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饗宴編【開宴】第四話 貴公子の誘い(中)

 




【エドワルド視点】




 アルバート公の従者たちに強引にホールから連れ出されたエドワルドは、人のいない物影に連れ込まれるとそのまま男たちによって、縄で後ろ手に拘束された。


「ロデリッツ公子はパーティーが終わるまで大人しくしていただくようにとのご命令です」


 そう言って男はエドワルドの腕を縛り上げ、同様に足の自由も奪い、口元に布を噛ませると、起きてしまった惨事をいまだに飲み込めないエドワルドの体を王宮のとある小部屋に放り込んだ。


「……つ!!〜〜!!!」


「大人しくしてください。あまり暴れるようなら少し強引な手法でご沈黙していただくことになりますよ」


 従者はそう言って、なんとか抜け出そうと床の上でもがくエドワルドに冷たい口調で忠告するとそのまま扉を閉める。ガチャリと外側から、無慈悲に鍵を閉められた音もした。


「(やられた……最悪だ……もうだめだ……)」


 いつもなら、どんな最悪な状況でも常に屈せずに打開策を考えて足掻こうとするエドワルドでも、手足を封じられてアルバート公の手の者に監視下に置かれているこんな状態で、どうしていいかわからなかった。

 アッシュはただでさえボロボロの体だったのにその上に追加の毒まで煽ってしまったのだ。彼はもうどうしようもない所にいるのは痛いほど分かった。


「(僕は……無能だったんだ。出来ると思い込んで戦ってきたけど……結局何も出来なかった。無駄に屈辱を受けてロデリッツの誇りを汚しただけ、全部全部無駄だったんだ)」


 冷たい床に頬を当てながらエドワルドは後悔に襲われた。


 倒れた父の代わりに城に来てアッシュに出会った。陰謀の渦巻く宮廷の中でたったひとりで戦っていた年下の少年をはじめて見た時から救いたかった。

 何の罪もないのに、暗い闇の中で絶望していた灰の王子を臣下としてではなく友達としてエドワルドは助けたかった。

 こんな状況になってようやく気づいた。忠義だなんて偉そうに振り翳していたけれど、王族としてではなくひとりの人間としてエドワルドはアッシュを助けたかったのだ。


「(殿下……ごめんなさい………)」


 臣下になりたいと言ったエドワルドをアッシュは拒否をした。自分のそばにいたらエドワルドが傷つくと知った彼は、心にもないことを言って拒んでいたのが傍からよく分かった。

 もしあの場で「臣下」ではなく「友達」になりたいと言う勇気があったのなら、状況は変わっていたのだろうか?


「(きっと変わらない……残酷な王妃の前では僕は無力なままだ……ただの貴族令息に何が出来る。毒を盛られて無力に倒れて、暗殺者を向けられて震えていることしかできず、王妃の屈辱的な扱いも黙って受け入れるしか出来なかった)」


