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饗宴編 お兄様の決戦前日②

 




 エドワルドが王宮に行く理由、一欠片もリスペクトがない男に学んでいるなどと敬愛する父に嘘をついてまで王宮に足を運ぶ理由のひとつは散々父に『深入りするな』と警告された王妃カトリーナに会う為であった。


「エドワルド、もう慈悲アッシュのくすりはない。この間くれてやったやつが最後だ」


「………」


 だが、王妃の真紅の薔薇庭園で冷たい目で微笑む彼女にそう言い渡された時に本日の面会は無意味であったことをエドワルドは悟った。


「私は明日の宴の準備で忙しい。久しぶりにおまえを存分に愛でてやりたいところだが残念ながらこれからやる事が山のようにあるのだ。茶を飲んだら帰るがいい」


 王妃はお気に入りのカップを傾けながら残念そうに言い渡し、寵愛という名の虐待行為から逃れたエドワルドはほっと胸を撫で下ろした。

 王妃の寵愛は、アッシュの解毒剤という対価があるから耐えられるのだ。何の報酬もなくあの屈辱を受け入れるのは絶対に無理である。


「………」


「時にエドワルド、この間の話だが心変わりは起きたか?」


 エドワルドの内心を知ってか知らずか、王妃はベリーのケーキにフォークを突き刺しながら尋ねた。


「………」


「アルフォンスの隣に立つという話だ。私の息子は未来有望だがどうも息子の配下たちはいまいち頼りがない。宰相の息子は格が足りぬ、クレイモア公の息子は誠実性がない。ロードの息子は悪くはないがあの女が母親という時点で私は信用できん」


「………」


 カトリーナ王妃の目にはアルフォンスの取り巻きのテオドール、マクシミリアン、ヴィンセントは合格点ではないらしい。

 王太子のどこが未来有望なんだとエドワルドは心の中で思いながら静かに話を聞き流した。


「その点エドワルド、おまえは血統も容姿も知性も完璧だ。私の息子に相応しい。おまえが腹心としてアルフォンスの隣に立てば、息子の王座にも箔がつくというものだ」


 自己中心的な高評価を下されて、エドワルドの内心は苛立った。それを微塵も感じさせない完璧な無表情のマスクを被った麗しき美青年は静かに口を開いた。


「もし、私が此処で首を縦に振ったら慈悲くすりをもう一度、授けていただけますか?」


「面白いことを聞く、慈悲くすりが在っても、飲むものがいなければもう意味はないだろう?」


「………」


 カトリーナは赤いベリーのケーキをわざと行儀悪くフォークで潰して、白い皿の上に赤い斑点まみれにする。そのぐじゃぐじゃに潰れた赤色はまるで血のようで見ているだけでエドワルドの胸に不快感を呼ぶのである。


「エドワルド、次からおまえはあの燃え滓ではなくおまえへ自身への慈悲を私に願うことになるだろう。私はそれが待ち遠しくてたまらない」


 潰すだけ潰して興味を失せたのか、王妃は赤く染まった皿を侍女に下げさせると紅茶のカップを傾けた。


「………私がアルフォンス殿下の隣に立ったら、アッシュ殿下の命を助けていただけますか」


 エドワルド、もう取り繕う言葉が見つからないので、思いを丈を素直に願った。覚悟を決めてエドワルド最大の屈辱、妹を裏切った男への服従を受け入れる覚悟を決めかける。

 だが、その言葉を聞いた王妃は、飲んでいた紅茶をそのまま目前のエドワルドに掛けた。

 奥で控えていた顔見知りの侍女が一瞬だけどよめいたのが見えた。彼女が王妃の視界の中にいないことを感謝しながら、エドワルドは顔を滴る紅茶の雫を拭う事なく無言で王妃を見据える。


「エドワルド、私もこんなことはしたくないのだ。だが、物分かりの悪いものに躾は必要だ」


「………」


「燃え滓のことはもう忘れろ。そうだ、灰色離宮は取り潰しておまえのために新しい離宮を建てよう」


「………」


 王妃の提案にエドワルドは以前に参加した会議を思い出した。

 次期王妃リリエッタの為に離宮を建てる、その為に商業ギルドの税金を上げる。と強引に決定して、増税は早急に行われたのにその新しい離宮を建てる気配は一切ない。増えた税金はどこに行っているのか気になった。


「(……この国は、このままでは手遅れになるかもしれないな)」


 王妃の胸元を飾るとても大きな宝石のネックレス、エドワルドはその豪華なアクセサリーは初めて目にした。そして、その宝石はとても高価であるとエドワルドの貴族として培った鑑定眼が告げていた。

