饗宴編ex2 とある雑貨屋店員の手記③
「出てこい! ミルリーゼ・ブラン!!」
夜の雑貨店の扉が突然開き、怒り顔の男が飛び込んできた。
明日の営業に向けて、仕入れた商品のチェックをしていたロッドはその勢いに眼を丸くして驚く。
「……ジノさん!?」
「おうロッド、久しぶりだな。ミルリーゼ・ブランはどこだ!? 文句をつけにきた!!」
「わざわざ旧都からいらしたんですか……お疲れ様です」
男は旧都にて貸金業をしている人間であり、ブラン子爵家が百年前にかつての領地で起きた災害による領民救済の為に多額の借金をした一族の者であった。
そして彼は、とある事情で行方も告げずに旧都の街から姿をくらました主人のミルリーゼを血眼で探しているとの情報がロッドの耳にも届いているのだ。
「ミルリーゼ・ブランもついに年貢の納め時だ!! 身内に居場所をばらされるなんてザマァねえな!! おいミルリーゼ・ブラン!! 隠れてないで出てこい!! 黙って逃げた件を頭下げて詫びやがれ!!」
「(ミルリーゼさま……ジノさんに逃走理由、まだ話してないなこりゃ)」
ミルリーゼの逃走理由を話してしまっていいのか考えるが、怒り心頭といった面持ちの男には沈黙したら逆効果な気もするし、夜にこんな風に叫ばれたらものすごく近所迷惑だ。
「あの……ジノさん、ミルリーゼさまはここにはおりません。いま旦那さまから招集がかかって王都におります」
「ああん!?!?」
「すみません……俺から話していいのかわかりませんが、今回の事情をお話ししますね。お茶を入れますので奥にどうぞ」
ジノ・オルカンは先述の通り貸金業を営む一族の男であった。オルカン一族の歴史は古く、アステリア建国戦争で儲けた莫大な財が彼らの業務の資金となっている。
単純に所有している資金の額だけならアステリアの名門大貴族アルバート公爵家にも匹敵するほどらしい。
(ただし、アルバート公爵家は単純な資金だけではなく鉱山や製薬業での資産も大量に持っているので単純な比較では彼らに軍配は上がる)
旧都にいた頃は定期的にブラン商会に借金の取り立てに来ていたので店員であるロッドもすっかりジノとは顔馴染みの存在であった。
「…………なるほどな、帝国派に命を狙われていたのか」
「すみません、流石に命の危険を感じて逃走を優先しました。本人も何も言わずに逃げたことは反省しております」
逃走理由は真実だが、反省に関しては嘘である。
ミルリーゼは「金ができたらそのうち払う」と開き直ってそのまま踏み倒す気だったのは側から見て明確であった。
ロッドの兄のワンドが商人としての義理人情を優先して、借金取りのジノにミルリーゼの居場所を密告しなければこのまま姿をくらましていたとロッドにはきっぱりと断言できた。
「まぁ、そういった事情なら仕方ねえ。そんな状況ならオレだって命を優先するさ。ミルリーゼの野郎から、ちまちまと利子分の支払いは確認できてるし今回の件は水に流そう」
「ありがとうございます、わざわざ旧都から出向いてもらったのにすみません」
「いや、いいんだ。実を言うとオルカン家も旧都から移転してる。今は別邸のある旧都の近くに家族は越しているが移住先を見つけ次第、もう少し遠くに引っ越す予定だ」
「そうなんですか? 大変ですね」
ジノは出された温かなお茶に口をつけると深刻そうな深いため息をついた。
「……対ノクタリア派の筆頭だった貴族の家が息子に代替わりをした途端に寝返った。もう旧都にロクな対抗勢力はねえよ。旧都は帝国派の完璧な支配領域だ」
「!?」
帝国派。魔道帝国ノクタリアの復興を目論み、帝都の裏社会で顔を聞かせる過激派組織。
金の為なら何でもやり、人身売買や破壊工作、非人道な魔法実験を繰り返す非合法な集団だ。
ミルリーゼは彼らの起こした事件に正義感と好奇心で首を突っ込んで、その代償に命を狙われている。それが彼女が逃走に至った経緯なのだ。
「真っ当な家はブラン家のように次々と旧都を抜け出してる。残っているのは帝国派の支持者か帝国派の言いなりの家だけだ」
「…………」
