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饗宴編【開宴】第十話 閉幕(中)

 




 アステリア王宮 王族控え室




「………母上! ヴィンスのやつ! 僕がダンスで失敗したのを知ってるくせにあからさまに見せつけるようにホールでダンスを踊りやがったんですよ! あれは不敬罪です! アステリア王家に対するデュラン公爵家の敵意表明です! 制裁を与えてやりましょう母上!!」


「………」


 王太子アルフォンスは怒りを滲ませた顔で王族の控え部屋に駆け込むと、高級な黒革のソファに座って静かにお茶を飲む王妃カトリーナに勢いよく進言した。

 彼が怒っているのは、従兄弟のヴィンセントのダンスの件であった。


「ヴィンスの手をとったカイルの連れてきた女も同罪です! ガラハッド辺境伯家なんか取り潰してもいいんじゃないですか? 母上も野蛮な血の混じった田舎狸の家なんて煩わしいっておっしゃってたじゃないですか!!」


「………」


 アルフォンスはニヤニヤと薄ら笑いをうかべながら無言の母親に話し続ける。

 控えている若い侍女が、お気に入りの清らかな娘を貶された瞬間に王妃の眉がわずかに動き、怒りを滲ませているのに気づいて怯えた表情をした。


「母上! お願いします! 僕、ただでさえリリエッタのせいで屈辱的な目に合ってとても心が辛いのです! お優しい母上ならご理解していただけるでしょう?」


「ヴィンセントは……」


 王妃カトリーナは傾けていたティーカップをソーサーに置いて静かに口を開いた。


「愚かな娘を妃に選び、醜態を晒した不甲斐ないおまえに変わり見事なダンスを披露して内戚として王家の面子を保ったと受け取ったが?」


「………」


「ヴィンセントの手をとった娘も同様。客人方にアステリア王家の血族の優秀さを知らしめることに貢献してくれた。その健気な娘に対して私は何の罪を課せと申すのだアルフォンス」


 カトリーナはドレスと同じ色の扇を開いて口元を隠してから冷たい口調で尋ねると、厳しい目で愚かな言動を繰り返す愛しの息子を睨みつけた。

 そんな目線など露知らず、愚かな息子は自信満々に答えた。




「王室侮辱罪です」




 次の瞬間、アルフォンスの頬へカトリーナの平手が勢いよく飛んだ。


「はうッ!?」


 突然の愛息子への暴力に、冷静沈着を訓練された王妃付きの使用人たちも一瞬ざわつくが、それ以上に殴られたアルフォンスが目を丸くして驚いていた。


「アルフォンス……母をこれ以上失望させるな。息子のおまえでなかったら、特別室送りの後に首を刎ねるところであったぞ」


「は、母上が……僕に暴力を……!?」


「これは暴力ではない。躾だ」


「おまえたち、母上がご乱心だ!! ひええ……たすけてくれ!!」


 アルフォンスは泣きそうな顔で壁際に並んでいる使用人たちに助けを求めるが、彼らは王妃に従順な配下な上、本日のアルフォンスの傲慢かつ愚かな言動の数々に嫌気がさしていたので誰も助けたりはしなかった。


「兄上に言われて躾をしてみたが存外悪くないな……アルフォンス、今後おまえが私の機嫌を損ねるたびに頬を打つこととしよう。おまえの選んだあのどうしようもない娘のやらかしもおまえの罪に加算する。まずはこちらの指定を無視して勝手に髪型と化粧を変えた愚かな罪に関して二発」


「えっ……えっ……待ってください! リリエッタは僕のせいじゃない!! というかリリエッタもしつけてください母上!! エスメラルダの時みたいにおとなしく言うことを聞くように従順にしてください!! あいつ僕の言うことを全く聞かないんです!!」


「何故、私があの愚かな娘の為に手間をかけねばならぬ。………アルフォンス、これも母の愛だ。母もおまえを打つ掌と心はとても辛いのだ」


 バシン、と乾いた音がしてまずは一発アルフォンスの頬に平手が飛んだ。


「うぐッ!! いたい!! ……ごめんなさい母上、反省しました!! だからもう打たないでください!! というか先程存外に悪くないって本音をおっしゃってましたよね母上!!! ……はうッ!!」


