饗宴編【開宴】第六話 ドジっ娘⭐︎リリエッタ(下)
【ソフィア視点】
「こんな薄汚れた所はもう無理だ。早く旧都に帰りたい」
「叔父様、他の者の耳があります。お言葉を控えてください」
ソフィアは無機質な声で項垂れる壮年の男性を嗜めた。
ソフィアの叔父のルシアーノ・オベロンは、ホールが見渡せる上階の閲覧席のソファに腰を下ろし、その口元は白い絹のハンカチで覆っている。
「王妃が気まぐれに声なんてかけるからさっきから知らない貴族が挨拶に来る。無理だ。低脳な王国貴族と話すことなんてあってたまるか、注目なんて浴びたくない」
「………」
ソフィアの叔父は黙っていれば美丈夫の部類だが、極度の人見知りであった。
仕事関係なら割り切って話はできるのだが、プライベートではとことんダメなのだ。
赤の他人と会話をする事がとにかく苦痛に感じるタイプの人間でしかも現在、叔父が大嫌いな王都にいるのでストレスはさらに増幅した様子だ。
こうして人目から隠れて先ほどからぐずぐずと文句ばかり言っている。
「(そんなんだからあんな色狂の人格破綻者に当主の座を取られるんだよ)」
叔父には魔力がないので、旧帝国時代の魔法を使った派閥活動をしている帝国派の頭目でもあるオベロン家当主に選ばれないことはある意味では当然なのだが、それでも年中発情している気持ち悪かった魔力持ちの義父に比べたらソフィアにとっても帝国派幹部にとっても人見知りで猫好きな叔父の方がまだましであった。
叔父はこれでも野心は強く、仕事もできる方なのだ。
魔力はなくても帝国の知識も魔法の知識も大量に頭に叩き込んでいる。
現に頭目が叔父になってからのこの五年間で帝国派の規模は拡大した。ただの地方貴族の金稼ぎの娯楽のようであった派閥活動はどんどん勢いを増して参画する貴族の家も増えていった。
頭目として有能な叔父は仕事をミスした部下にも比較的寛大で、その原因が部下に明確にないのなら理不尽に罰を与えたりはしないし、きちんと事後処理をしてくれる。
先日の辺境伯への魔物強襲計画の失敗も、依頼をした貴族との間できちんと話をつけてきたらしい。
「(叔父様は美人局ミスって情報漏洩するような無能には容赦はないけどね)」
ソフィアはつまらなさそうにホールを眺めた。
見ているだけで吐き気を覚える甘いものが並んだテーブルの前にはリリエッタがいた。
傍にはソフィアが『お願い』をしたクラリスもいる。
「叔父様、面白いものがご覧になれます。ご帰宅はもうしばしお待ちを」
ソフィアは次にホールでひときわ賑わっている集団を見る。白いドレスを着た女が貴族たちから賞賛を浴びている。ソフィアたち帝国派が心の底から憎んでいる聖女信仰の徒だ。あんな悍ましい邪神を崇拝する狂信者などみんなまとめて死ねば良いと素直に思う。
「もうかえりたい」
「叔父様、あちらをご覧になってください」
「もう挨拶も乾杯もしたし帰っていいかいソフィア? 屋敷で愛猫がお父さんを待っているんだ」
「叔父様、話を聞いてください」
ぐずぐずになっている叔父はもう限界なようだ。
王妃がオベロン家に声をかけたせいで忌々しい聖女教徒ほどでなくても注目され、四十路間際だが伊達男で独身な有力貴族の叔父を婚活相手として見定めた令嬢からは大量にアタックもきていた。
どの者も亡き兄の養子であり養育しているソフィアの存在を知るとそそくさと辞退していったのだが。
そんなことを考えていたら、クラリスに煽られていたリリエッタがワインを片手に動きだした。
ソフィアの筋書き通りにことが進み出してにんまりとほくそ笑む。
「(ほら、後先考えずにやれよリリエッタ。きっと皆がきみに注目してくれるよ? 会場の花になれるよ? 咲いているのはどうでもいい雑草だけどね)」
意気揚々と歩き出すリリエッタを心の中で煽る。
叔父もソフィアが一点を見つめているのに気づいたのだろう。座っていたソファから腰を上げ、手すりの近くまで歩み寄ってきた。
赤ワインを持って颯爽と歩く次期王妃とその先にいる白いドレスの女で、ルシアーノはソフィアによる悪意を察したらしい。
「悪い遊びだ。お友達を利用するのはいけないよソフィア」
