学園編②
学園編②
時は、エスメラルダが断罪劇に立たされる少し前に遡る。
魔法がかすかに色づく世界。
その世界の中心にある国家、アステリア王国。
そのまた国土の中央に位置する王都アステリオン。
アステリアの王侯貴族たちが居を構えるアステリア城下に広がる城下街の一角、貴族の邸宅も並ぶ貴族街エリアに王立学園は設立した。
大多数は貴族の子息子女とほんの少しの平民が通う学舎は近い将来王国を支える者たちが日々、切磋琢磨して己を磨く場所である。
その中でエメラルドの姫と生徒たちから称される公爵令嬢が、エスメラルダ・ロデリッツである。
風に靡く金の髪とエメラルドのように輝く鮮やかな緑色の瞳が美しい、誰もが目を奪われる完璧な美少女だ。
だが、エスメラルダの美貌は外見からだけではなく、幼き日より次期王妃として学んできた教養や品位から伴ったものであり、その能力はこの学園の定期的に行われる全ての試験で常に首席を維持し続けるほどである。
「エスメラルダ様、おはようございます」
「エスメラルダ様、本日もお美しいです」
行き交う女生徒が、寮から登校するエスメラルダに気づいて挨拶をするのでエスメラルダは気軽に微笑んで見せた。
本来ならばエスメラルダより家の爵位が低い彼女らが先に声をかけるのは貴族の世界ではマナー違反なのだが、学園の門を通った上では全ての生徒は校則の上では平等であるという暗黙の了解が存在するので、エスメラルダは彼女らからの声かけを不快に思うことはなかった。
だが、
「もぉ〜、アルフォンス様ったら」
「ははっ、リリィが可愛くてつい、ね」
エスメラルダの耳に届いたのは不快な男女の声であった。
まるで恋人のように、学園の廊下で睦言を繰り返す男女は、アステリア王国の王太子のアルフォンスと先日転校してきた平民出身の男爵令嬢のリリエッタであった。
学園の元では身分は平等という校則は、エスメラルダは特に不満を感じたことはないが人目もあるこの環境で、婚約者のエスメラルダのすぐ近くで恥じらいもなくイチャつく二人に、エスメラルダは不信が溜まっていた。
アルフォンスとエスメラルダの婚約は幼少期の頃から決まっていたことであり、エスメラルダはアルフォンスに対して胸をときめかせるような恋慕の情を抱いたことはないが、王国を支えていくパートナーとしては優しく誠実な彼となら共に国の為に生きていくのもやぶさかではないと思っていた。
だが、リリエッタがやってきて彼の周囲に溶け込んで行った途端、エスメラルダが好感を持っていたアルフォンスの誠実さは砂礫の城のようにさらさらと崩れてしまったのである。
「アルフォンス様、おはようございます。ずいぶん楽しそうなご様子で」
私と一緒の時にそんな顔、見せたこともななったですよねと内心こっそり毒づきながら、二人の歩みの進行上に立ち塞がりエスメラルダは優雅に微笑んでみせた。
「えっ……エスメラルダ様、ごきげんよう!」
リリエッタは慌てて、アルフォンスと組んでいた腕を離すと慌ててスカートを叩いてから挨拶のカーテシーを披露した。
だが、学園の基準を大幅にオーバーする短いスカートで、全然揃ってないカーテシーをみせられてもエスメラルダの機嫌は少しも治らなかった。
「アルフォンス様、学園内は人目もありますので交友を深めるのも結構ですが、もう少し謹んでいただきたく」
「おいエスメラルダ!リリィが挨拶してるのにどういうつもりだ」
「ふえぇ、アルフォンス様いいんですぅ、あたし……また怒らせちゃった〜」
くねくねと体を捻りながら、リリエッタは甘い声を残して去っていく。
視力のいいエスメラルダは、去り際のリリエッタの顔に一ミリも涙を浮かべていないのが見えたので、冷たい目で一瞥してからふたたびアルフォンスに向き合った。
「アルフォンス様、あのリリエッタさんという方と仲良くするのもよろしいですがもう少し王族としてのご自覚をお持ちになってくださいませ、先日の定期考査の順位をまた落としておられましたよね」
「それはエスメラルダがまた一位なことの自慢かい?上から数えた方が早いのだから大きな問題はないだろう、僕には権力を回して成績を上乗せしてもらおうだなんて頼むつもりもないのでね」
「そのような噂、大真面目に信じているなんてご冗談はお辞めになってください」
アルフォンスの話は、エスメラルダが常に試験で首位をキープしていることで、一部の嫉妬した輩が流している噂だろう。
流れていることは知っていたが、些事だと放置していた。
まさか婚約者のアルフォンスの耳まで届き、そしてくだらない噂を本気で信じているなんて心外であった。
学園の外でエスメラルダが、どれほどの寝る間を惜しんで研鑽を積んでいるのか、知らない仲な訳ではないだろうに。
「アルフォンス様、お願いしますどうかあの男爵令嬢と交流をするのはしばらくお控えください」
「しつこいよエスメラルダ、むしろ僕はきみとすこし距離を取らせてもらいたいね。あんなに可愛くて優しいリリィを泣かせても平然としている君の姿を見て、君の評価をまた改めたところだからね」
