饗宴編【開宴】第三話 毒の杯(上)
【エル視点】
──────最高よ!あなたたち!心からの賞賛を送るわ!!
エルはパーティー会場の全貌が見渡せる上階の影から、カイルとセラフィナのダンスを最後まで見守った。
貴族たちの注目の中でも決して逸れることなく見つめ合う熱い眼差し、エルが心を鬼にして彼らに叩き込んだダンスのステップ、そして心から信頼し合っていることが見ているだけで伝わるカイルとセラフィナの絆……。
お互いを想い合い、支え合う二人のダンスを見る王妃の反応もかなり良かった。
カトリーナ王妃は美しいものが心から好きなのだ。王国一の美女と言っても決して過言ではない今宵のセラフィナはさぞかし王妃のお気に召しただろう。
「(王妃様は自分より美しいものに嫉妬をするようなちっぽけな心なんて持ち合わせていないわ、美しければ美しいほど心から愛でてくださる愛情深きお方よ)」
その寵愛の仕方が異常なことは一旦頭の隅においておく。
先ほどの二人のダンスを……主にセラフィナを見る王妃の目はまるで、至高の宝石を眺めるかのようであった。存分に楽しんで頂けたのだろう。
つまり、王太子アルフォンスのくだらない策略は見事に失敗したのだ。
「(ふふふ、どうかしらアルフォンス。私の育てた二人のダンスは。カイルは王妃様の基準ではギリギリ合格点かもしれないけど、セラフィナは間違いなく完璧よ。少なくとも人並み以下のダンスしか踊れないあなたに彼らを嘲笑う権利はないわ)」
昂りを表すように手すりを力強く握りながらエルはほくそ笑む。
エルの数ヶ月の鬼特訓の成果は、王宮のパーティー会場にて見事に花開き実を結んだのだ。
「(ほらアルフォンス、式次第では次はあなたたちの出番のようね?見せてごらんなさいよ、今宵の主役の素晴らしいダンスを)」
くすくすと止まらない笑みを漏らしながらエルは、出番を終えてホールを一旦離れるカイルとセラフィナの背中を見守った。
ホールの貴族達は惜しみない拍手を最高のダンスを披露してくれた二人に贈り、彼らを讃えているようだ。
それとは逆に、壇上では先ほどからなにやら喚き散らして顔を真っ赤にさせているアルフォンスと不服そうなリリエッタの姿が見えた。
「(リリエッタ……)」
リリエッタのドレスはダサかった。
地味な色のかなり落ち着いたドレスは本当に似合っていなかった。質は良さそうだが、デザインが古く、かなり体型がゴツく見えた。
だが、彼女の施されている髪型やメイクはきちんと彼女に見合ったものであった。彼女が王妃の査定をクリアできずに見放されていたのなら、彼女の髪型やメイクはもっと不似合いなものにされている筈なのだ。
「(どういうこと……判断に迷うわね。リリエッタは寵愛はされてないけど嫌われてもいないってこと?)」
首を傾げながら、アルフォンスに雑に手を引かれてホールに出てきたリリエッタの様子を見る。
彼女が嫌われているのなら、エルの怒りの鉄槌を躊躇いなく振り落とす予定だったが今宵の彼女の装いは何とも判断に迷うのだ。
「(まぁ……アルフォンスのアホ面は見れたし、リリエッタは保留でいいわ。さて、一旦仕事に戻ろうかしら)」
アルフォンスとリリエッタの開始数秒でわかるぐだぐだなダンスをみて、一気に興味をなくしたエルは二人の醜態をつめたく鼻で笑うと特等席での閲覧を切り上げて先ほどの調理場に戻ることにした。
「(アッシュ殿下……以前お会いした時とだいぶ形相がお変わりになってたわ)」
帰り際、壇上の隅に小さくなっていた第二王子の姿を思った。
元々、腹違いの兄であるアルフォンスと同じ金の髪は老人のように真っ白な髪になっていた。
