手紙のやりとり
『──親愛なるラヴィ
僕は今、王都の寄宿学校にいます。ラヴィはたぶんよく知らないと思うので、最初の手紙はここのことを書いていこうと思います。君には関係のない場所だから、つまらないかな? でも、なるべくわかりやすく説明するからね。
ここに通うのは貴族の子息に限られているけれど、大半の生徒はそれぞれ実家が遠いので、寄宿舎で生活をしているんだよ。狭くても、一人につき一部屋が割り振られているのが幸い。教室で同級生たちとお喋りするのは好きだけど、やっぱり一人でぼんやりしたり、静かに本を読みたい時だってあるからね。ラヴィはどう思う?
寄宿舎生活はスケジュールがあって、朝起きる時間も勉強する時間も夜眠る時間も、きっちり決められているんだ。ちょっと窮屈だけど、最近はだいぶ慣れたかな。消灯時間が過ぎてから、こっそりベッドの中で本を読んでいるところを先生に見つかると、とても怒られて、罰当番をさせられたりする。だけど、読みかけの物語って、途中ではなかなか終わらせることなんてできないだろう? あ、でもこれは、僕の両親には内緒にしておいてね──』
シリルは約束どおり、本当にラヴィに手紙を送ってくれた。
それを受け取った時のラヴィの喜びようったら、父をして「今までどんなプレゼントをした時よりも嬉しそう」と言わしめたほどだった。そりゃあ、人形や本よりも、好きな人からの手紙のほうが嬉しいに決まっている。父は乙女心が判っていない。
まあいい。そんなことよりシリルの手紙である。
ラヴィは受け取ったその日から、手紙を常に肌身離さず持ち歩いた。「シリル・オルコット」という署名を眺めては頬を緩め、文面を何度も読み返してはうっとりため息をつくという、忙しくも幸せな日々だった。
手紙には、寄宿学校での生活が丁寧に書かれていた。細かいところまできちんと説明してあるところに、彼の真面目な性格が窺える。そのため便箋二枚が寄宿舎のことだけで埋まってしまい、文末には「ごめんね、次はもっと学校のことを書きます」とあった。
次……! 次があるのだ、とラヴィは飛び上がった。少なくとも、シリルはそのつもりでいてくれている。
早速、返事を書かねば。
ラヴィはすぐさま、父にねだって便箋と封筒を用意してもらった。王さまに送れるくらい立派なものにしてほしいというお願いは却下されたが、すべすべとした手触りの良い紙に、緊張しながら一文字ずつ丁寧に文字を綴った。
『しんあいなるシリルさま
お手紙をどうもありがとうございます。とどいた時は、うれしくてうれしくて、なんども読みかえしました。ねむる時もベッドの枕もとに置いておいたのですけど、ある朝起きたら、自分のあたまの下からはっけんされて、しわができてしまったので、それからは机のひきだしの中にしまうことにしました。大事なものは、いつもそこにしまうのです。他には、きらきら光る貝がらと、外国の鳥の羽根と、ひと月前にもらったけど、あまりにおいしかったのでもったいなくて食べられないでいる焼き菓子が入っています。お父さまが王都で買ったものです。王都には、おいしいケーキ屋さんが他にもたくさんあるのでしょうね。
きしゅくしゃについて、シリルさまがくわしく教えてくださったので、わたしもそこで生活しているような気分になれました。うわさのオバケに、シリルさまが食べられてしまわないかと、心配でなりません。わたしがお近くにいたら、ぜったいにやっつけてやるのに。でも、そんなところでお一人でねられるのですから、シリルさまは本当にゆうかんですね。わたしは今も時々、夜中にさびしくなって、お母さまのおへやに行ってしまうことがあります──」
ラヴィはそれはもう張りきって手紙をしたためた。意欲に比例してどんどん書くことも増え、最終的に使用した便箋は六枚になった。反古にした分を含めれば、十数枚になる。
シリルが寄宿舎のことを教えてくれたので、ラヴィはおもに自分が暮らす屋敷のことを書くことにした。父母のこと、弟のこと、メイドたちのこと、屋敷の間取りからラヴィだけの秘密の隠れ場所に至るまで。
まだ文章を作るということに慣れていないラヴィが思いつくままに書いたので、話題はあちらに飛び、こちらに飛び、着地しないまま唐突に切られて次にすっ飛んでいくという目も当てられないことになったが、とにかく力作には違いない。判らない単語や綴りなどは、そのたび大人の誰かを捕まえてしつこく訊ねた。本人は、「表現が詩的だわ」と自信満々だった。
貴族の子息に失礼があってはと心配した父親が、「出す前に僕が見てあげよう」と言ってきたが、ラヴィはそれをきっぱり断って、手紙を封筒にしまい、厳重に封蝋をした。