 バシン、と抗議中のアルフォンスにも容赦なく二発目の平手打ちが炸裂した。

 その強烈な痛みにアルフォンスは言葉を失い、じんじんと腫れる頬を抑えて涙目になる。


「…………パーティー中にあの愚かな娘の愚かな行いの報告も何件か届いている。その罰も後日おまえに受けさせるから覚悟するのだな。あんな愚かな娘を次期王妃に選んだ代償だ。アルフォンス、母もこのような辛いことはしたくなどないのだ」


「絶対楽しんでますよね母上!!!!」


 カトリーナは息子を三発打った手を愛おしそうに撫でながら恍惚の表情で吐き捨てた。

 王妃の加虐趣味は、自らの息子である麗しの王太子も対象であったようだ。




「失礼します」


 そんな王妃が息子を躾ける王族の控え室に、ノックの音と共に男が一人入ってきた。

 王妃が命令して姿を消したアッシュの行方を追わせていた従者の男であった。


「王妃様、アッシュ殿下を探索中にロデリッツ公子と遭遇したのでお連れしました。腹痛を訴えておられて、どうしても王妃様に面会したいと……」


「何の話ですか?」


「えっ……公子、ご自分でお腹が痛いから王妃に会いたいとおっしゃっていませんでした!?」


 そんな従者の背後からエドワルドが顔を出す。

 澄ました顔をして従者に対し、何やらしらを切っている様子だ。


「……エドワルドか、体調を崩して兄上のところで“保護”されていると聞いたが腹が痛むのか?」


 王妃はやってきたお気に入りに気づいてに近寄ると、それまでの息子に対する冷酷な声から一変させて気持ち悪いくらいの猫撫で声で尋ねた。

 王妃も王妃で素知らぬ顔をしている。

 エドワルドを兄のアルバート公に頼んでアッシュから隔離したことを知らぬ存ぜぬを貫くつもりなのだろう。


「僕は元気です。実は先程まで腹痛がしていた気もしたのですが王妃の顔を見たら治りました」


 そんな王妃にエドワルドは無表情のまま静かに答えた。後ろで王妃の従者は不服そうな目をしているが、連れてきた公爵令息はカトリーナ王妃の歴代の寵愛者の中でも最高級のお気に入りなので指摘はしないようだ。


「………そうか。まあ、ちょうど良い機だ。アルフォンス、エドワルドを早速今からおまえの配下に加えろ」


 王妃は公子の言葉を無理矢理自身に納得させたようだ。

 脳裏に霞む違和感は強引に流して、打たれた頬を涙目で摩っている息子に声をかけた。

 今に始まったことではないが、王妃カトリーナはお気に入りにはとことん甘くなる性質なのだ。


「はい????? 母上、正気ですか? ロデリッツ公子の妹君が何をしでかしたかお忘れですか? つくづく母上はご乱心のようですね」


「………」


 エドワルドは、「アルフォンスの腹心になれ」という王妃の誘いにきちんと返答もしないまま、勝手にアルフォンス配下に加わることを決めたカトリーナに死角から不満気な目を向けた。

 当然だがエドワルドは王太子ではなく第二王子の支援者で彼の王座しか望まない。

 愚かな王太子の配下になる気は微塵もないし、エドワルドの心からの忠誠を誓うアッシュを命の危機に陥らせたカトリーナの命令など、それ以上に聞く気はない。


「ま、まあ! どうしても偉大な僕の配下になりたいって頭を下げて頼むなら、寛大な僕は受け入れてやらないこともないよ。小間使いとしてなら採用してあげるけど非力なロデリッツ公子は荷物運びはできるのかい?」


 カトリーナが無言で手首を素振りし始めたので、アルフォンスは慌ててこちらを見つめる翠玉の瞳に嫌な笑いを返した。


「………」


 エドワルドはしばし無言でアルフォンスの顔を見つめた。

 王太子は黙っていたらエドワルドに匹敵するほどの非の打ち所のない美青年なのに言動が愚かすぎて唯一の長所すら駄目にするのだ。

 現在は頬が片方だけ赤く腫れているが、エドワルドは関係ないことだと触れずにいるようだ。


「僕の配下になるのなら朝から晩まで働かせてあげよう。公子は妹君の起こした不祥事の埋め合わせができる。汚名返上の機会と考えたらロデリッツ家としても光栄だろう? 荷物運びと床の掃除と僕の身の回りの世話でもさせようかな。休みなくこき使うから楽しみにしてくれたまえ」


