饗宴編 お兄様と毒蛇と鴉③
閲覧注意な不穏回です。
「ロデリッツ公子に暗殺者を送ったのかね」
「………」
夕陽が照らすアステリア王宮の回廊を歩く二人の男。
公爵会議を終えたアルバート公とクレイモア公だ。
アルバート公は周囲に人がいないのを確認してから低い声で尋ねた。
「……左様です。ですが依頼をした暗殺者は音信不通です。あの細腕の貴公子に暗殺者を撃退できる力があるとは思えず不思議に思っております」
「金を持ち逃げされたか、無様だなクレイモア公」
あっさりと事実を認めて苦笑するクレイモア公に、アルバート公は低く吐き捨てるように呟いた。
「どうもあの貴公子は悪運が強いようです。閣下の毒を口にしても生き残りました」
「死ぬ量ではない、あくまで“灸を据えた”にすぎん。殺してしまったらカトリーナが悲しむだろう?」
「………」
エドワルドは妹のカトリーナ王妃のお気に入りだ。殺すまでは至らないと兄のアルバート公は判断したのだろう。仮にエドワルドが毒に倒れそのまま死んでいたら、カトリーナは王家の力で兄を取り潰した気もした。アステリア王国屈指の財力を持つアルバート家には王家とやり合う力はあるが、ここで争って共に弱ったところを狙う第三陣営が現れないとは言い切れない現状、大規模な兄妹喧嘩は避けたいとの考えなのだろう。
「お優しい、さすがアルバート公爵閣下。慈悲深さを見習いたいですな」
「心にもない言葉はよせ。貴公の言葉は軽すぎる」
「はは……耳が痛いです」
毒蛇のように睨む老獪な公爵、その眼差しを受けるアルバート公より若干若いクレイモア公は冷や汗をかいた。
ここ最近は、アルバート公の攻撃をいつもは受けていたデュラン公が何故か若い公子に構うので彼の圧を受けるのがクレイモア公になっているのだ。
「(くっ……デュランの馬鹿当主め……何を子供の遊び相手に成り下がっているんだ。アルバート公の圧に怯えて震えるのがおまえの役目だろうが)」
「……時にクレイモア公、近々のロードはどう思うかね」
ちょうどデュラン公ことロードフリードのことを考えていたのでクレイモア公は驚いた。ロードと愛称で呼んだアルバート公は回廊の向こうに見える中庭の噴水を目を細めて眺めているようだ。
「デュラン公はロデリッツの若君がお気に入りのようですな」
「あの若者は人を誑かすのが好きなのかね。最近はずっとロードは公子を隣に侍らせている様子だ。城中で、あの二人の関係について何か特別な関係なんじゃないかと囁く噂まで耳に入るようになった」
「まさかデュラン公は愛妻家で子煩悩な男ですよ閣下。それこそ鼠のように家族を愛して守ろうとします。大した力を持ってない所も似ています」
普段は何を言われても青い顔をして薄笑いを浮かべるしかできないデュラン公も、先日息子を馬鹿にしたクレイモア公には珍しく反論をしてきたのだ。
その様子を忌々しく思い出しながらクレイモア公は呟いた。
「あの男の前でヴィンセント公子を殺めたら、とても面白いことになりそうですな」
「悪い趣味だぞクレイモア公。仮にもデュラン公子にも王家の血は流れている。放棄しているようなものだが一応は王位継承権を持っている」
ヴィンセントの母は王の妹、現状の次期王位は王妃の息子のアルフォンスでほぼ確定だが少なくとも病に負けて歩くことすらままならない第二王子よりは王太子の従兄弟は王座に近いとアルバート公は考えているようだ。
「ですがデュラン公は王妃様に従順な方。息子の王位など微塵とも考えておられないでしょう。ステラーシャ様はどうお考えかまではわかりませんが」
「王妹殿下は、側妃の件があってからひどく心を病んでおられる。カトリーナもひどい女だ、言いがかりのような難癖で王妹の親友である側妃を見せしめのように処罰したのだから」
「心を病むのも仕方ありません。聞けばここ数年はほとんど屋敷の中に閉じこもっておられるようで」
デュラン公の妻、ステラーシャの真実。
一般的には体調不良ということになっているが、その真相は心の病であった。
夫であるデュラン公が必死に隠しているのだろう、その真実は一部の者にしか明かされていないようだ。
「妻がそんな状態では、デュラン公が若輩者の相手をして気を紛らわせようとするのも致し方ないのかもしれん。どうせあの礼儀知らずの公子はそう遠くないうちに家ごと沈む運命だ。今だけは好きにさせておくか」
「そのようで……」
アルバート公は好き勝手にデュラン公を嘲笑うと納得したように深く息をついた。
「(なんでもいいからアルバート公の圧を受けて怯える立場に戻ってこいデュラン公……それくらいしか役に立たないのだから仕事をしろ。あの顔しか取り柄のない木偶の坊め!!!)」
