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饗宴編ex2 とある雑貨屋店員の手記②

 





「いやぁ助かったわ〜、兄貴はこんなナリしてちょっと鈍臭いねん」


「おいワンド、余計なこと言うとこの街に捨ててくぞ。おまえは素敵な故郷に里帰りしたいんか?」


「かわいい弟の冗談やんか〜、怒らんといてや」



 ジョージとワンドと名乗った男たちは軽快な会話を繰り広げた。

 ジョージの汚してしまったという高級そうな皮靴を丁寧に磨きながら、幼き日の彼は静かに兄弟の会話に耳を傾ける。



 彼らはこの街から少し離れた旧都にある子爵家の兄弟で仕事の関係でこの西方の街にきているらしい。

 ジョージと名乗った色眼鏡をかけた硬派な印象の中年男性と、ワンドと名乗った軟派そうな若者の間には親子ほどの歳の差を感じるし、黒髪で大柄で恰幅の良いジョージに比べたら、金髪で細身のワンドはお世辞にも似ているとは思えなかったが初対面で他人である自分が深入りべきではないと察した彼は大人しく聞き役に徹した。


「おまえ、なかなか手つきがいいのぅ気に入った。名前は? 見たところ随分と年季の入った服だが、どこかに身元はあるんか?」


 靴磨きを終えたつぎはぎだらけのボロボロの服の少年に、いつのまにか火をつけた葉巻の煙をふかせながらジョージが尋ねる。

 その隣で片腕のように控えるワンドの眼差しも、どこか情を感じて温かかった。


「……名前はないです。周りからはチビ助と呼ばれてます。身元もありません」


「ほぅ……」


 ジョージは煙を吐きながら、できるだけ行儀良く立つ小さな少年を上から下までくまなく見回した。

 そして、彼によって磨かれたばかりの革靴を眺める。


「兄貴のお気に入りの靴、新品みたいでピカピカやな。普段ろくに手入れもせんから、むしろゴミに足突っ込む前よりも状態良くなったんとちゃいますか?」


「ド阿呆。黙っとれ」


 ニヤニヤと軽口を叩くワンドにジョージは低く唸って黙らせる。

 その体の芯から響くような声に、幼い孤児は怯えたように身を竦ませた。


「………坊主。ワシらは商売の都合でこの街に来たんだが、ついでにウチで働く人材を探しとる。旧都に来て働く気はあるか? オマエの靴磨きの腕を買ってやる」


「!」


「孤児拾ったら、費用がかからんですむという賢い兄貴の経営戦略や……痛ッ!!」


 嗜められてもニヤニヤと笑いながら軽口を続けるワンドの頭に、ジョージの握った硬い拳骨が容赦なく振り下ろされた。


「黙っとれ言うたやろがいワンド! オマエの代わりにこの坊主を今日から弟分にしてもええんやぞ!!」


「ひえ〜兄貴、怒らんといてや!!」


「チッ………それでどや坊主。見たところだいぶボロボロやが、ウチにくるならそれより悲惨な目には絶対に合わせん。殺しとか盗みとかお天道様の下を堂々と歩けへんようなことは、絶対にさせんとも約束する」


 殴られた頭を抱えて、路地裏にうずくまるワンドを横目に子爵は葉巻を咥えながら恐縮する少年に尋ねた。

 このゴミだまりに暮らす孤児にとってはまさに救いの蜘蛛の糸のようなお誘いだ。


「ワシの家もそこまで裕福なわけではないからな。そう贅沢はさせられへんが、すくなくとも飯は三食与えるし、服だって毎日洗ったもん着せたる。勿論、雨風凌げて暖かい寝床も用意したるわ。どや、おまえさんにとっても悪い話やあらへんじゃろ?」


「………」


 ジョージの誘いは今の飢えた少年にとって喉から手が出るほどに魅力的だった。

 いかつくてなんとなく胡散臭いがこの男についていけば人としての尊厳と衣食住が約束されるのだ。


 だが彼の頭には救貧院に置いてきた姉の姿が頭をよぎる。ここで彼らについていったら、大切な優しい姉はあの薄汚い救貧院で飢えたままである。


「間髪入れずに飛びついてくるかと思うたが、案外冷静なんか坊主。ますます気に入ったわ」


「兄貴の顔が怖いから、内臓掻っ捌いて売り払われると警戒されとるんとちゃいまっか?」


「ワンド!!」


「お〜怖〜、チビ助。ジョージの兄貴は強面やけど真っ当な御人やで。人の道に外れるようなことは絶対せぇへん。安心せい、このワンドくんが保証したる。おっかないのは顔と拳骨くらいや」


