饗宴編【開宴】第四話 貴公子の誘い(上)
【ミルリーゼ視点】
王宮、城門前広場。
すっかり日も暮れて夜の始まりに包まれたアステリア城の城門に可愛らしいドレスを着て、白銀の髪を編み込んだ幼い容姿の令嬢と執事服を着た黒い髪の男がやってきた。
令嬢はどこか緊張した面持ちで、パーティーが催されている城を眺めている。
そして、城門に設置されている看板に気づいて首を傾げた。
「春を祝うパーティー? 婚約披露じゃなかったの?」
「半月くらい前に突如変更になったんだよ」
外門を警備している兵士が不思議そうにしている令嬢にそう声をかけた。
「ありがとうございます衛兵さま、城の中でこの方の身内がパーティーに参加してるので、ちょっとこの辺りで待たせていただいてもよろしいですか?」
令嬢の疑問に答えてくれた兵士に、令嬢の隣に佇む執事服の男が礼を言った。
「じいや、わたしも中に入りたいわ」
「いけませんよお嬢さま。あなたはデビュタント前だからパーティーに参加できないと旦那さまからきつく言われているでしょう」
「むう!」
兵士は納得したように頷くと、城の中に入らない分なら問題はないと快く快諾をしてくれた。
頬を膨らませた令嬢は不満そうな表情をしながらも、余程パーティーの様子が気になっているのかチラチラと城門の向こうの王宮を見ている。
「衛兵さまそれじゃ、あそこのベンチで待たせてもらいますね。どうせすぐに眠くなって帰るって言い出すと思うんで……お嬢さまは領地から出てきたばかりでいろいろ見てみたい年頃なんですわ、すいやせん」
執事服の男はそう言って、こちらのやりとりを微笑ましそうに見ている兵士の男にペコペコと頭を下げると、門から少し離れたところにある王城の門前広場のベンチに幼い令嬢を引き連れて腰を下ろした。
「……今のやり取りって必要なの?」
周囲に誰もいないのを確認してから、執事服に身を包み髪をきっちりと上げたオズは低い声で尋ねた。
「必要! これでかわいい僕が夜に出歩いていても衛兵は気にしないはずさ!」
白銀の髪を編み込みのアップヘアにして、清楚なドレスを着たミルリーゼが不敵に笑って答えた。
貴族令嬢らしい装いをした今夜の彼女もやはり幼く、実年齢より5歳は若く見える。
「じいやって言うのはやめてよミルリーゼちゃん、オジさんまだ、そんな年齢じゃないよ」
「おじさんって何歳?」
「……レオンと10は離れてないとだけ」
「ふーん」
思ってたより若いな、と顔に書いてあるミルリーゼは繁々とオズを眺めた。
その視線を散らすようにオズは顔の前で手を振る。
「いくらオジさんが、イケオジだからってそんな見つめないで。照れちゃうからさ」
「照れてるおじさん、かーわいいっ」
「……あんまり大人を揶揄うんじゃないよ」
「ごめんね。ドレスアップした特別にかわいい僕に免じて許してね」
タジタジのオズに、にっこりと笑ってミルリーゼは答えた。
そしておもむろに視線を、パーティーが開催されている壮大な白亜のアステリア王宮へと移す。
パーティーの賑わいと興奮は城の外まで伝わってきた。
「……エルたち、いま戦ってるんだよね」
「ああ」
二人は城の中で戦っている仲間のために、この場所にやってきた。中に入る事が出来なくても、少しでも城の側で出来ることをやりたいと意気込むミルリーゼは王都漫遊中の貴族令嬢のふりをしてこの場所にいるのだ。
オズには道連れで執事のふりをして貰っている。
「僕たちにはエルたちの成功を神様に祈ることしか出来ないね。カイルとお姉ちゃんは大丈夫かな?」
「お嬢様が鍛えたんだろ? 大丈夫さ、お友達を信じてやんなよ」
オズは、ミルリーゼに優しい笑みを向けて答えた。
「なんだか他人行儀だね、おじさんも祈ってよ!」
「オジさん神様には祈らない主義なので、酒とタバコと綺麗なオトナのお姉さんしか信じません」
「もう!!!」
いつもの様子で軽口を叩くオズに、ミルリーゼは頬を膨らませると再度、城の様子を眺めた。
外門から様子の窺える中庭には、ちらほらと散策している貴族の姿を見れた。
彼らの身に纏う豪華な衣類はどれも高級そうな装いで、上流階級である彼らの裕福さを象徴していた。
「………」
ミルリーゼの現在着ている水色のドレスは彼女の家で働く仕立て屋のメイスが作ったものであった。