少年らしかった年相応の体つきはガリガリに痩せ細り、在りし日の紅顔の美少年はどう見ても健康とは言えない姿に成り果てて、それを見たエルの心を傷ませた。
「(私はアッシュ殿下に直接何かをすることはできないけれど、必ず私の仲間があなたをお助け致します……)」
アルフォンスの策を破り、ガラハッド家の危機は去っただろう。アルフォンスが諦め悪く何かをしようとしてきても権力を握る王妃の反応を見たら、彼女が害をなすとは思えなかった。王妃カトリーナは寵愛者には比較的甘くなるタチなのだ。
繰り返すが、その愛し方がだいぶ異質なのだが。
「(次はアッシュ殿下の救済ね……絶対に成功するわ。私はセラフィナを信じる!)」
エルは強い思いを胸にして、調理場へそそくさと戻って行った。
アルフォンスとリリエッタのお披露目のダンスが、カイル達以上にホール内の貴族たちに称賛されることはなかった。
─────────………
【取り巻き視点】
先程のエルとは逆側の上階から、彼らの主君であるアルフォンスのダンスを見ていた取り巻き達はそのあまりにも『素敵なダンス』に全員、面持ちを暗くして黙り込んでいた。場の空気は葬儀中のようにどんよりと思い。
「……ボクたちは何も見ていない、いいね?」
しばらくした後、最初に口を開いたのはヴィンセントだった。眉間に指を当てて考え込んだ末の発言のようだ。
「はい。話に夢中でアルフォンス殿下のダンスを見ていなかったことにしましょう」
ヴィンセントの発言に、テオドールは神妙な面持ちで頷いた。彼の眼鏡の下の目はわかりやすく泳いでいた。
「ソレも結構不敬じゃね……あー、あーあれだ!アルフォンス殿下は見事だったけど、リリエッタが足を引っ張りまくってたからダメダメだったってことにしとこうぜ」
マクシミリアンが渋い顔をして呟いた。彼なりに悪知恵を働かせて考えた主君の矜持を一番刺激しないコメントだ。
「マックス名案ですね!その案を採用しましょう、ヴィンスもいいですね?」
「………」
テオドールはすかさず賛同して、隣にいるヴィンセントに同意を求めるが、主君の従兄弟が返した視線は冷ややかだった。
「(きみ達は正気で言ってるのかい!?今のダンス、むしろ足を引っ張ってたのはアルフォンスじゃないか!リリィは見違えるほど上達していたよ!そりゃあのシスターと比べたら見劣りはするけど、カイルとは大差がないくらいにはきちんと踊れていたじゃないか!!)」
ヴィンセントは先ほど見たばかりのアルフォンスとリリエッタのダンスの光景を思い浮かべた。
赤い絨毯の敷かれたメインホールの真ん中で、シャンデリアの明かりに照らされながら手を取り合う王子様と婚約者。
完璧とは言えずともリリエッタのダンスは可憐で可愛らしかった。パートナーのアルフォンスに真摯に向き合って、慣れない高いヒールにも負けずにステップを華麗に踏んでパーティー会場で華やいでいた。
そんな懸命な彼女の目など一切見ないで、アルフォンスは自分のことしか考えないステップを踏み、リリエッタのドレスの裾を踏み、しまいには彼女が転んでしまいそうなくらいの勢いで雑に振りを踊り、最後には実際にリリエッタに尻餅をつかせていたのだ。
ダンスについて教養と見識のある公爵家嫡男のヴィンセントから見たら二人のダンスの後に広がるホールのなんとも言えない空気は王太子アルフォンスのせいだと言い切れた。
「ヴィンス聞こえてンのか?おまえマジで空気読めよ?おまえの甘さで俺たちまで巻き添えとか本気でごめんだからな?」
ヴィンセントの不満を態度から読み取ったのかマクシミリアンは呆れたように呟いた。
二人に挟まれたテオドールは心配そうにオロオロとしはじめる。
「………」
