おかわりを……」
「あー違う違う、ごめんいただく。でも、私にはそれは十分過ぎる量よ」
「たくさん召し上がってくださいねエル様」
悪意のないセラフィナの微笑みが少し辛かった。
お代わりを盛られる前にエルはまだ暖かさの残るパンに齧り付きながらカイルの話を聞くことにした。
「王宮の話をするけど、大丈夫か?」
カイルは昨日の手前、気を使ってくれたので構わないと示してから耳で傾ける。
「王宮の招待、受けることにしたんだ」
カイルが言っているのは王太子からの頭のおかしい招待状のことだ。
あんなもの普通の王族なら恥ずかしくて書けるわけがない。
エルはパンを咀嚼しながら眉を寄せた。
トラウマの症状は出ないが思い出したら腹が立ってくる。
「……パートナーには誰を?」
カイルは婚約者はいない。なら身内のエリザベートを巻き込ませるつもりだろうか、それなら全力で止めよう。王宮のマナーやダンスには自信のある自分が変装して出てやろうかとすら考える。
「(オズに魔法で頼めばいい感じになるかしら、ああでも王都には対魔の結界があるから無理か。ミルリーゼが変装用の鬘や服を持っていたし私の分、用意してくれたりしないかな)」
「わたくしが行きます」
隣でセラフィナ声を上げ驚いたエルは手からパンを落とした。
「えっ?」
「わたくしがカイル様のパートナーになります。辺境伯閣下にも許可はいただきました」
「あっ………うん……大切な仲間だもんな」
前に座るカイルが何かを考えながら何故か気まずそうにしながらもセラフィナの発言を肯定した。
エルが休んでいる間に事態はどうやら、とんでもない方向へと進んでしまったらしい。




