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幸福と不幸



 ラヴィは生まれてはじめて現実の厳しさと、どうにもならない身分の壁というものに直面して、打ちひしがれた。

 この時、父が「愛人や妾なら平民でもオッケー」と口にしなかったのは、非常に賢明な判断だった。それを聞いたら、八歳の少女は迷うことなくそちらに目標を定めて突き進んでいただろう。

 もちろん、ラヴィとて、すんなりシリルのお嫁さんの座を諦めたわけではない。うんうん考えて様々な案を巡らせては父親に提示した。


「いいことを思いつきました、お父さま!」

「なんだい?」

「お母さまの実家は元貴族だったのだから、わたしも貴族の血が半分流れているということでしょう? だったらまたその家を復活させたらいいではないですか!」

「いやあのね、一度爵位を返上した貴族はもう復活できないんだよ」

「そこはお金の力でなんとか」

「八歳で賄賂を推奨するのはどうだろう。いや、それでも無理だから」

「じゃあ、じゃあ……あっそうだ、いいことを思いつきました!」

「聞きたくないなあ」

「わたしがどこかの貴族のご落胤ということにすればいいのです。お母さまが昔の恋人との間につくった子で……」

「それは実の父に向かって言うことじゃないね!」


 さすがにこのアイディアは、普段は優しい父が怖い顔をした。その後、母にもガミガミとお説教された。しまいには、ラヴィが「あっ、いいことを」と言いかけただけで父は耳を塞ぐようになり、そそくさと逃げるように王都へ出発してしまった。

 ラヴィはしょんぼりした。

 シリルのお嫁さんになる夢は、出会って半年も経たないうちに完全に破れてしまった、ということになる。

 かといって、今後の交流をやめるという選択肢はラヴィにはなかった。貴族と平民の二人を繋いでいるのは一本の細くて脆い糸であり、こちらが手を離してしまったらもう修復はできないと判っていたからだ。

 そんなわけで、ラヴィは泣きべそをかきながら、傷心を押し殺し、シリルへの手紙を書いた。



『しんあいなるシリルさま

 しばらくお手紙を書けなくてごめんなさい。とても悲しいことがあったのです。今も■■■■できないことを思うと、胸がつぶれそうです。シリルさま、この世は、お金があってもどうしようもないことがたくさんあるのですね。わたしが生まれた時からうちにはお金がたくさんあって、欲しいと言えばたいていのものが手に入ったので、知りませんでした。せけんではそういうのを、「はいきんしゅぎ」と言うのだそうです。とてもみっともなくて、おろかなことだと、お母さまが言っていました。これからは心を入れかえるので、シリルさま、わたしを嫌いにならないでくださいね。たとえ■■■■■になれなくても、シリルさまのお友だちでありつづけたいのです。できたら、お友だちの最上位にあるという「しんゆう」の立場になれたらいいなあと願っています。もしもこの先、シリルさまに■■■■■■ができたとしても──』



 金銭ですべてが解決するわけではないということを知ったラヴィは、ほんのちょっぴり精神的に大人になった。

 だが、あちこちが黒々と塗り潰された奇怪な手紙を読んで、至極常識的で真っ当な思考の持ち主であるシリルは大いに戸惑ったらしく、ラヴィの頭の具合を心配する手紙を送り返してきた。



          ***



 寄宿学校が長期の休暇に入ると、シリルは領地に帰ってくる。

 その際には、ラヴィの屋敷にも遊びに来て、何日か滞在することもあった。もちろん護衛をつけてだが、ニコルソン一家はいつも諸手を挙げて彼を歓迎した。

 オルコット伯爵がそのことを許可したのは、おそらく「ニコルソン商会」の名が大きく作用したと思われる。

 それに、母とラヴィたち姉弟が暮らすお屋敷は、こんな田舎では滅多にないくらい立派なものだ。不在がちな父が、大事な妻子に何かあってはいけないと、怪しい人間が近寄らないよう周囲の警備を固め、防犯対策もきっちりしている。これなら息子を行かせてもさほど危険はないと判断されたのだろう。

 屋敷に来ると、シリルは親元にいる時よりも少しだけ快活な少年になった。もちろんそこらの悪童と同じような言動はしないし、あまり羽目を外すこともないが、よく話し、よく食べ、よく動いた。

 ニコルソン家の自由な家風に影響されて、というのもあるし、ここでは「貴族」の枠に捉われなくてもいいから、という理由もあったのだろう。

 ラヴィと野山を駆け回り、幼いアンディの遊び相手になり、父が持ち込む珍しい異国の品々に目を輝かせるところは、いつもの大人びた彼ではなく、十三歳の男の子そのものだった。

 それからこれは新しい発見だが、シリルは意外と笑い上戸でもあった。ラヴィのやることなすことをにこにこしながら見守り、時々我慢できずに噴き出して、お腹を抱えて笑っている。


 その楽しげな姿が、なによりも眩しかった。


 ラヴィはシリルの手を引っ張って、あちこちに連れ回した。近所の友人たちと一緒に遊び、はしゃぎ、時にはイタズラをしたりもした。純然たる貴族子息のシリルは困惑していたようだが、後ろについている護衛は笑いを噛み殺して見て見ぬふりをしてくれた。

 子ども同士でゲームをする時には、頭のいいシリルは非常に有能な参謀となり、彼の指示に従うだけでラヴィは仲間内で常勝となった。他の子たちには羨ましがられたが、この相棒役だけは誰にも譲れない。