眉を寄せて隣で薄ら笑いを浮かべるソフィアを嗜めた。この男はこういうところは本当にまともだ。
旧都の影で犯罪組織を指揮して暗躍するような男だとは思えない。
「友達じゃないので」
「そういうことを言うのはやめなさい」
「私の友達はリゼだけなので」
「………」
あなたが見つけられなかった、と棘の言葉を言いかけてそれは飲み込んだ。
叔父には一応、育ててもらった恩はあるのであまり敵意と取られる言動はしない方が良いと思ったからだ。
「叔父様、あの聖女教徒を赤く染めたら、おねだりを聞いていただけますか」
「ソフィアは王都で頑張ってくれてるからね。内容次第でもあるが聞くだけ聞いてあげよう」
リリエッタは歩きを止めることはない。
座る資格もありはしないのに、ソフィアの意のままに操られ崩れゆく次期王妃の椅子に座らされた馬鹿で愚鈍なリリエッタ。
奪うことで起きる悪い影響なんて一切考えず、見た目だけのどうしようもない男に惚れ込んで、取り返しのつかないところまで来てしまった愚かで哀れなリリエッタ。
「次期王妃リリエッタの最初で最後の晴れ舞台だ、後先考えずにせいぜい暴れろ、バカ女」
「ソフィア、言葉が乱れている」
「………」
すると、突然リリエッタの足が止まった。
先ほどまで悪意に満ちた不細工な顔をしていたのに何故かいつもの気の抜けたまぬけ顔に戻っているのだ。
「チッ……何してんだ使えねぇな……ここまできて正気に戻んじゃねぇよ」
「ソフィア、言葉。……おねだりはお預けのようだ、残念だったな」
嗜めを一切聞き入れないソフィアに若干の不快感を抱きながらルシアーノはそっけなく言い切った。
「………」
ソフィアは無言でホールを睨んだ。
そしてリリエッタの後方、給仕服を着ている黒髪の少年に目で合図をする。
給仕服のクロは、上階からのソフィアの指示を受け取ると頷いて服の中から何かを取り出しリリエッタのヒールに向けて強く弾いた。
先ほどの足の勢いを抑えてゆっくり歩いていたリリエッタの高いヒールに勢いよく弾かれた玉のようなものが当たり、足元を掬われた見事にリリエッタはバランスを崩した。
そして彼女が手に持っていた赤ワインは、そのまま聖女教徒の白いドレスに降りかかる。
「………そこまでして、陥れたいのか」
ルシアーノは、配下を使ってまでリリエッタとセラフィナに害をなす、義姪ということになっている人物の執念に呆れと敬意の混じった目線を向けた。
「目障りな聖女教徒なんて、赤く染め上げた方が良いのです。叔父様も真っ赤に染まった修道着のシスターの方が仕事柄、見慣れているでしょう」
「そうだな。……で、おねだりの内容は」
階下ではしーんと静まり返ったなか、リリエッタは必死に抗弁をしているようだ。興味のないソフィアはそこで観察をやめてルシアーノの顔を覗く。
冷静を装っているが、ソフィア以上に聖女を嫌い帝国信仰の強い叔父の目は微かに悦びが浮かんでいた。
「帝国の力をすべてを使って最高クラスの耐毒魔法を作ってください。ぶっ殺したい男がいるのです」
「言葉……もういい、わかった。耐毒でいいのか?猛毒魔法じゃなくて?」
「問題ありません。いまの私に必要なのは毒耐性です」
ソフィアの脳裏に老獪な毒蛇の公爵の顔が浮かぶ。
あの時の世界のすべての苦しみを味わったような屈辱は絶対に忘れないし許さない。ソフィアの殺意は揺るがない。
「絶対にあの男を殺します」
「………まあ、うまくやれよとだけ言っておくよ。魔法の方は了解した、派閥の活動でも必要になる分野だろう。なるべく早急に開発に取り掛かろう」
「ありがとうございます」
ホール中に響き渡るリリエッタの泣き叫ぶ声を背景に、黒き鴉の伯爵令嬢は微笑んだ。
─────────………
【リリィ視点】
空気が重かった。
床に転んだままのあたしをみる貴族の人たちの目はまるで犯罪者を見るような目。呼吸すら許さないって語っているかのような眼差しだった。
「ひどい……」
「最低」
「そこまでやる?」
「ありえない」
小さな声で口々に聞こえてくる非難の言葉。あたしがわざと転んでセラフィナさんにワインをぶっかけたと思われてる! このままでは非常にまずい!
