饗宴編 ブラン商会の仕立て屋?①
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辺境の街の大通りに面したブラン商会の店舗の住居スペースにあるキッチンに立つメイスは上機嫌に鼻歌を歌いながらミルリーゼの為に料理を拵えた。
大好きな仕える家の一人娘で、メイスが心から愛してやまないミルリーゼをテーブルのメイン席に座らせて不満気な顔の彼女の前に焼きたてのパンケーキを乗せた皿を差し出した。
「……だから、いらないって」
「パンケーキはセーフやろ?ミルリーゼさま前は食べれたやんか」
「生クリームたっぷりなあまあまでふわふわなやつしか受け付けないの!しかもメイスさっき水で作ってたじゃん、それは僕の中じゃパン判定だよ!」
「そないなこと言わんといて召し上がってください!ウチがお嬢様のために愛情込めて頑張って作ったんです!」
ミルリーゼは本日も偏食が発動して、メイスが用意したパンケーキには手をつけなかった。
不機嫌そうに頬を膨らませると、ぷいっと子供のようにそっぽを向く。
「お嬢さん、ミルクが値上がりしてウチの赤字家計じゃちょっと手が届かないんですよ……それに借金も減らないし、旧都からの引っ越しで実費も嵩んでいます」
ロッドが呆れた顔で姉のフォローと苦しすぎる経済状況を告げる。
小麦も卵もミルクもバターも、直近の物価は高騰中なのだ。治安悪化の影響は少しずつ子爵家令嬢とはいえ庶民に近い暮らしを送るミルリーゼの財布を蝕んだ。
「わかってるよ!だから僕だって節制してロッドがいない間はスナック菓子で繋いだよ」
「それはお嬢さんがお菓子しか食べないからでしょう!ほら、我儘言わないで姉さんのパンケーキをさっさと召し上がってください!」
「……半額でもいいからドレス代、エスメラルダ様に請求したらええんとちゃいます?それならミルク使ったパンケーキ焼いてあげられますよ?」
「……メイス」
今までの甘えた子供の声をガラリと変えて、ミルリーゼは冷めた目でドレスの折半を提案した彼女を見据える。
「おまえは僕に恥をかかせたいのか?僕が全額持つって言ったら持つんだよ」
「……失言でしたわ、許してミルリーゼさま」
気を悪くした様子のミルリーゼに、メイスは慌ててごますりの動作をしながらにこやかに態度を改めた。
「ふん。金がなければ作ればいいんだろ。借金が怖くて商人ができるか!ロッド!新しい借金を申し込むぞ!!」
「ミルリーゼさま抑えてください。旧都に残してきた借金取りがあなたを血眼で探しているらしいですよ」
胃薬の蓋を開けながらロッドは主人を嗜めた。
ミルリーゼが旧都時代に店舗運営に行き詰まって重ねた借金の額は元からブラン子爵家にある借金に加えると正直ちょっと笑えないレベルなのだ。
「僕の商売は先行投資なの!いつか絶対儲かるもん!!そうしたら借金も返せる!!」
「お嬢さん、もう雑貨業は諦めて情報屋一本でやっていきません?ミルリーゼさまぶっちゃけ雑貨屋さんに向いてませんよ。また商業ギルドに払う税金も上がるし、もうお店は諦めてきっぱり畳むのもアリなんじゃないんすかね?」
変な勢いで暴走しそうなミルリーゼにメイスが再度、冷静な声で提案した。
彼女は閑古鳥の鳴いていた旧都時代の店舗事情を知っているのだろう。
「ヤダ!!僕はパパの商会もグランパの情報屋も立派に受け継ぐんだい!!」
「はぁ、勢いだけで辺境まで来たけどやはり王都に連れていくべきだったかな……」
ミルリーゼが一行に手をつけない姉の料理を勝手につまみながらロッドはぼやいた。
王都はミルリーゼの両親が暮らしているので、わがまま無茶振り放題の彼女を親の庇護下に置く選択は間違いではないだろう。
甘さのない質素なパンケーキの味が妙に苦く感じた。
その時、商店のドアが開いた。
キッチンにいる三人が訪問者に気づく。