 そんな時、最も役に立ったのは、シリルが教えてくれた「合図」だ。


 ──足で地面を二回叩いたら「警戒せよ」、手で肩を二回叩いたら「動いてよし」。


 これは遊ぶ時だけでなく、屋敷内でこっそりやり取りする時も大いに活用された。メイドの目を盗んでおやつをつまみ食いした時は、二人揃って母に叱られたが。

 自分たちにしか判らないこと、共有できることがあるというのは、胸がいっぱいになるくらい嬉しいことだった。

 他にもそういうものをたくさん作りたくて、ラヴィはとっておきの場所にシリルを連れていった。

 町が遠くまで見渡せる高台のことは、父にも母にも教えていない。

 そこに立って景色を眺めると、シリルは感嘆するような声を上げた。


「わあ……どこもきちんと整備されていて見事だね。それに安全で、活気がある。ラヴィや他の人たちの顔を見ていると、この地がいかによく治められているかということが判るよ」

「ここの領主さまは、とても公正な方なのですって。お父さまともお付き合いがあって、その人柄をよく知っているから、ここにお屋敷を構えることを決めたんだそうです。でも、シリルさまのお父さまも、良い領主さまでいらっしゃるのでしょう?」


 その問いに、シリルはちょっとだけ苦笑いを浮かべた。


「そうだね。父は厳しいけれど、領民に対して無慈悲なことをする方ではないから。ただ、少しプライドが高すぎるのが困った点かな」


 ラヴィはきょとんとした。

 プライド、というのがどういうものなのかよく判らなかったからだ。しかし、シリルの顔つきを見て、あまりいい意味ではないらしいことだけは理解した。


「ちょっと自分の意見に固執しすぎるというか……もっと人の助言に耳を貸したらいいんじゃないかと思うんだけど、母上と僕は父にとって庇護の対象でしかないようだし──ああ、ごめんね、なんでもない」


 遠くに目をやり、独り言のように呟いていたシリルは、ラヴィのぽかんとした表情に気づいて謝った。


「シリルさま」

「うん?」

「お父さまが、以前、『人のすることに対してただ悪く言うだけでは何も成長しない。何がどう悪いのか、どうしたら良くなるか、自分ならどうするかを考えなさい』と言ってました。シリルさまは、お父上さまの良いところと、あまり良くないところをきちんと判って、どうしたらいいかを考えているのですよね? でしたら将来、シリルさまはきっとご立派な領主さまになられますよ」


 シリルの将来がすでに決まっていると、今のラヴィはもう知っている。寄宿学校卒業後は騎士ではなく、領主となるための勉強に費やさねばならないこともだ。

 ラヴィが考えるほど領地を治めるというのは簡単なことではないだろうが、それでもシリルはその言葉に、柔らかく目を細めて微笑んだ。


「うん、そうだね。どこに問題があるか判っているなら、僕がそれを解決したり変えていったりすればいい。この地のように、領民が安心して暮らせるよう、頑張るよ」


 真面目なシリルは、続けて「そのためにも今はいろいろな本を読んで、なるべく多くの人の意見を聞き、できれば外国も見てみたい」と未来の夢と意気込みを語った。


「ラヴィは、将来どうしたいという希望はあるの?」


 すでに将来の第一希望が叶わないことを知ってしまったラヴィに、なかなか酷なことを訊ねてくる。ラヴィは「うーん……」と曖昧に言葉を濁してから、パッと閃いた。


「いいことを思いつきました、シリルさま!」

「ラヴィの『いいこと』には、とりあえず反対してくれって君のお父上に言われているんだけど……何かな?」

「わたしもこれからたくさんお勉強します! うんと偉くなって、王城でお仕事をするようになりたいです」

「そうか、ラヴィは文官志望なの? 平民女性にはかなり狭き門だけど、ラヴィならなれるかもしれないね」

「はい! そしていつかは、この国の法を変えてやるのです!」


 シリルのお嫁さんになるのが無理だと決められているのなら、そのくだらない法律のほうを撤廃してやればいいのである。 これは盲点だった。だとしたらまだ希望はある。なんという名案だろうとラヴィは有頂天になった。


「それはずいぶん大きな野望だね」

「はい! それまで待っていてくださいね、シリルさま!」

「うん、楽しみにしてるよ」


 法改正をするまで結婚するのを待っていて、と無茶なことを言われたとは想像もしないシリルは、拳を固めて決意表明をする少女に、微笑ましそうな顔をして頷いた。




 ラヴィは八歳の時にシリルと出会い、それから二年の間、文通をしたり、時に顔を合わせて遊んだりして、平和で穏やかな子ども時代を過ごした。

 貴族子息のシリルは、相手が平民であるにもかかわらず、ラヴィと対等の立場で友情を育んでくれた。たまに破天荒なところもあるラヴィを心配し、世話を焼き、時に窘めつつ、けれど大事なところはきちんと尊重する。

 それは非常に稀有なことなのだと両親に言われ、ラヴィはますます彼のことが好きになった。

 一人っ子のシリルにとって、ラヴィとアンディは本当に妹や弟のようなものだったのかもしれない。しかしその性質は、顔や頭の良さよりもずっと、彼の美点であるに違いなかった。

 シリルがラヴィに向ける眼差しは、いつも一貫して温かく、優しかった。

 彼と一緒に笑い合う時、ラヴィは本当に幸せだった。こんな時間が永遠に続けばいいのにと、毎回のように願った。


 ──しかし、その願いもまた、叶わなかった。


 転機が訪れたのは、ラヴィが十歳、シリルが十五歳の冬のこと。

 シリルの父親が、亡くなった。

 その死を契機に、一人の少年の運命は大きく変わることになる。





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