饗宴編【幕開け】エスメラルダ②
準備が完了したので、エルたちは借りた部屋の外へ出た。リビングではセラフィナのパートナーであるカイルがソファに座って待っていた。彼もまた、ガラハッド夫人と執事によって別の部屋でパーティー用の装いに衣替えを施されている。
「あら! まぁ! 素敵よセラフィナちゃん!! とっても綺麗だわ!!」
部屋に来たセラフィナの姿を見たガラハッド夫人が歓喜の声を上げた。隣で静かに仕えていた老齢の執事も彼女のあまりの美しさに一瞬目を見開いたのが見える。
「ブラン商会プロデュースの『この世界で一番綺麗な女性』です」
ミルリーゼは澄ました顔をして、セラフィナの隣に立ち演技がかった口調で述べた。あまりに大きすぎる謳い文句だが正直そう言われてもすんなり納得できるほどに、清廉な白いドレスに身を包み、髪を結い上げ、化粧を施されたセラフィナは美しかった。
「クレームをつけるとしたらあまりに美しすぎて本日の主役の座を奪ってしまう事くらいかしら……きっとパーティーにいる沢山の男性から求婚をされてしまうわね」
「大変だわ! カイル、セラフィナちゃんをしっかり守んなさいよ! あんたの大切なパートナーなんだからね!!」
エルの言葉にガラハッド夫人があわてて隣にいる息子の背中を勢いよく叩く。
「お、おう、わかった!!」
セラフィナの姿に見惚れていたカイルは母親の言葉に慌てて意識を取り戻して、力強く頷いた。
そんな彼も普段の年相応にガサツな少年の姿からは想像がつかないほどに、きちんとした貴公子の装いをしていた。
「(へえ……カイルは期待していなかったけど、なかなか様になっているじゃない)」
ボサボサ気味の髪をきちんと整えて、上品な黒い礼服を身に包んでいるカイルは、背丈があるので見栄えがした。
決してレオンやエルの兄のようなとびきりの美青年というわけではないが、若々しさと誠実さの浮かぶ彼の容姿はよほどの捻くれ者でもない限りは好感を持たれるだろう。
そして彼の特徴的な赤い髪は白いドレスのセラフィナと並ぶとお互いの良さを引き立て合い、隣同士の彼らはとてもお似合いのカップルに見えた。
本当に偶然だが、セラフィナの唇を彩る真紅の口紅はそんなカイルの象徴の色をあえて纏っているようにも見えた。
「あら? あなた、もしかして背が伸びた?」
「わかるか? ここ数ヶ月くらいでまた伸びたみたいだ、多分今のオレ、レオンより背が高いぜ」
レオンも王国民の男性としては背丈は高い部類だが、その彼より高いらしい。男子の成長期は凄まじいなとエルは密かに思った。
「お父さんの息子だもの! アンタはまだまだ伸びるわよ!!」
カイルの父のガラハッド辺境伯は、息子のカイルより更に背が高かった。その上に高身長な者の多い北の国の遺伝子を半分持つ彼は、夫人の言う通りまだまだ背丈は伸びるだろう。
「カイルくん、このままだとガレスはんより高くなってしまうかもあらへんな〜」
「ケッ、ちゃっかり惚気やがって」
高身長な恋人を持つメイスは、北の地に残してきた男の名前を呟き、となりでミルリーゼが呆れたように吐き捨てた。
「そういえば姿が見えないけど、レオンは何処かしら?」
「レオンさんなら庭で草むしりをしているわよ、呼んでくる?」
「奥様、至急お呼び致します」
夫人の言葉に真っ先に反応した執事が部屋を出た。レオンを探しに庭先に出たようだ。
「(レオン……こんな時まで……本当に働いていないとダメな人なのね)」
エルは内心呆れながらも、そんな彼との昨夜やり取りが頭をよぎった。