 国民から適当な理由をつけて搾り取った税金は、こうして強欲な王妃たちに湯水のように好き勝手に使われるのだ。


「(やはり次の王座に座るべきはアッシュ殿下だ。僕の忠義はこの女の息のかかる王太子になど絶対に捧げられない)」


「反省したのかエドワルド、おまえは聡い。まだ若いおまえは間違えることはあるだろう。次、気をつけるのなら私はそこまで重く見たりはしない。また明日のパーティーで会おう。返事はそこまで待っていてやる」


 カトリーナはそう言って満足そうに微笑んで席を立つと侍女を引き連れてそのまま庭園を去ってしまった。

 残されたエドワルドは服の裾で顔にかかった紅茶を拭いながら考える。


「(アッシュ殿下をおまえなんぞに殺させたりなんてしない。まだ策はあるはずだ……絶対に最後まで諦めてたまるものか)」






 エドワルドは紅茶まみれの服のまま、人目を忍んで森の中の離宮の入り口まで足を運んだ。

 前もって訪問を告げてあるユーリスに会うためであった。

 約束の時間ぴったりに離宮から出てきたユーリスは、やってきたエドワルドの異変に気づくと怪訝そうに眉を寄せたが何も尋ねてはこなかった。


慈悲くすりはもうないそうです。お役に立てず申し訳ございません」


 エドワルドは王妃からアッシュへの解毒薬の提供を断られたことを素直に告げた。


「こちらにも殿下へ王妃の通告が来た。『明日の催しに絶対に出席すること、不参加は反逆とみなす』と」


「………」


「………」


 王妃が何を考えているか、寡黙な二人は手に取るようにわかった。

 念入りに用意した舞台にて、王妃はアッシュを深い闇の中に突き落とすつもりなのだろう。


「仮にも息子の婚約披露の場なのに。王妃あのおんなは何を考えておられるんだ」


「口を慎め公子、どこに耳があるかわからない」


「それならあなたが、盗み聞きをする輩を容赦なく切り捨ててくれると信じています」


「……口がよく回るようになった」


 ユーリスは、エドワルドの期待に答えるように携えている剣の鞘をひと撫でしてから再び腕を組んで離宮の門の壁に寄りかかった。


「ユーリス卿、僕もパーティーに参加します。母もいますが、できるだけアッシュ殿下の側にいるようにします」


「感謝する」


「ユーリス卿は……」


「………」


 ユーリスはエドワルドの問いに首を横に振った。

 少し前に、アッシュはユーリスが不機嫌な王妃に王宮内への出入りを禁止されていると話していたので彼の参加も許されていないのだろう。


「警備の兵に金を握らせるつもりだ」


「至急、お望みの額を用意します」


 身も心も搾取され続けたアッシュはまともな財を持っていない。そんなアッシュに忠義のみを理由に最後まで仕えるユーリスの懐具合を察したエドワルドは即座に支援を申し出た。

 決してロデリッツ家は国内有数の大富豪というわけではないが、腐敗した王立騎士の目を眩ませるくらいの額ならエドワルドのポケットマネーですぐ出せる。


「………すまない」


「それくらい些細なことです。アッシュ殿下の為にやれることは全てやりましょう」


「感謝する」


 エドワルドは一旦、金を用意する為に帰宅することを決めた。




「ユーリス卿、実は王妃にアルフォンス殿下の腹心になれと言われました」


 離宮の門からの去り際にエドワルドは先ほどの王妃とのやり取りを打ち明けることにした。

 胸のつかえのようになっているので、誰かに話して楽になりたいというのが正直な本音でもあった。


「………」


「僕はアルフォンス殿下の隣に立つくらいなら舌を噛み切って自害します。それが僕のアッシュ殿下への忠義です」


 エドワルドは静かに言い切った。

 アルフォンスが王座に座る世界など、エドワルドが生きる世界ではないのだ。


「……口を慎めと先ほど言ったが」


 ユーリスは言葉では否定的だが、どことなく肯定的な雰囲気を纏った。

 無表情でエドワルド以上に寡黙な男だが、エドワルドもなんとなくユーリスの感情がわかるようになってきた。

 アッシュが無表情なエドワルドの感情がわかるようになってきたと嬉しそうに話した時も、彼はこのような気持ちだったのだろう。


「アッシュ殿下を最後までお守りする、公子を王太子の腹心にもさせない」


「ユーリス卿……」


「もう二度と大切なものは奪わせない。たとえ、あの女を殺してでも」


「………」


 確定で反逆罪を告げられる発言を躊躇いなく言い切ったユーリスの剣の腕前を知っているエドワルドは黙り込んだ。

 この冷たい王宮内で一番信用している男にこれ以上ない心強さを感じて明日の決戦に向けた意気込みをしなおすのであった。



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