「おう、ワンドはもう一発くらいたいようじゃがのぅ」


 ニコニコとフレンドリーに笑いかけてくるワンドの隣で小さな子どもは地面を見つめたまま黙り込んだ。

 何度考えても、やはり優しい姉を見捨てることができなかった。


「…………すんません、お誘いは嬉しいのですがお二人に付いていくことはできまへん」


「そうか、残念じゃが仕方ない」


「なんでやねん! ジブン、いま救いのチャンスを棒に振ったで? わかっとるんか!!」


「………」


 不満を露わにするワンドを制してからジョージは残念そうにため息をつくと、少年の小さな手に数枚の硬貨を握らせた。

 確認すると、数日は真っ当な食事が食べられそうな金額であった。


「お貴族さま!?」


「靴磨きの代金や。受け取っとけ」


「誰かに盗られんように頭使って隠しとけよチビ助! あ〜あ、かわいい弟ができると思ったのに残念や」


「アホのワンドの弟になりたがる酔狂なやつはなかなかこの世におらんのや。……坊主、ワシらはしばらくこの街の宿屋におるからの、気が変わったらいつでも声かけて来てええで」


 ジョージはそう言い残し、残念がるワンドを引き連れて路地裏の奥へと消えていった。

 ボロボロの少年は握らされた硬貨を見つめながら、この選択で良いのだと己の心に言い聞かせた。





 ─────────………





「……ん、ロッドさん! 起きてロッドさん!」


「ッ!?」



 穏やかな睡眠を貪るロッドの耳に届いたのは快活そうな少女の声であった。

 短時間の昼寝のつもりが少し寝過ごしてしまったようだ。ロッドは慌ててソファから身を起こす。


「ロッドさん、お客さんがお店の前で待ってるわ!」


 ロッドを起こしたのは、王都に行ったミルリーゼが自分の代わりと言って雇った辺境伯の娘のエリザベートであった。

 彼女は『家庭教師の授業に支障をきたさない』との条件でバイトをしに雑貨店に来るようになったのだ。

 本日も昼過ぎから夕方の閉店までお手伝いに来る予定だったので、ロッドは予定より長く眠ってしまったのだろう。


「あわわ……すんませんエリザベートさま」


「いいのよ疲れているんでしょう? お店の開け閉めはロッドさんのお仕事だから、それ以外はアタシがするわ! ロッドさんは休んだらどうかしら?」


「いえそういうわけにはいきません! すぐに店を開けますね!!」


 ロッドは慌てて閉じたままの店の鍵を開けた。

 店前で待っていた朗らかな常連客の老人は、穏やかに微笑んで店の中に入ってくる。


「エリザベート様、助かったわい、午後は休みなのかと思ったよ」


「ロッドさんは少しお疲れ気味みたいなの、許してあげてね。ロッドさん、こちらのおじいさん、腰に貼る湿布が欲しいんですって」


 ブラン商会のエプロンを身につけたエリザベートは慣れた様子で接客を始める。


 彼女は高位貴族の令嬢だが、生まれ育った地元の街での接客業は向いていたのか、愛想良く笑って店に立つ姿は住民たちの注目を集めた。

 今では産まれた頃から彼女を知っている街の老人たちが孫に会うかのようにブラン商会の雑貨店にやってくるのだ。


「ありがとうございました〜」


「ほっほっほ、また来るよ」


 湿布薬を所望した老人は、その他にも何点か雑貨を購入して満足そうに帰っていく。


 ミルリーゼの雇った新人アルバイトのエリザベートは確実に売り上げに貢献していた。

 この街の住民にとって心から尊敬を集める偉大な領主の娘なのだ、彼らにとってはエリザベートはちょっとしたアイドルのような存在なのだろう。


「(でも辺境伯さまのご令嬢に雑貨屋のアルバイトなんてさせて、本当にええんですかミルリーゼさま……)」


 カウンターに立つエリザベートをこっそりと横目に見ながら、ロッドは内心で呟いた。

 きちんと母親であるマリア夫人から許可はもらった上でのバイト業務だがロッドはいまだに慣れずに、彼女のいる時の心の内は滝汗だ。


「いらっしゃいませ〜!」


 そんなロッドの内心など露とも知らずエリザベートは楽しそうに愛想の良い笑顔を浮かべてバイトに勤しんだ。







 夕方、バイトを終えて屋敷に帰宅するエリザベートを見送りながらロッドは閉店作業をする。

 本日の売り上げも安定していてロッドがうっかり寝過ごした時間も大した問題にはならなかった。


 売り上げの計算をしてミルリーゼから引き継いだ帳簿にまとめる。

