饗宴編 ミルリーゼのおわかれ
「こんにちはリゼ、あなたのお店、少し雰囲気変わったわね」
昼の乗り合い馬車で王都に帰るというミルリーゼに別れの挨拶をする為にエルはブラン商会を訪れた。隣にはついてきたエリザベートの姿もある。
「いらっしゃい、いろいろあったんだ。大変だったんだよエル」
「そうだったの、お疲れ様」
旅支度のミルリーゼがやってきた二人に気づくと座っていた椅子から立ち上がった。
本日は商会は休みなのか、店の中には客の姿はなかった。
「ミルリーゼさん、王都まで気をつけてね」
「やぁベティ、ありがとう。やること済ませて帰ってくるまで例のことよろしくね」
「ええ!まかせて!!」
二人の会話にいまいちピンと来なかったエルは不思議そうに首を傾げる。
「例のことって?」
「お嬢さん……エリザベートさんに留守の間のバイトをお願いしたらしいです」
ロッドが青い顔をして答えた。
それを聞いた瞬間エルは怒りのオーラを一気に放出して、ものすごい勢いでミルリーゼを睨みつけた。
「何を考えているの!?ベティは辺境伯のご令嬢よ!」
「うわっ顔怖いよエル!落ち着いて話をきいておくれよ」
肉食獣に睨まれた小動物のように怯えながらミルリーゼは後退りをする。
じりじりと壁に追い詰められて逃げ場を失い焦っているようだ。
「アタシがやりたいってお願いしたのよ!!エルさん!!」
エルの勢いに若干怯えながらエリザベートはミルリーゼを庇うようにエルの前に立った。
その瞳は震え、うっすら涙が浮かんでいる。
「……リゼ、あなたはよほど私の顔に泥を塗りたいようね。本当に何を考えてるのよ、ベティもよ!」
「えーん、エルがいじめる〜」
「……ミルリーゼさんがいなくなってしまうから人手が足りないって聞いてお手伝いしたかっただけなの……それに、アタシ本当はお金なんていらないわ」
エリザベートが泣きついてきたミルリーゼに寄り添う。エリザベートは純粋な親切心で店の手伝いを申し出たのだろう。
「ダメですよエリザベート嬢、労働にあたり対価は絶対です。無償の奉仕など仕事の質を低迷させて、責任を逃れる理由にしかなりません」
奥の部屋から話を聞いていたらしいレオンがやってきた。店員時の定番となっている黒縁メガネ姿だ。
その姿を初めて見ることになるエルは普段の姿とのギャップにドキッとする。
「レオン!!」
「いらっしゃいませエル様、いまお茶を淹れましょう」
エルの呼びかけにレオンは柔和に微笑んでみせた。
接客バイトの成果か、いつもよりだいぶ自然な笑顔であった。
「お兄ちゃん、前も言ったけどうちはそういう店じゃないからお茶出しは不要だよ。エルもそういうことだからお兄ちゃんの言った通りきちんと賃金も出すし、ベティも納得してる。カイルのママにも許可はもらってるよ」
「お母さんが家庭教師の先生が来ない日ならお手伝いしてもいいって言ってくれたの。ちゃんとお勉強と両立させるし」
「ベティ……」
「エルはロッドが過労死しちゃってもいいの?」
実際問題ミルリーゼが今日から王都に行って、レオンも近いうちに王都行きが決まっている。主力の二人が抜けることになるブラン商会の人手不足は目に見えていた。
客足が低迷してた先日までの商会ならともかく、レオンの業務改善によって客足の復活した今のブラン商会をロッド一人で回すのは、いくら彼が有能接客スキルを持っていても正直かなり厳しいのだ。
「すみませんエルさん。俺もガラハッド家のご令嬢を雇うのは流石に……ってやんわりと言ったんですけど……」
いつの間にか店の奥からお茶を淹れてきたロッドが困ったように答えた。彼はもうすっかりレオンの副官のような立ち回りだ。
「かわいい僕が抜けちゃうんだよ?それなら代わりに働くのは僕と同じくらい明るくて素直なエリザベートが適役じゃないか」
「ベティはわかるけど、誰が明るくて素直なの?」
「うるさくて慎みがないの間違いだろう」
「うわ!この主従連携攻撃してきやがる!!おいロッド、弁護して!!」
「お嬢さん、あまりエリザベートさんに失礼な事言わないでくださいね」
お茶を給仕しながらロッドはドライに答えた。
お茶を受け取ったエリザベートは一口飲んで眉を寄せている。旧都産の少し苦いお茶は北の辺境の領主のご令嬢には合わないようだ。
「ところでメイスさんは?一緒に旅立つのでしょう」
