饗宴編 バイト戦士レオン①
「……らっしゃっせ〜……」
「声が小さい!もっとお腹から声を出して!!」
ブラン商会、ガラハッド支店。
ついに開店の日を迎えた店内に嫌そうに声を上げるレオンとそれを指摘するミルリーゼの声が響いた。
「お兄ちゃん!接客舐めないで!!もっと誠心誠意心を込めて接客して!!」
「…………」
「ミルリーゼさま、レオンさんが本当に怒っている顔をしてますからほどほどに……」
あからさまに怒りオーラを纏うレオン、それを知ってか知らずかカウンター越しに檄を飛ばすミルリーゼにロッドが隣から恐る恐る声をかけた。
「ロッド!舐めんじゃないよ!お兄ちゃんは僕と天下を狙うと誓ったんだ!!なぁ!」
「そうだな俺の脳漿に一ミクロンも存在しない記憶だ」
「あのレオンさん……ミルリーゼさまがほんまにすんません……誠に申し訳ございませんでした」
声の抑揚のないレオンの圧に怯えながら、ロッドは顔を青くして精一杯謝罪した。
本日はようやく準備の完了したブラン商会のガラハッド支店のオープン日だ。
綺麗に整理整頓されて掃除の行き届いた店内は、旧都にあった同じ店主の店とは思えないほどに清潔で明るいお店だった。
店舗自体も前の店主が老齢で引退したとは聞いていたが、その割には建物自体は比較的新しく店舗とセットで付いてきた家具もどれも問題なく使えるものばかりだった。
「しかし、ほんまにええ条件で借りれたんやね〜、ミルリーゼさま、ガラハッド辺境伯にどんなおべっか使ったん?」
店の奥から顔を出したメイスが、店内を見回しながら呟いた。
朝方まで彼女は仕立て屋の作業をしていたので、その目元には隈がありどことなくやつれている。
「メイス、すごい顔!休んだ方がいいんじゃない?」
「セラフィナちゃんのドレスのデザインを考えていたんよ。案を何案か出来たからそのうちセラフィナちゃんに会いたいのやけど」
「姉さん朝まで頑張るのもええですけど、ほどほどに」
「………」
レオンは店舗の中で微笑ましいやり取りをするミルリーゼと姉弟を見た。
レオンの目から見ても、髪の色こそ同じだがあまり似ていないメイスとロッドは姉弟と言われて違和感があった。
おそらくだが不自然なくらいに同じ髪の色も、同じ毛染め薬で染めている気もするがレオンには関係ないので深入りすることはやめておく。レオンとしてはブラン商会のバイトなど速攻辞めて早く主人の元に帰りたい。
『レオン、ミルリーゼのお店でバイトをするって聞いたわ。頑張って!あの子を助けてあげてね!私は大丈夫よセラフィナがいるから』
そう言って送り出してくれたエル。その背後に控えるセラフィナの目が妙に勝ち誇っていたように見えた。
セラフィナはそんな性格ではないと分かっていても、今のレオンには世界の全てが敵に見えた。
いまはもう、この世界で一番の忠誠を誓うエルの元に戻りたかった。
「えっとー正午の開店の前に最後の挨拶回りに行くけどメイスはそんな状態だと出歩かない方がいいね。辺境伯のところにもいくからお兄ちゃんついてきて!」
「………わかった」
「ロッドは店番宜しくね!もし僕が時間までに戻って来なかったら開店しちゃっていいから」
ミルリーゼは外出用の防寒着を着込みながらテキパキと指示をする。
しかし今日の彼女の装いはいつにも増して、18歳の貴族令嬢が着るにはすこしばかり幼いデザインの服装に見えた。
「辺境伯に会うのだろう?閣下はお前の年齢を知ってるぞ……引かれるんじゃないか?」
「いいの、多分ガラハッド伯はあまり細かいこと気にしないタイプ!あと、これは勝手な予想だけどたぶん頭では理解してても僕とエリザベートを同じ目で見てる」
カイルの妹のエリザベートは14歳だ。
ミルリーゼが本日着ている可愛らしいフリルやリボンを多用した甘い印象の服は彼女の年齢ならば問題なく着れる服だろう。
「僕の可愛さで媚のバーゲンセールをするからね!やれることは全部やるさ!プライドでお腹は膨れない!」
「おまえ……なんていうか……すごいな」
腕を組みながらミルリーゼはドヤ顔をした。
本当に可愛らしい顔立ちに似合わない胆力の持ち主だ。金をやるから靴を舐めろと言ったら本当にやりかねない気概を感じる。
「お嬢さん……どうして本当にこんな風になってしまったんでしょうね」
カウンターの椅子に座りながら、ロッドは胃薬を飲み呟いた。
彼の胃はそろそろ本当に限界かもしれないと、ロッドに見送られながらレオンは内心思った。
「ガラハッド辺境伯閣下、この度ようやくお店の準備が整い開店の運びとなりました。本日はそのご挨拶に伺いました」
本日は自宅で勤務しているという情報からガラハッド邸にやってきたミルリーゼはやはり完璧なマナーで執務室にいるカイルの父のガラハッド辺境伯に丁寧な挨拶をした。
「おぉ、ようやくか。開店おめでとう、マリアも楽しみにしてたからそのうち店に邪魔をさせていただこう」
