学園編④
「ねえ、聞いた?エスメラルダ様って転校生のこと影でいじめているんだって」
「“エメラルドの姫”さまが?本当だったらショックすぎるわ」
ヒソヒソとそんな噂話をしていた生徒が、こちらに気づいて口を閉ざした。
だが、廊下の向かいからすれ違ったエスメラルダにはばっちりと聞こえているのだ。
噂を囁いた貴族の顔を確認すると、同じクラスの生徒だった。よくクラリスという名前の目立っている生徒に取り巻いているのを見ている。
きっと噂の出どころは、クラリスから放たれたのだろう。
リリエッタが転校してきて数ヶ月ほどが経った。かつての学園の高嶺の花であったエスメラルダをとりまく環境は、日を追うごとに変わっていた。
崇高の目を集めていた彼女への視線にはいつからか冷淡な目が混じるようになり、その割合は日に日に増えていった。
「エスメラルダ様って最低なのよ。学校のテストいつも首位なのは、公爵様の権力でテストを横流しをしているからなんですって」
「まぁ!それが事実なら真面目に試験を受けている2位のテオドール様がお可哀想よ」
「前から気に入らなかったの、少しばかり美人だからってお高く止まってて……でもあんがい綻びは早いのね」
そんなわけないでしょうと、いいかけてトイレの個室にいたエスメラルダはグッと声を出したくなる状況を堪えた。
今の会話で誰が話しているのか学園の生徒の容姿と声を丸暗記しているエスメラルダには個室の壁に阻まれていても手に取るようにわかる。
同じクラスの女子たちだ。
根も葉もない噂を広げてとんだ迷惑だと、彼女らが去ったのを確認してからため息をついた。
エスメラルダの父のロデリッツ公爵は不正を嫌う人物なので、権力でテストを横流させるなど、天と地がひっくり返ってもありえないのだ。
むしろ何の小細工も無しで、父が満足な点数を取ることを幼い頃からエスメラルダは望まれて、今に至るまで首位を取りつづけているのだ。
心身の疲れからしばし項垂れていたエスメラルダは重い腰を上げて個室を出た。
手洗い場で冷たい水を流しながら、しばし呆然としていると廊下が騒がしいので外の様子を伺った。
「ふええん、転んじゃった〜、あたしったらドジでもうほんといやになっちゃう⭐︎」
耳をつく媚び諂った声に、エスメラルダは聴覚をシャットアウトに切り替えて聞かなかったことにした。
「リリィはドジだなぁ、まぁそこが可愛いんだけど」
「ふえぇん⭐︎アルフォンス様ったらいじわる言わないでください〜」
「ふふふ、微笑ましいですね」
「あぁ、辛い訓練の疲れも癒されるぜ」
「うらやましくて妬けてしまうよアルフォンス」
バカが一匹、
バカが二匹、
聞こえてくる声を物陰に隠れて聴きながら、エスメラルダはバカの数を数えることにした。
いい年齢して、あからさまなアホにデレデレしてるバカが四匹か。
この国の未来は暗いかもしれないと、頭を抱えていると、その場にいたらしい六人目の声がした。
「おい、リリエッタ。お前なんでよく転ぶんだ?足が悪いのか?」
媚び諂ったリリエッタに対して、明らかに他の取り巻きとは温度差のある少年の声がした。
……あら、すこしは話の通じそうなアルフォンスのご友人もいたのねと物陰から確認すると赤い髪が見えた。
「それは、あたしがドジっ子でぇ」
「……注意力が散漫なんじゃねえの?」
くねくねと体をくねらせて答えるリリエッタに真顔で冷静に返すのは北方の辺境伯の息子だ。
騎士科に所属していて、騎士団長の息子であるマクシミリアンの次に剣の腕が立つと評判の生徒だ。
名前は確かカイル・ガラハッドだとエスメラルダは記憶している。
「カイル、リリィはそれでいいんだよ可愛いから」
「そんな短いスカートで転げ回っていたらスカートの中が見えて目のやり場に困る」
目を逸らしてカイルが指摘すると、リリエッタは即座にスカートを抑えて頬を染め上げた。
「きゃっ!ヤダ……見ないでよォ!」
「おい、リリィにセクハラをするな」
「最低ですよカイル」
「騎士の風上にも置けんな」
カイルの言葉に反論したのは腰巾着たちだ。
アルフォンスは、側近の中で一人だけ異色を放つカイルに眉を寄せる。
「カイル、リリィに謝ってくれ」
「はぁ?なんで」
「僕の大切な友人に不快な思いをしたんだ謝罪しろ。これは王族命令だ」
「………ッチ、悪ぃ」
不満げに口を寄せながら、カイルは頭を少しだけ下げる。
彼の精一杯の矜持なのだろう。
リリエッタはカイルの不満そうな謝罪姿を見て満足そうに微笑んだ。
「ふふ、いいんです。仲直りしましょうカイル様♪あたし、カフェテリアのケーキが食べたいです♡ご馳走してくれるのならそれで許します⭐︎」
リリエッタは強かに微笑むと、エスメラルダに注意された過去などなかったとばかりにアルフォンスの腕を組んですり寄った。
アルフォンスは満足そうにリリエッタに寄り添うと、そのままカフェテリアに向かって歩み始める。
「……みんな、なんかおかしいぞ」
ヴィンセント達腰巾着も役目とばかりについて行ったので、場に残されたカイルは、誰にも聞かれないように呟いたが、物陰で一部始終を覗いていたエスメラルダだけがその言葉に同意した。
そして、一人だけでも真っ当な人間がアルフォンスの側に残っていたことに、そっと安堵の息を吐いた。