「………ち、ちがうの! 何かに足を取られて転んだの! わざとじゃないのよ!!」
「カーペットの上に何もないけど、何に足をとられたって言うんだよ」
すっごい怒っている低い声がした。
見上げると、さっきまでいなかったカイル様がそばに立ってた。カイル様の燃える炎のように赤い目が、ものすごく怖い目つきであたしを睨んでるの。
「本当だもの!!!!」
「ふざけんなよリリエッタ!!!! おまえ学生時代から、アルフォンスの気を引こうとしてわざと転んでたよな!! やっていいことと悪いこともわからないのか!?」
「……カイル、落ち着いてくれ」
「ヴィンス! オレ言ったよな! 彼女は大切な人だから守ってくれって!! 筆頭公爵家は大切な人にワインをぶっかけられても落ち着いていられるのかよ!!!」
静まり返るホールにカイル様の叫び声が響いた。
その声に、騒動に気づかなかった離れたところにいた貴族や使用人の方もこっちに注目する。
真っ赤に染まったセラフィナさん、怒鳴るカイル様、転んだまま立てないあたしと手元にある空のワイングラスで皆が勘違いをするの。
次期王妃リリエッタは、美しき聖女に嫉妬して白いドレスをわざと汚したって。
「ちがうちがうちがう!!! あたしはそんなつもりなんてない!!!」
「ふざけんな! 否定ばかりで謝罪もしないで何様のつもりだよ! おまえ、セラフィナに何かされたのか!? アルフォンスからふざけた招待状を送られてきて、快くパートナーを引き受けてくれた彼女に対して、こんな仕打ちがおまえらのやり方なのか!?」
「カイル様……いいのです。どうかおちついてください」
それまで顔を真っ青にして固まっていたセラフィナさんが、シャンデリアの下で激昂するカイル様に近づいて怒り狂う彼を宥めた。
ワインまみれなのにセラフィナさんの纏う清らかな雰囲気は何も変わらなかった。
カイル様は王宮のパーティーにいるのにマナーを無視して感情を剥き出しにして大声をあげていたけど、誰もカイル様を非難しない。
周りにいるの誰もが大切なパートナーを汚された彼に同情して、あたしにひたすら軽蔑の目を向けるの。
「セラフィナさん……あの、あたし……」
「次期王妃殿下はお怪我は?」
にっこりと微笑んでセラフィナさんは優しく尋ねてきた。あたしは首を振る。
セラフィナさんは「それならよかった」ってすごく暖かな目で答えたの。
慈愛ってこういうことを言うのね。こんな優しい人を魔女扱いとかあたし本当にバカだわ。
「カイル……本当にすまない。彼女を守れなかったボクの責任だ」
「………」
「ヴィンセント様もお気になさらないで、これは不運な事故なのです。どなたも悪くありません」
「………セラフィナ、いいよ。こんな時にまで優しくするな。あんたがひたすら損するだけじゃないか」
怒りすぎてむしろ頭が冷えたのか、先ほどと打って変わってカイル様はものすごく冷たい声で答えた。聞いているだけで背筋が凍るわ。ゾクゾクする。
「リリエッタ様って飲酒をなさるの?」
「お酒を飲んでるところなんてみたことないわ」
「じゃあどうしてワインなんて持っていたの?」
後ろで女の人のカン高いよく通る話し声が聞こえたの。