実の父といえど、恋文を見せられるはずがないではないか。彼は本当に、乙女心が判っていない。
『親愛なるラヴィ
返事をありがとう。たくさん書いてくれたんだね。ラヴィの手紙はとても面白く、興味深くて、そこらの本よりも楽しかったものだから、つい時間を忘れて読みふけってしまったよ。
だけど、一ついいかな。ラヴィ、自分のおうちのことを、あそこまで詳細に他人に教えてはだめだよ。僕が泥棒だったら、どこからどういう経路をたどって忍び込めばいいか、すぐに計画が立てられてしまう。無邪気なラヴィにこんなことは言いたくないけれど、あまり人を信用しすぎてはいけないよ。
そうそう、それからもう一つお願いがあるんだ。引き出しの中のお菓子は、誰か大人の人に渡してもらえるかい? きっと食べるのを楽しみにしていたんだろうけど、ラヴィにとってよくない気がする。代わりに、王都で買ったお菓子を手紙と一緒に送るからね。僕はよく知らないけど、女の子には評判のお店らしいよ。そのお菓子はひと月も取っておかないで、なるべく早く食べてもらえると嬉しいな──」
書いてあるとおり、手紙とともに小さな箱が届けられて、その中には可愛らしい砂糖菓子がぎっしり詰め込まれていた。
小躍りするほど大喜びしたラヴィは、その箱を引き出しの中に大事にしまってから、シリルの言葉に従い、父からのお土産である焼き菓子を未練なくメイドに渡した。彼女はそれを見ると真っ青になって悲鳴を上げ、恐ろしい形相で口にしていないかラヴィに確認すると、箱を引っ掴んでバタバタと部屋から駆け出していった。
その後、母からたっぷり一時間、お説教をされた。
なるほど、やっぱりあの菓子は自分にとって「よくない」ものであったらしい。シリルの忠告は正しかったのだとしみじみして、ラヴィはもらった砂糖菓子を少しずつ食べることにした。
それにしても気になる。
手紙に書いてある「女の子」というのは、一体どこの誰のことなのだろう。寄宿学校は貴族の子息のみ、つまり男子しかいないということだったからすっかり安心していたのだが、知り合う機会はやはり皆無ではないということか。
「ああ、わたしも早く大人になりたい……あと何年すれば、美人で淑やかでそこはかとなく色気もある女性になれるのかしら」
砂糖菓子をもぐもぐ食べながら悩ましげな吐息とともに呟いたが、時間さえ経過すれば自動的に美人で淑やかで色気もある女性に成長することを疑っていないあたり、ラヴィはまだまだ子どもなのだった。
『しんあいなるシリルさま
先日は、お菓子を送ってくださり、どうもありがとうございます。
もったいないので、ずっと取っておいて、わたしが死ぬ前に食べようかと思ったのですが、シリルさまのお言葉どおり、早めに食べることにしました。とてもおいしかったです。アンディにも、お母さまにも、二つずつあげたら、二人とも「おいしい」と笑っていました。でもお父さまは王都でいくらでも食べられるから、あげませんでした。ちょっと悲しそうな顔をしていました。
お父さまの商会でも、これくらいおいしいお菓子を売ればいいのにと言いましたが、食べ物は扱わないのだそうです。食べ物は、男の人も女の人もお年寄りも子どもも必要とするものなのに、それを商品にしないなんて、りかいできません。こんなことではお父さまの商会はすぐにつぶれてしまうのではないかと心配です。
シリルさまはおいしいお菓子を知っていて、字もきれいな上に、絵もお上手なのですね。お手紙のいちばん下に描いてあったのは、オタマジャクシでしょう? こちらの川には今たくさんいますけど、王都にもいるのですか。カエルは少し苦手ですが、オタマジャクシはかわいいから好きです。そうそう、かわいいといえば、シリルさまがかわいいと思うのは、どのような女の子ですか──」
相変わらず脈絡というものが一切ないその手紙を読んで、シリルが何を思ったのかは不明だが、しばらくしてから屋敷に届いた彼の返事を見て、ラヴィは青くなった。
『親愛なるラヴィ
お菓子を喜んでもらえたようで、安心したよ。弟君と母上にもちゃんと分けてあげるラヴィは、優しくて気前がいいね。父上にも、もう少しその優しさと気前のよさを発揮できたらいいんじゃないかな。
それから、絵について褒めてもらったけれど、実はあれはオタマジャクシではなく、時々学校に迷い込んでくる猫なんだ……可愛らしいから、ラヴィにも見せてあげたいと思って絵にしてみたのだけど、どうやらあまり上手く伝わらなかったみたいだね。オタマジャクシに見えても、可愛いと思ってもらえたならよかった。