月明かりの下で、真摯に想いを告げてくれた彼の赤く染まった顔を思い出すと、心の奥に温かいものが満たされる。
「(レオン……ありがとう……全部終わったら絶対にあなたの想いに答えるわ……私も、あなたのこと……)」
「エル? どしたん?」
黙り込んだエルに気づいたのだろう。ミルリーゼが不思議そうに声をかけてきた。
「……意気込みに燃えていたの」
「おお! 熱くなってるんだね!! 頑張れエル!!」
親友の純粋な応援にすこし後ろめたさを覚えながらも、エルは静かに頷いて答えた。
数分後、レオンが執事の後について部屋に入ってきた。本当に草むしりをしていたらしく、彼の愛用しているブラン商会のエプロンは少し土に汚れていた。
「お兄ちゃん。ウチのエプロンめちゃくちゃ愛用してくれているんだね」
ブラン商会主の娘のミルリーゼが自分の店のエプロンを着ているレオンの姿に嬉しそうに声をかけた。
「ロッド殿が北を出る時に餞別にくれた物だからな」
「へぇ……『売り上げ3倍』の件はどうなったん?」
「ロッド殿からの連絡によれば、近々報告できる域まで達するだろう」
「それじゃ僕も気合い入れないと!!」
気合いを入れようしているのか自分の頬をペチペチとたたくミルリーゼの隣で、話の流れが分からないエルは首を傾げるが、話に割り込むの野暮だと思ったので、介入はやめておいた。
その隣で、メイスは「マジでやるんか……」と言いたげに、主と同僚の姿を渋い目で見ていた。
「レオン、そろそろ行ってくるわ!」
「エル様……!」
エルに声をかけられたレオンが、メイド姿のエルを見て目を細める。彼の中で王宮に送り出すと決まった上でも、未だに複雑な感情が混ざっているのだろう。
「くれぐれも無茶はしないように」
「昨日も言ったでしょう。多少の無茶してでも私は私のやりたい事を成し遂げるわ」
「………」
「……こんな時に喧嘩するなよな?」
二人の間に静かに火花が走った気がして、恐る恐ると言った面持ちでカイルが声をかけた。さすがに決戦に乗り込み直前段階でまで二人の強情が衝突するのは仲間としては避けていただきたい。
「ところでレオン、あなたセラフィナを見て感想とかはないの?」
「セラフィナ嬢……? ああ、いいんじゃないですかなんか白くて」
流石に喧嘩は避けたいと感じたのか、エルは話題を切り替えて隣に佇む美しく彩ったセラフィナを指した。
しかし、レオンから帰ってきた言葉は予想以上に淡白なものであった。美しく着飾ったセラフィナをチラリと一瞬だけ見て、その乾いた視線は即座に最愛の主人に戻す。
「レオンくん、枯れてるんか? 絶世の美女相手になんやそのコメント」
「お兄ちゃんはエル以外、基本的に雑だから……」
「レオン様の世界の殆どはエル様が占められているのですわ」
「正直あなたにだけは、言われたくはないですけどね」
「………」
「………」
「おいおいおい、たのむからここで喧嘩するなよな!?」
今度はセラフィナとレオンの間で静かな火花が走った気がしたので間に立ったカイルは慌てて二人を嗜めた。
「お嬢様」
レオンとセラフィナの静かな対峙を眺めていたエルの背中に別の声がかかった。振り返ると妙にやつれているオズが壁にもたれかかりながら立っていた。
「オズ……二日酔い?」
「いや飲んでないよ。魔力欠乏気味になってるだけさ」
「王都の中では魔法は使えないのでしょう? どうしたの?」
やってきた魔法使いの男はおもむろにこちらに近づくと、エルの顔に黒縁の眼鏡をかけた。
「?」
「お嬢様の可愛いお顔を隠しちゃってごめんね。だが、眼鏡メイドも趣があるだろ?」
