商人の娘
公開演習は毎月一回催されることになっている。つまりラヴィが再びシリルに会おうと思うと、次の機会は来月だ。
その日に王城へ行きたいと頼み込むと、シリルのことを知らない父親は怪訝そうに首を傾げた。
「王城に? なんでまた」
「はじめて見た王城の美しさに心を打たれてもう一度目に焼き付けておきたいのです」
「気のせいかなあ、ものすごく棒読みに聞こえるよ」
「よろしいではないですか。お父さまもどうせまたお仕事で行かれるのでしょう? ニコルソン商会のために張りきって営業活動に励まねば」
「商談はこの間おおむね済ませたところだし、行くのは別にその日でなくても……王城に入るとなると、いろいろ申請なんかの手続きが要るんだよ」
「まあ大変、ではすぐに申請してください! その日でなければダメなのです! その日王城に行くことがわたしの人生を左右すると、夢のお告げがあったのです!」
「ええ……」
その言い分をまるっと信じはしなかっただろうが、一度言い出したら引かない娘の性格をよく知っているためか、父親は渋々ながら手続きを取ってくれた。
そして翌月、アンディに「頑張って」と見送られ、ラヴィは勇んで王城の門をくぐった。
馬車から降りた途端、ではお父さま後ほど、と薄情にも父親をほっぽり出し、さっさと演習場に向かう。父は呆気にとられていたが、この件の説明については今日の帰りにまとめてするつもりだ。
そこでは今回も多くの女性が見学をしていた。先月も来ていたらしい令嬢が、ラヴィを見て「まあ、性懲りもなく」と呆れた顔をしたが、そんなことを気にしてはいられない。
ラヴィは場内がよく見える場所をすかさず確保して、鉄柵にべったりと張り付いた。
一度気づいてしまえば、大勢の騎士たちの中からシリルを見つけ出すのは容易かった。むしろ前回はなぜ判らなかったのかと疑問になるくらいだ。だってあんなにも、ひときわ素敵で、誰よりも目立って、きらきらとした輝きを放っているのに。
成長したシリルの騎士姿は、凛々しく力強く逞しかった。
父を亡くしてからの彼が、どんな事情があって王立騎士団に入ることになったのかは不明だが、せめてそれが本人の希望によるものであればいいなと思う。
剣を片手に型を取る美しい動き、長銃を構える雄々しい姿に見惚れてしまう。一瞬流れた視線がこちらを向いて、ラヴィの目と合った気がしたが、すぐに逸らされた。こちらから見える横顔がなんとなく強張っているようで、少しハラハラする。
剣や銃は重いというし、かなりお疲れなのではないかしら。そういえばわたしったら、会うことで頭がいっぱいで、手ぶらで来てしまったわ。せめて差し入れくらいは用意すべきだったのに……!
「ずいぶん熱心だね」
シリルの一挙手一投足を見逃すまいと目を釘付けにしながら、自分の迂闊さを悔やんでいたら、後ろから声をかけられた。
振り返ると、騎士服を身につけた金髪の青年がニコニコしながら立っている。二十代半ば……いや後半くらいだろうか。ラヴィは相手の外見で大体の年齢の見当をつけるのが得意なほうなのだが、この人物は不思議なくらいぼやけた印象があった。
同じ騎士服を着ているということは彼も団員のはずなのに、なぜこんなところにいるのだろう。他の騎士たちと違ってずいぶん細身だし、見習いか新人なのだろうか。
それとももしかして、不審人物がいると思って話しかけられたとか?
