饗宴編【幕切れ】④
姿を見せたのは、王宮の侍女の服を着た見知らぬ女性だった。彼女は不安そうな顔で紹介状だと言って、レオンの手配書の裏面に文字が書かれた書状をガラハッド夫人へ差し出した。
「確かに、エル様の文字ですね」
文書を読むガラハッド夫人の隣から、紙面を覗き込んだレオンが書状の真を保証する。彼は元家庭教師なのでエルの文字に見慣れているのだ。
「………エルちゃん、辺境に戻れなくなったからベティのマナー教師に王妃付き侍女の彼女を推薦します、だって」
「ええっ!? てかエル、今どこにいるんだよ!! 此処に戻ってくるんじゃなかったのかよ!!」
母の言葉に、カイルが焦りの声を出す。
彼としては屋敷に戻ってきたエルにセラフィナへ魔力供給をしてもらいたかったのだ。
「確かに元王妃付き侍女ならエル様に遜色ないレベルでマナー教師に適性がありますね。流石エル様、素晴らしい人事力です」
「おい!! こんな時にまでエルの全肯定してんじゃねえぞレオン!!」
ここにいない主を誇らしげに褒め称えるレオンに、カイルは怒りを孕んだ声を上げた。
そんな一連の様子に、ガラハッド家の中でタウンハウスにやってきた侍女は更に不安げな瞳である。
「侍女さん、何やら複雑な事情がありそうね。エルちゃんが話を聞いてあげて欲しいって書いてあるわ……ワタシとしても力になってあげたいのだけど、今魔力欠乏で寝込んでる子がいるの。だからちょっとバタバタしてて手が離せないのよ」
「あの……私、少量ですが魔力がございます。お力になれれば……」
ガラハッド夫人の言葉に侍女はおずおずとした表情で控えめに主張した。
貴族出身である侍女は、貴重な魔力持ちだったようだ。
「!?」
「なんですって!? 採用よ、侍女さん!!」
あまりの展開にレオンは目を見開き、カイルの母は食い気味に声を上げた。
「マジで!!!?? 最高かよ!!!!!」
カイルも夜だと言うのにガッツポーズで大声を上げた。
隣で控えていた老齢の執事が、嗜めるように強く咳払いをする。
「侍女さん、では早速魔力供給ってやつをして欲しいの。あなたが無理のない程度でいいわ! ついでに看病もお願いできないかしら!」
「はい……! 承りました!」
「勤務条件は後でゆっくり決めましょう! 勤務地は北の辺境なのだけど差し支えはないかしら?」
「はい……! 奥様、よろしくお願い致します」
ガラハッド夫人は侍女を引き連れて、セラフィナの眠る部屋に勢いよく入っていく。
この絶望的な状況で、セラフィナの看病をするのに最適格の人材がやってきたのだ。喜びもひとしおだろう。
即採用を決めたガラハッド夫人の行動を、此処にいる誰一人も異議を唱えたりなどするわけがなかった。
「………エルすっげえ……ここまで計算してあの侍女さんを推薦したのかな?」
「流石に魔力までは偶然だとは思うが……神がかり的な何かを感じざるを得ないな」
二人が消えた扉を見ながら、カイルとレオンは冷や汗をかいた。
元王妃付きの侍女で、誰かの世話を焼くことに特化して、ささやかだが魔力持ちの見るからに勤勉そうな女性である。
偶然にしては好条件が揃いすぎていて、自らの主の選択とはいえ、レオンは背筋に冷たいものが走るのをひしひしと感じた。
「意識はないけど、顔色がだいぶ良くなったわ。もう大丈夫そうね」
しばらくしてから、再度ガラハッド夫人は部屋を出てきた。少し疲れた様子の侍女が後ろについてくる。
「……よかった」
「あとは明日の昼間に、お医者様を招いて見ていただきましょう。カイルもレオンさんも遅くまで起きててくれてありがとうね。もう休んでもいいのよ」
「もう少し起きてるよ、目が覚めちまった」
看病を終えた母に労うような目線を向けてカイルは答えた。レオンも同様なようで静かに頷いている。
「侍女さん、本当にありがとう。あなたがきてくれて助かったわ、セラフィナちゃんはガラハッド家にとって大切な子なの……あの子に何かあったらワタシ、お父さんに顔向けできないわ」
「お役に立てて光栄です奥様」
ガラハッド夫人は侍女の手を取って、優しく微笑んだ。侍女は今にも泣き出しそうな顔をして、夫人に潤んだ瞳を向けている。
どこか安堵感に包まれているようなそんな表情だった。
「名乗るのが遅くなってごめんなさいね。ワタシはマリア・ガラハッド。こっちにいるのが息子のカイルよ。隣のかっこいい人はお客人のレオンさんね。王都に来てないけれど主人の名前はギルベルト、ギルベルト・ガラハッド辺境伯で娘の名前はエリザベートよ。ワタシたちはベティって呼んでるわ」
「はい……マリア・ガラハッド辺境伯夫人、改めましてよろしくお願いします。心より尽くします」
「ふふっ、丁寧にありがとう……あなた名前をまだ聞いてなかったわね。お聞きしても?」
ガラハッド夫人は、静かに尋ねた。
「マーガレッ………」
侍女は名前を言いかけて、途中で口を閉じた。
少し沈黙して考えてから再度名乗りを上げる。
「デイジーとお呼びください」
侍女は改めて名乗った。どうやら再出発を機に古い名前を捨てて新しい名前で生きることにしたようだ。
そして幸運にも辺境の街は改名行為に慣れているものが多かった。マリア・ガラハッド夫人もその一人だ。
「デイジーさんね。ふふっ、ワタシも生まれ育った北の国では故郷の言語の別の名前もあるの。アステリアに嫁いだ時にいまの名前にしたのよ。あなたも心機一転がしたいのでしょう? そう言うのって悪くないわよね。では、改めてデイジー……よろしくね」
あっさりと侍女の改名を受け入れたガラハッド夫人は優しく微笑んだ。
そして新しく生まれ変わって生きることを決めた侍女、デイジーの手を握って彼女の新たな門出を心から祝福した。
ガラハッド夫人のあたたかさに触れたデイジーは少し涙ぐみながらも、穏やかに微笑みを返した。
そんな彼女に、周りにいる誰もが柔らかい眼差しを向ける。
夜明け間際のガラハッド邸に、救済と再生の光は確かに降り注いだのだった。
侍女さんの名前はマーガレットさん。でもこれからはデイジーさんとして生きていくそうです。
超絶ブラックからホワイトに転職おめでとうございます。
次回、饗宴編 最終話です。




