奔走編 信仰都市⑥
エルは人の波を掻き分けて、礼拝時間を告げる鐘が鳴り響く街の中を駆け抜けた。
石畳の広がる街中は走りづらく、似たような白壁の景色がどこまでも続くので初めてこの街に来た彼女はいとも簡単に現在地を見失う。
セラフィナが示していた宿の場所などとうの昔に行方不明となっていた。
「……迷った、この辺の宗教の人はセラフィナの着ている服とは違う雰囲気だし聞いてもわからなさそう」
東方の宗教施設と思われる建物の前には、巨大な剣を構えた仁王像が立っている。
聖女を祀るセラフィナの宗教とはまた別の組織だろう。
異国風の紅白の衣装を着た女性が施設の前で掃き掃除をしているか、なんとなくエルの国の言葉が通じない気がして宿の場所を尋ねることは諦めた。
「レオン……カイル……どうか無事でいて」
『公爵令嬢の誘拐犯は速攻縛首だよ』
腹立たしい笑顔を向けてきた男の言葉を思い出して、エルは湧き出た怒りに衝動的にその場の壁を叩いた。
「……縛り首になんてさせない。私がレオンを守らなきゃ」
私にできることはなんだろうと思案を重ねる。
いくつかのプランを考えたが、一番の最適は一刻も早くセラフィナと合流して、彼女の力を借りることだ。
私が助けるだなんて見栄をきって至った結論が人任せだなんて情けなさも感じるが、プライドでレオンもカイルも救えない。
それに、エルの復讐の為に使えるものはなんでも使う。
敬虔な聖徒であるセラフィナの力なら、あの怪しい魔法使い男に太刀打ちできる可能性は大いにある。
もし可能なら、あのムカつく顔をぶん殴ってもらいたい。
エルは踵を返して、元来た道を引き返した。
男はおそらくエルを追いかけている。
エルの魔力は多いが、男の魔力も多い。
意識を研ぎ澄ましたら、その膨大な魔力がこちらに向かってきているのが徐々にだがわかるようになったきた。
「こんな形で経験を積むことになるだなんて、あんまりだわ」
エルは男の魔力から、できるだけ人の少ない方へと逃げた。
無関係な人を巻き込みたくなかったのだ。
複雑な街の作りは、路地の裏もまた緻密になっていて、迷い込んだら二度と出られない不可思議な場所にすら感じる。
「確か、聖ルチーア教会の本部は大きな鐘があって、白磁の建物……」
エルは裏路地から、大通りに出ようとしたが前を見ることに夢中で足元に突然差し込まれた杖に気付くのが遅れた。
「きゃっ!」
エルの走っている足元にわざと引っ掛けてバランスを崩すように差し向けられた杖の先で、先ほどの男がニンマリと笑っていた。
バランスを崩したエルはその場に転げて、強く体を打ってしまう。
「お迎えの時間だって言ってるだろ。お嬢様、もう追いかけっこは終わりだよ」
男は咥えていた煙管を手に持つとわざとエルの顔に煙がかかるように吐き出した。
甘ったるい嫌な香りの煙が、盛大にエルにかかり慣れない彼女は耐えきれずに咳き込んだ。
「けほっ……けほっ……この最低!卑怯者!!」
「お褒めにあやかり光栄です。<拘束>」
男はエルの罵倒を耳を穿りながら聞き流し、短く唱えた呪文はエルの手に冷たい氷の錠前を作成した。
「暴れられたら困る、大人しくしてるんだな」
「くっ……魔法使い。レオンもこうやって卑怯なことして勝ったんでしょう」
「勝てば官軍。結果が全てだ。公爵家行きの馬車の手配をしてあげるから優しいオジさんに感謝しな」
エルの抗議を全流しして新しい煙管に火をつけた男は、真新しい煙を燻らせた。
口調こそ軽いがその目は微塵も笑っていないのがエルの目に映った。
「噂に違わぬエメラルドの瞳、髪の色は手配書に書いてあるのと違うが染めたのか?男の方は手配書通りの鳶色の髪の男だったが……。まぁいいや、それでは麗しきエスメラルダ様、オジさんと今夜は楽しく宿で過ごそうか、きゃっ寝る前は女子トークとかしちゃう?やだー楽しみ〜」
ケラケラと笑いながら、一人で話して完結させる。
その嫌な雰囲気は前に山の修道院にやってきた、下卑た冒険者を思い出した。
だが彼らと確定的に違うのは、この魔法使いは、間違いなく相当の場数を踏んだとても強い魔法使いで、今の状況は極めて最低の状況であるということだ。




