奔走編【???視点】
朝、目が覚めて生きていることに感謝をする。
今日も無事に朝が迎えられた。
夜中に寂しく死なずに済んだ。
そう遠くない未来に訪れる私の生命の終わりは、せめてあたたかな日差しの中で迎えたい。
真っ暗な闇の中で孤独に死ぬのはやはり怖い。
「……っく、はぁはぁ……楽に死ぬのも簡単じゃないな」
そんなふうに皮肉に笑いながら、私は手足の震えがおさまるのを待った。
全身の身体が重い。
息をするたびに肺が締め付けられるような苦しさを訴える。
毎日のように髪が抜けるし、もともとは半分だけ血の繋がりのある兄上と同じ明るい金髪だった髪の色は白に近い色になってしまった。
「おはようございます。アッシュ殿下、お身体の具合はいかがですか?」
「変わりはないよ……すまない、着替えたいから支度を手伝ってくれるか?」
「仰せのままに」
部屋に入ってきた私の唯一の従者に頼んで身支度を整えた。
体を起こすのにも一苦労なほどに私の身体は病んでいる。
継母上が言うには私の不調の原因は、謎の病らしい。
医者や治癒師が診察をしてもその原因はわからないまま私の体調はどんどん悪化しながら半年が立ってしまった。
「お食事は如何しますか?」
「銀の杯に、飲み物だけを頼む。固形物は飲み込めないと思う」
「……治癒師を呼びますか?」
「呼んだところで治らないのがわかりきってるから不要だよ。今日の予定を」
「はい。今朝は定例の会議にアルフォンス殿下は多忙の為不在とのことなので、代理で出るようにカトリーナ妃殿下より言伝がありました」
「兄上は、新しい恋人の相手で忙しいからな」
なんの変色もない銀の杯に注がれた果汁の飲み物を口に含みながら、ゆっくりと嚥下した。
多量のものを飲み込む力は、今の私にはほとんど残っていない。
兄上の婚約破棄を病床で知ったのはつい数日前のことだ。
婚約者だったエスメラルダは、令嬢としてお手本のような人物でどこを見ても完璧な方だった。
いまだにそんな彼女が殺人未遂事件を起こしたなどにわかには信じられない。彼女はどこから見ても高潔で常に正しい、心身ともに美しい完璧な令嬢だ。
そんな人を捨て、新しく選んだという男爵令嬢を見た時は、あまりの落差に目眩がひどくなったものだ。
「カトリーナ妃より、会議の後は昼食を共に取るようにとのことですが、いかが致しますか?」
「断るわけにはいかないだろう。カトラリーをこっそり入れ替えたいから用意を頼む」
「承知いたしました。では会議に向かいましょう。お捕まりください」
従者のユーリスの手を借りて私は歩き始めた。
もう自由に動く力はほとんどない。
私の身体はそう長くは持たないだろう。
「か、……は。すまない吐血した」
「殿下、すぐに変えのお召し物をお持ちします」
「頼む」
咳き込んだ衝撃で、口からは鮮やかな鮮血が舞った。
ユーリスは慣れた様子で私の部屋に戻りに行った。
私が一人で暮らしている離宮は、彼以外の家来はいないのだ。
この離宮は、元々は側室であった母と二人で暮らしていた。
母は爵位の低い貴族の家の出身ではあったが、とても優しい方だった。
父上がまだ存命だった頃は、忙しい公務の合間を縫ってたまに離宮に顔を見せてくれた。
私が記憶する上では父上は、正室の子である兄上と側室の子である私とで、扱いの違いはほとんどなかった。
父上が亡くなった時、私の世界は変わった。
優しかった母上は王妃によって、謂れなき罪で王宮の最奥にある罪人が幽閉される塔の中で死んだ。
私の身体は、病に侵された。
最初は軽い咳のみだったのに、手足の痺れ、喉の異常な渇き、常に痛む頭。
髪が抜けて、目立たなくさせるために短くせざるを得なかった。
「なんて見窄らしい。せっかく顔だけは陛下に似ていたのにもったいない」
