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饗宴編ex2 とある雑貨屋店員の手記①

饗宴編番外編第2弾は、雑貨屋従業員の彼の物語です。

 





いまでも時折、夢でみる。


泥と埃に塗れた路地裏の記憶。




 物心がついた頃に捨てられた彼の育った街は、社会の底辺層が集まるような掃き溜めのような場所で、居場所にしていた昼でも薄暗い路地裏は排水の匂いが常に漂っているような不衛生な環境だった。


 街の治安は国内でも最底辺に悪く、住民の半数近くは日の下を堂々と歩けないような人々でその中には彼のようなボロボロの身寄りのない孤児も珍しくはなかった。


 力のない弱いものから倒れていき、彼も泥だらけの姿で常に腹を空かせていた。

 身を寄せていた悪徳貴族の運営する補助金目当ての救貧院では、ロクな食事がほとんどでないので毎日ゴミを漁って飢えを凌いでいた。


 そんな日々の夢を見る。





「………昔の夢か、久しぶりに見たな」




 春を迎えたガラハッド領にて。

 カーテンの隙間から差し込む春先の日差しを浴びながら、住居にしている雑貨店の私室のあたたかな寝台の中で目を覚ましたロッドは呟いた。


 なんとも寝覚めの悪い夢だった。


「昨夜、姉さんから手紙が届いたからかな……」


 いつもより少し早い起床時刻だが夢の続きを見たくなかったのであくびを噛み締めながら身を起こすことにする。

 夢の内容はロッドにとっては忘れたい過去である。

 あの街で泥水を啜って必死に生きていた孤児の少年はもういないのだ。ここにいるのは、親切な子爵に拾われた雑貨屋従業員の青年だ。


 食べるものにも苦労をして、必死に地に這いつくばっていた過去など、ロッドには忘れたい黒歴史なのだ。






 自身の勤める雑貨店の経営主の娘であるミルリーゼの旅立ちを見送り、辺境に残されたロッドの生活はとても平穏なものであった。

 あの小柄で可愛らしい姿に似合わず、とてつもなく豪胆で超絶なわがまま令嬢のお世話係から解放されたロッドにとっては天国のような環境であった。


 そんな彼女に託された雑貨店の経営は順調だ。

 レオンによる経営改革により移転前のような閑古鳥の鳴きかけていた店舗は躍進して一定の売り上げを安定して保つようになった。

 ガラハッドの街でブラン商会の雑貨店はしっかりと根付き、街の住民や街を訪れる冒険者のニーズをきっちりと掴んだのだ。


 一時期、接客として働いていた容姿の良いレオン目当てで通っていた女性客の客足は多少は減ってしまったが、日常生活を送るにあたり需要のなくなることのない雑貨用品を取り扱うこの街では希少な雑貨店は些細な売り上げ減でしかなかった。


「ロッドちゃん、今日も頑張ってるわね! これお裾分け、たくさん作ったから良かったら食べてね」


 すっかり常連となった近所の露店通りで青果店を営む女性が、買い物がてらに店頭に立つロッドに瓶を手渡した。

 彼女は自らが営む青果店の売れ残りの果実でよく甘味を作るのだが、本日の品は春が旬のイチゴで作ったジャムだろう。

 その真っ赤な色合いは見るからに糖度が高そうな印象だった。


「いつもありがとうございます! 助かります!」


「いいのよロッドちゃん。ミルリーゼちゃんたちが王都に行っちゃってひとりぼっちなんでしょう? 寂しかったらいつでもウチにご飯を食べに来てね」


 青果店の店主は、人好きのする笑顔でそう誘うと購入した品を入れた袋に抱えて店を出て行った。

 彼女曰く、自分の家は大家族なので食事人数が増えても変わらないらしい。ガラハッドの街の住民らしい、彼女の親切で飾らないおおらかさがロッドにはありがたかった。





 先ほども述べたが、レオンが『謎のイケメン有能店員ステッキ』として店頭に立たなくなり若い女性客は減少した。

 店員時代のレオンはその整った容姿と物腰の丁寧さからとてつもなくモテた。隣で一緒に働いていたロッドが認識しているだけでも複数回、頬を染めた若い女性から愛の告白をされていた。

