饗宴編 翠玉令嬢と黒き鴉③
※閲覧注意
「………は?」
その、あまりにも突然の出来事にエルは耳を疑い固まってしまった。
ソフィアは不敵に笑っている。
そして、ソフィアの残酷な言葉を聞いた途端、兵士の目からは光が消えて、ソフィアの言葉の通りの動作で自らの腹に向かい躊躇いなくナイフの刃を突き立てた。
「!!!!!???」
飛び散る潜血、エルの視界が真っ赤に染まる。
「きゃあああああァァァァ!!!」
悲鳴が聞こえた。
ハッとして声の方を見るともう一人、ソフィアの声に導かれて此方に近寄ってきていたようだ。
見知らぬ貴族の令嬢が、凄惨な現場を目の当たりにして絹を裂いたような悲鳴をあげた。
「うっざ……もう一人いたのかよ。じゃあいいや、おまえは証言役ね【操作】」
ソフィアは凶器で自らの腹を突き続ける兵士など目もくれず、悲鳴を上げた令嬢を冷たく睨みつけると怠そうにため息をついた。
そして、腰を抜かしてしまった怯える令嬢の目に向かって再度暗示をかける。
「【誰かに聞かれたらこう証言しろ。この兵士を刺したのは、逃走中の公爵令嬢エスメラルダ・ロデリッツ】」
「………!!」
ソフィアは再度冷たい声で命令すると、ガクガクと震えながら悲鳴をあげていた令嬢はぴたりと声を止めた。
虚な目でソフィアに向き合うと、その場におとなしく座り込む。
「………な、何をしたの?」
エルはようやく思考が正常に戻り、震える声でこの悪趣味すぎる舞台となった月夜の下で楽しそうに嘲笑うソルシエルの瞳に問いかけた。
「エスメラルダ様、いまの王都ではね。原因不明な事件はぜんぶ逃走中の全部あなたの仕業ってことになるんですよ」
「!?」
「これであなたはついに殺人犯。概ね自棄になってまた凶行を犯した犯罪者という扱いになりますね。追手の足は更に強まると思いますが、逃げ切れる自信があるならどうぞお逃げください?」
「………」
ソフィアの言葉に、エルは辺境で見た手配書を思い出した。
エルの誘拐犯ということになっているレオンの手配書には公爵令嬢誘拐だけではなく、強盗や詐欺など心当たりのない罪状がつらつらと並べられたのだ。
ソフィアはエスメラルダの罪と言っているが、実際は、エルと共にいることになっているレオン・ヴァルターの罪にされるのだろう。
「………最悪」
エルは心からそう思い、忌々しく吐き捨てた。
「ほら、逃げなくていいんですか? 叫びを聞いてさらに人が来るかもしれませんよ。【操作】して、証言者を増やしましょうか。それとも被害者を増やしてあなたの罪状をさらに重くしましょうか。ああ残念、警備兵よりこっちの貴族の女を殺せは良かったかな?」
ソルシエルは虚な目の令嬢を見ながら残酷に呟いた。
その淡白な口調に、エルは激昂する。
「………ふざけないで!! 無関係な人にどうしてこんなことをするのよ!!」
怒りが恐怖を上回りエルは叫んだ。
なんの関係もない人たちに好き勝手をするソルシエルの暴虐を、エルの倫理観はとても許せなかった。
「そんなの、こんな愚かな国の人間が傷つこうが死のうが僕にはまったく関係ないからだよ!!」
ソルシエルは目を歪ませて笑いながら答えた。
「もちろんおまえもだよ! エスメラルダ・ロデリッツ! ほら、さっさと尻尾巻いて無様に逃げだせよ!!! 早くしないとおっかない鬼が来ちゃうぜ?」
「人のことを……人の命を何だと思っているの!!! こんなの絶対に許さないわ!! ソルシエル・オベロン!!!」
エルはカッとなってさらに大きな声で叫んだ。
頭の中で何かが爆発したように、人の命を残虐に弄ぶ残酷なソルシエルに怒りが湧いた。
公爵令嬢として階級制度の上位に立ち、誇り高き貴族としての正しい在り方を幼い頃から両親に教えられている翠玉令嬢がソルシエルの非道な行いを許せるわけがなかった。
エルは今すぐにでも、ぶん殴ってぶっ飛ばしてやろうと思った。
元々、大切な親友を泣かせたソフィアをぶん殴ると秘密を知った日に彼女に誓ったのだ。
エルは拳をかたく握り締めて、腹の立つ笑顔を浮かべるソルシエルに向かって振りかぶろうとしたが、エルの怒りは、薄ら笑いのソルシエルに鉄拳制裁を放つ前にまばゆい光となって具現化した。
その瞬間、
あたりに光が収束し、
ドカァァァン!!!!
激しい閃光と共に、エルの怒りは激しく爆ぜた。
「………っぐ!!」
爆音が辺りに轟いて、爆発の直撃を受けたソルシエルからくぐもった声が聞こえる。
爆風の衝撃でその場から勢いよく吹っ飛ばされ、頭から中庭の硬いタイルの上に倒れる姿がエルから見えた。
「………ッ!???」
頭に浮かんだ爆発がそのまま具現化したことがわかるエルもまた困惑した。
「(えっ何? これって魔法? でも、前にオズに魔法教わった時よりも威力が増してるし、詠唱もしていないけど!?)」
爆風で吹き飛んだソルシエルはあっさりと気絶している。
地に倒れて息はあるようだが動かない。その様子を見ながらエルは更に困惑した。
「(夜は魔法結界の威力が多少弱まるって話は聞いたことがあるけど……それでも弱体化は誤差の範囲よ!? なんで!? 何が起きてるの!?)」
思わず逃げるのも忘れて立ち尽くすエル、その時カランと冷たい金属音がして、何かに取り憑かれたように腹を突き続けていた兵士の手から銀のナイフを落ちた。
「!?」
振り返るとソフィアに操られていた兵が、その場にばたりと倒れた。
「……うっ……ぐ…」
重症だが息はまだあるようだ。
激しい出血の血溜まりの中で苦しそうに顔を歪めて悶えている。
「?????」
ソルシエルが証言役と言った途端に虚な目をしていた令嬢もその場に静かに倒れた。
彼女は特に外傷はなく、単に気を失っているだけのようだ。
もちろん息はあるし、その表情はソルシエルから謎の暗示をかけられた直後に比べて、不思議と安らかな気がした。
「………」
爆発に巻き込まれたソルシエル、
血溜まりの中の兵士、
眠るように倒れる令嬢。
三者三様に月明かりの照らす中庭で倒れる姿を見てエルは身をこわばらせた。
これは自分が引き起こしてしまったのだろうかと考え、慄く彼女の耳に、この凄惨な現場に向かってやってくる無数の足音が届いた。
「こっちだ!! 人が倒れているぞ!!」
「あのメイドを捕まえろ!!」
「!?」
中庭の奥から騎士たちが、声と共に駆けてくるのが見えエルは我に帰り、急いで逃げ出した。
何が起きたかは未だにわからないけど、とんでもないことをやらかしてしまったかもしれないという、実体のない恐怖感がエルの頭にこびりついた。
※誰も死んでません。




