奔走編 辺境の街②
「あらまぁ……!よく来たわね。お父さんは騎士団の方に顔を出してて夜までいないからゆっくりして行ってちょうだい、是非今夜はウチに泊まって行ってね」
ガラハッド邸に招かれたエルは、屋敷の客間にてガラハッド辺境伯夫人に迎え入れられた。
夫人は愛嬌と恰幅のよい中年の女性で、人好きのする笑顔はカイルのそれととてもよく似ている。
ガラハッド領の民を象徴するように、カイルより更に赤い燃えるような色の髪が印象的だ。
エルにとって、貴族の夫人のイメージはいつも伴侶の側で人形のように静かな表情で佇んで、自己主張することもなくおとなしく付き従う自分の母のイメージだったので、初対面で快活な笑みを向けてきたカイルの母はエルの知っている王都の貴族夫人とはだいぶ違って見えた。
「奥様、お世話になります。エルと申します」
エルは“エスメラルダ”と名乗るべきか少し悩んでから、エルを名乗り丁寧に王国式の礼をした。
公爵令嬢の作法は、エルの意思が公爵令嬢の立場を捨てたと割り切っても、身体が覚えているらしく久しぶりに披露した挨拶の礼も、たとえ身に纏っているのが質素な冒険者の服でも所作はうっとりとするくらいに美しい。
「エルちゃんね。丁寧にありがとう。しかしカイルにこんな可愛い彼女がいたなんてお母さん知らなかったわ」
ガラハッド夫人はエルを見て、嬉しそうな顔だ。
夫人から気に入られたのがなんとなくわかった。
あからさまな敵意を向けられないという、当たり前のことがエルにはありがたかった。
「カイルさんとは同じ学校の同級生だっただけの関係です。そういうのではないです」
ただ、この気立てのいい伯爵夫人に勘違いをされたままではややこしくなると思ったのでエルは夫人の勘違いを訂正することにした。
「あら、そうだったの?」
残念ねぇ、とエルの申し出を夫人は少しがっかりした顔で受け入れた。
二人の会話を聞こえないふりしてやり過ごすカイルが、不自然なタイミングで咳をする。
「母さん、エルとオレはそういう仲じゃないって」
「でもアンタ、この子の為に学園を退学したようなもんじゃない。ワタシはてっきりそういう仲なのかと思っちゃってさ、カイルとエルちゃんはどういう関係だったんだい?」
「私とカイルさんはただのお友達です」
エルはきっぱりと曇りなきまなこで言い切った。
本当は学園時代は友達と呼ぶこともやや違和感のある関係だが、その辺りはキリがないので無視をした。
「じゃ、そっちのお嬢さんは?」
エルの恋人であることだけは絶対否定する。というガチガチに固まった意思に早々に見切りをつけたガラハッド夫人が次に標的にしたのは、エルの隣で二人の挨拶をおとなしく眺めているセラフィナであった。
「わたくしは聖ルチーア教会所属のシスター、セラフィナと申します。カイル様のお母様、お会いできて光栄です」
注目がこちらに向いたことで、挨拶すべきタイミングと判断したのかセラフィナはエルに劣らないくらいに優雅に礼をした。
「セラフィナちゃんね。えっと同級生……ではなさそうだね」
「わたくし、エル様やカイル様より少しばかり年長でして、残念ながらガラハッド辺境伯夫人の望むような関係ではございません。ですがカイル様にはいつも良くしていただいております」
夫人の思考を読んだセラフィナはやんわりと否定した。
「……そうかい、ところでセラフィナちゃんは彼氏や婚約者はいるのかい?うちのバカ息子のこと、どう思う?」
エルよりは否定の声の大きさが小さかったことが災いしたのだろう、ガラハッド夫人はセラフィナの手を取ると目を輝かせて尋ねてきた。