 冗談めかしているものを含んだらその倍の数は女性に声をかけられた。


 北の辺境の片田舎で騎士団所属の筋肉隆々な男性の多いガラハッドの街にとって、都会から来た洗練された美男子のレオンが珍しかったのもモテた原因の一つだろう。

 この町を治める辺境伯の私設騎士団の本部があり、体格の良い男性の多い北の隣国との国境を有するこの街は大柄で屈強な印象の男性が多いのだ。

 アステリア王国の成人男性の平均身長より低い背丈のロッドは、この街では5歳以上年下の子供と同じくらいの背丈なことはいまだに慣れない現実である。

 低身長気味で平凡なルックスのロッドはレオンのように異性からはモテたりはしないが、年長者やお年寄りに子供や孫のように可愛がられた。



「おはようございます、ロッド殿」



 そんなことを考えていたら一人の顔なじみの男が店にやってきた。

 彼もまたガラハッド領の住民に相応しく背丈は高いが、領民の屈強な男性とは纏う雰囲気が少し違かった。

 見るからに理知的で利発そうな出立の彼は、この街の領主であり騎士団長でもあるガラハッド辺境伯の副官を務める男性だ。


「おはようございますガレスさん、メイス姉さんから手紙が届いていますよ」


 やってきた人物にそう声をかけると、ガレスと呼ばれた男性は嬉しそうに口角を上げた。

 彼は主人であるミルリーゼと共に、仕事の都合で王都に戻ったロッドの姉であるメイスと恋人関係の男性なのだ。


「ありがとうございます」


 ロッドから分厚い封筒を渡されてガレスは少し戸惑った様子で受けとった。この街を泣く泣く離れた姉の恋人への愛が記された手紙はとてつもない熱量で書かれたのだろう。その情熱を示すかのように何十枚もの便箋に綴られていそうな重みであった。


「…………姉さん、少し愛が重いんです。引かないでやってください」


「まさか、光栄ですよ」


 嬉しそうにあきらかに違和感のある厚さの封筒を見るガレスの姿にほっと息をつく。

 ロッドの姉は惚れ込んだらとことん尽くして、ひたむきに愛を注ぐ性質なのだが、その愛の重さゆえに過去に耐えられなくなった男たちに何度も振られていた。


 どうやらこの街にいる間に作った新しい恋人のガレスはそんな姉の重すぎる愛も苦に感じないタイプらしい。

 振られるたびに大泣きをしてやけ酒をする姉の姿を見ているロッドは、懐の大きい新しい恋人に心から感謝をした。





 昼時になり少し客足が落ち着いたので、一旦店を閉じて休憩時間にする。

 カウンターに座ったまま、先ほど青果店の女性が持ってきてくれたジャムを塗ったパンを齧る。

 よく熟れたイチゴを使用したと思われるジャムはとても甘かった。甘党のミルリーゼがいたら、少食の彼女でも大喜びでジャムパンを食べていただろう。

 そんなパンを咀嚼しながら、ロッドは自分に届いた姉からの手紙を読んでいた。

 手紙によると少し前に辺境を旅立った姉のメイスと主人のミルリーゼは、無事に王都に着いたらしい。

 王都にいるロッドの主人のブラン夫妻や兄のワンドも変わりなく元気だということでほっと安堵をする。


「ワンド兄さん、しばらく顔合わせてへんからな……元気そうでよかったわ」


 ポツリと呟いてから、自分から漏れた言葉にハッとする。

 ロッドは言葉に気をつけて普段から標準的な言葉を使うようにしているが、彼の生まれた西の地方は中央に比べて独特の訛りの強い土地であった。

 彼が漏らした言葉使いはそんな土地柄を象徴する言葉である。


「(………姉さんが辺境に来てから、方言がうっかり漏れるようになってるな、気をつけよう)」


 ロッドは食べ終わった昼食を傾けながらそう自戒した。




 片付けが終わって休憩時間がまだあるので少し休むことにする。

 どうせ真昼間は雑貨屋の主な客である住民も昼食をとっているし、冒険者は本業の冒険している時間帯なのであまり客が来ることはない。

 従業員の少なさから丸一日の休日が極めて少ないロッドは、昼の長めの休憩は許されていたので後ろめたさはなかった。

 そもそも生まれ育った西の街は、その昼間の暑すぎる気候から昼寝シエスタ文化が根付いていたのだ。(ロッドは孤児であったので、在住時はそこまで縁深くはなかったが)