マリアはカイルの母でガラハッド夫人の名前だ。
本当は北の国の言語の別の名前もあるらしいが、多民族国家の北の国でも少数民族の出身だという彼女が使う言語はアステリア王国では発音が難しいらしいので辺境伯との結婚を機に『マリア』と名乗ることにしたらしい。
その難しさは、近隣諸国の日常会話をマスターしてるエルでさえカタコトがやっとなくらいらしい。
『山奥で細々と数世帯で暮らしているような民族だからね、仕方ないよ』とカイルの母は舌をもつらせるエルを見て微笑ましそうに笑っていた。
「これはわたしの父からです。レオンさん例のものを」
「……はい、閣下どうぞ」
レオンはミルリーゼから持たされていた酒瓶をガラハッド辺境伯に手渡した。
ガラハッド辺境伯も、オズほどでなくても食後に毎晩酒を嗜む程度には酒好きである。
そして漆黒のラベルに金文字のウイスキーは、国中の酒好きが喉から手を出して欲する至高の逸品、旧都が誇る秘酒ノクタリアラベルだ。
「これは……!」
「わたしの父は旧都にいくつかコネクションがあるので多少融通が効きますの。お近づきの印に……と言ってました」
ガラハッド伯もそのウイスキーの噂は知っていたのだろう。目を見開いて、ラベルとミルリーゼの顔を見比べている。
「ふむ、ブラン子爵だったね。名前をよく覚えておこう」
「ありがとうございます、父は王都におりますのでもしご縁があった時は何卒よろしくお願いします」
ミルリーゼはそう言っていつか披露したカーテシーをまたもやほぼ完璧に披露して、ガラハッド伯の執務室を後にした。
「おまえ、ずっとその状態でいたほうが良い。かなり賢く見えるぞ」
「それはできない相談ってもんだぜお兄ちゃん」
部屋を後にしたレオンは、速攻モードオフにしたミルリーゼに声をかけた。
先ほどまでの計算し尽くされた完璧令嬢モードは見るたびに頭を打ったのではと心配にはなるが、かなりお上品なのだ。
彼女がこの姿で過ごしていたら、レオンの普段感じるストレスが5割は減る気がする。
「あらミルリーゼちゃん、レオンさんもこんにちは」
ガラハッド邸の廊下で向こうからカイルの母がやってきた。
隣には妹のエリザベートの姿も見える。
「ガラハッド夫人、ご機嫌よう。先ほどレオンさんと辺境伯に挨拶をしてきました」
「まぁ!ってことはついに開店かしら?」
「………」
速攻令嬢スイッチをオンにしたミルリーゼが丁寧に夫人に挨拶をするが、隣にいるエリザベートは訝しげな目で見ている。
彼女はミルリーゼの砕けた話し方を知っているので温度差が不審に見えるのだろう。
「本日の正午に開店です。食料品や雑貨、常備薬などを扱っております。ゆくゆくは服飾の受注注文なども取り扱えれば……と考えております」
ミルリーゼは手を揉みながらはきはきと説明した。
「服飾……ってことはお洋服?ミルリーゼさんが今着てる服もあなたのお店のもの?」
エリザベートはミルリーゼの可愛らしいフリルとリボンをあしらった服を興味深そうに見ながら尋ねる。
「えぇ勿論。この服はうちの仕立て屋が作った服です」
「………あたしもそういうお洋服を着てみたいな」
それは、ミルリーゼの戦略が成功した瞬間だった。
甘いデザインのワンピースは、エリザベートの年齢なら間違いなく似合うし、袖を通すことに問題はない。
「(これが狙いか……ちんちくりんのくせにやるじゃないか)」
レオンは無言で、ミルリーゼを見た。
決して無理があるとか似合わないわけではないが歳の割に幼い服を着込んできたのは、辺境の領主の娘エリザベートに売り込む狙いもあったのだろう。
その策略は見事に成功した。
「ミルリーゼちゃんのお洋服、とってもかわいいけど辺境ではあまりみないデザインよね。旧都の流行かしら?ベティにも似たような服を注文とか出来る?」
カイルの母のマリアはそわそわとしている娘を微笑ましそうに見ながら尋ねた。
「えぇ、えぇ勿論!いまうちの仕立て屋は来月の婚約パーティ参加用のセラフィナさんのドレスを制作してますので、それが終わった後ならエリザベートさんの洋服も仕立てますわ」
にんまりと笑いながらミルリーゼはさりげなく『おまえの息子のパーティの為にうちも頑張ってる』とアピールをする。営業に少しも抜け目はない。
「うん!わかったわ!じゃあ、その次はあたしね!」
「ありがとうミルリーゼちゃん。注文しにあとでお店に行くからよろしくね」
「ありがとうございます!ガラハッド家の皆様にはとてもお世話になっておりますので特別室にて対応させていただきますね」
「(あの店に特別室なんてあったか……?)」
ミルリーゼは丁寧に礼をすると、るんるんとした足取りでガラハッド辺境伯の屋敷を後にする。早速の大型顧客の獲得の予感はブラン商会の新店舗の輝かしいスタートを彩った。
ミルリーゼちゃんの心を込めた素敵な接客は旧都②で見れます。