あと、なんだっけ、可愛いと思う女の子、だっけ? ちょっと質問の意図がよく判らないのだけど、女の子というものはみんな可愛いのではないかな。
僕は一人っ子だから、姉妹のいる友人から話を聞いて、時々羨ましかったんだ。でも今は、ラヴィが僕の妹になってくれたようで嬉しく思ってる。中にはもうすでに婚約が決まった友人もいるけど、僕にはまだそういうのは早いんじゃないかと──』
ラヴィはその手紙を握りしめ、父親のもとに走った。
「ど、どうしたんだい、ラヴィ」
母の状態も落ち着いてきたことだし、そろそろまた王都に戻るつもりで準備をしていた父は、血相を変えて駆け込んできた我が娘を見て、目を白黒させた。
ラヴィは震える手で、父に向かってシリルの手紙を差し出した。その様子を見て、何か尋常ではないことが起きたのかと、父が急いでその手紙にざっと目を通す。
そして、首を傾げた。
「えーと……それで、これが何か?」
「何を言っているのですか、お父さま。中身をよく見ましたか」
「見たけど。シリルさまは、八歳の子ども相手でも礼節を忘れない、よくできた人だね、としか……それにしてもラヴィ、猫をオタマジャクシに間違うのはあんまりじゃないだろうか」
「そんなことは問題ではないのです。シリルさまの絵はどう見てもオタマジャクシか謎の生命体にしか見えなかったのだから、しょうがないではありませんか。ヤモリや毛虫に間違わなかっただけマシです。それより、ここです、ここ!」
もどかしげにラヴィが指で示す文章を覗き込んで、父はさらに首を捻った。
「もしかして、妹に見られているのが不満なのかい? でもそれは仕方ないんじゃないかなあ」
「それは大いに不満ですが、違います。ほら、この『もうすでに婚約者が決まった友人もいる』という部分です!」
「うん。そりゃあ貴族だから、珍しいことじゃないよねえ」
「何を呑気な。だとしたら余計にグズグズしておれません。お父さま、わたしがシリルさまの婚約者になるには、どうしたらいいですか」
「……なんて?」
首を変な角度で傾けたまま、父の動きがピタリと止まる。
ラヴィは地団駄を踏んだ。
「ですから、婚約です、婚約! お父さまは、シリルさまが他の女の人と婚約するのをこのまま指をくわえて見ているつもりなのですか?! 商人は機を逃さず素早く行動するのが第一だと、いつも言っているではありませんか!」
「いや……あのね、ラヴィ」
父はようやく首をまっすぐに戻したが、今度は額に手を当てた。
「もしかしたらそうなんじゃないかなーと思ったけど、ラヴィはシリルさまのことが、異性として好きなのかな?」
「逆に、それ以外の何があるというのです。『お友達』から『お嫁さん』にステップアップしようと努力し続けているわたしの姿が目に入らないのですか。お父さまの目は節穴ですか」
「あ、うん、そうだね……その年頃の女の子によくある、年長の男の子に対する憧れみたいなものかなと思おうとしたけど、そういえば君は思い込みの激しい、猪突猛進型の性格だった……」
ふうー、と長いため息をつく。
そして父は表情を改め、正面からラヴィを見つめた。
「前もってきちんと言っておかなかった僕が悪かった。あのねラヴィ、シリルさまは貴族で、君は平民だ。まだ難しいかもしれないけど、その二つには、決定的な立場の違いというものがあるんだよ」
「そこはお父さまのお金の力でどうにかしてください」
「なんてことを言うのかな、僕の可愛いお姫さまは」
「地味で見た目の冴えないお父さまが、元貴族で美人のお母さまを妻にすることができたのは、お金がたんまりあったからだって、以前従業員たちが陰でこそこそ話していました」
「その話、後でじっくり聞かせてくれるかい? いや、それはともかく、僕とミリーの件とはまったく違うんだ。今のご時世、貴族と平民の結婚は特に珍しいものではないけど、一つだけ、絶対に不可能という場合があってね」
「絶対に……不可能?」
嫌な予感でざわざわする。ラヴィは眉を下げ、胸に手を当てた。
父は少しだけ憐れむような目をして、真面目な顔で頷いた。
「貴族の嫡子と平民。このケースについては、両者の結婚は一切許可されない。平民として生まれた人間が、その後貴族籍に入ったとしてもだ。ディルトニア王国の法律で、そう定まっているんだよ」
つまり、今後父親が何かの間違いで爵位を得たとしても、お金を積んでラヴィがどこぞの貴族の養子になったとしても、シリルのお嫁さんになるのは絶望的、ということだ。
──なんてこと。
ラヴィはショックのあまり、手紙を握ったまま倒れてしまった。