奔走編 修道院④
「おはようございますジュリエット様」
翌朝、久しぶりの野宿からの解放にエルは昼前の時間まで惰眠を貪った。
快適な睡眠で、ここ数日の強行軍の疲れは完全に回復した。
もうすぐにここを出発しても良いが、とりあえずレオンたちの様子を見に行って次に行くところの計画でも立てるべきだろう。
「おはようセラフィナ、精が出るわね」
屋内にいるエルに声をかけてきたセラフィナは、修道院の庭に造られた畑で何やら農作業をしているようだ。
畑の隅には鶏を飼っている小屋もあり、この修道院の食事は基本的に自給自足で賄っていることが推測される。
昨夜の夜に出された夕食は、決して豪勢なものではないが採れたての野菜で作られたスープは心から染み渡る味であった。
「あの……ジュリエット様……」
畑の野菜に水をかけていたセラフィナ、何か話したいことがあるのかそっと駆け寄ってきた。
「なに?」
「本日、お昼過ぎに修道院にお客様がくるんです。……その、冒険者の方なのですが」
「……冒険者がここに何の用なの?」
コソコソと手のひらを耳元に当てて、セラフィナが囁いた。
慣れない動作に、エルはすこしこそばゆかった。
「実は最近、この山の中の洞窟に魔狼が住み着いてしまったのです。まだ人的な被害は起きてはいないのですが、何かが起きてからでは遅いと司祭様が冒険者様をお呼びして退治をお願いしようかと」
「なるほどね、私たちは部屋の中にいた方がいいかしら?」
「はい。できたらそうしていただけるとジュリエット様もよろしいかと思い、お声かけをしました」
やってくる冒険者がレオンの手配書を見ている可能性は大いにある。
要らぬトラブルの原因は招かない方が得策だろう。
「ありがとう、そうさせてもらうわね」
「お昼のお食事は部屋にお持ちするように手配しますね。あと夕方からで良いのですが子供達がジュリエット様と遊びたいと申しているのです……もしよろしければ今夜もご宿泊していっていただけませんか?」
そっと申し訳なさそうにセラフィナはエルの顔を窺った。
「私は子供と遊んだことはないのだけど、まぁいいか。ロミオは勉強を教えるのが得意だし、マキューシオもきっと遊んでくれると思うわ」
「ありがとうございます!では後ほど」
レオンとカイルに、今夜もここに泊まる旨の事情を説明しようと男部屋に行くとぐったりとした表情のカイルがいた。
「どうしたの?」
事情を聞こうと、顔を覗き込むとカイルは顔を真っ青にしていた。
「レオンの寝方が怖えんだよ!息してないんだもん、オレ夜中に何回も死んでないか確認したんだぜ」
「失礼な、短時間で体力を回復するために編み出した睡眠法だ」
「確かに初めて見る時は慣れないわよね。私もこの旅を始めて、初めて同じ部屋で寝た時は驚いたわ」
「エル様!?」
「まぁ、レオンの寝方はどうでもいいわ。今夜もここに泊まるって連絡と、これからここに私たちに関係ない用事で冒険者が来るらしいから部屋から出ないで。特にレオン、カイルは体力が余ってたら孤児院に行ってきてくれる?」
「おう!体力は満タンだけどどうした?」
「さっきセラフィナに頼まれたの。孤児院の子たちが遊んで欲しいんですって」
カイルは特に手配書などは回っていないので、冒険者と鉢合わせてもまぁ大丈夫だろうと判断した。
「冒険者のくる事情とは何ですか?エル様」
「魔物退治ですって、この山に魔狼がいるらしいの」
魔狼とは魔力を蓄えて意志を無くした狼だ。魔物の中でも狼の習性を強く残すため、とても残忍でズル賢い。
厄介なのが普通のオオカミも群れの一員にカウントするので、魔狼の現れたエリアはオオカミの襲来にも備えなくてはいけないのだ。
