ラヴィ18歳、幸福を掴む
シリルはアドキンズ伯爵逮捕への貢献と、「魔女の血」の危険性を世間に広めるきっかけを作ったという功績を認められて、騎士爵を叙爵されることになった。
彼は「それはラヴィとシンプソン夫人の手柄なので」と辞退しようとしたらしいのだが、エリオットに説得されて受けることにしたのだという。クレアとギルバート夫妻にも、なんらかの恩賞が与えられるらしい。
ラヴィにも「何か欲しいものはある?」と訊ねられたので、これまでどおり騎士団詰所に出入りできる許可をもらうことにした。だいぶ愛着の出てきたその仕事を続けられ、おまけに毎日シリルの顔も見られるという、ラヴィだけの特別ご褒美である。
エリオットは笑ってそれに頷き、騎士団のみんなも喜んでくれた。
他人と距離を取ることをやめたシリルは、ちょっとぎこちないとはいえ、少しずつ騎士団の仲間たちとの間にある溝を埋めるための努力を続けている。
その様子を陰ながら見守ってハラハラしたりニコニコしたりするのが、最近のラヴィのなによりの楽しみだ。最初は頑なだったノーマンのような騎士も、それを見て「しょうがない、ラヴィに免じて」と態度を軟化させつつある。
ちょっとしたすれ違いを経て、ラヴィとシリルは現在、晴れて恋人同士という関係になった。
今では、熱烈に口説いてくるシリルに、どちらかというとラヴィのほうが振り回され気味だ。どうやら彼は、再会した時からずっとラヴィのことを「異性」として認識していたらしい。
恋人としてのシリルは、とことん優しく、かなり心配性なところがあり、ちょっと過保護で、まあまあ嫉妬深い。本人は「少しでも目を離すととんでもない方向へ飛んで行ってしまいそうで、気が気じゃないんだ」と大げさなことを言っている。
父と弟には、事の成り行きを最初から最後まですべて包み隠さず話した。
ガミガミと叱るアンディは、亡くなった母親そっくりで怖かった。
父親は泡を噴いて倒れた。
***
叙爵式の後、ニコルソン家にやって来たシリルは、両手にものすごく大きな花束を抱えていた。
「騎士爵は一代限りの準貴族。『貴族嫡子と平民の結婚は禁ずる』というディルトニア王国法の適用範囲外だ。まったくなんの問題もない。これならいいよね?──愛してる、ラヴィ。どうか俺と結婚してください」
跪いてされたプロポーズは、よほど懲りたのか、懇切丁寧な説明つきだった。
確かにこれなら、ラヴィは平民、シリルは貴族のまま、結婚ができる。ラヴィが文官になって法律を変えてまで実現しようとした願いを、最初に出会った時に抱いたいちばんの望みを、シリルは叶えてくれるというのだ。
だけど。
「……本当にわたしで、よろしいのですか?」
ラヴィはその花束に手を伸ばすのをためらい、代わりに両手を握り合わせて訊ねた。
だってラヴィには、これといって突出した才能があるわけではない。ニコルソン商会の名は大きくとも、それはあくまで父親のもので、その跡を継ぐのは弟。一従業員であるラヴィはなんの権限も持っていなかった。
平民としては多少目立つくらいの容姿をしているかもしれないが、貴族令嬢の中にはもっと美しく、教養も礼儀も完璧で、淑やかで上品な人がいくらでもいる。
女性たちから絶大な人気があり、他人を寄せつけないでいる理由もなくなり、おまけに爵位持ちとなったシリルなら、これからどんな相手でも選べるのに。
一目惚れから始まった初恋が──長い間ずっと抱き続けた想いが、ようやく成就するというこの瞬間になって、ラヴィは急に怖気づいてしまったのだろう。不安になり、自信がなくなり、怖くなった。それでつい、その問いが、勝手に口からこぼれ出た。
シリルは少し驚いた顔をしたが、怒ったりはしなかった。
「ラヴィがいい。いや、ラヴィでなければ、だめなんだ」
そう答えて、柔らかく微笑んだ。
「シリルさま……」
その顔を見て、ラヴィの心がじんわりと熱を持つ。
こんなにも満ち足りた気分になるのは、彼が笑ってくれるから。他の誰も、代わりにはならない。シリルだけ、この世界で唯一シリルだけが、ラヴィに極上の幸福をもたらしてくれるのだ。
なんて愚かな質問をしてしまったのだろう。ラヴィこそ、シリルがよくて、シリルでなければだめだった。昔も今も、ラヴィの最愛の人。
──ああ、鐘の音が聞こえる。
なんの鐘だろう? いいやこれも八歳の時と同じ、「始まりの鐘」だ。
「ラヴィは俺に『笑ってほしい』と言ってくれたけど、俺も離れていた間、いつもそう思ってたよ。俺とは無関係な場所で、幸せに楽しく笑っていてくれればいいと、祈るように願っていた。──だけど今の俺はもう、それじゃ我慢できない。ラヴィの笑顔をすぐ隣で見ていたいし、ラヴィを幸せにするのは他の誰でもなく、俺でありたい」
それは、今のラヴィと同じ願いでもある。
「……ずっと言いたかった。ラヴィ、また俺の前に現れてくれてありがとう。俺を想い続けていてくれてありがとう。君を突き放そうとした俺を、諦めないでくれてありがとう。すっかり忘れていた笑顔を取り戻せたのは、ラヴィのおかげだ。君が傍にいてくれれば、俺はこれからもずっと笑っていられる。未来への希望と喜びを抱くことができる。母を亡くしてからずっと一人だったが、これからはラヴィと一緒に生きていきたい。俺の新しい家族になってほしい。今度こそ失わないよう、命を懸けて守るから」
「──はい、喜んで」
他の言葉は何一つ思いつかなかった。そもそも、喉が塞がって声が出せないくらいだった。だからその短い返事だけをして、ラヴィは差し出された花束を手に取った。
透明な雫が、花びらの上にぽとりと落ちる。
立ち上がったシリルが、優しい目をして顔を寄せてきた。
今度は両手で押し返すことも、逃げることもしない。ラヴィは素直に目を閉じて、とろけるように甘い甘いその口づけを唇に受けた。
ラヴィは結婚後も仕事を続け、王城では騎士団以外の部署の人たちからも注文をもらうようになり、同時にニコルソン商会の新商品開発にも携わって、非常に忙しくあちこちを飛び回っている。
騎士団勤めのシリルは、そんな妻を時に心配し、時に労わりながら、温かく見守ってくれる。ラヴィが「いいことを思いついた」と言う時だけ、ものすごく警戒するのは変わらないが。
二人の新居の玄関扉には、「翼を閉じて安らぐ鳥」と、それを抱くようにして守る「優しく笑う狼」をデザインしたレリーフが飾られた。
訪問客たちは一様に首を傾げて「これはどういう意味?」と訊ねてくるが、顔を見合わせて楽しげに笑う二人の口から、その答えが出ることはない。
完結しました。ありがとうございました!