「メイスならちゃっかり彼氏作ったんだ。今、騎士団で別れの挨拶してる」
「ガレス殿か?」
「そだよ。結婚前提なんだって」
一応の流れを知っているレオンが尋ねた。状況のわからないエルは首を傾げているがコメントせず静かにロッドの淹れたお茶を飲むことにした。
「エルさん、ガレスさんはお父さんの副官の方なの。アタシも聞いた時びっくりしちゃった」
「へぇ……メイスさん、辺境にいたの一ヶ月くらいじゃない?恋は縁とタイミングって聞くけど本当なのね」
「カイルに女の人を紹介してくれって頼まれたからメイスを面白半分で紹介したらまさか本当にくっつくなんて……僕としたことが油断してたよ」
自分が紹介した手前、狂気の馬オタクガレスと姉のように慕うメイスの交際を反対できないのだろう。ミルリーゼは悔しそうに吐き捨てた。
「あなた面白半分で人を紹介したりするんじゃないわよ」
何も知らないエルは呆れたようにミルリーゼを嗜めた。ガレスとメイスの縁から恋人となるに至るまでエルは本当に触れずにいたので話の流れがわからないのだ。
「ガレス殿は少し異性に関しては奥手だが、誠実で温厚な人物だ。特に心配はいらないだろう辺境伯閣下の信頼も厚い方だしな」
エルよりは顔合わせの場に参加したり、騎士団で顔を合わせたことがあるので一定の事情はわかるレオンがそっとフォローした。
ガレスと面識のないエルはよくわからなさそうな顔で耳を傾けて再度お茶のカップを傾ける。あまり深入りする気はなさそうだ。
「(騒動の件は黙っていた方がよさそうですね)」
「(当たり前!黙ってろロッド、エルもレオンも知らなくていいことだ)」
二人が恋人になるまで起きた騒動を知るミルリーゼとロッドはアイコンタクトを短くかわすとこっそりと頷きあった。
「ただいまー!ミルリーゼさまお待たせしましたー!」
ちょうどその時、勢いよくドアを開けてメイスが店の中に入ってきた。恋人との距離的な別れの挨拶を済ませてきたらしい。
「あらエルちゃん、エリザベートさま。いらしてたんやね」
「こんにちはメイスさん、ご無沙汰しています。ドレスの件、お世話になります」
「ええよええよ、気にせんといてこちらも商売やし。なんだかエルちゃんとはあんまり会えなかったね。王都でも機会があったら仲良くしてな?ウチ、エルちゃんとも仲良くなりたいんよ」
「セラフィナが色々とお世話になったとお聞きしています。是非、よろしくお願いします」
ここに姿のないセラフィナはエルの知らないうちにメイスと交流していたそうだ。同じ平民身分で年が近い二人は仲良くなるのにそう隔たりもなく、あっさりと意気投合して親友関係になったらしい。
「セラフィナちゃんとは昨日お別れしたから今日は来ないんかな?」
「どうせ王都で会ったら、セラフィナさんとお酒飲むつもりなんだろ……僕も王都でもお姉ちゃんに会うから大袈裟なお別れをするつもりはないよ」
「セラフィナも同じようなこと言ってたわ、お二方の旅の安全をお祈りしますって伝言だけ伝えておくわね」
清廉なシスターもあまり湿っぽくする気がないのだろう。屋敷にて、お別れに行くというエルとエリザベートを見送って本人はこの場には来なかったようだ。
「姉さん、ミルリーゼさま、馬車の時間は大丈夫なんです?」
「あー!?そろそろ支度した方がいいかも!」
「そうねぇ、乗り遅れたら次の馬車は三日後やっけ?」
慌ててメイスは荷物を取りに行くのか、店舗スペースの奥へと向かっていった。ミルリーゼはテーブルに置いていたカバンを掴む。
「ベティ、僕の部屋の本は勝手に読んでいいからね」
「ありがとうミルリーゼさん!実はそれも楽しみでお店のお手伝いを立候補したの」
「あなたあの変な小説、ベティに読ませて大丈夫なの?」
以前借りた小説の内容を思い出したエルが苦笑いをした。妙に雄々しく勇ましい言葉が並び、血生臭い物語だったのでミルリーゼの口調に影響を与えたように、エリザベートに変な影響を与えそうな気がしてエルとしては気が重い。
「ああん?!ベティに貸すのはロマンス小説とかそういうお上品なやつだよ。僕はいろんな本を読むんだ。レーティングはしっかりしてるから安心しておくれよ」
「そうなの?あなたが任侠小説じゃなくてロマンス小説に影響を受けていたら、あなたの言葉はもう少し綺麗だったのかしら?」
「あら嫌だわエルさんったら、わたしの言葉は常にお綺麗でしてよ」
「これは失礼したわ」