「母さん……マジで恥ずかしいからやめてくれよ……」
カイルは顔を真っ赤にさせて身内の暴走を恥じ、エルはどこかで聞いたセリフだと思った。
「あー、オズが前、同じこと聞いてたわね」
そしてガラハッド領に到着してから、別行動をはじめた魔法使いの男を思い出した。
魔猪に追いかけ回されて、体力に差はあれど皆、命ガラガラの疲労困憊、満身創痍での到着だったのに、オズは燃料補給すると突然の言い出して街の入り口で別れたのだ。
「イケメンでお行儀がいいレオンならともかく、息子が見ず知らずのオッさんを連れてきたら親御さん困惑するだろ、しばらくオジさんは別行動させてもらうぜ。その辺にいるから、何か決まったら教えてくれ」
と、酒場が並ぶ通りを指差して消えた男は今頃、浴びるように酒を飲んでいるのだろう。
つい最近、夜遅くまでの飲酒により体調が悪化させたばかりなのに懲りないやつだとエルはこっそり呆れ笑いを浮かべた。
家を飛び出した息子が帰宅したとの報を受け、ガラハッド卿が帰宅したのは夫人の予想より早い時刻であった。
「カイル……おまえ、突然学校を辞めたと言い出して帰ってきたと思ったら行き先も告げずに勝手に家を出て行って、それでまた帰ってきて、おまえはどれだけ私を振り回したら気が済むんだ!」
「ごめん親父!でもオレ親父に頼みがあって……」
「ふざけるな!おまえにはもっと厳しい説教が必要なようだ……私の部屋にきなさい。あぁお客人、カイルは席を外させる。私の屋敷ではそれぞれ好きに過ごしてくれてかまわない。……来い、バカ息子」
「そんなぁー」
逃げようとするカイルの首根っこを掴んだガラハッド卿は、居間にいるエルたちにそう言い残すとそのままずるずると上の階に連れて行く。
ガラハッド卿に浮かぶ怒りの色は、長い長いお説教のはじまりをエルに予感させた。
「気にしないで兄貴はいっつもやらかして怒られているから。お父さんってちょっと怒りっぽいの」
連行される兄の背中に冷めた視線を送りながら、カイルの妹のエリザベートは呆れた顔をした。
「それはベティにも言えることでしょ、エルちゃんお菓子があるの。食べて食べて」
キッチンでお茶の用意をした夫人は、連れて行かれた息子を慣れた様子で見送ると、エルへのもてなしを優先させた。
カイルの家は使用人の数が少ないのか夫人である彼女自身が家事を行うようだ。
セラフィナが手伝いを申し出ると「いいのいいの慣れてるから」と笑い飛ばすくらいだ。
「伯爵夫人、ガラハッド卿の部屋の前で待たせていただいても?」
それまで静かにエルの側で仕えていたレオンが声をかけた。カイルの父に用があるようだ。
「レオンさんだっけ?ワタシは構わないけどお父さん説教長いわよ」
「構いません。失礼します」
レオンは腰を上げると、そのまま一礼をしてカイルの後を追った。
場所はわかるのか心配だったが、廊下までカイルを叱るガラハッド卿の怒鳴り声が響くのでエルの心配は杞憂に終わった。
「レオンさん、とっても素敵な方ね。都会の男性ってああいう人が多いの?アタシも王都に行きたいな」
エリザベートは、レオンの去り行く背中を見ながらうっとりと声を上げた。
たしかにガラハッド領の筋骨隆々な男性に比べるとスマートで細身のレオンはあまり此処では見かけないタイプだ。
客観的に見てもレオンは顔が整っているので、年頃の少女のエリザベートが惹かれるのも納得だ。
「……で、レオンさんはエルちゃんの彼氏かい?それともセラフィナちゃん?」
恋愛話がよほど好きなのか夫人はさきほどと変わらぬトーンで問いかけるので、エルは苦笑しながら夫人の用意した甘い紅茶に口をつけた。




