奔走編 辺境の夜①
町の酒場にて大人たちが酒盛りをしている頃、ガラハッド邸には昨夜と同じ量の料理が並んでいた。
「レオンさんとセラフィナちゃん、どこに行ったのかしらね〜」
ガラハッド夫人は姿の見えない二人を不思議がるが、深くは気にせずに晩餐が始まった。
「エルさん今日はとっても楽しかった!明日もここにいるのかしら?明日はアタシのお友達を紹介したいの」
エリザベートは昼間のエルとの散策がよほど楽しかったらしく、思い出を語って聞かせて、夫人はそれを楽しそうに相槌をうちながら聞いている。
「ベティ、明日は家庭教師が来るのだろう。予習はしたのか」
盛大にはしゃぐ娘にガラハッド伯が釘を刺した。
「したわよ。兄貴じゃあるまいし」
「なんでそこでオレを出すんだよ」
どんぶり皿によそられた大盛りのシチューを食べていたカイルが不満そうに口を尖らせた。
「エルちゃんお口に合うかしら?あまりスプーンが進んでいないようだけど、もし苦手なものがあったら遠慮しないで残してね」
「いえ、とても美味しいです。ありがとうございます」
エルは夫人の気遣いに感謝をして、微笑んで止まっていたスプーンを進めた。
味は文句なしに美味しいけど、一人のうら若き貴族令嬢に出すには量がめちゃくちゃ多いと内心思ったことは咀嚼と共に飲み込んだ。
「エル……大丈夫か?体調悪い?」
食後のエルが大人しくソファにもたれて座っていると心配した様子のカイルが訪れた。手にはハーブの香りがするお茶がある。エルの為に持ってきてくれたのだろう。
「大丈夫よ、ごめん。奥様の料理は美味しいけれど、実は家にいた時はあの量の半分も食べてなかったの。ほら太るのは許されなかったから食事の量も管理されてて……ね」
「大変だったんだな。もう王太子の婚約者じゃないわけだし、たくさん食ったほうがいいぜ!腹が減ったら戦はできぬって言うだろ」
「そうね」
カイルからハーブティーを受け取って、エルはその温かな湯気をのんびりと香った。
エルの顔を曇らせているのは、夕方にオズから問われた質問だ。何がしたいかを真剣に問われて、エルは返答に詰まったのだ。
「………もう休んだ方がいいんじゃないか?胃薬持ってこようか?」
「ううん大丈夫よ。あのねカイル、ちょっといい?」
「いいけど」
「変なこと言っていたら聞き流して欲しいのだけど、私はね私に冤罪をかけて陥れたリリエッタも、私を裏切って追い出したアルフォンスも、何考えてるかわからないソフィアも大嫌いだし、あいつらを許したくはないのだけど別に殺したいとか残酷な目にあって欲しいか?って聞かれたら実はそうでもないのよ」
追い出された直後は「消してやりたい」と涙を流して恨んだが、いつのまにか逃走の日々を重ねるうちにその意識は消えた。
いま、エルを動かしているのは復讐より父の追手から逃げる逃走意欲だ。
「それって甘いのかしら」
「あんた言ってたよな、オレと再会した頃に皮を剥いで塩を塗りたくってやるって」
カイルとの再会は早かった。
エルが屋敷から逃走した翌日に会ったのだ。
あの頃はまだエルの中では怒りはふつふつと煮えたぐり、どうやって仕返ししてやろうかとばかり考えていた。
「甘いか甘くないかって聞かれたら甘いと思うぜ。でもそれが悪いことなんて思わねえよ、エルが残酷なことを願ったらレオンもセラフィナも悲しむと思うぜ」
オレの意見だけどさ、と付け加えてカイルは優しく笑った。
甘くてもいいとのカイルの言葉は、エルの心の迷いを許されたような気がした。