短髪にした私を見た時の、継母上の嬉しそうな顔はいまだに忘れられない。
私の死を、この世界で一番に期待しているのは間違いなく継母上だろう。
私は私の名前が嫌いだ。
私が産まれた時に、王妃がむりやり名前をつけたらしい。
立場が弱かった母上は、抵抗することができなかったと何度も私に詫びていた。
「……アッシュ、遅いではないか」
「支度に、手間取りました。申し訳ございません」
会議室に入ると、豪華に彩られた会議の場にはすでに継母上である王妃の姿があった。
本日はこの国を支える四大公爵の会議だ。
参加するのは、父上の妹君である叔母が嫁いだことで筆頭公爵となったデュラン家。
莫大な資産を携える、この国の財務卿でもあるアルバート家。
軍事を支える王立騎士団の団長の家であるクレイモア家。
だが、ひとつだけ会議が始まっても空席のままの椅子があった。
建国より王家を支える名門のロデリッツ家だ。
本日の会議にはロデリッツ家、当主の姿がなかった。
「ロデリッツ公はこの度の事態の収集が収まるまで謹慎を申し付けた。学園で問題を起こし逃亡したエスメラルダ嬢の身柄を王家に差し出すまでは決して登城を許さぬ、とだ」
「エスメラルダ嬢にも困ったものですねぇ」
兄上とエスメラルダ嬢との婚約によって、一時期は筆頭公爵家の座が危うくなったデュラン公爵が嬉しそうに相槌を打った。
「(ロデリッツ公がいないのか……)」
私は与えられた資料を横目に、残念に思った。
四大公爵と呼ばれる家の中で、ロデリッツ公は一番厳格ではあるが民を想い常に国のために働く公爵だ。
その言葉には厳しさもあるが、極めて真っ当な思想の持ち主で尊敬に値する。
そして、現状の公爵家で唯一、私の死を望んでいない人物だ。
「アッシュ殿下は本日もお身体の具合がよろしくなさそうで」
ニヤリと、下卑た笑いが聞こえた。老いた公爵の一人がアッシュを品定めするように見ていたのだ。
「あまり無理をしてはいけませんぞ殿下」
「兄上殿にまかせては?」
公爵たちが、病で目線の定まっていない私に嘲笑をむけていた。
愛想笑いで受け流すことしか、私にはできない。
「みっともなくて仕方ない。陛下の血を引いていながら病に負けるなど恥ずかしくて表舞台にも出せんわ」
王妃は冷たく言い切ると、会議を続ける。
本日私をこの席に呼んだのは、不健康な私は王位の後継にふさわしくないと自分の手が回る公爵たちに改めてお披露目するためだろう。
「申し訳、ございません継母上……」
私は苦しくて、今にも咳き込みそうな気管支をどうにか歯を食いしばって耐えながら、今後も何も変わらない騎士団の巡回地区についての話し合いを続けた。
彼らは今後も王都の周辺都市の公爵領のみを巡回するらしい。
魔物の牙から助けを求める民たちは、その巡回路の外側に沢山いるということを知らぬわけではないだろうに。
会議の後は、王妃に呼ばれて昼食会となった。
私は義母上の目を盗んで差し替えたカトラリーで食事をとる。
「残さずお食べ、体の弱いお前を思ってシェフに銘じて作らせた特製のスープだ」
血のような真っ赤な紅を刺した王妃は、機嫌良く笑った。
歪な唇の形が変に印象に残る。
「ありがとうございます継母上」
私は何食わぬ顔で、野菜のスープを掬った。
純銀で作らせた特注のスプーンは、スープを掬った瞬間に真っ黒な色へと変化した。
嗚呼、
私は後、どれくらい生きられるのだろうか。
アルフォンスの腹違いの弟君の物語。
エルから見た父が厳しく無慈悲な父親でも、アッシュから見たロデリッツ公は尊敬する貴族である。
人の顔は一方からだけではわからない。
そして、
自らの息子に高貴と、義理の息子に灰と名付けた王妃様の物語。
2025.04.03 誤字報告ありがとうございます。