「家畜が襲われたらたまったもんじゃないもんな」
この修道院には卵を取る鶏と、ミルクを絞る為の山羊がいるのだ。
オオカミからしたら食糧庫と認識される恐れもある。
「家畜だけならまだいいわ、見たところ男手はあの司祭様しかいらっしゃらないし、もし子供が襲われたりなんてしたら助けられないじゃない」
「懸命な判断ですね。魔狼を倒せるレベルの冒険者がこのあたりにいればの話ですが」
レオンな不吉な呟きにエルは一瞬イヤな予感がした。
そして、イヤな予感は的中する。
「そんな安い金で魔狼と戦えだなんて、聖職者っていうのはどんなお気楽な商売なんだ!??!?」
大きな声が静寂が包む修道院にこだました。
「……あんまりお上品なお客様じゃないみたいね」
「エル様、関わるのは」
「様子を見るだけよ。ここは宿を貸してくれた恩義もあるし」
様子を伺おうと部屋を出る背中をレオンが嗜めた。
だが、気になる。
大人の男に怒鳴られて、あの穏やかなシスターが怖い思いをしていないかという心配もあった。
エルは冒険者が通された応接室、昨日エルとレオンがロミジュリ寸劇を繰り広げた部屋をそっと覗き込んだ。
部屋には司祭と、その隣ではセラフィナが座っていた。
向かいにいる二人が冒険者なのだろう。
あまり教養のなさそうな出立ちで、偉そうに足を組んだ男たちは恐縮する司祭を怒鳴りつけていた。
「申し訳ございません、何分古い施設で……教会にもそこまで余裕はないのです、どうかお力をお貸しくださいませんか?」
「ダメだぜそんな金じゃ、魔狼どころかオオカミ退治だってやる冒険者はいないよ。兄貴、帰ろうぜ!とんだ無駄足だったわ」
「あぁ、どうかそこをお願い致します。ここには私以外には女子供しかいないのです!魔狼が山を抜けてきたらこの教会などあっという間にオオカミたちの腹の中です!我々にできることなら何でも致しますのでどうかお力添えを!冒険者様」
「だァかァらァ!やらねえって言ってるだろうがジジィ、なぁ兄貴もなんか言えよ」
「……へぇ、そうかい」
怒鳴りつけていた男とは違う男が、顎髭に手を当てて何かを考えるように眼ぶみをした。
視線の先にいるのは、司祭ではなくセラフィナである。
「“何でもする”ってことはアレかい?そっちのシスターさんが、俺たちのところに今夜来てくれるのならもう少し考えてやってもいいぜ」
男は下卑た笑いをうかべると、セラフィナの髪をひと撫でした。
「………お引き取りを、無駄な時間をとってもらって申し訳ございません。さぁセラフィナ、お客様をお送りしなさい。この方々は、我々の力にはならないそうだ」
「おいおい爺さん、なんだい?俺たちは対価を求めただけだぜ?シスターさん、麓の街の宿屋はわかるかい?今夜、陽が沈んだら来てくれるかい?……なぁに、俺たちはあんたの説法を聞きたいだけだよ」
「俺たちの寝床でな」
男はセラフィナの髪をもうひと撫でした後、耳元で低い声で囁いた。
話している言葉の意味がようやく理解したのか、セラフィナの顔が一気に真っ青に染めるとそのまま震え始めた。
「あ………えっ……」
一連のやり取りを盗み聞きしたエルは今にでも部屋の中に飛び込んで、男たちをボコボコに殴りたい衝動に駆られたが、あらかじめそれを察知したのかレオンがエルの動きを制した。
「お気持ちはわかりますが、いけませんエル様」
「でも!………許せないわ」
「お気持ちはわかりますが、絶対にいけませんエル様」
「………塩撒いていい?」
「許可します」
エルは男たちが帰って行った方角に向けて、買い込んであった塩を盛大に投げ込んだ。
セクハラ ダメ 絶対