「見ない顔だね。どちらのご令嬢かな?」
やっぱり怪しまれている。ここで捕らえられて尋問でもされたらかなわないと、ラヴィは慌てて彼のほうを向き、頭を下げた。
「ラヴィ・ニコルソンと申します」
「ニコルソン……覚えがないな。お父上の爵位を聞いてもいい?」
「あ、すみません、父は平民で……ニコルソン商会の会長をしております」
「ああ、なるほど、あのニコルソンね」
合点がいったというように青年が頷いたので、ラヴィはホッとした。
貴族の中には、ニコルソン商会とその会長である父を、平民の成り上がりと馬鹿にする人も多い。しかしとりあえず目の前の彼からは、こちらを侮ったり蔑んだりするような空気は感じられなかった。
その金色の瞳は、最初から変わらない穏やかな光をたたえている。
「騎士団に誰か知り合いがいるのかい?」
青年はなおも問いを重ねてきた。まだ疑いが晴れないのかしらと戸惑いつつ、ラヴィは正直に「昔の知り合いを見かけて」と答えた。別にやましいことがあるわけでもないので、七年会っていなかったこと、あちらは自分を覚えていないようだということも説明する。
「ふんふん、なるほど。それでもう一度会いに来た、というわけだね」
青年はラヴィの話を聞いて、興味深そうな……というか、面白そうな顔で頷いた。目を眇め、鉄柵の向こうの騎士たちを見やる。
「その相手というのが、シリルというわけ?」
「えっ、どうしてお判りに?」
「だって君、最初からずーっと彼しか目に入っていなかったじゃないか」
可笑しそうに指摘されて、そんなにも凝視していたかとラヴィは赤くなった。
「そうか、昔の知り合いねえ……」
青年は独り言のようにそう呟くと、何かを考えるように視線を空中に流した。
ややあって、またラヴィに向き直り、ニコッと笑う。
「ラヴィ、だったら僕がその機会を作ってあげようか?」
「は? その機会、とは」
「いやだな、だからシリルと顔を合わせて話をする機会だよ。もっとじっくりゆっくりとね。ちょうど演習ももう終わりだ」
「は……?」
「じゃあ行こう」
青年は、戸惑うラヴィの手を取ると、こっちこっちと引っ張って歩きはじめた。
「あ、あの」
「大丈夫、取って食ったりはしないから」
彼に引きずられながらラヴィがおろおろと周りに目をやると、他の見学人たちが、みんなしてこちらを驚いたように見ていることに気がついた。なぜ揃いも揃って「信じられない」というような表情をしているのか、さっぱり判らない。ラヴィの困惑は深まる一方だ。
「さあ、ここだよ」
連れていかれたのは、演習場の近くにある建物だった。それなりの大きさがあるが、装飾はなく全体的に地味だ。いかにも武骨で頑丈な外観は、見た目よりも機能重視であることが窺える。
建物内の一階にはテーブルと椅子がたくさん設置されていたが、誰の姿もなかった。
「ここは……?」
「王立騎士団の詰所」
「は?!」
ぎょっとするラヴィにはお構いなしで、青年は平然とした顔をしている。
「そんな場所に無関係の平民が入っていいのですか」
「いいわけないじゃないか」
「帰ります」
「まあまあ、ちょうど騎士たちも戻ってきたよ」
急いで逃げようとしたら、その前に大柄な騎士たちがどやどやと建物内に入ってきてしまった。
演習を終えて、どの顔も疲労と安堵を滲ませている。彼らが、自分たちの領域に入り込んだ異物を見つけて足を止め、目を丸くしたのは、当然の成り行きだった。
その騎士たちの中にはシリルもいる。ラヴィの姿を見て、愕然とした表情をしていた。
無理もない。先月いきなり声をかけてきた無礼な娘が、今度は詰所に侵入して先回りしていたのだから。
ただでさえ男性たちから一斉に注目されて身を縮めていたラヴィは、さらに肩をすぼめて小さくなった。
「──どういうことですか、団長。どうしてここに一般人が?」
シリルが前に出てきて低い声で詰問する。ラヴィはその言葉に、「えっ」と目を瞠った。
「だ、団長?」
おそるおそる青年のほうを向くと、にこやかな笑みが返ってきた。その口から否定の言葉は出てこない。よくよく見たら、彼の騎士服は他の人たちのそれよりも、ずっと上質なものだった。
この場で団長と呼ばれるのは一人しかいない。王立騎士団のトップ、「騎士団長」だ。誰だ、見習いか新人なんて言ったのは。
「団長といっても、完全に肩書だけの名誉職だけどね。実質ここを取りまとめているのは副団長。ほらあの、いちばんでかい男。この国では昔から、王立騎士団の団長は王族の誰かが就任することになっているんだ。あ、ちなみに僕は第二王子のエリオット」
とんでもない情報を軽い口調で追加されて、ラヴィはその場に倒れそうになった。
どうりで、見学人たちが全員驚いていたわけである。いやだって、まさか平民娘にいきなり第二王子が話しかけてくるなんて思わないでしょう、普通!