「誰やこんな夜に、……ロッド見てきてくれへん?」
さりげなくミルリーゼを庇う位置に移動しながら、メイスはここにいる唯一の男である弟に様子見を頼んだ。
ロッドも同じ意見だったのか姉の指示に頷いて、ドアの開いた隣の部屋に向かう。
「魔法使いのおじさんだと思うよ」
「ウチ気配消しますか?それとも後々面倒やし挨拶しといたほうがええですかね?」
「気配隠しても違和感を覚えたら、すぐ見つかると思うから無駄だよ。おじさん、すごい魔法使いだから」
隣の部屋からロッドが男性と話している声がする。
声の主はやはりこの店に部屋を借りているオズだ。二人は旧都からの旅すがら面識があるので聞こえてくる会話も比較的落ち着いたものである。
しばらくしてロッドが戻ってきたので、メイスはそのまま居座ることにした。
「ミルリーゼちゃん、ロッドくんが戻ってきてたのか……こちらの女性は?」
「こんばんは魔法使いさん、お話は聞いてます。ウチはメイスといいます。ロッドの姉です。どうぞよろしくお願いします!」
人好きのする笑顔を浮かべてメイスはやってきたオズに明るい声で挨拶をした。
「メイスちゃんね、どうもオズと申します。ミルリーゼちゃんに部屋を借り……」
「前も言った通りロッドがいない間、住み込みで僕のボディーガードをしてもらっていたんだ。エルのチームでオズさんが一番強いから!……そうだよねオズさん!」
「…………」
オズが同居生活の真実を語りメイスの逆鱗に触れる前に、二人の間に割り込んだミルリーゼは用意した言い訳を並べた。あたかも本当のことのように語り、オズにメイスの死角から合図を送る。
察しのいい魔法使いは、いつも自分のことを『おじさん』と呼ぶ彼女の自分に対する雰囲気が違うので大体のことは理解した。
「まぁ、概ねそんな感じです」
オズはミルリーゼの年齢不相応に現実的で、程よい距離感でさっぱりとしたところが気に入っていたのでここは抗わずに乗ってやることにした。
「ミルリーゼさまがお世話になりました。しばらく辺境におりますので、騒がしいですが弟ともどもよろしくお願いします!えっと名前なんでしたっけ?」
「あなたのような美しい女性にお会いできてこちらとしても光栄ですよ。改めましてオズと申します」
「で、本当の名前は?」
メイスはそれまでの丁寧な挨拶の態度を変えて、挑発するような目をした。
「……お姉さん、人にはパーソナルスペースってもんがあるんだ。初対面で深入りするのは嫌われるぜ?」
メイスの挑発を交わすように、微笑みを維持したままオズは低い声で返した。
その目がまったく笑っていないことに、部屋にいた誰もが理解する。
「じゃあ今はオズさんって呼ばせてもらいますわ。でもな、情報を探ってもオズなんて名前の魔法使い王国中調べてもおらんのですわ。ウチとしてはそんな不審人物をミルリーゼさまのそばに置くわけにはいかんのでね?……ね、旦那?こっそりおたくの名前をウチにだけでも教えてくれへん?」
「……ベッドの中で甘い声で尋ねたらうっかり話すかもな」
オズは冗談らしく皮肉に笑った。
ロッドは姉の暴走とオズの皮肉の応酬にハラハラとした面持ちで胃のあたりを手で抑えながら見守り、ミルリーゼは不快そうに歯を食いしばるとその小さな手のひらを強く握っている。
「ええで、それじゃ旦那のベッドで今宵は可愛がってもらいましょうか?どうぞよろしく」
「……マジかよ」
性的な匂わせをしたら若い女性であるメイスは、引いてくれると読んでの言動だったので一歩も引かない彼女にオズの方が引いた。
メイスの煽るような瞳から目を逸らして、気まずそうに後ずさる。
「……おいメイス、その耳障りな話はいつまで続くんだい?おまえは僕の顔に泥を塗りたくて仕方ないんだな、泥パックならお前だけでやってろよ」
場を納めたのはミルリーゼだった。