「あいつら、ここ数年でとてつもない勢いで勢力を拡大してやがる。何が起きてるのか、組織外にはほとんど情報を漏らさねえ。なあ? 情報屋の方で掴んでる情報はないのか?」
ジノは忌々しく呟くと、対面する椅子に座るロッドに真摯な目で問いかけた。
ロッドはただ黙って温かなお茶を啜る。
「すみません旦那さまやワンド兄さんなら何か知ってるかもしれませんが、末端の俺では何も……」
「そうか……まあ、そうだわな」
ロッドは申し訳なさそうに詫びを入れるとジノもまたそれ以上の深堀りはせず、納得したように頷いた。
ブラン子爵家の裏稼業の情報屋は危険が伴うと言う理由でロッドは依頼受付と簡単な内容の把握くらいしか仕事に関わらせてはもらえないのだ。
「ジノさん、今夜は遅いですしよかったらうちに泊まって行ってください。この店は俺しかいないんで部屋は空いているんです」
「おお悪いね、いまから宿屋を探すのは骨だったんだ」
「いえ良いんです。ほんまにご足労かけました、簡単なものですが夕食を作りますね」
ロッドは飲み終わった不揃いのお茶のカップを回収しながら席を立った。
責務者と債権者の関係とはいえ、ジノとロッドの間ではミルリーゼに振り回される者としての謎の仲間意識があったし、かつてのロッドが語ったようにジノに対しては「温情のある方」としての敬意もあった。
実際ジノは借金の取り立てに関してはシビアだが、こうして誠意を込めて事情を話せば理解を示すし、長年にかけて先祖の借金を返すブランの一族にも債権者としての敬意がありお互いにリスペクトしているのだ。
「悪いなロッド、おまえには迷惑かける。どうだいミルリーゼなんて見捨ててオルカン家で働かないか? 何ならブランの旦那にはオレから話をつけよう」
「……すみません。旦那さまには多大な恩義があるんでここを辞めるわけにはいきません」
「そうかい、残念だなあ。ロッドほど真面目で勤勉な奴ならもっと良い待遇で働けるところがあるのに。もし転職したくなったらいつでも声かけてこいよ!」
「万が一、その時があったらよろしくお願いしますね」
ジノの誘いをさらりと流して、ロッドは炊事をする為にキッチンに立った。
春先とはいえ夜は冷えるのであたたかなスープを作るために野菜の皮を剥きながら考える。
「(俺がブラン家を離れる時は旦那さまに見捨てられた時だけだ。俺の生涯はブラン子爵家に捧げるって決めているんだ!)」
─────────………
幼い弟は絶望した。
大切な姉が、汚い大人たちに売られそうになっていると言う事実にひたすら絶望した。
翌朝、あれは悪夢だったんじゃないかと粗末な救貧院の寝床で目を覚ました時に考えたが、やはり都合よく夢などではなかった。
「チビ助、ちょうどよかった。こっちに来て」
姉が大量の裁縫の仕事を押し付けられている作業部屋にいくと部屋の中には姉と赤子を抱いた寡婦の女性がいた。
「姉さん……どないしたん?」
「シッ、静かに。お母さん、これお裾分けな。お乳が出なくなったら大変やろ、こっそり食べてな」
「ほんまにありがとな……助かるわ」
姉は薄暗くて狭い裁縫部屋に自分たちしかいないことをしっかりと確認すると紙袋を赤子を抱いた女性に手渡す。さりげなく紙面を確認すると、それはお菓子の入った袋であった。
「見つかったら子持ちの母親からでもあいつら容赦なく奪ってくるで、気をつけてな」
「お針子ちゃん。おおきにな、ほんまにほんまにありがとう」
「姉さんそのお菓子、ほんまにどないしたん?」
母親は赤子を大切に抱きながら感謝する。その隣で、お菓子などここでは院長くらいしか食べられないことを知っている少年は首を傾げた。
「さっき院長先生がきて、何の気まぐれか針仕事の報酬って置いてったんや。だから一つは赤ちゃんのお母さんに分けたんや、赤ちゃんにお乳をあげるんやから栄養つけなあかんやろ?」
「………」
「もう一つあるから、こっちはチビ助とわけっこしよ思ってな」
姉は袋を開けると弟に食べるように袋口を向けた。その欲のない純粋な目に彼は居た堪れなくなる。
弟は昨夜、「準備が整うまでは姉を飢えさせない」と密談を交わす院長たちを盗み聞きしているのだ。