「もし……」
二人の公爵が進む回廊の先に、いつの間にか一人の人物が立っていた。
穏やかに微笑んで、こちらを見据えて静かに礼をする。
「きみは……」
「ご無沙汰しておりますアルバート公爵閣下、ソフィア・オベロンでございます」
華やかな王宮にあまり相応しくない地味なドレスを身に纏ったダークブラウンの髪の人物は、紫紺の瞳で優雅に微笑んだ。
一見すると少し背が高い以外はごく普通の令嬢なのに、どこか異質なオーラを漂わせているようにクレイモア公には見えた。
「なんだね!突然現れて!!」
「良いクレイモア公、下がれ」
クレイモア公は不快の声を出すが、隣にいるアルバート公がそれを低い声で制した。
「しかし」
「下がれと言っている。彼女は私に用があるのだ。同じ言葉を何度言わせるつもりかね?」
「………失礼いたしました」
アルバート公はつかつかと歩み進めると現れた人物の隣に行き、小さく何かを言葉を交わした後そのまま先に進み始めた。
「クレイモア公、申し訳ございません」
ソフィアは少しも申し訳ないと思ってなさそうな口調で詫びを入れ背後に控える中年公爵を一瞥して鼻で笑うと、アルバート公とともにスタスタと先に行ってしまった。
「(令嬢ごときが……この私を嘲笑っただと!?)」
残されたクレイモア公は、怒りを滲ませた拳を壁に叩きつけ二人が消えた方角に深く唸った。
その目には、暗殺者にエドワルド暗殺を依頼した時と同じくらいの怒りの感情が込められていた。
────────────……
エスメラルダ・ロデリッツを次期王妃の座から追い落とすのを手伝ってほしい。
アルバート家の夜会で姿を見せた、呼んだ覚えのない人物は、黒色のドレス姿で彼の前に現れるとにっこりと微笑んだのだ。
普段なら速攻つまみ出される呼ばれざる客のその異質なオーラに、アルバート家当主のヴォルマーは気まぐれに来訪者の話に耳を傾けることにした。
「……私が手を貸す見返りは?」
「我がオベロン伯爵家は旧都ノクタリア派の筆頭。帝国の魔法使いが閣下の手先になりますわ」
魔導帝国ノクタリア、400年前に建国の聖女によって倒された国の名前だ。嘗てこの大陸を統べた栄華を極めた闇夜の帝国は華やかな魔法技術によって支えられたという。
そして魔法使いが希少な現代の王国にて、魔法の扱える者は千人の兵よりも価値があるとまで言われているのだ。
「……闇夜の亡国の残党か」
その価値を知りながらも、毒蛇の公爵は低い声で呟いた。
「帝国派と大層な名前をつけられてはおりますが、実際は只の懐古主義でしかございません。使ってみて閣下のお気に召さなければ何なりと処罰をなさってくださって結構です」
「……それで、私は何をすれば良いのかね」
鴉の羽根のような色合いの漆黒のドレスを身に纏ったオベロン伯爵令嬢を名乗る人物は、照明の灯に照らされて静かに微笑んだ。
「翠玉姫の失墜と、忠義の家の没落のご助力を」
ロデリッツ家、建国からの忠臣の家。
実質の王座の支配者であるアルバート公がこの世で一番煩わしく思う、古狐と呼ばれる厳格な公爵の家。
「……詳しく話を聞こう」
「閣下が大変理解力の高いお方でとても嬉しいです」
くす。と小さく笑いソフィアは恭しく礼をした。
「改めまして私はソフィア・オベロン。オベロン伯爵家、次期当主となります。帝国の力、存分にお見せ致しましょう」
「………」
交差する視界、その双方の目は少しも笑っていなかった。
敵の敵は味方、それだけの関係。
それでも麗しの公爵令嬢を失墜させるには十分すぎる力であったのだ。
翠玉の公爵令嬢、エスメラルダの失墜はその後、心なき者たちの手によってあっさりと達成された。
────────────……
「今日は何の用だね」
王宮の一室、少数の従者以外は人払いをされた部屋。王妃の兄であるアルバート公の執務室である。
アルバート公が王宮に滞在する時のためだけに使う部屋だというのに所かしこに贅を尽くした家具や調度品が軒を連ねており、ちょっとした芸術館のようであった。
中央の大理石のテーブルを挟み対峙する二人、傍や老獪な毒蛇の大公爵。もう片方は黒き鴉の伯爵令嬢。
公爵はお気に入りのワインを燻らせるとゆっくりとその芳醇な香りを愉しんだ。
「公爵閣下におねだりをしに参りました」
「……話せ」
「私の親友を、閣下の庇護下に置いていただきたいのです」
ヴォルマーは、親友は誰のことを言っているかすぐにわかった。
二人の力で失墜させたエスメラルダの代わりに次期王妃候補となっているリリエッタのことである。
そして、目の前の伯爵令嬢がほんの少しも『親友』などと思っていないことも冷めきった瞳を見てすぐにわかった。
