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饗宴編ex2 とある雑貨屋店員の手記④

 





 救貧院でただ一部屋、快適な環境が保たれている院長室に男の怒鳴り声が響いた。



「だから、おまえんとこのガキはどう言う躾をしてるのかって聞いとるんじゃ!! このド阿呆が!!!」



 ソファにふかく腰を下ろすと無作法に足を組み、灰皿もないのに勝手に葉巻にタバコをつけた厳つい顔の男は無遠慮に大量の煙を燻らせると厳しい目つきで顔を真っ青にさせた院長を睨みつけた。


「お〜いてて、肩が折れたかもしれへんわ〜 おたくん所の子供が前も見ないでぶつかってくるからや〜 これはしばらく仕事に差し支えあるかもしれへんな〜」


 怒鳴り散らす男の隣で、わざとらしく痛がる金髪の若者が肩をさすりながら震える院長を煽り見た。

 そんな彼は院長の隣に立たされている孤児と目が合うたびに、こっそりとアイコンタクトをしてくるので、孤児の少年は口が緩みそうになるのを頑張って堪えた。


「旦那さま……その……ウチの孤児が粗相をして……誠に申し訳なく」


「だから口先だけの謝罪はいらんと言うとるんじゃ

! どう誠意見せるかって話じゃ!! ウチのワンドは稼ぎ頭じゃけぇ、休業補償がおまえのやっすい頭だけで足りると思っとるんかクソボケが!!!」


「ひぃぃ……!」


 体格の良い強面な男に恫喝されて、院長は顔を真っ青にさせて怯えている。少年は何も言わずに縮こまる院長の背中を眺めた。

 散々、救貧院で好き勝手に搾取をした人物だ。彼が顔を青くしている姿は滑稽で仕方がなかった。


「おいチビ!! おまえも謝るんだ!! 頭を下げろ!! ええい、床に頭をつけるんだ」


 院長は隣に立つ子どもの視線に気づくと八つ当たりのようにその小さな頭を掴み、土下座をさせようと力いっぱい押さえつけた。

 子どもの彼はされるがままに院長室の硬い床に頭を擦り付ける。


「…………すんません」


 少年は言われた通りに謝罪の言葉を口にした。


「この通りです! 旦那さま、なにぶんうちは補助金で成り立ってるような貧しい施設なので金目のものなど何もありはしないんです!!」


「ほぅ……ワンド、ちっとその辺から金の匂いがせぇへんか?」


「はい兄貴! 自分もプンプン臭うと思っとりました!!」


 院長の話など意に介さず、変わらず堂々と葉巻を蒸す強面の男は、言葉なく目線だけで何らかの指示を若者に下した。

 それを受けた金髪の若者は胸元から鉄でできた複雑な形の器具を取り出すと、しっかりと閉ざされた院長室の戸棚の鍵を勝手に開錠して開け放つ。


「!!!!!」


 開かれた扉の中には、目が眩むような貴金属や金貨が大量に隠されていた。


「おたからや……」


 押さえつけられた土下座の体勢のまま、少年は生まれて初めて見たまばゆい財宝の数々に目を奪われた。

 その隣では院長が声のない悲鳴をあげている。


「おう、これだけあったらおまえの休業補償の足しにはなるな」


「へい兄貴!!! これなら十分ですわ!!!」


「わわわわ!!! それはアカンです旦那さま!! そちらは救貧院の運営資金でして!!! 持っていかれたらここに暮らす者が非常に困るんです!!!」


「へ〜ぇ???」


 男はゆっくりと葉巻の煙を吐くと、キラキラ輝く財宝と開けっぱなしの院長室の扉の向こうからこちらの様子を見ているボロボロの貧民たちの姿を見比べた。

 戸棚に大量にある金貨の一枚で、彼らの汚れた身なりは整えられ、空腹も十分に満たされることはここにいる誰だって周知の事実なのだ。


「ならばさっさとそいつらの生活用品買うてこいや!!! こちとら泥だらけの汚い孤児に大事な弟の服を汚されて不快で不快で仕方ないんじゃ!! 早よせいこのウスノロのグズが!!」


「は、はいぃぃ!!!」


 吸い途中の葉巻を院長室の応接机で押し潰しもみ消すと強面顔の男は、今日一番の恫喝の声をあげた。

 院長は怯えきった様子で戸棚からあわてて金貨を手にすると、こちらを心配そうに見ていた貧民の中から、比較的身なりの綺麗な赤子を背負った寡婦に金を握らせ何かの指示をする。