くすくすと笑いながら軽口を交わすエルとミルリーゼ。そんな親友同士の気さくなやり取りを店内の面々が暖かな眼差しで見守った。
「お待たせしたでー!準備完了や!ロッド火の元はしっかりな!落ちてるもの拾って食べたらアカンで!」
「はいはい姉さんもですよ。お酒解禁してもほどほどにしてくださいね。……仕事が落ち着いたらこっちに戻ってくるんです?」
「仕事道具があれば仕立て屋の仕事はこっちでもできるし、そういやガレスはんが結婚したらあんたも扶養に入れて三人で暮らすって言ってたで」
「ガレス殿、どこまで真面目なんだ……」
レオンの頭に、誠実を絵に描いたような言動の理知的な騎士団副団長の青年の姿がよぎる。
新築の家に彼とメイスとロッドが三人で仲良く暮らす図は想像すると妙にシュールだが何故か不思議としっくりきた。
「次お会いしたら『お気持ちだけで結構です』って言っておいてください。さすがに新婚さんの邪魔するほど野暮な弟じゃないです」
とんでもないことを言い出すメイスに、ロッドは焦ったように答えた。隣のレオンも引き笑いで苦笑をしている。
そんな和やかな雰囲気の広がる店内に、突然不躾な足音が鎧の金属音と共に入ってきた。
勢いよくドアが開き、中にいた一同の和やかなムードが一変した。
「失礼します、王立騎士団です。手配書のご協力願います!!」
「!?」
突然、店のドアを開けたのはガラハッド辺境伯の私設騎士団とは違う紋章をつけた騎士であった。
真面目そうな面持ちで手配書を渡そうとするので、近くにいたメイスが手を伸ばして受け取った。
「騎士さま、お疲れさんです。……あら、いい男」
メイスは手配書を見ながら呟いた。
嫌な予感がしたエルがメイスの持つ手配書を覗き込むと、手配されていたのは予想通りレオンであった。
懸賞金もエル達が辺境伯の庇護下にいる間にいつのまにか90枚に上がっており、罪状は公爵令嬢誘拐、暴行、詐欺、殺人未遂、横領、窃盗など心当たりのない理由が次々に追加されて、その文字列を見たエルはメイスの手から手配書を奪って今すぐにでも破り捨てたい衝動に駆られた。
「おいおい、俺の方がいい男だろう」
エルの隣から興味の薄そうに自分の似顔絵が描かれている手配書を眺めながらレオンは呟いた。
ぎょっとしたエルの背中を彼の手がさりげなく撫でる。
(気にするな……)
レオンの手はそう囁いている気がしたので、エルは深呼吸して平静を保った。
手配書と違う髪型やメガネ姿という変装のおかげか騎士は目の前に堂々といる顔のいい男がまさかの張本人だと認識できずに苦笑するだけである。
「メイス、そこに貼っておいて」
「はーい」
「ご協力ありがとうございます」
ミルリーゼの指示に従い、メイスが店の壁の掲示板に手配書を貼り付けるとその様子を見てきっちりと敬礼をした騎士は、一礼をして足早に店を出ていった。
「……レオンさん心臓に毛でも生えておられるんですか?」
騎士の前にレオンが立ったあたりから自分のことのように身を固くしていたロッドは尋ねる。エルも同じ気持ちだ。
「堂々としてればわからないものだ」
「堂々としすぎよ。こちらが焦ってしまったわ」
「お父さん、王立騎士団には逆らえないって言っていたわ。ごめんなさい……後でお父さんに街に王宮の騎士が来たって伝えておくわね」
父の治める辺境の街に王宮騎士がいるという事態に、申し訳なさそうなエリザベートの頭を撫でてエルは優しく微笑む。
「辺境と王室の関係を考えたら仕方ないわ。ベティも辺境伯閣下も気にすることなんてないわよ」
「そうです。エル様のおっしゃる通り。これまで閣下には多大にお世話になりました。むしろ辺境にいる期間で一度しか会ってないことを感謝するべきです」
エルの言葉をレオンが肯定した。
この数ヶ月の間、安全な場所を無償で提供してくれたガラハッド辺境伯爵家の恩は、この程度のことで消えるほど小さくはないのだ。
「紙の裏白いから、裏紙にしよっと」
ミルリーゼは貼ったばかりの手配書を速攻で剥がすと躊躇いなく折り目をつけてから半分に割いた。
レオンの手配書はあっさりとぺりぺりと破けていく。
「ミルリーゼさま、近くに騎士がいるかもしれないのでバレないようにしてくださいね」
行為自体は咎めずにロッドは静かに注意をした。
「了解、それで代わりにこれ貼る」
ミルリーゼは何かをポケットから取り出すと、ぺたりと掲示板に貼り出した。