いつもの甘えたような口調ではなく、仕事人の顔をする時の話し方だ。
その小さな体のどこから出たと疑問が浮かぶほどに凄んだ声で、オズを煽るメイスを止める。
「ミルリーゼちゃんかっこいい」
「おじさんごめん、かわいい僕に免じて許してほしい」
「いいよ、世話になってるから」
「お嬢さん、でもその男の情報がないんです。正規の魔法使いなら国である程度は管理しているのに……そいつが帝国派の手先の可能性はないんですか?」
「メイス、いい加減にしな。僕が良いって言うまで口開くな、もう黙ってろ」
再度オズを問い詰めようとするメイスにミルリーゼが一括した。
悔しそうに口を閉じるメイスの目は果敢に何かを訴える。
「……やば、惚れそう」
オズは小さく呟いた。
隣でロッドが咳払いをする。
「オズさん、依頼の件聞きました。ウチで一番腕利きの諜報員が旧都の帝国派に潜入します。今日は中間報告です」
「あーロッドくんも情報屋さんだったっけ……なるほどね」
オズは先日、帝国派の誘拐された子供の情報をミルリーゼに依頼して手付金を払ったのだ。
オズとミルリーゼだけの内密な話だとオズは思っていたが、どうやら依頼内容はメイスとロッドにも伝わっているらしい。
「重ね重ねごめん、おじさん。おじさんの依頼はブラン商会の外には漏らさないよ。エルにも絶対話さない!」
「ひとまず信用してやる、だから失望させないでミルリーゼちゃん」
オズはチラリと部屋にいる面々を見た。
ロッドはなんとなく信用できる気はする。彼の常識的で誠実な面をオズは以前の旅で見ているからだ。
メイスの方を見ると、親の仇に向けるような目でオズを睨んでいる。
「メイスいい加減にしろ!パパに言ってお前の処分をお願いするぞ!」
「……ミルリーゼさま、お変わりになりましたね。前はそんな甘くなかった、大旦那様の言いつけをお忘れですか?情に流されてるようじゃ、この業界簡単に沈みますよ?ウチは本気でミルリーゼさまを心配しとるんです」
「うるさい、いつ喋っていいって僕が言った?グランパの名前を出したら僕がおとなしくなるとでも思ってるのか?調子に乗るなよメイス」
「………ミルリーゼさま、姉の愚行をお許しください」
ミルリーゼは苛立ちを隠さない顔でかつてないほどに嫌悪感を出した。
ロッドはそっとフォローをする。
「なんか怖くない?情報屋さんって厳しいのね」
「……こんな仕事がカタギなわけないじゃないですか」
オズの率直な感想に、ロッドが漏らした。
「ロッド、余計なこと言うのはよしとき、旦那様の耳に入ったら、次は左手の爪じゃすまんかもしれへんで」
「……爪?」
オズが聞き返す。なんとなく嫌な予感がした。
「この子、ミルリーゼさまの頬を叩いた罰でケジメつけたんです。アホでしょ?ミルリーゼさまを叩くのも、クソ真面目にミルリーゼさまを溺愛してる旦那様に報告するのアホですわ」
メイスは呆れたように言い放った。
ロッドは以前はつけていなかった手袋をつけている。ケジメとやらでつけた傷を隠していたのだろう。
「爪だけで済んだんですから、指の先が繋がってるだけ温情ですよ」
手袋をはめている左手を撫でながら、ロッドは辛そうに答えた。
階級制度が厳密に敷かれているアステリア王国で、平民が貴族を傷つけることなど絶対に許されないのだ。
正直な話、殺されていてもおかしくはない状況だ。
昼間、彼が雪かきに苦戦していたのは、指先が痛むからかもしれない。
「ねえ……ブラン商会ってもしかして」
「おじさん何も聞かないで……僕はパパに何も報告したくない」
ケジメやらカタギやら、ミルリーゼの仕事モードの時の口調や過去に彼女の口から出る年不相応な発想の単語の数々が線で繋がったオズは静かに尋ね、ミルリーゼは目を逸らしたままオズの疑問をおおよそ肯定した。
任侠小説(参照 奔走編ブラン商会⑤)がブームではなかったという話です。