「ヴィンス、僕からもお願いします。マックスの案が一番最適解です。リリエッタなんて殿下の面汚し、ヴィンスが同情する必要なんてないんですよ!」
にこやかにヴィンセントの機嫌をとりながら、テオドールは息をするように毒を吐いた。物腰の穏やかな彼の本質はどこまでもアルフォンスの腰巾着だ。
王子からの愛が薄れて、王宮で孤立しているリリエッタを何かと気にかけているヴィンセントとは根本的なものが違かった。
「まーじーでー余計なことすんなよ?」
「ヴィンス、本当にお願いしますね!」
「………わかったよ」
ヴィンセントはため息を吐いてから念入りに同意を促す彼らの案を受け入れることにした。何の罪もない少女に、責任を押し付ける行為に内心は穏やかではなかったが二対一で争える気は全くしなかったので苦肉の決断であった。
「(カイル……きみは、大勢を相手にしてもたったひとりで戦っていたね)」
エルメラルダの冤罪を大声で訴えて立ち上がった日のカイルの姿を思い出した。
学園の講堂のほぼ全ての人間を相手取ってカイルは戦ったのだ。エスメラルダの罪に関してはヴィンセントからしたら疑いようがないが、その勇気は賞賛すべきことだと今では思う。
そして、そのカイルは先程も王宮というアウェー環境の中で、王太子の策略に真正面から立ち向かい見事に勝利をおさめたのだ。
「(ボクは……きみみたいにはなれそうもないや、心から尊敬するよカイル)」
「ところでさカイルが連れてきた女、めっちゃいい女じゃん?声かけたら奪えねェかな」
離れて行った友を思い落ち込むヴィンセントの隣で下卑た声がした。
「マックス……また、いつものですか?悪い趣味ですよ?」
「いいじゃん、いつも勝手に女のほうから俺様にすり寄ってくるからお望み通り相手をしてやってるだけさ、俺の仲間にも好評なんだぜ?」
「………」
ニヤニヤと薄汚い笑いを浮かべながらマクシミリアンは、彼の悪い趣味について語り始める。
この男は王太子のご友人という高貴な立場でありながら、時折、騎士科の中でも、一部の柄の悪い連中とつるんであまり行儀の宜しくない遊びをするのだ。
「北の田舎の辺境伯家より、王都の公爵家の俺の方が絶対いいだろ?カイルは俺に武術で勝てねえし身長だって俺の方が高いぜ?ちょっと声かけて今夜、楽しませてもらおうかな」
「はあ、アルフォンス殿下に迷惑だけはかけないでくださいねマックス」
「………」
テオドールの冷めた声を受けながら、マクシミリアンは三人がたむろをしていた上階を足早に去っていく。その背中にヴィンセントはひたすら軽蔑の眼差しを向けていた。
「……つくづく最低な男だな、人様のパートナーを何だと思っているんだ」
「そうですね、まぁ、でもカイルはアルフォンス殿下の顔に泥を塗ったんですから痛い目を見るべきですよ。あの聖職者の女性は多少は同情しますが」
「………」
テオドールは当たり前だと言いたげに残酷な言葉を言い切った。
アルフォンスを心から妄信しているテオドールは、彼に楯突いたカイルを敵だと決め打っているのだろう。
ヴィンセントは、アルフォンスの配下の中では唯一の友人だと思っているテオドールでさえ、分かち合えないところにいることに気づいて、目眩を覚えながら深い息を吐いた。
─────────………
【エドワルド視点】
「エドワルド、そろそろ行きましょう」
王太子のダンスが終わったことに気づいたエレノア夫人が、控え室のソファに座っているエドワルドに声をかけた。
王座への挨拶を終えてからロデリッツ家の二人は、公爵家用の控え室で大人しく次の出番を待っていたのだ。
「お酒が苦手なら飲まなくて良いのよエドワルド、ジュースにしてもらいなさい」
「母上、僕はもう成人済みですよ」