 耐えることしかできないエドワルドはアッシュを守る剣にはなれないのだ。


「(もう疲れた……口枷を外されたら舌を噛んでアッシュ殿下の後を追おう。もう何もしたくない……僕はもう、すごく疲れた)」


 エドワルド・ロデリッツは小さな部屋の中で身動きの取れないまま絶望した。

 虚勢を張って王宮の中で孤独に戦い続けた彼の心はついに折れた。

 そもそも麗しの貴族令息は、本当はもうすでに限界など超えていたのだ。いくら彼が強い信念の持ち主でもこれまで彼の歩んできた道のりを考えたら当然なのだ。

 それでも敬愛するアッシュの為に戦っていたのだ。そんな彼がこの世にいないのなら、エドワルドが戦う必要なんてないのだ。


「(エスメラルダにはレオン先輩がついてる……僕が出来ることはもう何もない)」


 エドワルドは湧きでる絶望を受け入れて、静かに目を閉じた。






「うわ!何だお前……ふごっ!!」


 扉の前で見張りをしていた先ほどの男の声がした。

 鈍い音と共に男の体が倒れる音もして、数秒たたずに固く閉ざされていたはずの扉が開いた。


「エドはん!!生きとるか!!」


「!!」


 ドアを開け入ってきた男は、仮面のようなもので顔を隠していた。手には細い針金を持っていた。この器具で強引に扉の鍵をこじ開けたのだろう。


「いま外したるで!!ちょっと大人しくしたってな!」


 特徴的な話し方で男が誰なのか即座にわかる。

 昨日、家に来た情報屋を名乗っていた男だ。


 素顔を隠した男はエドワルドが拘束された縄を手早く外すと、そのまま噛まされている布も取り外して、床に倒れていた体を起こしてくれた。


「………ワンド・ブラン?」


「正解や。一部始終見させてもらったで」


「………」


 どうしてアッシュが毒杯を向けられていたのに動かなかったんだと言いかけてやめる。

 本人の話ではワンドは爵位を持っていないのだ。この国の最高権力の公爵や王妃相手に立ち向かえるわけがない。

 いまエドワルドが言おうとしているのは八つ当たりだと認識して、エドワルドは口を閉ざした。

 いくら誇りを汚されたとはいえ、恥知らずなことはしたくはなかった。


「エドはん。言いたいことはわかるで、ええで、言ってみ、ワンドくんが受け入れたる」


「たすけてくれてありがとう」


「………!」


 エドワルドは喉元まで出ている八つ当たりの言葉を飲み込んで、矜持を優先させた。

 エドワルドだって何もできなかったのに、助けに後を追ってきてくれたワンドを非難するのは筋違いだと思ったからだ。


「………ええんやで、おおきに」


 エドワルドの礼は予想外だったのだろう、きつい言葉が飛んでくると予想していたワンドは目を細めると素直に礼を返した。


「アッシュ殿下は生きとるで、ロデリッツの坊ちゃん、物凄くひどい顔をしとるけど絶望するのは早過ぎる。もうちょい粘りや!諦めが早過ぎるのはそれはそれで問題やで」


 ワンドはそう言ってつけていた仮面を外すと、部屋の外で伸びている男を部屋の中に引き摺り込んだ。

 そしてエドワルドを拘束していた縄で手足を縛り直し、目隠しも施した。その慣れた手つきでワンドは荒事に慣れているのだとエドワルドは察した。


「………情報提供ありがとうございます。あなたが来なかったら舌を噛んで後を追うつもりでした」


「ああんっ!? 覚悟決まりすぎやろ!!」


「アッシュ殿下のいない世界は、僕の生きる世界ではないので」


「重過ぎる……やめーや、エドはんが死んだらワンドくんが悲しすぎて泣いてしまうわ。死ぬとかそんなこといちいち言わんでええよ。……どうせ土壇場になったら怖なって死なへんのやから」


「………」


 ワンドは冷たい目でエドワルドを睨むと、乾いた笑いで失笑した。


「あんた、忠誠心見せたつもりなんやろうけど、やってることはただの現実逃避やで。アッシュ殿下の為に戦うって決めてるなら、最後まで生きて戦うんがモノホンの忠義や」


 ワンドは吐き捨てると、持っていた仮面を胸元にしまった。

 予想外の厳しい言葉に立ち尽くすエドワルドに、言葉を続ける。


「それでもどうしても死にたいって言うなら止めへんよ。でも、ジブンまだ何の役目も終えてへん。今日は何しに城にきたんや?」


「……聖女をアッシュ殿下のもとにお連れする為」


「そや、それならそれくらいしてから首縊れや。何もしないで綺麗に死んで終わりなんて仕事舐めるのもええ加減にせいや!」


「………申し訳ございません」


 ワンドの圧に思わず怯み、反射的に謝罪の言葉が出た。金髪の男に浮かぶ表情は、軽薄な男のイメージとは一見を画する真剣なものであった。


「……ええ、ワイはわがままお嬢さま相手に説教は慣れとる。どうするエドはん。最後まで戦うか?ここで諦めるんか?」


「戦います」


 絶望したばかりのエドワルドを無理矢理立たせた男は、金の瞳で少し嬉しそうに笑った。


「ならばよし、始めた試合を途中放棄が一番ダサいでエドはん。やるって決めたらやりきれ!あんたこれまでだって戦ってきたんやろ?こんなところで途中退場なんて許されへん。筋は最後まで通すもんや!」