夜の暗闇に紛れて分かりにくくはあるが、実は古着を再利用した節約ドレスである。髪をアップに結ったのもミルリーゼ本人だ。
ミルリーゼの生家のブラン子爵家には金がなく、年頃の貴族令嬢であるミルリーゼに令嬢らしい贅沢を許す余裕など皆無であった。
「……おじさん」
「何」
「僕、かわいい?」
ミルリーゼは中庭の貴族令嬢の豪華なドレスから目を逸らすように伏せると静かに尋ねた。
「かわいい方なんじゃない?」
オズは見回すようにドレスアップしたミルリーゼを見てから静かに答えた。
「………」
「なんか悩みがあるなら聞こうか? 暇だし、ミルリーゼちゃんの隣で煙草吸えないし」
「………ありがと、おじさん。あのさ、僕ときどき思うんだ。エルみたいな公爵令嬢さまと仲良くしてて本当にいいのかなって」
「あーね」
「僕はおじさんやお姉ちゃんみたいに戦えない。カイルみたいに家の身分が高いわけでもない、お兄ちゃんみたいにエルに授業ができる先生でもない」
ミルリーゼは小さな拳を握りしめると、軽く震えさせた。
「エルのことは大好き、命を張って守るつもりでいるよ。でも穢れた血の僕が、この国一番の貴族令嬢のエルと仲良くしていいのかなってたまにアンニュイになっちゃうんだ」
「……穢れ? ミルリーゼちゃんが?」
見た目だけなら清楚で可憐な少女にあまりにも不釣り合いな単語にオズは眉を寄せて聞き返した。
ミルリーゼは俯いたまま、小さくうなずく。
「汚れてるんだって。僕のママが平民だから。初めてデビュタントでパーティーに参加した時、侯爵家のご令嬢に言われたんだ」
「………あー…」
ミルリーゼが王宮に行くのを異様に嫌がっていた理由に、ようやくオズはピンと来た。そりゃトラウマになるなと内心で納得したように低く唸った。
「優しいママのことは大好き。でも僕は時折、自分のことが居た堪れなくなるんだ。僕の家は貧乏で借金だらけだけど恥ずかしいと思ったことなんて一度きりもないのに」
オズは、ドレスを愛おしそうに触れながら微かに震えるミルリーゼの頭をポンポンと軽く撫でてやる。
「……お貴族様は大変だねぇ、オジさんよくわかんないけど。まぁ、ミルリーゼちゃんはお嬢様の親友なんでしょう。『そばにいたくない』なんて口が裂けても言わないでやんなさいよ」
「そんなこと言ってない! いていいのかって疑問に思ってるだけ!!」
「いたいなら居てもいいでしょうよ、誰かが『貧乏令嬢はエスメラルダ様から離れろ』って言ったのかい?」
オズの問いかけにミルリーゼは首を横に振るった。
「ならいいよ。オジさんが許可してやるよ。胸を張んなよ。それにおまえさんはきちんとお嬢様たちの役に立ててるよ。灰の王子の情報を持ってきてくれたのは誰だ? 剣握って振るうことだけが戦いじゃない、ミルリーゼちゃんは情報って武器でお嬢様の役に立ってるよ」
「………ありがとう、知ってた」
「誰かに肯定されたい気分だっただけ?」
オズの少し呆れた声に、ミルリーゼは小さく頷いた。
「うん。エルのチームで一番強いおじさんに褒められたかった。どうもありがとう」
「どういたしまして……年頃の女の子って本当に複雑でオジさんにはよくわからないわ」
オズは皮肉に笑うとアステリア王宮を眺めた。
白亜の王宮から時折聞こえてくる音楽や歓声に目を細める。
「僕の情報屋で一番の腕利きを中に潜入させてるよ。ちょっとアホだけど、めちゃくちゃ有能だからエルは絶対大丈夫! 安心してくれていいよ」
「そうかい、そりゃ良い情報だ」
「ふふっ、情報料は悩みを聞いてくれたお礼にサービスしてあげる」
「そりゃどーも……」
オズは隣に座る小さな情報屋の頭を撫でながら、胸元から煙管を取り出した。
「ちょっと向こうでタバコ吸ってきてもいい?」
「いやだわじいや、わたしをひとりにしないで!」
「だからそのじいやってのやめてよ……オジさんまだ若いんだからさァ」
─────────………
【アッシュ視点】
毒の酒を飲み干したアッシュは血が沸騰するような熱さに襲われていた。
身体中に響く心臓の鼓動が異様に早く、かつて経験したことがないほどに喉が灼け、ものすごい勢いの渇きに襲われた。
「流石にアルフォンスの晴れ舞台を血で染め上げるわけにはいかんからな。残りの命はおまえの無意味な人生を悔いて過ごせ。あの女の胎から生まれた己の不運を怨むが良い」