「王妃様に命を狙われています。昼間、カトリーナ様付きの侍女がリリエッタを階段から突き落とすところを私の配下の者が見ておりました」
「カトリーナめ、ついに動いたか」
「別にリリエッタがそのうち死のうが私はどうでも良いのです。ですが、そのタイミングは『今』ではない」
ソフィアは静かに残酷な言葉を並べると、ゆっくりと相手の様子を伺うように目線を送った。
「王妃様はおそらく何としてでも逃走中のエスメラルダ様を元の次期王妃の席に座らせるおつもりでしょう。私としては国を挙げての大々的なお披露目のパーティーにまでにリリエッタの席を守り切ればそれで十分」
その後はどうなっても、と付け足してソフィアは微かに笑う。
「……リリエッタ嬢はとても良いお友達をお持ちだ」
ヴォルマーは何の感情を浮かべないまま静かに頷きワイングラスを傾けた。血のように赤いワインがゆっくりと彼の喉を通っていく。
「ありがとうございます、私の大切な親友をどうかよろしくお願いします」
「………」
暗い部屋、月の明かりと微かな蝋燭の照明だけの灯に照らされた二人の怪物。
毒蛇と鴉は暗躍する。お互いにこの同盟はいずれ簡単に崩壊するとわかった上での共闘だ。
「ソフィア嬢に茶を」
「お気遣いは不要ですわ、要件のみでそろそろ失礼します」
話を終えて、ヴォルマーは控えていた従者に声をかける。従者は頷いて部屋の外に出ていった。
ソフィアは慌てて立ち上がる。
ヴォルマー・アルバートがどのような人物かを知っているからだ。
「……私の茶が飲めないと?」
低い圧。退出は許さないと言葉がなくとも男の目はソフィアに語っていた。
「…………ありがとうございます」
すぐに入れられるお茶。一見普通のお茶。
ソフィアが大嫌いな甘い匂いが、きつい吐き気を催した。
「どうぞ?」
飲め。老獪な公爵の声がそう促した。
「………」
震える手でソフィアはカップを手にした。
唇の隙間から紅茶を口内に流し込んだ。
「ソフィア嬢、きみとはもうしばらくは仲良くしたいからひとつ忠告しておこう。……私は礼儀知らずの若者がこの世でいちばん嫌いだ」
口の中の違和感。ソフィアの予期した通りだった。
震える手からアンティークの高級そうなカップが落ち、床に砕けた。
「…………ぐッ!」
ソフィアが慌てて手を押さえた指の隙間から、公爵の持つグラスの中で揺れる液体と同じくらい赤い雫がポタポタと溢れ大理石のテーブルに滴る。
「クレイモア公は言葉は軽いが私に尽くす良き盟友なのだよ。伯爵令嬢如きが甘くみくびらないでいただきたいものだ」
「………大変、失礼を……」
震えながらソフィアは視線を、楽しそうに微笑む男に向けた。
毒を盛られたのはよくわかる。痺れる舌先がそれを告げている。
「二度目はない。なあに、しばらくは寝込むことになると思うが死んだりはしない程度の毒だから安心したまえ。若者に灸を据えるのは慣れているのだよ」
「………は……い」
ヴォルマーの脳裏には、王妃の庭園で倒れたエドワルドの姿がよぎった。あの日、物陰からその様子を窺っていたのだ。あの時は流石にやりすぎて彼をひと月も寝込ませてしまった。
あの生意気な若い狐の翠玉の目、平然を装ってはいるが無表情の顔の下から微かに漏れている憎悪と恐怖。
あの令息は心身ともに深傷を負っている。彼の見た目に似合わず屈強な心を折るのもそう遠くないとアルバート公は慢心していた。
忌々しいロデリッツ公の最後の希望が潰える日は近い将来必ず来ると、アルバート公は静かにほくそ笑んでいるのだ。
「リリエッタ嬢のことは任せてくれて構わない。ソフィア嬢は何やらいろいろと忙しい様子、どうだろう二、三日ほどこれを機にゆっくりと静養してみるのも良いんじゃないかね」
ソフィア・オベロンが城内で暗躍していることはとっくにアルバート公は知っていた。
カトリーナが以前話していた『リリエッタに比べたら少しマシな娘』がソフィアのことを指しているのも気づいている。
おとなしそうな顔をしてとんでもない策略者だ。リリエッタを始末した後、ちゃっかり後釜にでも座るつもりなのかと内心憤っていた。
「………」
「私は紳士だからね。傷ついた者をこれ以上痛めつけたりはしないさ。安心してくれたまえ」
ヴォルマー・アルバートはそう言って笑うと、床に崩れ落ちるソフィアを冷たい目で見下した。
「ソフィア嬢はお疲れなご様子だ。部屋にお連れして差し上げろ。くれぐれも姿を見られないように」
そう従者に指示をして、再びお気に入りのワインに舌鼓を打った。ソフィアが従者たちに運ばれるのを横目にほくそ笑む。
今宵の勝負は、老獪な毒蛇が勝利を収めた。
ソフィちゃん……どんまい。
アルバートのおじさまは勤務中に酒飲んでんじゃないよ