「……はい」


 ワンドは視線でついてくるように促すと、完全に気を失って伸びている男を残したまま部屋の外へ立ち去った。エドワルドはその背中を追いかけた。

 アッシュの為に戦うと忠義の公子は再起した。大切な友達の為に、今度こそやり切ると誓って駆け出した。


「ありがとうワンドくん」


 エドワルドの中の死にたいと言う気持ちは、微塵と消えてなくなった。

 目の前をかける男の背中に礼を言うと、金の髪の男は何も言わずに振り返り目で答えた。

 そして王宮の広い通路をただ、二人の若者はひたすらに走った。




 ─────────………




【アッシュ視点】




 広い王宮を駆ける長身のデュラン公に抱えられた痩せ細ったアッシュは、腕の中で意識を朦朧とさせていた。

 ずっと敵だと思っていた王太子派の筆頭公の腕は意外にも暖かく、優しかった。


「とりあえず医務室に!」


「……王……医……は……妃の……」


「!」


『王宮の医師は王妃の息がかかっている』。その言葉を途切れ途切れの単語で察してくれたのだろう。アッシュを抱えたデュラン公ロードフリードは真っ青な顔をさらに真っ青にしてアッシュの顔を見返した。


「ならば水だ!殿下、大量の水をお飲みください。飲めるだけ飲んで吐いてください……少しでも毒を体外に出しましょう」


「………」


 デュラン公はアッシュを目に入った通路に設置されている柔らかなソファに横たわらせると慌ててどこかに駆けていった。

 そして、数分もしないうちにガラスの水差しを持ってくると水の入ったグラスを差し出した。


「………」


 アッシュは不思議そうな目で、自分のことのように焦る男の顔を見返した。

 筆頭公爵家デュラン家当主、ロードフリード・フォン・デュランは四大公爵の中でいちばんの王妃の腰巾着で、アッシュの死を望む敵の一人だとずっと思っていたからだ。


「……水に毒など入れておりません、不安なら私がお飲みいたします。どうか、少しでもお身体をお労りください」


「………」


 もう思考もうまく回らないアッシュは震える手でグラスを受け取ることにした。その指先のあまりにも弱弱しさに物すら握れないと察したのだろう、ロードフリードは口元に水のグラスを傾けるとアッシュの小さく開けた口の中に水を注いだ。


「……申し訳ございません殿下、水呑器があれば良かったのですが探している時間が惜しく」


 盛大に胸元に水をこぼしながらも、ロードフリードは何とかアッシュの頭を片手で支えながらもう片方の手で水を注いだ。

 地獄の中の砂漠のように乾いていた口の中に潤いが急速に染み渡り、アッシュは辛そうに咽せた。


「ゲホッ……ゴホッ……」


「殿下!」


「……もういい」


 潤いによって声が復活したが、こんなことをしても焼け石に水だとアッシュ自身が判断したのだろう。

 真っ白な顔をした死期を悟った灰の王子は青い顔の公爵に首を振った。


「………アルバートの毒は、この国……一番の闇。水程度で……どうにかなる薬を……あの女が用意するわけがない」


「ですが」


「……もう良い、デュラン公。貴公の温情に感謝する。最期にあなたの本質を知れた。ずっと冷たい敵だと思って勘違いをしたままにならなくて済んだ。あの女は私に『己の出生を恨んで死ね』と言ったが、そんなことより何倍も利のあることができた」


 差し出された水を拒んで、体を横たわらせたままのアッシュ。その高貴なる王族の蒼き瞳には慈愛と王族の誇り、双方が宿っていた。

 ロードフリードは思い出す。やがて王位を継ぐことになる彼の兄の王太子の醜態を。八つ当たりをして惨めに怒鳴り散らすアルフォンスと毒を煽り確実に訪れる死を待つ状況でも決して誇りを捨てないアッシュ。こんな状況になってようやく気づいた。高貴アルフォンスアッシュ、二人の王子。そのどちらの身に王の器が宿っていたのかと。




『あなた馬鹿だと思ってましたけど、本当に馬鹿なんですね。とても驚きました』




 いつかの夜に、エドワルドに言われた言葉が頭の中で蘇った。本当にその通りだと思った。

 アッシュを救う為に恐ろしい王宮の中でたったひとりで戦っていた麗しの貴公子と失くなってしまった寵愛の残滓に必死しがみつき王妃の言いなりになることしかできない自分。

 どちらが格上だったのかを筆頭公爵は今更になって思い知った。


「(エドワルド……おまえが全部正しかった。何故俺はお前より格上だなんて思い上がっていたのだ……とことん自分が惨めになる)」


「……何か……話をしてくれないか、……沈黙は耳鳴りがして……辛いのだ……」


 ソファの上で荒い呼吸をしながらアッシュはか細い声でねだった。まるで、寝る間際の子供がおとぎ話を親にねだるようだ。

 似たような光景を見たことのあるロードフリードは泣きそうになる涙腺を矜持で堪えて微笑みで答えた。


「はい殿下……では、あなたの友人の話をします」


「良い話題だ……デュラン公は……センスが良い」


「ありがとうございます、光栄に至ります」


 死にゆく王子の花向けに、デュラン公は語り出した。陰謀と怨讐渦巻く王宮でたった一人で戦い抜いた麗しき若い狐の話を、それを目で細めて聞いているアッシュの手がゆっくりと力がなくなっていくのを傍で感じながら、彼がどれだけ王妃や公爵たちに揉まれながら立ち向かい頑張っていたのかを語り始めた。