「ワンドが邪道だって叫んでたね」
「何の話ですか?」
「……メイド好きな身内の話や、聞き流しといて」
レオンの問いかけに、メイスは頭を抱え首を振った。あまり語りたくないのか深いため息をつくとそれ以上は口を閉ざした。
「まぁ、エル様!?」
その隣でエルの姿を見たセラフィナが声を上げた。
眼鏡姿に反応したのかと思ったらどうやら違うらしい。異変に気づいたミルリーゼも、持ってきた仕立て屋セットから手鏡を取り出してエルに手渡す。
促されるままに鏡を覗き込むと、眼鏡の下のエルの特徴的な翠玉の瞳が黒色に変化していた。
「!?」
「レオンに借りたメガネに瞳の色が変わって見える細工を仕込んだ。ちょっとしたタネも仕掛けもある魔法道具さ」
鏡を不思議そうに覗き込むエルに、オズは疲れた口調で説明した。魔法に強力な制限のかかる結界内での魔法の使用は消耗が思った以上に激しいようだ。
オズほどの強力な魔法使いでも、子供騙しレベルの魔法を使うのにほとんどの魔力を使ってしまうらしい。
「……オズ殿、それを作るために魔力を使い切ったんですか?」
尊敬と若干の呆れが入った目線でレオンはショボショボとしているオズを見た。
ちなみに、もとの眼鏡はレオンがバイトをしている時に変装用に使っていたものだ。
「お嬢様の瞳の色は特徴的だから隠した方がいいと思ってね。それじゃ、魔力回復するまでオジさんは本格的に役立たずなので酒飲んで雑魚寝しながら待ってるわ」
「オズ……ありがとう!」
「礼には及ばないさ、オジさんからの特別サービスだよ」
エルはそそくさと部屋を去るオズの背中に素直に礼を言った。
よほど疲れているのか普段なら息をするように軽口を放つ彼は、視界に入っているはずの美しい装いのセラフィナに特にコメントもせずに要件だけ告げてそそくさと自室に戻っていった。
髪色が変わっていてもどうやらわかる人にはエルの正体が公爵令嬢エスメラルダだとわかるようなので、特徴的な瞳の色を隠せるのは潜入する身としては本当にありがたかった。
「カイル、セラフィナ……そろそろ行きましょうか」
エルは手鏡をミルリーゼに返すと本日の主役の二人に向き合う。
カイルとセラフィナはエルの声に力強く頷いて、いつのまにか屋敷の前に馬車を停めた執事が、二人とエルを案内する。
「エルちゃん! いってらっしゃい! ワタシは後から会場に入ってるから!」
ガラハッド夫人は出陣する三人の背中にあたたかな声をかけた。どうやら彼女は遅れてパーティー会場に加わるようだ。
「頑張ってねエル!! カイル、お姉ちゃんをきちんと守ってね!!」
「ウチも応援しとるで! セラフィナちゃん、ブラン商会のドレス、お城で目一杯宣伝してきてな!」
ミルリーゼとメイスがそれぞれ激励の声を上げた。
ミルリーゼの激励にカイルは頷いて、メイスの悪戯っぽい言葉にセラフィナは静かに笑って答えた。
「………」
レオンは無言でエルと、隣に仕えている二人に視線を送ると何も言わずに見送った。
王宮に行けない彼が、これから戦いの場に三人だけで赴く彼らに向ける感情は複雑だが最終的に黙って見送る事を選んだのだろう。
「レオン私は大丈夫よ、どうかあなたは私を信じてここで待っていてね」
「……はい」
エルはレオンにそう声をかけて、静かに部屋を後にした。
「さあ、準備は整ったわ……行きましょう!」
「はい!」
「おう!!」
王都ガラハッド辺境伯家の王都のタウンハウスを出て、一同は馬車に乗り込んだ。
因縁と思惑の絡む復讐の宴の幕が、ついに上がったのだ。
ついに開宴です!