「可愛い子がいるなと思って、僕から声をかけたんだ」
王子はニコニコしながら、騎士たちに向かっておかしな説明をしている。先程「いちばんでかい男」と指で示された副団長らしき男性が、「殿下……」と頭痛をこらえるように額に手を当てた。
「そうしたら驚きさ、彼女はかの有名なニコルソン商会の令嬢なんだそうだよ。ぜひ騎士団に商会の宣伝をしたいって言うから、ここに連れてきたんだ」
初耳だ、とラヴィは唖然とした。一体何を言っているのだこの王子は。
驚きすぎてそちらを見返すことしかできないラヴィの耳に、王子はそっと顔を寄せた。
「ラヴィ、僕は君にチャンスをあげているんだよ。ニコルソンの娘らしく、ここで商売をしてごらん。上手くいったら、今後この詰所に出入りできるよう、僕が責任をもって取り計らう。そうすればいくらでもシリルと話をすることができるだろう?」
シリルと顔を合わせて話をする機会を作ってあげる、という言葉を思い出して、眩暈がした。確かにシリルと話をしたいとは望んでいたが、騎士団の詰所に出入りして……なんてことは頭を掠りもしなかった。
騎士団員たちは、ある者は不機嫌そうに、ある者は好奇心丸出しで、じっとラヴィを見つめている。誰もかれもが、迷い込んできた小さなウサギを眺めるような目をしていた。
ここにいるのは全員貴族の子息、すぐ近くにいるのは第二王子。平民ウサギはどれだけいたぶられようと、焼いて食べられようと、彼らに対して文句なんて出せっこない。
急に、足元から震えがのぼった。
第二王子が「ニコルソン」の名を出した以上、ラヴィがここで逃げたり無様な真似をしたりすれば、商会の将来に関わる。下手をすれば不敬罪だ。いくら父が大商人であっても、王族がその気になれば、あっという間に潰すことくらい造作もない。
血の気の引いた顔で立ち竦む。
商売? 商売って? ニコルソン商会の従業員としてはほとんど新人の自分が?
大体、騎士団で使う武器なんて商会では扱っていない。騎士団の備品は管轄外、制服だって由緒正しい専属の職人がきっちりと決められていて、途中から割り入ることなんて不可能だ。
だったら何を売り込めばいいというのか。
視界がぐらぐら揺れる。その中には、シリルの顔もあった。固い表情でラヴィをじっと見つめている。やっと彼の目がこちらを向いた、と朦朧としてきた頭でラヴィは思った。
──彼が見ている。自分の、ラヴィ・ニコルソンの、こんなみっともない姿を?
