饗宴編 王都凱旋②
「誘導!?」
再び動き出した馬車の中、オズの話を聞いた面々が声をあげた。
魔力を使い尽くしたと言うエルの身体をセラフィナは横から支えた。優しい目で「私の膝の上で横になりますか?」と誘われたがそれは慎んで辞退した。
オズの膝枕提案に便乗しそうな空気をレオンは咳払いをして制する。いつもなら問答無用でレオンの素晴らしく長い足から蹴りが飛ぶ状況だが、魔物退治の立役者相手に暴力を振るう気は起きないのだろう。
「あれは魔物の誘導剤だね。この辺りの街道に撒かれてた。辺境伯の馬車を狙ったのか無差別だったのかまではわからんが」
「親父は誰かの恨みを買うようなことしてねえぞ!!」
オズの言葉に顔を真っ青にしたカイルがあわてて反論した。
カイルの父のガラハッド辺境伯は公正な領主だ。この国の為政者としての格は最良クラスだろう。
領民を真摯に思い真っ当に治政を執り行う辺境伯を恨むような人間など、息子のカイルからしたらまったく思いつかないのだ。
「辺境伯閣下が偉大なのは真実だが、それを面白く思わない奴も一定数いるだろうな」
憤るカイルを嗜めるようにレオンは低い声で呟いた。
「辺境領は関税の関係でかなり優遇されているように感じるわ……その辺りの妬みとか?」
「お金の恨みは怖いねえ」
「茶化すなよ!北の国の関税だってタダで優遇されてるわけじゃない!何もなかった山の中の土地を私財で開拓したのは親父の爺ちゃんたちだし!王都の騎士団がやらない王国北部の魔物退治だって代わりにやったりして便宜を図ってるじゃんか!!」
「愚か者はそう言う事情なんて見ない。自分が気に食わないという理由だけで攻撃をする。愚かだからな」
辛そうな声のカイルにレオンは冷たく言い切った。表情はポーカーフェイスを貫いているが声の端に怒りが滲んでいるのをエルはどことなく感じる。
「カイル様……」
そっと労るような目でセラフィナは呼びかけた。
小さな声に気づいたカイルは頷いてそれ以上は黙った。まだ純真な若い少年に、父親の立つ政の場に渦巻く黒い思念は重すぎたのだろう。
「あなたもいずれ辺境伯として、ギルベルト閣下の後を継ぐのなら知らなければならないことよ。今のうちに身に覚えさせておきなさい」
「綺麗事だけじゃ務まらねえって奴だな」
エルの言葉をオズは吐き捨てるように笑うと、足を組んで外を眺めた。魔将蜘蛛以外とは特に魔物と遭遇もせず、馬車は順調に街道を走る。
セラフィナの防御結界に守られていたので、馬の脚に遅れが出ることもなかった。
「(魔物の誘導剤なんて高度な魔法技術、いまの王国の魔法使いに扱えるわけがねぇ……今回の事件を仕込んだのは恐らく……)」
すっかり夜になってので宿泊地に馬車を止める。火を起こして今夜はここで野宿をすることにした。
比較的安全な馬車の内部は女性陣と老齢の執事に使わせて、若い男性たちは火の側で寝ることにする。
申し訳なさそうに恐縮する執事に、
「一日中馬車を運転して下さったあなたに外で寝ろなんて言えません」
とエルは諭した。セラフィナも同意見なようで慈悲深い眼差しで強く頷いた。
カイルも子供の頃から面倒を見てくれている長年の使用人で祖父母と同世代の年齢なので心配していたのだろう、エルの優しい言葉をありがたそうに見守っていた。
「……オジさんさ……ミルリーゼちゃんに聞いたあの件、昨日までは黙ってろ派だったけどお嬢様に話しておいた方が良い気がしてきた」
「奇遇だな。俺も薄々と頃合いかと思っていた」
パチパチと燃える焚き火を囲みオズとレオンは低く言葉を交わした。あの場にいなかったので話のわからないカイルは首を傾げる。
「何の話だ?オレも聞いていいのか?」
「旧都で戦った犯罪組織が獄中で殺されたと言う話だ」
「!?」
「おい!レオン!!」
ミルリーゼが「カイルにも話すな」と言っていた情報は突然あっさりと開示された。カイルは目を開いて固まっている。その反応を見てオズは前段階も踏まずに唐突にバラしたレオンへの苛立ちと、まだ若いカイルへの配慮の感情に大きく揺さぶられる。
「……本当……なのか……?」
「ミルリーゼ嬢の情報だ。ロッド殿が王都に行っていた時期に届けてくれた。王宮に潜む帝国派上層部による口封じだと思われている」
「………やば」
「大丈夫かいカイル?驚かせちまって悪いな……おいレオンさんよ物事には段階ってものがあるだろうが!本当にエルの相手以外だといろいろと雑でオジさんびっくりだよ」
驚いて硬直するカイルにレオンは臆せずに情報を受け渡した。フォローに回ろうとするオズもレオンの勢いには負けている。
あたりに重い沈黙が広がり、パチパチと火の燃える音だけが立っていた。
「びっくりしたけどオレは平気だ……」
すぐにカイルは落ち着きを取り戻したのか、焚き火に薪を追加しながら答えた。
「当たり前だ。この程度でいちいち泣き言を言っているようでは困る。うじうじ言うなら熨斗紙をつけて辺境に送り返すところだった」
レオンは腕を組んで、カイルの様子を窺っているようだ。カイルが特に異常もなく正常な事を確認して満足そうに頷いた。
「本当に厳しい男だなレオンさんよ……カイルはまだガキだぜ?エルの3割でいいから優しくしてやれよ」
「おっさん、大丈夫だって。でも二人ともオレに気を使って黙ってたんだろ?ありがとな気を使ってくれて」
「ミルリーゼ嬢の指示だけどな」
