饗宴編 北の辺境にて愛を捧ぐ①
「メイス様、その後はいかがですか?」
「えっ、ごめんセラフィナちゃん。何の話」
辺境伯邸のセラフィナが借りている部屋でお茶を飲みながら婚約パーティーのドレスの最終打ち合わせも兼ねた世間話をしているとふいに清廉なシスターは尋ねた。
「合コンの後のお話です。わたくし、気になっておりましたの」
「セラフィナちゃん恋バナとか好きなタイプなん?聖職者なのに……」
「恋愛自体にさほど興味があるわけではございませんがメイス様のことは気になりますわ。昨日はレオン様やロッド様もいた手前お聞きできませんでしたし」
そう言ってセラフィナは頬に手を当てて小首を傾げた。
昨夜はブラン商会の店舗でセラフィナの作った料理で晩餐をしたが、恋の話はセンシティブかつデリケートなので気配り力の高い彼女は気を使ってくれたのだろう。
「………えっと、実は昨日騎士団にロッドと行ってガレスはんに会ってきたで」
「まぁ!」
「でもロマンティックなことはなかったわ、ガレスはんは忙しそうで殆ど遠くからちらっと見ただけや。思い切って近寄っても恥ずかしいのか顔すらも真っ直ぐに見てくれへんもん」
メイスは手をひらひらと振りながら、困ったように笑った。
ガレスの女性慣れしてないところはセラフィナも見ているのでその様子を想像するのは簡単であった。
「そうなのですね……」
「合コンの次の日にもウチ、騎士団に一人で会いに行ったんやけどそこでちょっとトラブルがあってな……ガレスはん、ぶっ壊れてしまったんや」
“壊れる”
人のことをそう表現をするのは不適切だろうとはメイスはわかっている。
だが、それ以外に表現のしようがなかった。
誠実で優しくて口下手だがとても綺麗な目をしていると思っていた青年が、メイスの前で突然狂ってしまったのだ。
「辺境伯さまがわざわざ店にお詫びに来る騒動やったんよ……ガレスはん、馬の前だとおかしくなってしまうんやって。そんなん知らんかったからほんまに驚いたで」
「………」
セラフィナは無言でお茶を飲んだ。
彼女は馬の前のガレスの狂気を知っていたので、黙っていたことに罪悪感を覚えているのだろう。
好印象を持っているメイスに、ガレスの秘密を打ち明ける必要はないと彼女なりに思ってはいたのだ。
「ガレス様はなんと?」
「それまで結婚を前提に友達に……って話だったのにいきなり大きな声で『結婚してくれ』って言われたんよ。何が琴線に触れたのか検討もつかん」
「……ガレス様にのみわかる天啓が降りたのかもしれませんわ」
「シスターのセラフィナちゃんに言われたら何も反論できへんなぁ」
セラフィナの真摯な言葉にメイスはそう言って苦笑した。本人も天啓だと言っていたし、そういうことにすることにした。彼のことをここで話していても一生理解するのは無理だと悟ったからだ。
「……さぁ、仕事の話に戻ろう!デザインはこんな感じでええな?清楚なセラフィナちゃんには白いドレスがお似合いや!白は聖職者特権でパーティーで着ても許されるんよ!ルチーアさまの紋章を免罪符にすりゃ問題あらへん!これは目立つで!!」
「はい。とっても素敵なデザインで惚れ惚れします」
話を強引に切り替えたメイスは、デザイン帳を開いた。描かれているのはセラフィナが婚約パーティーに来て行くドレスのデザインだ。
体のラインが目立たないふんわりとしたシルエットでシスター服をモチーフにしたので清貧な彼女も抵抗なく着れるだろう、白いドレスに金の刺繍。正統派な型の露出少なめな長袖のドレスだか流行の首元は少しだけ開けてきっちりしすぎない、程よく正統派と流行を双方取り入れたデザインだ。
「髪は流行りの巻き髪にしよかと思っとるけれど、なんかお嬢さんがやるって言っとるんよ」
「まぁ、ミルリーゼ様が?」
「ウチ、髪は専門外でお嬢さん、手先が器用やし髪いじるの得意やから本人はやる気みたいやけど心配ならお断りしとくで?」
「いえ、構いませんわ。ミルリーゼ様にお任せしますね」
まさかの申し出に驚いたが、セラフィナは受け入れることにしたようだ。
いつも同じ三つ編みヘアのミルリーゼが果たしてパーティーに行けるような髪を作れるのかは未知数だが、彼女はたくさんの服を持っていていつもおしゃれだし、芸術と服飾の街の旧都の生まれ。きっと悪いことにはならないだろうと聖職者の感が告げていた。
「それじゃ決定や!!セラフィナちゃん、楽しみにしててな!張り切って仕立てるで」