 レオンが業務改革時に掲げた目標である「売り上げ三倍」も、ぼちぼち報告しても差し支えのない数字になっている。


「(レオンさん……ほんまにすごいお方なんですね)」


 計上された金額を見ながらロッドは王都に行った同僚を拝んだ。

 元公爵令嬢の家庭教師という肩書きだけでもロッドから見たら雲の上の人間なのに本人曰く、元傭兵で教師志願で教育学の傍ら経営学にも造詣が深く、剣の使い手としての腕前もロッドが過去に出会った戦士の中では指折りレベルなのだ。

 それでもって舞台俳優のような整った容姿に、すらりと伸びた長身。

 性格だってただのごく普通の雑貨屋従業員であるロッドに対しても親切で丁寧で非の打ち所がないパーフェクトな人間なのだ。


「(少し怒りっぽい感じもしますか、あれはレオンさんを怒らせるミルリーゼさまが悪いのです。いくら旦那さまの娘とはいえ、俺としても過剰なわがままは看過はできません)」


 そんなレオンにも欠点はあった。

 普段は冷静沈着な青年だがレオンは怒りっぽい上に、すぐに手が出た。

 流石に未成年の貴族令嬢であるミルリーゼを殴ったりはしないが、ミルリーゼは怒らせたレオンによくトレードマークの三つ編みを引っ張られていた。

 レオンが怒る時は100%ミルリーゼが悪いので、ロッドとしては肝を冷やしながら見守ることしかできないのだ。


「(でも、どうしてミルリーゼさまはレオンさんをあそこまで構うんですかね、容姿が好みなんでしょうか?)」


 ミルリーゼはやや過剰なほどにちょっかいを出したりバイトとして雇用したりと積極的にレオンと交流を持とうとしていたが、ロッドから見た彼女はレオンを恋愛的な目で見ている感じはしなかった。

 むしろ、ちょっかいをかけて兄に構ってもらおうとしている妹のようであった。


「(そもそもミルリーゼさまって恋愛感情とかあるでんすかね)」


 ミルリーゼは18歳の貴族令嬢だが生家のブラン子爵家が普通の貴族とはすこし違って、少々特殊な家なせいか婚約者はおらず、本人も王都のパーティーに昔一度だけ参加した後は婚活の場である社交界に顔を出すことはなかった。アステリア王国の貴族令嬢として考えたらやや異端な存在となっている。


「(貴族のことは詳しくはわかりませんが、ミルリーゼさま……このままで本当にいいんですか?)」


 ロッドは主人の現状に冷や汗をかきながらも、つけていた帳簿をしまいながら、本日の業務を無事に完了した。





 ─────────………





 ブラン子爵にもらったお金で幼い彼はパンを買うことにした。

 だが、孤児である彼に普通に物を売ってくれる店は西方の街ではほとんど皆無である。

 大抵の店主からは窃盗を警戒されて冷たく追い払われたので、何とか一軒の店に通常の倍の金額を払うと言って固い小さなパンを購入した。

 そうでもしないと彼の身分では物を売買することなど不可能なのだ。


「チビ助? どうしたんコレ……まさか盗んできたんじゃあらへんやろね?」


「ちがう!! お貴族さまの靴磨きをして金もらったんや! 姉さんに食べて欲しくて買ったんや!!」


 手に入れた小さな硬いパンを差し出すと、救貧院にいた姉は目を丸くして驚いていた。

 当然だ。いくら小さいパンでも救貧院で支給されて力の弱い彼がなんとか手に入れる黒パンよりは一回りほど大きかったのだ。


「姉さん! はよ誰かに見つかる前に食べて!!」


「それじゃはんぶんこやな。ウチお腹空いてへんねん、全部は食えん」


「………」


 姉はそう言って弟の差し出したパンを二つに割くと、少し大きな方を返した。

 本当は姉が自分と同じくらい空腹なことを知っているので、弟は彼女の優しさに居た堪れなくなった。


「チビ助の買うてくれたパンめっちゃ美味いで、ありがとな」


「うん……」


「あんたはほんま優しい子やね……ウチはチビ助のお姉ちゃんになれて幸せもんやわ」


 小さなパンをあっという間に平らげて、姉は幸せそうに笑っていた。

 本当はもっと大きなパンを購入したかったが、大きなパンを服の中に隠しながら、誰にも見つからず姉のいる所に持ち込むのは、彼の小さな体では不可能だったのだ。


「明日も買うたるから!」


「おおきに、期待せんと待っとるわ。でもお姉ちゃんな、今は針仕事ばっかやけどそろそろ新しい仕事を任せるって院長先生に言われとるんや。やから、今度はウチがチビ助にパンを買うたげるからね。楽しみにしたってな」