 どうやら院長は彼女に、貧民たちの新しい服を買いに行かせたようだ。寡婦は急かされるままに早足で院長室の前から立ち去った。


「…………」


 男の恫喝に怯えたのか、いつも子供から食糧を奪うような連中も金貨を手にした寡婦から、それを奪うような素振りは見せなかった。

 誰もが沈黙して、ことの成り行きを見守ることしかできないのだ。救貧院は完璧に招かねざる客である兄弟のペースに呑み込まれた。




「……おい、話は終わっとらんぞ。落とし前の件はどうするつもりかお聞きしよか院長先生?」


「あ〜いてて、やっぱり骨が折れとるわ〜。これは一ヶ月くらいは休まなあかんわ〜」


 この場を去った寡婦を力無く見送る院長の背中に、貴族の男は低い声で再び問いかけた。

 隣では先ほど何事もなかったかのように華麗な鍵開けを披露した若者が痛がる演技を再開させる。


「このガキは旦那さまにやります。煮るなり焼くなり好きにしたってください……!!」


 院長は床に平伏したままの孤児を青い顔で指差した。これ以上の彼らの横暴を止めるために、院長は意図も容易く子供を切り捨てたのだ。

 それを聞いた男の口角がほんの僅かに上がった。だが、彼はそれを隠すように言葉を重ねた。


「……こんなガリガリのガキ、たいした額にもならんわ。もう一人くらい頂かんと割に合わん。金の稼げそうなちょうどいい年頃の若い娘はおらんのか?」


「!」


 男の言葉に少年は顔を上げた。

 視線に気づいた若者はこっそりとウインクをする。


 昨日の「お願い」のあと、言われた通りに救貧院にジョージとワンドの二人を案内をしたがここで彼はようやく兄弟のやろうとしている言動の意図を完璧に理解した。




「チビ助!!!」




 その時、姉が血相を変えて院長室に飛び込んできた。

 弟がトラブルを起こしたと誰かに聞かされたのだろう。


「姉さん」


「お貴族さまに迷惑かけたって聞いたで! ああ、もう! 何やっとるんやアホ!!」


「ごめんなさい……」


 飛び込んできた姉は床に土下座をしたままの弟の前に青い顔をして躍り出ると、彼の手を取って泣きそうな顔をした。


「お貴族さま! ほんまにほんまに弟がごめんなさい! ウチが代わりに責任取ります! 何でもします! どうか弟を許してやってください!!」


「えっ……あっ……」


 こちらを伺う兄弟に目線を向けた姉は、少年の隣で同様に頭を下げる。

 隣で院長が情けない声を出すのもお構いなしだ。

 何も悪くない姉のその場に今にでも土下座をしそうな勢いに、先ほどまでわざとらしく痛がってた若者が彼女の痩せた腕を掴んで止めてくれた。


「女の子がそないなことしたらあかんよ?」


 姉の震える体を支えて、軽薄な雰囲気だったワンドが真面目な口調で嗜める。

「男ならいいのか」と、隣の少年は思ったが口にするのはやめておいた。


「嬢ちゃん、“何でもする”……今のその言葉に二言はないな?」


 しばらくやりとりを静観していた男が姉に厳しい目で問いかけた。姉は強面の男の目に怯えて震えているが、なんとか首を縦に振るって同意を示す。


「……決まりだ。それじゃ、この二人はウチで貰おうか」


 姉の承諾を得たジョージはにんまりと笑うと色眼鏡の下の目を緩ませた。どこか父性を感じるあたたかな眼差しを支え合う姉弟に向けてくる。

 その隣では院長が「あの……あの……」と何かを言いたげにしているが、厳つい男は院長に取り合う暇など与えなかった。


「兄貴! それじゃワイが弟と妹としてこいつらの面倒みたるわ、それでええな?」


「………好きにせい」


 さくっと話をまとめるとそのまま男は重い腰を上げて、若者は床に跪いたままの少年を立ち上がらせる。


「チビ助、行こう。おまえの姉ちゃんも一緒や」


「……」


 状況をなんとか飲み込もうとする幼い彼の頭をワンドは姉と同じくらいの優しい手つきで撫でると、温かな眼差しのまま姉弟の手を引いて部屋を出ようと歩き出す。


「何の心配もあらへんで、兄貴との約束通りにウチで商売の手伝いをしてもらうだけや」


「ワンド、その嬢ちゃん用に宿屋をもう一室おさえとけ。……ワシはもう少し、大人の話を院長先生とせなあかんからな」


 男は新しい葉巻に火をつけると、がくがくと震えうっすらと涙を浮かべる院長を背筋が凍るくらいに恐ろしい目つきで睨みつけた。


「承知した! ほらチビ助、嬢ちゃん、ワンドくんについてきたってな。今日からワイのことは“お兄ちゃん”って呼んでええで!」


 そんな修羅場の気配を院長室に残しながら、兄となった若者に手を引かれた弟と妹は颯爽と救貧院を出ていくことにした。

 



 去り際の路地裏で衣料店の大きな紙袋を持った寡婦とすれ違った。

 若者に連れられ孤児院を出てきた二人の様子に、姉弟の新たな生活の幕開けを察した彼女からは言葉はなかった。


 ただ己の子供に向けるものと同じ、あたたかな眼差しでちいさな二人の門出は静かに見送られた。





 ─────────……




「……」



 カーテンの隙間から差し込む、朝の日差しを浴びながらロッドは温かな寝台で目を覚ました。

 昔の夢を見た気がしたがいまいち内容を覚えていなかった。


「……今日は朝イチで露天で委託の品の仕入れをして……昼に荷物を受け取って……」


 今日の予定を思い出しながら、ロッドはぬくもりの名残を惜しみつつ快適な寝床から起き上がる。

 そして、洗濯したばかりの清潔な真っ白いシャツに着替えはじめた。


 昨夜は知人を店に泊めたので朝食を用意しなくてはと考える。昨夜のスープにスパイスを足して味変して、パンと青果店の店主からもらったジャムを出して、あと何か一品たまごを焼いたらいいかと考えに至る。


