饗宴編 お嬢様たちの決戦前夜①
聖ルチーア教会王都支部。
王都の平民街の貴族寄りの地区に建てられた、神聖な雰囲気に包まれる建国の女神を祀る大聖堂。
その敷地内へ足を踏み入れたセラフィナは静かに清廉なる空間の入り口となる門扉を開いた。
「………」
中に入ると室内は女神となった聖女が描かれたステンドグラスから光を差し込んでいて明るく照らし、中央の祭壇の前では、聖職者の服を着た眼鏡の男性と豪奢なドレス姿の背の高い女性が和やかな雰囲気で会話をしている。
男性の方に用があったセラフィナは礼拝堂の長椅子に腰を下ろし、二人の話が終わるのを静かに待つことにした。
「……」
会話が終わったのか、女性は男性に向かって丁寧な所作で一礼するとそのまま帰宅の途につくようだ。
美しさと気品を兼ね揃えた雰囲気の女性はその横顔からは高位貴族としての品格が備わっているように見えた。
「セラフィナさん」
思わず目を同性としても見惚れてしまいそうな女性に意識を向けるセラフィナに優しい男性の声がかかる。
セラフィナが声の方に目線を向けると、柔和な微笑みを浮かべた先ほどの男性がこちらに来ていた。
「お師匠様」
「こんにちは、ご無沙汰しております。お変わりは?」
「ございませんわ。お師匠様が信仰都市から王都へ来ているとお聞きして参りました」
セラフィナはそう言って穏やかに微笑んだ。
彼女が『師匠』とよぶセラフィナと同じ蒼い瞳と白髪混じりの金髪の眼鏡をかけた男性はセラフィナの実父であった。
彼の名前はヨハン・リュミエール。
ルチーア教会内から選出されたリュミエール一族の入婿で教団で医師のような仕事をしている男性だ。
彼は聖女の一族という特殊な血脈の関係で、愛娘であるセラフィナと普通の親子関係を築くことを許されていなかった。
だが彼を訪ねて教会にやってきた娘を見る眼差しは柔らかく、例え公の場でセラフィナが彼を『父』と呼ぶことが許されずとも家族としての情は父娘ともきちんと備わっていることが側から見て伝わる温かな関係であった。
「信仰都市で会った時以来ですから半年ぶりくらいですかね。セラフィナさんが元気そうで安心しました」
「はい、わたくしもです。あの……先代様は?」
先代、すなわちセラフィナの母のことである。
セラフィナは母との普通の親子関係の構築は教会から許容されていたが、彼女の母もまた娘が己を『母』と呼ぶことを不許可とした。
セラフィナの母は、彼女の戦士としての強さの根源を作り上げ、聖女の血を引く彼女に厳しい戒律を敷いたリュミエール家の家長を務めるとても強く厳しい女性であった。
「奥さんは修行の旅に出たまま帰ってきていません」
そんな猛者を『奥さん』と愛おしそうに呼んだヨハンは残念そうに答えた。
「……そうですか、わたくしも王都を飛び出してから一度も会っていないので少し残念です」
父の言葉にセラフィナも同様に、残念そうに返した。
ヨハンはセラフィナの隣の席に腰を下ろし、久しぶりの娘との再会を心から嬉しそうにしながら、その皺の刻まれた目元を綻ばせた。
「実はお師匠様の医術技術を見込んでご相談がありまして」
「はて、ぼくに役に立てるかな。もう治癒の技能はセラフィナさんのほうがはるかに格上だ」
「医療に於いての知識はお師匠様の方が上ですわ。それでその知識で、わたくし解毒についての知識を今一度改めて授けていただきたいのです」
「なるほど」
娘の要求に、ヨハンは納得が言ったように相槌を打った。
「どうしても解毒をしたい方がいらっしゃいますのですが、わたくしには毒は効きません。毒を受けた際の身体の苦しみがわかりません。なのでそれを補うために知識を最大まで叩き込んでいただきたいのです」
「……何やら深い事情がありそうですね。わかりました、ではこのヨハン・リュミエール。リュミエールの末裔様に知識を授けましょう」
ヨハンは娘の話をあっさりと受け入れると、深々しく頭を垂れた。リュミエールの一族で、入婿である彼は娘のセラフィナよりも教会での身分が低いのだ。
「ありがとうございますお師匠様。明日の昼までにできる限りの毒の知識を教えてください」
「セラフィナさんはぼくを過大評価しすぎです。ぼくはただの医師くずれ、奥さんの権威でちょっといい暮らしをさせてもらっているだけの男にすぎませんよ」
ヨハンは苦笑してため息混じりに呟いた。入婿という立場はいろいろと複雑なのだろう、ステンドグラスを見上げる彼の目は少しだけ影を帯びた。
