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関係性の変化



「よくやった、ラヴィ!」


 すっかり密談場所として定着してしまった厩の中で、ラヴィが事の次第を報告すると、エリオットは手を叩いて喜んだ。


「冗談じゃない!」


 エリオットとは逆に、凄い形相をして反対したのはシリルである。真っ先に声を上げなかったのは、今まで茫然と固まっていたからだ。

 そもそも彼は、ラヴィがルパートに近づくこと自体、ずっと反対していた。ルパートと会う時は、必ず毎回ぴったりと後をついて見張っているくらいだ。


「一人でアドキンズ伯爵の屋敷へ? どう考えても胡散臭さしかない夜会に、ラヴィだけで? そんなの絶対にだめだ!」


 怖い顔で断言するシリルに、エリオットが呆れた目を向ける。


「大声を出すな、シリル。なんのために厩の周囲に護衛たちを立たせて、人払いの状態にしていると思うんだ? それにそんなに目を吊り上げたら、ラヴィが怯えるだろう」

「団長は黙っていてください」


 仮にも相手は第二王子なのにいいのだろうか、と心配になるような剣幕で返して、シリルはラヴィの両肩を手で掴んだ。

 真剣な目が、こちらを覗き込む。


「だめだよ、ラヴィ。君がそんな危険に首を突っ込むことはない。もともとこの件に、君は無関係なんだ。もしもラヴィに何かあったら、俺は君の父上にも弟にも、亡くなった母上にも顔向けできない」

「無関係……」


 この期に及んで出てきたその言葉に、ラヴィはひどく傷ついた。傷ついたからこそむくむくと腹立ちが込み上げて、ぷいっと顔を背けた。

 シリルはまたそんな一言で、ラヴィを突き放そうというのか。


「スパイ役を買って出たのは、わたしの意志です。それに、今さらもう後戻りできません。わたしたちは一つのチームだと、エリオットさまもおっしゃったではないですか」

「そのとおり。ルパートは立場が低い相手をはなから見くびる傾向があるからね。平民となればなおさら無警戒だ。逆に、明らかに自分よりも優れている相手は遠ざけがちで、だからこそシリルはやつの懐までは入っていけなかった。ラヴィがルパートに近づくことを許したのも、そもそもこの件に強引に巻き込んだのも、この僕だ。シリルが責任を感じることはない」


 エリオットの台詞を聞いて、そういえばそうだったとラヴィは思い出した。シリルも同じことを思ったのか、きつい目でそちらを睨みつけた。いいのだろうか、相手は王子なのに。


「なにも潜入捜査のような真似までさせなくても、ラヴィが持ってきてくれた情報だけで十分ではないですか。賭博行為は法に触れます。夜会の最中に踏み込めば」

「それは難しいな。おまえにも判るだろう?」


 以前、身分の高い貴族が賭博に嵌り、周囲を巻き込んで大きな醜聞を起こしてから、ディルトニアでは金銭の絡む賭博は禁じられるようになった。しかしそれはほとんど名目上のもので、厳しく取り締まられているわけではない。

 こっそり賭博に興じる人々は多いと聞くが、実際に捕まった例はないという事実がそれを裏付けている。要するに、「問題になるほど派手にやらなければいい」という程度のものなのだ。


「大体、賭博が行われるとは、ルパートも明言していない。それに、その口実で踏み入るなら夜会の招待客すべての身柄を押さえる必要があるから、騎士団を動かさなきゃならない。だが、騎士団内に内通者の存在が疑われる以上、その情報は事前にあちら側に漏れる可能性が濃厚だろう。夜会そのものを中止にされてしまっては、何もかもが水の泡だ」


 エリオットに論破されて、シリルはぐっと詰まった。

 拳を握り、苦渋に満ちた眼差しをラヴィに向ける。

 それからまたエリオットに向き直って、頭を下げた。


「……では、どうか俺もラヴィに同行させてください」

「それも無理だ。ルパートがラヴィを屋敷に入れる条件が『一人で』なんだろう? 招待状も持っていないおまえがノコノコ一緒についていっても、玄関扉を開ける前に二人して叩き出されるのがオチだよ」


 冷静にそう言ってから、シリルが頭を下げたまま動かないのを見て、エリオットは「しょうがない」というように、ため息をついた。

 声の調子を少し和らげる。


「心配しなくても、ラヴィに伯爵家の暗部を探ってこい、なんて無茶は言わないよ。伯爵本人とも接近する必要はない。多少、屋敷の内部と、夜会の雰囲気を把握してもらえたら、それでいいんだ。貴族でないラヴィに、仮面をつけた招待客がどこの誰か推測することも難しいだろうしね。賭博なんてものにも一切関わらないでくれ」

「ええー……」


 その命令に、不満を抱いたのはラヴィのほうだ。

 つまり、あくまで飛び入り参加の何も判らない招待客として、「わあー」という顔をしながら無難に過ごしてから帰ればいい、ということか。

 せっかく屋敷内に立ち入れるのに。

 いくら「魔女の血」の被害者たちが口を噤んでいるとしても、商売である以上は顧客名簿や帳簿くらいは必ず存在しているはずなのだ。それさえ見つけられれば、確実に状況は大きく前進する。