「………」


 瞬く間に年長者のエドワルドに対しても態度が尊大になるアルフォンス。

 エドワルドが心から忠義を誓う弟のアッシュと半分は同じ血が通うはずなのに、この愚かなアホ王子は何から何までが人としての品格が違かった。

 生理的に受け入れられない嫌悪感がエドワルドの中に広がっていく。


「……王妃は、王太子殿下の言っているような業務を僕にさせたいのですか?」


 調子に乗るアルフォンスを横目に、エドワルドはこちらを窺う王妃に静かに尋ねた。

 ニヤニヤと笑いながら侮辱する意志を隠さない王太子の言葉を逆に利用することにしたようだ。


「私が務めて欲しいと考えていた業務はアルフォンスの腹心だ。言うならばおまえの知性を活かしてアルフォンスの執務を支える補佐官だ」


「母上!! 僕にはヴィンセントがいるので新規の補佐官は不要です! 秘書官も宰相子息のテオドールに行ってもらうつもりなので空いているのは雑務係のみです」


「アルフォンス! おまえ先程ヴィンセントに制裁を与えるなどとほざいていたではないか! エドワルドに雑務だと!? 何故、極上の絹布で雑巾掛けを行うようなことをしようとするのだ!」


「それとこれとは話は別です母上! 僕の配下の人事権に母上は口を出さないでいただきたい。エスメラルダの兄君を配下に加えるだけでも、僕としては多大な譲歩です。これ以上の譲歩は筆頭公爵家や宰相家に対する裏切りです!」


 先ほど従兄弟に対する不満を主張した舌の根が乾かぬうちに、真逆なことを真面目な顔で言い出す息子にカトリーナは頭を抱えた。


「流石に王太子の腹心になるのと小間使いになるのではお話が違うと思います。僕は雑務をあまりしないので王妃のご期待には添えません」


 エドワルドの中では元からアルフォンスの配下に加わる気は皆無だったが、余計なことは言わずにこの流れに静かに乗ることにした。

 内心ではエドワルドは王太子のアホさ加減に感謝をしている。


「………そうだな。どうやら私とアルフォンスでうまく意思疎通ができていなかったようだ。エドワルド、また日を改めて機会をもらえるか」


 王妃としても、彼女は腹心としてアルフォンスの隣に立つエドワルドを想定したのであって、息子の執務部屋の床掃除に勤しむお気に入りの姿を見たいとは全く思わなかったのだろう。

 エドワルドの拒否の言葉は予想以上にすんなりと王妃の耳に受け入れられた。


「………はい」


 エドワルドは素直に答えた。

 そして、そのまま控え室のソファに勝手に腰を下ろしてパーティーホールをぼんやりと眺めることにする。背後から、頬を打つような音と王太子の惨めな悲鳴が何度か聞こえたが関わらないことにした。

 かつて妹を手酷く裏切った愚かな男が頬を打たれて悲鳴を上げる様子に、心のどこかでエドワルドは安らぎを感じさせたので敢えてこの場に居座ってしばし静聴することにしたようだ。