「あらあらそうだったわね……ふふっ、でも私の中では、あなたもいつまでもかわいい子供のままよ」
エドワルドは、割と親の目を盗んで学生時代から夜の酒場に行ったりしている事実を伏せて大人しく母の後に従った。
ただ、今夜はまだやることが沢山あるので、アルコールはあまり摂取したいとは思えなかった。
「……ノンアルコールにしておきます」
「ええ、そうしなさいな。乾杯が終わったら自由にして良いわよ。もう屋敷に帰るのかしら?」
「………もう少しいます」
王太子のダンスの後は、王族と貴族一同で乾杯となる。
その後は自由歓談の時間だ。貴族達は交流や情報交換などの社交の場として各々自由に過ごすのだろう。
エドワルドはアッシュの無事を確信するまで城を離れるわけには行かなかった。それに、既にパーティーにやってきているであろう顔も知らない聖女とアッシュを引き合わせるという大切な役目もある。
「(リュミエールの娘はどこにいるのだろう、もう来ているのだろうか?ワンド・ブランとも接触したい。それとユーリス卿は無事に潜入できているだろうか……潜入できなかったパターンを想定して僕が壇上に控えてアッシュ殿下をお守りすべきだな)」
控え室を出た二人は、再びパーティー会場になっているメインホールに足を踏み入れる。
給仕をしている使用人からノンアルコールの飲み物を受け取って、辺りを伺った。
「(アッシュ殿下……)」
華やかなメインホールの壇上の端には相変わらず体調の悪そうなアッシュがいて、苦しそうにしながら椅子に何とか座っている。本当は体を背もたれに預けて楽な体勢になりたいだろうに、隣にいる王妃が許さないのだろう。
彼は背筋を伸ばして、うつろな目で必死に姿勢を保っていた。
「(ただいま、お支えいたします!あの男が許されているんだから僕が壇上に登ったって許されるはずだ)」
王族の椅子のある壇上の背後にはデュラン公がいた。彼は先ほどから、王族達の背後で何やらフォローをしたりサポートをする業務にあたっているのだ。
「(何故か僕の世間体はデュラン公の弟子ということになっている。誠に不本意だがその状況を利用させてもらおう、師に従って壇上に上がってもそこまで咎められたりはしないはずだ……!)母上!」
「なんですか」
「僕、デュラン公閣下のお手伝いをしてこようと思うのですが」
エドワルドは壇上に立つデュラン公を指差した。
エレノア夫人は、人に指を刺す息子を一瞬怪訝そうな目で見たが彼の言葉に納得したのだろう。
「ええ、いいわよ。閣下にはお世話になっているみたいだし、しっかり励んできなさい」
「ありがとうございま……」
「もし」
エドワルドの作戦通りに物事が進みかかったその時、背後から突然声がかかった。
その低く重厚感のある声、聞いただけで巨大な蛇が体をすり寄るようなじめっとした嫌な感覚に襲われる圧。
「………」
おそるおそるエドワルドは振り返った。
「こんばんは、ロデリッツ夫人、ロデリッツ公子」
ロデリッツ家、最大の敵。
老獪な毒蛇の大公爵、ヴォルマー・アルバートがいつの間にかこちらを見つめて立っていた。
「良い夜だね、……少し良いかね?」
その冷たく光る目、アルバート公の目は『エドワルドにアッシュを近づけさせない』との強い意志を感じさせた。
エドワルドの足は、強固な鎖が絡みついたかのように動けなくなった。
壇上に今にでも向かいたいのに、巨大な毒蛇の圧が若い狐の足を阻むのだ。
彼の出現により、残酷な王妃の今宵の策略が、ゆっくりと動き始めたことをエドワルドは静かに察知した。
アッシュ攻防戦、始動───…!
ヴィンセントのダンス評価は多分リリィへの贔屓目が多少は入っているけど、アルフォンスの技量不足は真実です。