赤い色鉛筆で描かれた不気味な謎の生物だ。ブラン商会の経営改革時に乞われたレオンが渋々描かされたあの猫の絵だ。ミルリーゼは、しっかり持っていたのだろう。
「……なんだか怖いわ」
「なんですかコレ。気色悪い」
「………」
それを見たエリザベートとメイスは感想を率直に呟き、それを描いたレオンは目を逸らした。
その拳が屈辱に震えていることに、近くにいるロッドだけが気づく。
「あらそう?味があって素敵じゃない。私は好きよ」
「!?」
大不評の中、エルだけが猫の絵を好意的な目で見ながら呟く。その横顔を見ながらレオンは心から忠誠の心を送る主人の姿に目を見開いた。
「エルさん、こういうの好きなの?」
「エルちゃんほんまに言っとるん?」
怪訝そうな女性二人に困惑の目を向けられながらもエルは繁々と赤い猫を眺めた。
「よく見ていると可愛く見えてくるわ。愛嬌があるわね」
「………そうなの?」
「………そう言われると?」
エルの言葉に、エリザベートとメイスはじっと猫の絵を見るがやはり恐ろしい生物にしか二人には見えなかった。
「…………俺、午後の開店準備してきます」
レオンは顔を抑えながら部屋の奥に行く。
ロッドの目には部屋を立ち去る彼の目に光るものが見えたような気がしたが、何も言わずに見なかったことにした。
「愛の力ってやっば……」
ミルリーゼだけが後方で一連の様子を冷静に観察しながらそっと吐き捨てた。
赤い猫の絵も店内景観に関わるとの理由でその後すぐに剥がされた。
ガラハッド領、馬車発着場。
ブラン商会のオンボロ馬車とは比べ物にならない大きな荷馬車の前で別れを済ませたミルリーゼとメイスは立っている。
「あーん、帰りたくない!!!」
「そやな〜、ここはええ街やったもんな」
ごねるミルリーゼを説得してから、馬車の御者に代金を渡し、メイスとミルリーゼは空いていた荷馬車の席に座った。
馬用の飼い葉の匂いがする車内はそこそこの人で埋まっていて、それぞれ思い思いに出発を待っている。王都までは大きな街道を通るので、一週間ほどで着くだろう。
ミルリーゼの隣の席に座っている女性の赤子がじっとこちらを見つめるので、「ばあっ」と両手を使ってあやしてやるときゃっきゃっと声を上げて笑い出した。
「パパもママも怒ってる?」
「頭にツノ生やして怒ってるで、一年も家出したんやから覚悟しとき」
「メイス助けてくれる?」
「ウチも旦那様に怒られる予定やからどうやろな〜」
「なんでだよー!……わわっ!?」
メイスと話をしている最中、突然髪を引っ張られる。さきほどの赤子がもっと構ってほしいのかミルリーゼの三つ編みを掴み無邪気な目線を送っているのだ。母親と思わしき女性はそれに気づいて慌てて子供の手を離させようとした。
「チビちゃん、僕の髪を引っ張るのは法律違反だけど、まだ子供だから許してあげるね」
母親を安心させてから、ミルリーゼは再度赤子の相手をする。きゃっきゃと笑い声を上げる姿に他の乗客も温かな目を向けていた。
「……そういやレオンくん、バイト辞めたいって言っとったけどまだ辞める気なんかな。ミルリーゼさま、彼の解雇予定とかありますか?」
その様子を微笑ましく眺めている最中、少し前の約束をふいに思い出したメイスは遅すぎる口添えをした。ミルリーゼが雇った彼を最初から辞めせるつもりなど皆無だったのだろう。
利用するだけ利用して約束を適当に反故にするメイスは、かつての本人の言う通り悪女の素質が大いにありそうだ。
「メイスもひどい女だよ。タイミングが遅すぎる。お兄ちゃんはもう辞められないよ、可哀想だけと経営コンサルタントとしてこれからもブラン商会に関わってもらうから。やはり僕とお兄ちゃんは手を組んで天下を狙う運命なんだね」
「ミルリーゼさまはほんまに恐ろしいわ」
「そんな僕のことが好きなんだろ?」
「言わせんといて、世界一大好きに決まっとるやろ」
時間が来たのか運転席に御者が座り、馬車が動き出した。
辺境の街の城門を出て街道を国の中央方面へと向かって走り始める。
「(エル………先に行って、待ってるから)」
遠くになっていく街を見ながらミルリーゼは残していった親友を思った。
因縁の都へ、先陣を切って翠玉令嬢の親友はこの地を離れていくのである。
彼女との再会は決して遠い話ではないだろう。
ようやく王都に向けて動き出しました。