次の瞬間、両足をぐっと踏ん張り、まっすぐ姿勢を正した。
「ニ……ニコルソン商会、会長の娘、ラヴィと申します」
精一杯の笑顔を作り、ラヴィは騎士団員たちに向けて挨拶した。
震えているのを悟らせまいと、腹部の上で強く両手を握り合わせる。いくら商会の手伝いをしているとはいえ、自分一人がこんな大勢の前で発言したことはない。緊張と恐怖でばくばく鳴り続ける心臓を宥め、せめて声が上擦らないよう努力をした。
「このたびは、第二王子殿下のご厚情により、このような貴重な機会をいただけましたこと、大変ありがたく思っております」
スカートを指で摘まんで、軽く礼を取る。
「演習を終え、お疲れのこととは存じますが、少しだけお話を聞いていただけましょうか。常に厳しい特訓を自らに課して、肉体を磨き上げ、崇高なる精神でこの国の安全を守ってくださっている王立騎士団のみなさまに、我がニコルソン商会のお品をご説明させていただきたく存じます」
そう前置きをして、ラヴィは淀みなく売れ筋の商品を紹介していった。父親がいつもどのような顔で、どんな話しぶりで説明していたか、必死に思い出しながら口を動かす。つい先月だって、文官相手に商売している父の姿を、自分はすぐ目の前で見ていたのだ。笑みを絶やさず、簡潔に、あまり押しつけがましくならないよう──
ニコルソン商会で取り扱っているのは、おもに布製品、小物、装飾品などである。よって顧客は女性が多い。
「そんなものを俺らに紹介されてもな」
騎士団員の一人が鼻で笑ってそう言ったが、ラヴィはにっこりしながら彼に向かって切り返した。
「ニコルソン商会の品は幅広い年齢層の女性に大変好評で、ご家族、恋人、婚約者の方への贈り物としては最適なんですよ」
騎士団員は大半が寮住まいのはず。城下町で買い物をしようと思ったら、少ない休日を潰すか、貴重な自由時間を使うしかない。店を回って悩んで選ぶだけで、移動時間を合わせれば、ほぼ一日を費やす場合もあるだろう。
「もしもわたしがここに出入りできましたら、みなさまからの注文をお聞きして、すぐにでもこちらへ配達させていただくことが可能です」
ラヴィの提案に、騎士団員たちは揃って意表を突かれたような顔をした。この場で注文して届けてもらう、という考えは頭になかったようだ。
「女性への贈り物の相談は、同じ女性が承るのがいちばん。どんとお任せくださいまし。お相手のお好みを聞かせていただきましたら、どんなお品が喜ばれるか、一緒に考えさせていただきます」
胸を叩いて請け負うラヴィに、騎士が一人、また一人と、「へえ……」という表情で前のめりになっていく。
その顔に、最初に浮かんでいた薄笑いはもうない。きっと誰もが、女性への贈り物を探し、足が棒になるまで町を歩き回った経験があるに違いなかった。
ラヴィの流れるような説明が一区切りついたところで、パン、と手が叩かれる。
「よし、決まりだね。この件は僕から話を通しておこう」
第二王子が満足げにそう言った。
「……用が済んだのなら、部外者は出ていってくれ」
つかつかと歩いてきたシリルが、怒ったような顔でラヴィの腕を掴む。そのまま強引に詰所の外へと連れ出すと、まるで放り出すようにして手を離した。
その途端、足から力が抜けて、ラヴィはくたくたとうずくまってしまった。
「おい──」
「……す、すみません。ちょっと、立てなくて」
シリルは何かを言いかけたが、蒼白になったラヴィが小さくなってがたがたと震えているのを見て、口を噤んだ。
「迎えは来るのか」
「はい……」
不愛想な問いにも、しゃがみ込んで顔を伏せ、短く返事をするのが精一杯だ。それっきり沈黙が落ちたので、シリルはさっさと詰所内に戻ったとばかり思っていた。
だから、しばらくして、
「こんなところにいたのか、探したよ」
と父親が慌てて迎えに来た時、なんとかふらふらと立ち上がったラヴィは、後ろで扉の開く音が聞こえて、非常にびっくりした。
振り返ると、大きな背中が建物の中に入っていくところだった。彼はこちらを振り向くことも、言葉をかけてくることもなかったけれど。
──それでも、今までずっと、そばにいてくれたんだ。
そう思ったら、じわりと涙が滲んだ。
帰りの馬車で、それまでの経緯を洗いざらい話し、第二王子の便宜で騎士団に出入りすることになった旨を伝えたら、父親は卒倒しかけていた。