 姉はそう穏やかな目で笑うと、優しい指先で弟の土まみれの髪を撫でた。




 もう少し縫製があるという姉と別れて、もう寝ることにした彼は男性の就寝場所となっている部屋に向かう。

 小さな部屋にたくさんの人がいて、ボロボロの布が敷かれただけの粗末な寝床に横になる。

 不潔な布はろくな洗濯もされず、嫌な臭いがするがまだ春先で夜は冷えるので何もないよりはマシだった。


 異臭の布にくるまりながら目を閉じる。

 食べ物を隠し持っていたとかいないとかで、大人たちが部屋の中央で怒鳴り合っていてうるさかった。


 隣の女性用の就寝部屋は原則男の立ち入りは禁止だが栄養不足によって実年齢よりだいぶ小柄な彼は姉と一緒ならとギリギリ入室が許されていた。

 女性部屋で激しい諍いはおきることはあまりないので食べ物をめぐって殴り合いが頻発する男性部屋よりは治安が良く過ごしやすい環境ではあるのだが、救貧院に身を寄せる寡婦が連れている赤子の泣き声が夜中に度々起きてうるさいし、10歳を越えた男子としては姉と一緒に寝る気恥ずかしさもあるので立ち入りは滅多にしなかった。


 部屋では男たちが殴り合いがついにおきて、力のない子供や老人が若い男たちの乱闘を部屋の隅で怯えた目で見つめている。


「………」


 とても寝ていられる雰囲気でないと思ったので、ため息を吐きながらボロボロの布をかぶって部屋を出ることにした。

 庭の隅にある井戸の水を飲んでる間に喧嘩が終われと願いながら、ゴミが散乱して虫の這う救貧院の不衛生な通路をてくてくと歩く。


 人気の無い、真っ暗な通路を進んでいると一部屋だけ灯りが漏れている部屋があった。救貧院を運営する貴族に雇われている院長の部屋だ。


 院長である男は気持ちの悪い嫌な笑いを常時浮かべた、まったくもって信用のできない男で、悪徳貴族と手を組んで補助金で私服を肥やし、救貧院に身を寄せる貧民たちにロクな衣食住も与えずに搾取と虐待を繰り返すような最低な人物であった。


 院長に少しでも意見をしたら女子供でも容赦なく殴られたし、気に食わないという理由だけで真冬に屋外に追い出されたりもするのだ。


「………おたくも商売上手やな」


 扉の向こうから院長の媚びた気持ち悪い声がして思わず顔を顰めた。どうやら院長は、こんな夜に誰かと対面で話をしている様子である。

 盗み聞きをしたのがバレたら殴られると思ったので足早に立ち去ろうとしたが、次の言葉に少年の心臓は止まりかけた。


「あの娘ももうすぐ14歳。いまは施設の針仕事をさせとりますが、ぼちぼちおたくのところで稼げるようになるかと」


「そうか、では当初の予定通りウチの店で買い取ろう。準備が整うまで飢えさせて殺すなよ」


「勿論ですわ、あの娘も綺麗な服が着れてさぞかし泣いて喜ぶことでしょう。こんなところにいる割には器量も悪くはないのでちゃんと仕込めばいい商品に育ちますよ」



「………!」



 聞こえてきた会話に耳を疑い、思わず自らの口を手で塞ぐ。

 扉の向こうの大人たちが何の話をしているかなど、小さな彼でも身を置いた環境のせいでおおよその理解は可能であった。救貧院に身を寄せる女性の中には、そのような仕事の経験者も決して少なくないからだ。


 そして、下卑た笑いを混ぜた大人たちの会話は、誰の話をしているのかをすんなりと察した少年は焼けたように喉がひりついて、声が出なくなった。


 この世の不条理の吹き溜まりのような場所で無私の愛情をくれた存在が、冷酷な大人たちによって搾取されようとしている無情な現実に直面した幼い少年は目の前が真っ暗になり、思わずその場から逃げるように駆け出した。




(続く)



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