「殿下!!」




 男の声がした。

 声の方に振り返ると、壁に手をついた男がこちらに向かってきていた。

 怪我をしているのか少し足を引きずっていた。


「ユーリス!!!」


「殿下、参上が遅れ誠に申し訳ございません」


 やってきたのはアッシュ唯一の忠臣、ユーリスであった。彼の顔を見たアッシュは、嬉しそうに顔を綻ばせる。


「ユーリス!生きていたのだな!……精鋭騎士を10人差し向けられたと聞いた……流石におまえでも無理だと思っていた……すまない……」


「全員倒しました」


「精鋭騎士を10人……倒した!!?」


 信じられない言葉に、横にいたデュラン公が声を上げた。

 その声に気づいたユーリスは眉を寄せて無言で睨みつける。ユーリスの中でも、王太子派で王妃の腰巾着のデュラン公は敵として認定しているのだ。


「………すみません」


 ユーリスの眼力に負けたデュラン公は身を竦ませる。相手をしている時間が惜しいと思ったのだろう、ユーリスは再度アッシュに向き合った。


「殿下、何故こちらに?……顔色がだいぶ悪いですが」


「毒を飲んだ、多分、そう長くないうちに私は死ぬ」


「!?」


 ユーリスは再度横にいるデュラン公を睨みつけ、携えている剣を手に持った。


「待ってくれ!飲ませたのは俺じゃない!!!」


「ユーリス、よせ。デュラン公は助けてくれたのだ」


「…………」


 たったひとりの忠臣の前で、張りたい意地があるのだろう。先ほどまで弱々しかったアッシュは最後の力を振り絞っていつもと変わらない口調を取り戻した。


「公子は?」


 主君は本当は話すのも辛いと察しているのだろう。ユーリスは冷たい目でデュラン公に尋ねた。


息子ヴィンセントではなく、エドワルドのことだな?……ヤツはどこかに連れて行かれたようだ。直前までアルバート公と話していたからおそらく連れ去ったのはアルバート公の手のものかと」


「デュラン公、すまないが見つけ出して助けてはもらえないか?エドは私のたったひとりの友なのだ。……母君を危険に晒しながらも私を助けようとしてくれた……最期に会いたい」


 アッシュは震える瞳でデュラン公を見つめた。その切なる願いを情愛の家の当主が断れるわけがなかった。


「承りました」


 デュラン公は静かに頷いた。


「ここは息が詰まる、私は……テラスで夜風にでも当たっていよう……ユーリス、連れて行ってくれ」


「……はい」


 アッシュは横たわっていたソファからユーリスに軽々と抱えられると、そのまま忠臣の胸に体を預けた。

 その背中を見守るデュラン公に、慈悲深き眼差しで灰の王子は最期の言葉を残す。


「ロードフリード・フォン・デュラン、母上の件は貴公は何も悪くない。どうか自責の念に囚われるな……」


「………」


 何の話かとデュラン公は考えて、二年前の側妃の断罪投票の件かと思い至った。

 アッシュの母、アリシア妃を実質の死刑に追いやったのは、親友アリシアを救いたいステラーシャの懇願を聞き入れず、家族の保身を優先として『無投票』を選んだ自分なのだとずっと考えていたからだ。


「………」


 デュラン公は去り行く王子に深く頭を下げた。

 何もかも手遅れになっている現状がとても憎くて、辛くて、苦しくて、その胸中はものすごく泣き叫びたい気持ちであった。




王妃様の高貴なる策略の前に首の皮一枚繋がりました。ユーリスさんも普通に生還して戦線復帰。

エドワルド陣営反撃なるか、アッシュ攻防戦はまだまだ続く。



※補足

アッシュ視点のアリシア妃の話は饗宴編「ラストレッスン①」で話題にしていたことを話しています。


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