「伯爵の書斎や私室に忍び込んで、机や棚や隠し扉の中を漁り、証拠一式を発見して持ち帰らなくてもいいのですか?」

「うん、頼むからやめてくれ。というか、そんなことするつもりだったの?」


 エリオットが得体の知れない生き物を見るような表情になった。シリルは手で顔を覆っている。


「君はたまに、頭がいいのか、本物の馬鹿なのか、よく判らないことがあるね」

「あ、いいことを思いつきました」

「却下。今、ちょっとだけシリルの苦労が理解できた。いいかい、君は夜会に行ったら、ルパートにお愛想を振りまいて、周囲の会話に耳を澄ませ、怪しげなものには近寄らず、ある程度経ったらさっさと退散することに全力を傾けてくれ。それ以降のことは、こちらの仕事だ」


 まだ釈然としない顔のラヴィに向かって、言い含めるように続けた。


「ラヴィ、何事も焦りは禁物だ。アドキンズ伯爵については、僕だって何度も煮え湯を飲まされてきた。仕留めるなら確実に、そして徹底的にやらなければいけない。それにね、僕は確かに君を利用する気満々だけど、君がどうなってもいいとまでは思っていないんだよ」

「はあ、左様ですか……」


 今ひとつ、「まあ、なんてお優しい」と感謝する気になれない。


「夜会のドレスなり装飾品なり馬車なり、入り用なものがあれば、こちらで用意するからなんでも言ってくれ。それじゃ僕はこれで」


 言いたいことだけ言うと、エリオットはさっと身を翻し、足早に厩から出ていった。騎士団にはほとんど顔を出さず、普段何をしているのかも謎なのだが、彼はいつも多忙そうだ。

 その場に残されたのは、ラヴィとシリルだけになった。

 二人の間に、気まずい沈黙が落ちる。シリルは下を向いたままじっとしているし、ラヴィはラヴィで未だに「無関係」という言葉が引っかかって、いつものように素直になれない。

 しかしとにかく、事態はもう動き出してしまったのだ。ラヴィが夜会に行くことは、第二王子も認めた決定事項。ラヴィ自身、ここで足を止めるつもりも、引き返すつもりもなかった。


「……それでは、わたしはこれで」


 軽く頭を下げて、自分も厩を出ようとシリルに背中を向けた──のだが。


「待って」


 という声とともに、後ろから素早く手を取られた。

 これまで腕を掴まれたことはあっても、こういう接触の仕方はなかったので、ラヴィは驚いた。振り返ると、彼はまっすぐにラヴィを見つめている。

 その切れ長の目は、深い色をたたえていた。一瞬、海のように真っ青なその瞳に、吸い込まれそうになる。


 どこか冷たくて、けれど、どこか熱っぽい。まるで奥のほうで炎が燃えているようだった。


 それは確実に、昔のシリルにはなかったものだ。

 途端に、鼓動が不規則に乱れ出した。

 その炎の正体が何なのか、ラヴィには判らない。でも、胸がギュッと掴まれたかのように苦しい。シリルに握られている手の温もりを意識せずにはいられなくて、頬が勝手に上気した。

 そこにあるものは、恐れか、不安か、怒りか──それとも、もっと他の何かか。

 ラヴィは昔からシリルのことが好きだ。でも、こんな風に呼吸が止まるような気持ちになったことはなかった。再会してからだって、成長したシリルをうっとりと眺めることはあっても、ここまで激しく感情を揺さぶられたことはない。彼と目を合わせることさえ、難しいほど。

 ──また同じ人に恋をしてしまったよう。


「ラヴィ」


 呼ばれて、ラヴィの肩が小さく跳ねる。

 自分の名前なのに、その声は何か別の響きを持っているように聞こえた。

 両手で優しく包むように手を握られて、頭が真っ白になった。さっきから足が小刻みに震えている。小さな頃は何度か二人で手を繋いだこともあったはずだと必死になって平静さを取り戻そうとしたが、全身をどくどくと巡る血液の音がうるさすぎて、ちっとも上手くいかなかった。

 だってここにいるのはもう、あの時のような子どもじゃない。シリルも、自分も。


「君は──君だけは、俺が必ず守るから」


 低い声でそう言うと、シリルはラヴィの手を持ち上げて、甲に唇を寄せた。

 触れるか触れないかというくらいのかすかな感触に、眩暈がしそうになる。

 ラヴィが何も言わず、石のように動かないでいるのを見て、シリルは少し困った顔になった。


「先に出るね」


 と耳元でそっと囁いて、静かに厩から出ていく。自分たちが一緒にいるところを誰かに見られたらいけないので、ここを出入りする時は必ず一人ずつでと指示されているのだ。


「くうっ……!」


 シリルの姿が見えなくなった瞬間、ラヴィは耐えきれず、その場に崩れ落ちた。

 腰が砕けた。

 真っ赤に染まった顔を両手で隠して、意味不明な呻き声を上げる。

 耳が熱い。口から漏れる吐息も熱い。手と足の震えが止まらない。心臓はずっと破裂寸前だ。胸も頭も、ぐちゃぐちゃに引っ掻き回されたようで、収拾がつかない。


「シ……シリルさまのバカ」


 掠れるような声で罵倒してから、猛烈に不安になった。

 ……こんなザマで、自分は本当にシリルへの恋心を断ち切ることができるのか?





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