「ひいっ!! いたいです……やめて! 母上!!」


 先ほどとは逆側の頬を執拗に叩かれたアルフォンスのみっともない泣き声は、王族の控え室にその後しばらく続いた。




 ─────────…………





【王宮通路・メインホール付近】





「デュラン公閣下」



 通路を歩く男の背中に、大人の女性の声がかけられた。

 振り返ると女性が一人立っていた。こちらを見て穏やかな微笑を浮かべている。


 デュラン公、ロードフリードとその女性に面識はあったがこうして面と向かって声をかけられるのは初めての事だった。

 亭主である公爵の隣で静かに佇んでいる姿しかロードフリードは見たことがなかったのだ。



「……ロデリッツ夫人」


「ご無沙汰しております」



 ロデリッツ夫人ことエレノアは、背筋を伸ばした立ち振る舞いでこちらをまっすぐに見据えた。


「デュラン公閣下、本日は補佐役のお勤めお疲れ様でした。閣下にお話があったのでお会いできてよかった……」


「……話?」


 夫人の言葉にロードフリードは焦った。

 古狐と呼ばれる厳格な公爵のそばに控え夫を立てる模範的な貴族夫人、ロードフリードのロデリッツ夫人に抱くイメージはそんな印象であった。

 そんな自分より10歳ちかく年上の年相応の美貌を持つ女性に声をかけられると言う状況は、家族想いで誰よりも愛妻家のロードフリードは少しだけ戸惑いを感じた。

 厳格なる忠義の家の誇り高き夫人が間違いを起こすとは思わないが、端正な若き筆頭公を邪な目で見る夫人や令嬢は、過去に何度も遭遇しているからだ。


「ロードフリード・フォン・デュラン公閣下、息子が大変にお世話になったようでわたくし、エレノア・ロデリッツ。心より感謝申し上げます」


 戸惑いを浮かべるロードフリードに、エレノアは素知らぬ顔で近づくと丁寧な言葉と共に礼をした。

 そう、厳格なる忠義の家の夫人がロードフリードに頭を下げたのだ。


「!?」


 信じられない光景にロードフリードは息を呑む。

 彼はエレノアの息子であるエドワルドから、ロデリッツ家の家訓で格下には頭を下げないなどと言うふざけたルールをあらかじめ聞いていたからである。


「いけません御夫人、ロデリッツ家では格下相手に頭を下げるのは家訓違反だと伺っております」


「? ……ええ、ですから。わたくしは敵派閥であるロデリッツの子息すら救いの手を差し伸べ助けていただいた公正で情愛深きデュラン公閣下を格上と判断して、心より感謝の念を持っておりますの。格とは年齢のことではございません、閣下がわたくしより年若くおられる事と私の敬愛に何の影響もございません」


 エレノアは至極当然と言った面持ちでそう述べると、誇りを感じさせる表情で優雅に微笑んだ。

 これまで散々ロデリッツの父子に格下と見下され、舐められ、馬鹿にされてきたロードフリードは、同じロデリッツ家の一員である彼女の自分に対するあまりの温度差に困惑する。


「(何故このような立派な夫人から、あんな太々しい息子が生まれるんだ!? 古狐の遺伝子強すぎないか!?)」


 ロードフリードは思い出す。

 エレノアの息子のエドワルドは容姿こそ美しい夫人に似たのかもしれないが、中身は全然違かった。

 ロードフリードの言うことは基本的に聞かないし、話もまともにかわせない。

 エドワルドを思ってこれまで何度もしたフォローや説教も基本的には意味がない。その癖に自己主張は強く、意思や信念は絶対に曲げない。


「息子も家で、心優しいデュラン公に助けてもらったと、とても嬉しそうに申しておりましたわ。わたくしたちは閣下に深い感謝の念を抱いています」


「!?!?!?」


 更なるエレノアの発言に、ロードフリードは驚愕する。エレノアは酒に酔っている雰囲気はないが、あの太々しい傲慢な公子がそんなことを言うなんてこれまでの経験上、絶対にありえないとしか思えなかった。


「デュラン公閣下……エドワルドは表情も乏しく口数もあまり多い方ではございませんが、どこに出しても恥ずかしくない自慢の息子です。今後もあの子をどうかよろしくお願いします」


 エレノアは驚き固まるロードフリードに再度向き合うと、改めて深々と頭を下げた。


「………」


「………ロデリッツ公爵家が……今後どうなるのかわたくしも主人も未だわかりません。最後まで沈まぬよう抗う決意は固めておりますが、もし最悪の結末を迎えた時、息子だけでも閣下の庇護下に加えていただきたく……」


 頭を上げた彼女は、それまでの朗らかな雰囲気から一変して目を伏せて低い声で呟いた。

 そこでロードフリードは、エレノアの言っていた「話」の本題はこれかと内心思った。


「……ロデリッツ夫人、それはデュラン公爵家にも言えることです。筆頭とはいえ永続ではなく、私の席を狙う者はアステリア中に数多くいます。情愛デュランの庇護下に入ったところで御子息が安心とは言い切れないのが現状です。夫人の期待に答えられるとはとても申し上げられません」


「無責任に任せろと申さない所が閣下の美点ですわ。忠義ロデリッツとしても、当家の背中と息子を預ける家として閣下ほど安心できる方はいないとわたくし個人は感じております。主人は頭が硬く歳の若い閣下に厳しい物言いをするかもしれませんが、あの人はあなただけではなく敵味方関係なく全員に対してそうなのです」


 エレノアは呆れたようにため息をつくと、窓の外を眺めた。


「………あの人は、エスメラルダにだって厳しいのですから」


 そう言って、遠くを見つめるエレノアの瞳には手元からいなくなってしまった愛娘への募る思いがひしひしと湧いていた。

 その横顔を眺めながらも、かける言葉が見つからないロードフリードはただ眉を下げて沈黙した。




王太子さまは、基本的にはアホである。


一応、私事と仕事の分別はつくのでお兄様の前ではあだ名では呼ばない。


あとお兄様に雑用係をやらせたら、お察しの通り大変なことになると思います。(参照 エル様の家事スキル)



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