いままで姉の仕事にまともな報酬を払っていなかったのに、突然の施しはそういった事情からだろう。
「遠慮せんでええんよ、ほらお食べ」
事情を知らない姉の目が弟にはひたすら居た堪れず、ただ身を小さくさせるしかできなかった。
その日の食事すら満足にできない状況なのに、手に入れたお菓子ですら弟や寡婦に分け与えてしまう優しい姉が、何故こんな目に遭わないといけないのかと小さな少年は心の中で泣いた。
その日の夕方、日課となるゴミ漁りをしているとすぐ近くを立派な馬車が通った。
「!?」
何となく目を引かれて優雅に走る姿を眺めると、馬車の座席には大嫌いな救貧院の院長が乗っているのだ。
隣には見知らぬ男がいて、無性に気になった彼は後を追いかけることにした。
豪奢な馬車は街の端の飲み屋や安宿が立ち並ぶ通り沿いに車輪を止めた。
この辺りはいまは人もまばらで静寂に包まれているが、夜になるとランタンで照らされた通りはたくさんの人で賑わいを見せるのだ。
「こちらです」
馬車を降りた院長は先頭する男に導かれて一軒の店に入っていく。
追跡していた彼はその後をついていきたかったが、なんとなく子供は近寄っただけで追い返されそうな雰囲気の建物であり、物陰から様子を覗く少年は後を追うことに躊躇いを感じざるを得なかった。
「……この辺はあんまり来たらあかんって姉さんにも言われとるし、どないしよう」
やがて夜がきたらこの通りは客引きの女やその客である男たちで溢れるだろう。この辺りはそう言う場所なのだ。
そして大好きな優しい姉も院長たちの悪意によって、そう遠くないうちにここに立つ女のひとりとなるのだろう。
別におかしなことではない。この街の身寄りのない娘の末路なんて本当は薄々察していた。
救貧院には男性に比べてあきらかに若い娘が少ないのだ。姉より年上の若い女性は、先ほどの赤子持ちの寡婦くらいしかいない。
その理由に無知を装れるほど、幼い彼が生きている環境は甘くなどないのだ。
「…………」
姉を思って流す涙も出ない心身ともに枯れた自分が嫌になった。
いますぐにでも姉の手を取ってこの街から逃げ出したいが、この街以外を知らない彼にはどこに逃げて良いのかもわからなかった。
こんなボロボロの泥だらけの孤児を受け入れてくれるところなんて存在するのかもわからなかった。
そんなことを考えて絶望に拉がれていたら、不意に背後から場違いな陽気な声がした。
「おっ、チビ助やん」
「!?」
そんな軽快な声に振り返る。
そこには昨日出会ったブラン家の兄弟が立っていたのだ。
「お貴族さま……」
「こんな色街でガキが何しとるんじゃ?」
ジョージはギロリとした鋭い目で睨みつけてきた。
治安と品性のすこぶる悪い夜の街に小さな子供がいることに不快感を露わにした眼差しだった。
「まぁまぁ兄貴、そういうのに興味があるお年頃なんやろ。ワンドくんは気持ちはわかるで? 綺麗なお姉ちゃん、間近で見たいもんな?」
「……ワンド、ワシはお前の出入りも反対なんじゃ。おまえだってまだ酒も飲めんガキだろうが」
「そんな水臭いこと言わんといてください、ワイは兄貴にどこまでもついていきますわ!!」
「………」
変わらぬ軽快な会話を繰り広げる自称兄弟。そんな彼らの顔をおずおずと見上げた。
弟のワンドはやはりどこか軽薄そうだ。薄ら笑いを浮かべて兄に媚びる姿は胡散臭い。
反対に兄だと名乗る、ワンドの父親くらいの年齢に見えるジョージの色眼鏡越しの目は厳しく怖かった。だが、そんな恐ろしさの中にも威厳があり、どこか誠実さと言うか不思議と信用できる予感がした。
「お貴族さま……あの」
「何じゃ」
昨日、見ず知らずの孤児を誘ってくれたこの男なら姉を救ってくれるかもしれないと言う一縷の期待を胸にして、ボロボロの孤児はおもむろに口を開いた。
「………お願いが、あるんです!」
(続く)
メイスさんは本編でも「23歳」と自己申告していますが、ロッドくんは自分の明確な年齢がわからないので何となく過去の彼は10歳くらい。本編でも多分20歳超えてるくらいだと自己認識をしています。