 ロッドは今朝は早起きをして少し眠かったこともあったので店舗休憩を続行して、店の奥の私室で少しだけ横になることにした。

 朝から一人で店番をしていたので疲れていたのも本音だ。


「(満腹で昼寝……なんて贅沢なんだ……)」


 幸せを噛み締めながらロッドはソファに横たわり目を閉じて、すぐにすやすやと寝息を立て始めた。






 ─────────………





「…………姉さん!!」


「ん〜、どないしたん? またいじめられたんか?」



夢を見た。


やはりあの頃の夢だった。





 薄汚いボロボロの孤児は泣きながら救貧院の一室に駆け込んだ。

 部屋の中で作業机に向かって縫い物をしていた少女が、やってきた彼に優しく笑った。


 彼女とは血は繋がっていないが大切な家族のような女性であった。


 いつの間にか幼い頃の彼は彼女を姉と呼び、彼女も彼を弟として受け入れた。

 真っ暗などうしようもない掃き溜めのような環境の中で血の繋がらない姉だけが、少年の知っている家族のぬくもりであった。


「せっかく配給されたパンが手に入ったのに、取られてもうたんや!」


「アホやな〜、さっさと食べんからや」


 泣きつく弟の頭を撫でながら姉は苦笑した。

 身を寄せる救貧院で定期的に配給される食糧は、あきらかに収容されている人数よりも少なく、小さな子どもでは救貧院の粗末な食事にすら滅多にありつけなかった。


「姉さんと半分こしたかったんや!!」


 今日はたまたま偶然、救貧院の環境でも食事にありつけるような力の強い人間が不在だったので小さな子どもでも黒いパンを手にできた。

 大好きな姉と分けようとしたが、そのパンも彼より力の強い他の年長者に取られてしまったらしい。


「……」


 姉の膝に抱きついて男は大粒の涙をこぼした。

 姉だって力が弱くて、何日もまともなものを口にしていないのを知っている。


「………ほんまアホやな」


 弟の言葉に、姉は目を見開くとそのまま優しい手つきで頭を撫でてくれた。

 自分の体は汚れていて、髪なんて触ったら汚くなると思ったが気にせず姉は痩せた指先で頭を撫でて痩せ細った身体で抱きしめてくれた。


 そんな彼女の温もりがボロボロの孤児である少年の知る、唯一のやさしさであった。


「姉さん! なんか食べ物探してくるからここにいてな! 外に出たらアカンで!」


「仕事があるからここにおるよ。安心せい」


「ほなら行ってくるわ!」


 縫い物を再開した姉に見送られ弟は救貧院を飛び出した。

 もしかしたらゴミ捨て場に新しい生ゴミがあるかもしれないと一縷の期待を胸にして、路地裏を駆けた。果実の皮や魚の骨が孤児にとってのごちそうなのだ。


 何も見つからなかった場合、少々危険だが街の外で身をもって覚えた食べられる野草や虫を取ってこようとも考えた。


 治安の悪いこの街は街門のすぐ近くでも危険な魔物がいるので迂闊な外出は命の危険に晒されるのだが、これ以上何も食べないでいるのは二人とも危険だと思った。

 その証拠に何日もほとんど食べていない姉の指先は震えていた。

 姉はとても優しく、たまに手に入った自分の分の食べ物すら弟分に分け与えてくれるのだ。

 それなら自由に動ける自分が、姉の分まで食べ物を見つけてくるのが道理だと考えた。


 路地裏の馴染みのゴミ捨て場を漁ったが、食べられそうなものは見つからなかった。

 自分より先にきた他の誰かが持っていってしまったのだろう。この街に食糧を求めてゴミ漁りをする人間などわんさかいるのだ。

 他の人間の取り分を残す余裕など、路地裏の住人たちにあるわけがないのだ。


「………やっぱり街の外にいくしかあらへんな」


 数箇所目のゴミ捨て場にも、口にできるものが何もないことを確認してため息をついた。


 冬が明けたばかりのこの時期では、街から少し離れたところにある森に行っても食べられる野草や自生している植物の実は見つけられる可能性は低いだろう。

 それでも街でゴミ漁りを続けるよりは食糧が手に入る可能性は僅かに高い。


 少しでも食べ物が欲しかったので一か八かの賭けにでようと覚悟を決めた。

 ロクな報酬も支払われないのに、救貧院の大量の針仕事を真面目にこなしている姉に弟は少しでも栄養のあるものを食べて欲しかったのだ。




 覚悟を決めた少年が、外門に向かって歩み出した矢先に、不意に背中から薄暗い路地裏に不釣り合いな明るい声がした。



「兄貴、何やっとんねん! 気ぃつけろって言ったやんか!」


「うっさいわド阿呆、このへん薄暗くてよう見えんのや」



 声に驚いて思わず身を隠し、物陰から様子を覗き込むと大柄で恰幅の良い色眼鏡をつけた中年の男と薄汚い路地裏には珍しい貴族のような金髪の若い男がいつのまにか立っていた。


「………」


 物音を立てずにいたつもりだが、少年の視線に気づいた若い男がこちらを向いた。

 そして、目が合って驚き固まってしまった孤児に向かって金の瞳で軽快に笑いかける。




「おっそこの坊。ちょうどええわ。なんか拭くもの持ってへん? ウチの兄貴が靴汚してもうたんや」




 これが、のちにロッドの兄となるワンド・ブラン。そして彼の生涯の主人となるミルリーゼの父、ジョージ・ブランとの出会いであった。



本編より先に出てくるブラン子爵ことミルリーゼちゃんのパパのジョージ・ブランさん。


三兄弟の関西弁っぽい話し方は架空の言語です。


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