「ミルリーゼ……あいつ、同い年なのに妙に精神年齢高いよな。たまに話してて本当に同級生かと疑問に思う時がある。ベティより背が低いのに」
カイルの脳裏に、銀髪三つ編み令嬢の姿が映る。一見すると10代前半くらいの小柄で幼い容姿をしているのに彼女の口のうまさと頭の回転力は少なくとも同い年のエルやカイルは大幅に上回っている。
情報屋というアンダーグラウンドな世界に関わっている影響なのだろう。
「エルにも知らせるんだろ……大丈夫かな?」
「この情報を知ったのはちょうど辺境にきて少ししたあたりの頃だが、あの頃はエル様も少し不安定だった時期だ。お伝えするのも憚られた。だが今のエル様なら……」
「最悪またパニックを起こす様子ならエルはカイルの家のタウンハウスで大人しくさせよう。……オジさんは昼間の誘導剤は帝国派の仕業だと思ってる。あんな技術、扱える魔法使いなんて王国内じゃごく僅かだよ」
オズの意見はレオンもカイルも納得だった。魔物を誘導する誘導剤などレオンですら聞いたことはなかったし、王国で教師になるために多種多様な知識を学んでいるレオンでさえ初見の魔法技術なら疑うべきは旧都を中心に暗躍している魔導帝国時代の分野に見識の深いノクタリア派だろう。
「あいつらは金さえ払えばなんでもやるからな。辺境伯家を狙ったのは別の貴族だとしても、実行犯は帝国派と見て間違いはないと思うぜ」
オズの意見はやはり納得のできるものだった。
金のためと割り切って子供を誘拐するような連中だ、辺境伯家に魔物をけしかけるなど造作もないだろう。しかも実際に動くのは息のかかった下部組織で、見つかっても足切りすれば良いだけの事なので帝国派貴族の面々は甘い汁のみ吸えるのだ。
「一応セラフィナちゃんに頼んであの辺りの誘導剤は全部浄化してもらっておいたから、誘導に関しての効力は無くなっているからその辺は安心しな」
「凄いな……」
カイルは昼間の様子を思い浮かべながら、尊敬するような口ぶりで呟いた。
「殴ってるイメージの方が強いけどセラフィナちゃんはシスターとしてもかなり有能だよ。あの子、息するように回復術を使ってるけどアレを扱える術者もかなり希少だからね?」
セラフィナの扱う治癒術は、また魔法とは別の枠組みで、魔力と治癒師としての適性が最低限必要だが、会得した後も傷や病に対しての知識も必要となってくるのだ。
切り傷を癒す為には切り傷に対しての痛みや症状の知識を、打撲に関しても同様の知識を求められるのだ。
「セラフィナは前線で殴るからな。怪我に関する知識も経験も豊富だからあんな息するように直せるんだろうな」
「そもそもただのシスターなのに、素手で殴り合いできる時点でなんかおかしいけどもう今更だしオジさん年齢だから深く突っ込むよりありのまま受け入れることにするよ」
そう言って苦笑しながらオズはあくびをすると徐に寝具に包まった。
「すまん、眠いから寝るわ。見張り番、時間になったら起こして」
「うわ、おっさんマイペースだな……まあいいや、おやすみ!」
「カイルもそろそろいい時間だから寝ろ。見張りは俺がやるからお前は休め」
火に薪を焚べながらレオンは、カイルに休息を取るように促した。
「そうしようかな、オレも変わるからさレオンは眠くなったら起こせよ!」
「眠くなったらそうさせて貰うから子供はさっさと寝ておけ」
「はは……おやすみ!」
カイルは内心、(レオンは絶対に朝まで起きてるな)と確信しながらも言い合いして勝つ見込みがなかったので言われるがままに寝具に包まった。
春を迎えたばかりの野宿だが思ったより寒くないのは、恐らくオズがこっそり防寒魔法を男性陣にかけているような気がしたので仲間の温かさに包まれながら心地よい微睡に身を預けた。
すやすやと寝息が聞こえ始める夜空の下で、レオンは無言で周囲を警戒しながら見張り番を続けた。
あたりからは特に危険な気配はせず、周辺の草むらや遠くの森から虫や鳥の鳴き声が時折するくらいである。
レオンはちらりと馬車の中を見る。だいぶ前に消灯されて静かなのでエルたちもすでに休んでいるのだろう。
「(オズ殿もセラフィナ嬢もとんでもないな……規格外なんてレベルではない。こういうのは申し訳ないが二人とも化け物レベルだ)」
エルの魔力を借りたとはいえ、騎士団の集団戦闘で倒すレベルの魔物を一撃で屠る魔法使い、その魔法の脅威から護る結界を容易く展開するシスター。
レオンが傭兵として戦場に立った過去の経験からしても二人より強力な戦士がいたか即座には思い出せないレベルだ。
「(だがそんな二人がエル様の味方の側として立ってくれるのはとても心強い。願わくばこのまま側にいてくれると良いが……)」
レオンは手元にある剣を見た。
客観的に見たらレオンも剣士としての腕前はかなり上等なものだが、魔力という産まれた後からではどうしようもない能力の差で劣っている自覚がある。
現にオズのように魔法に関しての指導は、魔力のないレオンには本で得た知識を授ける事しか出来ないのだ。
「(俺ももっと強くならなくてはいけない)」
レオンは強く頷くと、息を吐いてから見張り番の続きを続行した。
今宵の星は、いつもより強く輝いていた。
レオン先生、めちゃくちゃ強いのにチート級がパーティに二人もいるからとても可哀想……
そもそも教師志願なレオン先生がめちゃくちゃ強い剣士な事もおかしい。