「そんなことございませんわ!お師匠様はわたくしにとって憧れであり目標です。そんな悲しいことをおっしゃらないで」
「セラフィナさんは本当に優しい。さすが奥さんの娘さんだ、本当にそっくりだ。では早速、ぼくの部屋で講義をしましょう……」
自らの娘でもあるが、複雑な事情ゆえ『妻の娘』を強調してヨハンはセラフィナを褒めた。事情については当事者であるが故に身をもってよく知るセラフィナは何も言わずに黙って賛辞を受け入れる。
ヨハンは話を切り上げると座っていた長椅子から腰を上げてついてくるように目で合図をした。そして、礼拝堂の奥の関係者専用の扉の奥に入っていく。
セラフィナは、尊敬する師の背中を追ってその後に続いた。
─────────……
「オズ殿、先程から何をされているのですか?」
「………」
ガラハッド辺境伯のタウンハウスの借りている部屋のベッドに、昼間だというのに寝転んでただ天井を見ているオズにレオンは呆れたように問いかけた。
「まさか昼間から酒を……」
「飲んでねぇよ。さっき対魔法結界内で実際にどれくらいの魔法が使えるのか試して魔力切れてるところさ。悪いね、回復するまで少し休ませて」
「………そうでしたか、失礼しました」
王都を守る聖女の結界の中では殆どの魔法は無効化か弱体化する。前々からオズは結界内では自分は無力だと警告していたが、実際にどれくらい下方修正されるのか試してみたかったのだろう。
レオンは飲酒を疑ったことを素直に詫びて頭を下げた。
「姿消し魔法は5秒も持たないね。あと認識阻害も殆ど効果が消えてる。悪いなレオン、ここではあんたの役には殆どたてそうもない」
「構いません、約束通りここから外に出なければ良いのです」
レオンは窓の外に見える王宮を睨みながら答えた。
明日、あの場所に彼の主人たちは乗り込むのだ。レオンも彼女についていきたい気持ちはあるだろうが、王室に指名手配されている彼は近づくわけにはいかないのだ。
「……オズ殿は明日は王宮に向かわれるのですか?」
「今のところ、オジさんは城門付近で待機だよ。ミルリーゼちゃんのところの諜報員さんが中で動いてくれるみたい、さっきミルリーゼちゃんが言ってた」
「メイス嬢か……?」
諜報員と聞いてミルリーゼの家で働く快活な女性の姿が脳裏に映る。彼女は表向きは服の仕立て屋だが、ブラン商会にいる以上、情報屋としてミルリーゼの手先となって働く姿は簡単に想像ができた。
「メイスちゃんじゃない、レオンは聞いたことあるか?メイスちゃんとロッドくんには上にもう一人兄がいるらしい」
「ああロッド殿から聞いたことがあるな……なるほど」
当の本人のミルリーゼは、昨日はカイルのタウンハウスに宿泊していって今朝方、迎えに来たメイスと共に一旦帰宅している。
帰り際に、『動きやすくなるようにいろいろと手を回すよ!』と謎に自信満々に言い残していったが、レオンが思った以上に本格的に動いているようだ。
「前々から思っていたがミルリーゼちゃんはつくづく優秀な情報屋さんだよ。味方で本当に良かった……あの情報力が敵側にいたら俺たちはとっくにお縄だぜ。おまえさんは今頃処刑台に吊るされてたかもしれないなァ」
「それに関しては抗弁ができない。ミルリーゼ嬢を味方側に引き入れたエル様の人選力が素晴らしいということにします」
「……おまえさんもなかなかにお嬢様全肯定ね」
呆れたように眉を寄せながらオズは寝転んでいたベッドから身体を起こした。
「ところでレオン、おまえさんは何をやってるんだい?」
オズはそろそろコメントすることにした。
レオンはブラン商会のエプロン姿で、モップを持って床を磨いている。
「働かざる者食うべからずです、ガラハッド辺境伯のタウンハウスでお世話になる以上、管理人夫妻の仕事を手伝っています。掃除の後は洗濯、庭の手入れ、買い物は行けないですが料理補助くらいはしようかと」
「……あ、はい」
真面目な顔をしてレオンは答えた。
どうやら王都滞在中はタウンハウスから出ないという制約下でも存分にその有能さを生かすらしい。
オズはどこまでも真面目な男に呆れながら、掃除を続けるレオンの背中に苦笑した。
セラフィナさんのお父さんは、冬のおとずれ③でチラッとだけ話題になってた『医者のような仕事をしている』お父さんです。
セラフィナさんは教会内や正式な場で「父」呼びは禁止されてるけど、プライベートで語るくらいならセーフな模様です。
レオン先生、どことなく楽しそうですね