「はい、メイス様のドレス……心待ちにしていますね」
メイスは勢いよく立ち上がると、メモを書き込んだデザイン帳を鞄にしまい帰り支度を始めた。
「それじゃウチ、明日の馬車で王都に帰るわ。セラフィナちゃん湿っぽいのは苦手やねん、ここでお別れにしよ!王都で会おうな!!」
「はい、メイス様の旅の安全をお祈りいたしますわ」
メイスはそう言ってウインクをすると勢いよく部屋を飛び出した、最後に振り返る。
「ウチほんまにセラフィナちゃんに会えてよかったと思っとる!正直ガレスはんよりセラフィナちゃんのが好きや」
「そんなことおっしゃらないでください、どうかご自分の心に向き合ってくださいませ。今日のメイス様は何やら悩みを抱えているように見えましたわ」
「ははは……聖職者さまには敵わんなあ」
メイスは寂しそうにぽつりと呟くと、手を振って簡単にお別れした。
やけにあっさりとした最後だが、王都での再会の約束はあるし、本当に湿っぽいのが苦手なのだろう。彼女らしいお別れだった。
メイスは辺境伯邸の門番に挨拶をすると街の店舗に戻ろうと雪が少し残る道を歩み始める。
「………」
頭によぎるのは親友の言葉であった。
自分の心に向き合う。つまりこの前ガレスとのことをなぁなぁで誤魔化して王都に逃げようとしている自分への忠告にも感じられた。
「(あんな頭打っておかしくなった男と結婚なんて無理や!ミルリーゼさまも機嫌なおして、強制結婚は白紙って言ってくれたしこれでええんや……ウチはまた新しい金蔓見つけて誑かせばええ話や)」
メイスはそう思い強引に納得させた。
「(酒飲めへん男なんてつまらん!ガレスはん、口数少ないから一緒にいてもつまらへんし!デートに誘って職場の食堂なんてムードもないところに連れて行く男なんてありえへん!!)」
進む道、サクサクと雪を踏みながらメイスはひたすらに歩んだ。
ここでガレスと会わずにお別れしてキッパリなかったことにするつもりである。本当は昨日、弟と騎士団に行って本人にお別れを告げる予定だったのだが、勤務中のガレスはあからさまに目を逸らして、顔も見ようともしなかった。
メイスが話しかけても空返事でメイスは空気を読んでほとんど会話もないまま帰宅したのであった。
「………」
メイスの頭にガレスの声が蘇る。
『心身ともに美しい』
壊れたガレスから言われた言葉だ。
そんなわけがない、とメイスは立ち止まり持っていたカバンの紐を強く握った。
孤児であったメイスも血の繋がらない弟のロッドと同様、子爵家に迎えられるまで常にボロボロであった。ブラン子爵に会うのがあと数ヶ月遅かったら彼女は夜の街に立っていた可能性が高かった。そんな育ちであった。
本当なら親友となった聖職者のセラフィナと会話するのも憚られるような身分なのだ、そんな自分を美しいと言ってくれる男なんて今までいなかったのだ。
「………あれ、おかしいな」
ポロリと涙が溢れてきた。
なんで泣いているのかわからなかった。
「ウチ……あんな男もともと金蔓としか見てへんもん。ガレスはんに嫁いで、寄生して、生活費全部養ってもらって……ウチの稼ぎ全ツッパしてミルリーゼさまの借金返そうとしてる悪女やもん」
メイスの計画は、一般的な悪女像よりだいぶマイルドなものであった。
メイスの理想の相手の条件のひとつは、『結婚後も働くことをゆるすこと』だ。それはメイスの悪女計画に基づく願いであった。
ガレスや実家の男爵家の財産には手を出さず、求めるのはあくまで生活の保障。借金は自力で返そうとしているのである。
孤児の育ちで幼少期から欲がなく、ブラン子爵家であたたかく迎えられ育てられた彼女には他人の財を奪うという『搾取』の発想がなかったのであった。
むしろ低賃金で雇われている彼女にとって自分が搾取側に回るという発想に至れないのかもしれない。
「………こんなウチを綺麗なんておかしすぎる。笑えへんジョークやわ……」
涙を手で拭いながらメイスはその場にしゃがみ込んだ。
「………」
頭を抱えて考える。
もう答えなんてとっくに本能は決まっていた。理性を抑え込むようにメイスは強く頭を悩ませた。
「うじうじ悩んでるのは性に合わんわ!!どうせもう辺境には来ないし、ケジメつけたる!!」
メイスはしばらく悩んだ後、街に向かっていた足を騎士団の駐屯所に切り替えた。
メイスちゃんの楽しい悪女計画の全貌がついに明らかに!