 今のロッドには、料理の献立を悩む余裕もあるのだ。




 あの日、ブラン子爵によってボロボロだったチビ助と姉は救われた。


 約束通り旧都に着いた彼らから十分な衣食住を与えられ、ブラン商会従業員という肩書と「ロッド」という名前をつけられた。

 姉には本来の名前もあったようだが、本人の希望で同様に「メイス」という名前を名乗り始めた。


 兄として迎えると言ったワンドは約束通り姉弟の兄貴分となり、優しい兄としての役割を果たした。

 少し軟派だが明るくて気回しの利くワンドはロッドにとって自慢の兄となった。


 売り渡す予定の姉を取られたことで約束の反故だと色街の顔役を怒らせた院長は救貧院の院長職を罷免されたらしい。国の片隅で行われた杜撰すぎる救貧院の経営を何者かによって中央に密告されて、手を組んでいた悪徳貴族ごと相応の厳しい処罰がくだったそうだ。


 王国上層部には、そのような不正を絶対に許さない厳格な為政者がいたのだろう。


 後任者はだいぶ真っ当な人物で、相変わらず街の治安は底辺だが、救貧院の環境はある程度は改善され、ちいさな子供からパンを奪い、食糧を巡って殴り合うような男どもは「そんな元気があるなら働け」と追い出され、残された老人や子供が細々と食べていく程度には食事も支給されるようになったとあの日姉から菓子を分けてもらっていた、のちにブラン商会の王都の店でメイスの同僚として働くことになった子連れの寡婦は教えてくれた。


 ブラン子爵家の歳の差がありすぎる胡散臭い兄弟によってロッドとメイスと救貧院は救われたのだ。

 それはロッドが生涯をブラン子爵家に忠誠を誓うには十分すぎる理由だった。





「ずいぶんと甘いジャムだな……」


「近所の方のお手製です。お裾分けしてくれたんです」



 起きてきたジノに朝食を振る舞うと、彼は昨夜と同様に感謝をしてから席についた。

 そして青果店の店主からもらったいちごのジャムに感心した様子で舌鼓を打つ。


「ジノさんはいつまで辺境にいる予定ですか? もし今夜も滞在予定なら、遠慮せず店に泊まってってください。何のお構いもできませんが」


「それなんだが……」


 パンを咀嚼しながら、金貸しの男は少し考えていたのだろう。真剣な面持ちでロッドに向き合った。


「この街に同業者かねかしはいるだろうか? 実は昨日、店に着く前に少し街の様子を見たのだが治安も衛生も素晴らしく住民も穏やかで住みやすそうな街だと感じた。仕事面で競合者がいなければこの街に家族を呼び寄せたい。顔見知りのおまえもいるし、帝国派もいなさそうだから姉の子どもたちも安心して暮らせそうだと感じたんだ」


「!」


 引越し先を探すと言っていたジノにとって、辺境の街はお眼鏡に適ったらしい。

 ミルリーゼにとって借金取りのジノは天敵の男だがロッドにとっては温情のある敬うべき男だ。

 彼の移住希望を拒む理由は特に見つからなかった。


「貸金業はわからないですけど、俺、辺境伯さまの副官の方と知り合いなので引越しについて多少は役立てると思います! 俺もこの街に住んで日は浅いですが、住み心地は保証しますよ!」


「そうかロッド、助かるよ。家族に相談の上だが、ロッドのお墨付きならばますます引越し先にうってつけだな」


 ジノは軽快に笑うと一口茶を飲んでから低い声で呟いた。


「……それに、此処に住めばミルリーゼ・ブランの監視もできる」


 その言葉を聞いてロッドは主人の娘に対して反逆行為をしてしまったかもしれないと感じたが、兄も同様の密告をしているし「まぁいいか」と開き直ることにした。




 春の訪れとともにやってきた新たな住人の話に相槌を打ちながら、ロッドは遠く離れた王都にいる大切な家族に思いを這わせる。


 そんな彼の新しい一日の始まりは、のんびりとした時間と共に穏やかに流れるのであった。



(完)


ロッドくんはわがままお嬢さまに振り回され慢性胃痛に悩みながらもこうして穏やかな幸せを掴みましたとさ。めでたしめでたし(?)



長い物語にお付き合いいただきありがとうございました。饗宴編はこちらで完結となります。

執筆のため暫し更新休止となりますが、再開の際はよろしくお願いします。


過去の誤字や文法の修正もちまちまやっていきたいと思います。


評価や感想をいただけたらとても嬉しいです。

ここまでお読みいただきありがとうございました!

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