アルフォンスは冷たく吐き捨てると、エスメラルダとは目を合わせずに踵を返してそそくさと立ち去った。
取り残されたエスメラルダは、目だけ笑みの形を作ったまま拳を握りしめ、込み上げる怒りに耐えることしかできずにいた。
「それでね、あたしぃ……えすめらるださま、怒らせちゃって」
エスメラルダが教室に入ろうとした瞬間、あの不快な声が耳に入ったので彼女は周囲を探ることにした。
そして、目標はすぐに目に入る。
廊下の隅、柱の影でうずくまる二つの背中が見えたのだ。
声の主は先ほどのリリィである。
ロゼブラウンの髪をわざとらしく震えさせて、すんすんとまったく涙が流れていないのに嘘泣きをくり返している。
「大丈夫、リリィは悪くないよ」
リリィの隣にはもう一人少女がいた。
ダークブラウンの髪を背中ほどの長さまで伸ばした控えめな印象の少女だ。
泣いているリリィを慰めているのだろう、優しい手つきで背中を撫でている。
「ソフィ、ありがとう。あたしエスメラルダ様に謝った方がいいかなぁ」
「リリィが謝りたいなら謝って、謝りたくないなら謝らなければいいんじゃない?」
「……ひっぐひっぐ、くすん。そうだよね。あたし、悪くないもんね」
……アホらしい。
途中まで聞き耳を立てていたエスメラルダは、あまりにリリエッタ都合の低レベルな会話に呆れ果てた。
馬鹿馬鹿しくなって二人の会話を聞くのを切り上げると、小さくコッソリ息を吐いてから先に教室に行くことにした。
ドアを開けて、教室に入ると席に着く。
同級生が何人か、何かを言いたそうに視線を向けてくるがエスメラルダはニッコリと微笑んで質問の受付を却下した。
どうせ、あの馬鹿は、教室で派手に泣き喚いて注目を浴びたのだろう。
その姿を想像するのは容易である。
ソフィアが廊下に連れ出してくれたことで、目障りな姿が視界に入らないことだけは、ほんの少しだけありがたかった。
教師が来る前に、リリエッタとソフィアは教室に戻ってきたが教室に入ったリリエッタは、席に座るエスメラルダを見た途端「ひぃっ」と演技かかった悲鳴を上げる。
「私の顔に、何か?」
振り返り、微笑んで尋ねるとリリエッタは首を大袈裟にブンブンと横に振って、脱兎の勢いで逃げるように自分の席に着く。
エスメラルダの後ろの席では、ヒソヒソと同級生たちが小声で何かを囁いているのが耳についた。
エスメラルダは朝からの一連の騒動で憂鬱な気分なまま、外を眺めることにした。
穏やかな気候で青空の広がるアステリア王国の城下町は今日も平和である。
城門の外では、魔物と呼ばれる怪物が跋扈している地域もあるが王都には建国時に時の聖女が施した対魔法の結界が貼られており、騎士団が守備を固めている城下町や王都近隣の有力貴族が領土を持つエリアは至って平和である。
アステリア王国は建国から四百年ほどだが、ここ百年ほどは特に大きな戦いはなく、せいぜい地方の反乱や海を挟んだ隣国の小さな島への領地侵犯くらいだ。
そんな歴史を語りながら、歴史教師は教科書を語る。
本日の授業は、もうすでに予習済みの内容だ。
建国時代、神託を受けた光の聖女は闇夜の帝国を打ち破りこの地にアステリア王国(星の王国)を築いたという建国史は過去に家庭教師によってさらに事細かな詳細を学んできた。
授業内容は家庭教師の彼が教えてくれた内容よりも浅く薄くまったくもって比べ物にならないほど簡素な内容だ。
「(レオン先生……今どこで何をされているのかしら……)」
学園に来てからも何度か彼には近況報告の手紙を送ったけれど、ある日を境に手紙は宛先不明で戻ってくるようになってしまったのだ。
優しく時に厳しく指導されることもあったが、同じ学園に通っていたエスメラルダの兄の先輩だという顔立ちの良い青年は他の家庭教師よりも年が近かった故に距離が近く、エスメラルダの人生で一番心を打ち解けられた存在だ。
エスメラルダにとっては少しだけ、初恋にも近い憧れを抱いた思い出のある人でもあった。
「(便りがないのは元気な証拠と聞くけれど、怪我とかしていないといいわね……)」
改めて語るがエスメラルダは、この国の次期王位継承者であるアルフォンスと婚約関係だ。
学園を卒業する次の春のパーティーでお披露目されて、その後、成人を機にアルフォンスは三年前に亡くなった王の跡を継ぎエスメラルダが王妃となることが約束されている。
エスメラルダはそんなアルフォンスと共に国をおさめるつもりでいた。
だが今朝のように、婚約者の前で平然と他の女とイチャついたり、それより前から自分への甘さが消えず、エスメラルダに対して自己中心的な言動の多いアルフォンスの王妃になることに対しての疑問が大きくなる。
「(アルフォンス様……、私が彼の目を覚させないと)」
エスメラルダはもう一度ため息をつくと、次期王妃としての責任感を持ち直して小さく意気込んだ。