残酷な王妃の用意した毒は遅効性だったようだ。
じわじわと命を削っていくアッシュを見ながらカトリーナは冷たく言い捨てると、興味を無くしたのか目線を逸らしてパーティー会場をぼんやりと眺めて過ごした。
会場内では貴族たちが、交流したり、音楽に合わせてダンスなどをして各々自由に社交に勤しんでいる。
やはり壇上付近にはアルフォンス派の貴族が多いのか、毒にうなされて苦しむアッシュなんて誰一人、気にかけなかった。
そもそも城の中で明確なアッシュ派なんて、ユーリスとエドワルドしかいないのだ。中立派の貴族や使用人たちも王妃に睨まれるリスクを冒してまで灰の王子を助けたりはしないだろう。
時折、苦しそうに唸るアッシュに対して奇異の視線を向けるものはいても、救いの手など誰も伸ばしたりはしなかった。
「…………」
アッシュは絶望した。
後どれほどの余命かはわからないが、この調子だと日付は超えないだろうとなんとなくだが察した。
自分はこの大勢の人のいるパーティー会場の中で誰の気にも止められず、誰からも看取られることもなく死ぬという状況が何よりもつらかった。
アッシュがかつて恐れていた、真っ暗な夜の中で一人で静かに逝くほうが何倍もマシであったとこの状況になってようやく気づいた。
せめて最期は楽しいことを考えようとしても全身の苦しみが楽しいことを考える余裕すらアッシュから無慈悲に奪った。
ただ辛い身体を抱えて、身悶えることしかもう灰の王子には出来なかった。
「………」
そこに、予想外の事がおきた。
「きっきから本当に目障りだな! 叔父上! こいつを此処から追い出してくださいよ!!」
我慢の限界が来たのだろう。アルフォンスが苦しむアッシュを指差して、追い出せと背後に控えている筆頭公に命じたのだ。まさか彼が毒を飲まされているなど露とも知らずの言動だが、それが転じたのだ。
もしアッシュの置かれている状況をアルフォンスが知っていたら、彼はアッシュの苦しみを骨の髄まで煽り笑って楽しんでいただろう。
「………」
命令されたデュラン公は、王妃に視線で賛否を尋ねる。カトリーナは愛しの息子の意を肯定した。
「………アッシュ殿下、体調が優れないのですか? どうぞ、こちらへ。立てますか?」
若い顔の筆頭公は即座にボロボロの第二王子に近寄ると、彼の痩せ細った体を支えようとする。
そしてなんとなく見た、彼が握ったままの杯に気づいて息を飲んだ。
「………っ!」
近づくまで気づかなかったが銀の杯が真っ黒なのだ。彼が飲んだのは葡萄酒で、赤いはずの液体が杯を黒く染める理由などデュラン公でも即座にわかる。アッシュが飲むのをあれほどまで躊躇っていた理由も理解して、顔を真っ青にした。
「ああ、まだ下げさせていなかったな」
王妃は頬杖をついたままめんどくさそうに先ほどアッシュに杯を運んできた従者を呼ぶと、従者の男は固まる筆頭公の隣で、息絶え絶えのアッシュから銀の杯をそそくさと回収して幕の裏に消えていった。
「余計なことをするなよ、二杯目をおまえに飲ませても私は構わないのだからな」
「………」
「早く連れていってください叔父上! グズグズしないでください!!」
煌びやかなパーティー会場の中心で行われた惨事を目の当たりにしたデュラン公は、騒がしいアルフォンスとは逆にただ言葉をなくして沈黙した。
先ほど必死な顔をして第二王子に呼びかけて、強引にどこかに連れて行かれてしまったエドワルドの姿を思い出した。
そして「何を騒いでいるんだ」と冷めた目で壇上から見ていた自分を猛烈に悔やんだ。
エドワルドがアッシュの為に戦っているこれまでの姿を、彼はよく知っていたからだ。
もう少し強く葡萄酒を飲ませるのをやめさせていたらと強い後悔が彼の思念を埋め尽くす。
「(俺はいつもそうだ……日和見ばかりで、誰も救えない。中途半端に同情をするだけで肝心の役には微塵も立たない……)」
デュラン公は息も絶え絶えのアッシュを抱き上げてそそくさと惨劇の舞台から去った。
今の彼にはもうそれしかできなかった。
※補足
ミルリーゼちゃんは、饗宴編「災禍の手紙③」「ダンスレッスン②」あたりで王都や王宮キャンセル界隈発動してます。