顔を向けると学園時代のクラスメイトの令嬢たちだった。その顔ぶれをみてあたしは嫌な予感がした。
「だから違うのよ!! クラリスがワインをあたしに持たせて……!?」
「あら、何のお話ですの?」
コツコツと嫌なヒールの音を立てて、あたしの断罪会に一人の令嬢が姿を現した。嫌な声が脳裏に反響する。
「……クラリス!! 元はと言えばあんたが!!」
「リリエッタ様、気が動転してあたくしに罪をなすりつけたいのね。でも残念、あたくしずっとベスと一緒にいましたの。ねえ?」
「えぇ、そうですわクラリス様!」
そういって勝ち誇ったように笑うクラリスの隣には、そばかすだらけの癖毛令嬢のベサリーナ(愛称ベス)がいた。
ベスはクラリスに促されるままに相槌を打った。
取り巻きのくせに姿がみえないと思ったらこいつらここまで計算していたの!?
「クラリス様に罪を着せようとするなんて最低ね」
さっきの同級生が嘲笑うように言った。
さっきのわざとらしい会話の令嬢も含め、ここにいるのは学生時代の女子のリーダーであるクラリスの取り巻きだ。みんなみんなあたしの敵だ。
「おそろしいわ、リリエッタ様。学園時代にいざこざのあったクラリス様をどさくさに紛れて陥れたいのね!」
「なんて卑劣なの!?」
「酷い話だわ!濡れ衣を着せるだなんて!」
「皆さん良いのです。リリエッタ様のお気の向くように。でも、あたくしの無実はここにいるベサリーナが証言してくださいますわ。それで、あたくしがリリエッタ様にワインを手渡したっていうご証拠は?」
「…………」
ない。あのデザートテーブルの周囲はクラリスしかいなかった。他の人はあたしの食べっぷりに引いてどこかに行ってしまったし、少し離れたところにいた貴族たちは皆してセラフィナさんを見てた。
誰も、あたしたちに意識なんてしていなかった。
「……次期王妃ともあろう方がこんな人間だなんて信じられないな」
クラリスの取り巻きに関係のない男の人の声がした。その言葉を皮切りに、ザワザワと周りの貴族があたしを非難しはじめるの。
救いを求めてこんな状況でも穏やかなヴィンセント様を見たら、一連の話を聞いて静かにドン引きする顔であたしを見てた。
もう、何もかも終わったみたい。
「………」
現実逃避かしら、ふと学園のエスメラルダ様の断罪の時の光景が頭に浮かんだの。
あの時、エスメラルダ様は必死に罪を否定して無罪を主張していたけど、誰もエスメラルダ様の話なんて聞かなかった。
学園のみんなが口々に罵って、罪を決めつけて、晒しあげたの。きっとあの時のエスメラルダ様はいまのあたしと同じ気持ち。
だって、あたし当事者だから知ってるのよ。本当にエスメラルダ様はあたしを階段から突き落としてなんていないってこと。
でも、結局エスメラルダ様は偽りの罪で追放されて、現在行方不明。
もう死んでるかもしれないんだって。
これは……この状況は、きっとあの時の罰なのね。
ごめんなさい……ごめんなさい……エスメラルダ様。
謝るから、もう許してよ。
あたしをこれ以上、不幸にしないでよ……!
あたしの幸せを返してよエスメラルダ様!!
見てるかアルフォンス、策略ってのはこうやるんだよ(二回目)
リリィどんまい。これも過去の精算作業です。




