竜か魔女か
数日後、ラヴィはシリルとエリオットを伴って、クレアのもとを訪れた。
現在、彼女は結婚して、シンプソン子爵家の長男ギルバートの妻、という立場になっている。突然連絡したにもかかわらず、クレアとその夫は快くラヴィを歓迎してくれたが、連れている人間を見た途端、揃って顔を強張らせた。
「あ、ご紹介しますね、こちらは王立騎士団団長のエリオットさま、そしてこちらが、さんざんお話ししたシリルさまです」
「お……王立騎士団団長って、ちょっとラヴィ」
そちらについては事前に何も言っていなかったので、夫婦して蒼褪めて、慌てて臣下の礼を取る。クレアもギルバートも、ラヴィと違って顔と肩書だけで、彼が誰なのかすぐに判ったらしかった。
「ああ、二人とも、固くならないで。今日の僕は、ラヴィの友人という立場でここに来ているから、単なる『エリオット』として接してくれ。ラヴィにもシリルにも、『殿下』なんて余計なものはつけなくていいと言ってある」
騎士団長で第二王子のエリオットは片目を瞑って軽い口調で言ったが、クレアとギルバートは正直に「そんな無茶な」という顔をした。気の毒に。
屋敷の応接間に腰を落ち着けてからも、平然としているのはエリオットだけで、夫妻はガチガチに緊張したままだった。
さすがに護衛くらいはついているが、彼らは部屋の外で待機させている。こんな形で王族が一貴族の屋敷に突撃訪問するなんて異例中の異例、とのことだ。王子と次期子爵夫妻と騎士と平民が一つのテーブルを囲むという光景は、たぶんこの一回きりだろう。
クレアがこっそりと恨みがましい目を向けてきたので、ラヴィは申し訳ありませんと頭を下げてから、あとは素知らぬふりをした。ラヴィとて王子に「友人」なんて言われて平常心でいられるわけではないが、どうしようもないではないか。
率直に言えば、いきなり短銃を頭に突きつけてくるような物騒な友人なんて、心からお断りしたい。
あの銃には実は弾丸が入っていなかったらしいが、それとこれとは別だ。
「──さて、今日こちらに伺ったのは、聞きたいことがあったからなんだ」
この状況で一人ゆったりと寛いでいるエリオットが切り出す。クレアとギルバートは飛び上がるように「は、はい……!」と返事をした。
「シンプソン夫人は、『竜の血』という薬を知っているそうだね?」
「え……」
問われた内容が意外だったためか、クレアはぽかんとした。咄嗟に妻を庇おうと前のめりになったギルバートも、目を瞬いている。
「はい、存じております。以前は定期的に飲んでおりました」
「以前というと、今は?」
「もう体調を大きく崩すことがほとんどなくなりましたので、他の薬に切り替えたのです。あの……竜の血はかなり高価なものですし」
恥ずかしげに目を伏せる。その頬がほんのりと赤く色づいたのを見て、まあクレアさま、すっかり健康的な顔色におなりになって……とラヴィはしみじみした。これなら確かに、もう竜の血は必要なさそうだ。
「うんそうか。実物を見てみたかったけど、仕方ないね」
ここはまずクレアが元気になったことを喜ぶべきだと思うが、あからさまに残念そうな顔をしているこの王子には、人の心がないのだろうか。
「ラヴィが非難がましい目で見ているから、さっさと用件を済ませてしまおうか。では夫人、『魔女の血』については知っているかな?」
「は……」
クレアはますます呆気にとられた。夫であるギルバートも、そちらの名前は初耳なのか、怪訝そうに彼女に目をやる。
「魔女の血……はい、浅くですが知識としては」
「どんなものなのか、説明してもらっても?」
クレアは困惑したように隣のギルバートを見たが、王子の要請を断れるはずもない。
ラヴィの顔を一瞥してから、ためらいつつ口を開いた。
「……竜の血は、『竜の樹』と呼ばれる木の樹液を原料として作られる薬なのですが、竜の樹自体が非常に数が少ないため、その樹液もあまり採れません。一方、竜の樹とよく似た樹木がございまして、そちらは数が多く、育てるのも比較的容易です。樹液も同じように赤く、竜の血と似たような効用のある薬ができます」
「ふむ……するとその樹木からは、『竜の血』よりも安価で、手に入りやすい薬が作れる、ということか」
エリオットは手で顎を撫でながら呟いた。
シリルが黙って固い表情をしているのは、「それを伯爵が竜の血と偽って高値で売っていても、罪とするには難しいのではないか」という懸念があるからなのだろう。
しかしこれはおそらく、そんな悠長な問題ではない。だからラヴィは、迷惑をかけることになると判っていても、こうしてクレアのところを訪ねたのだ。
「作れますが、それはいけません」
きっぱりと言うクレアに、エリオットは、ん? と顔を上げた。
先程までどこか怯えているようだったクレアは、まっすぐ背筋を伸ばし、毅然とした態度でエリオットを見つめている。それを見て、ラヴィは自分の選択が間違いではなかったと安堵した。
以前、「竜の血」とよく似た「魔女の血」についての説明をしてくれた時も、クレアは今と同じ厳しい表情をしていた。ラヴィはそれを聞いて、毒と薬は紙一重なのだと思ったものだ。
竜の血の恩恵を受けた彼女だからこそ、言葉に込められた重みが違う。
「いけないというと?」
「そちらもまた発作を抑える作用があるのですが、『竜の血』と比べると、効果はさほど高くありません。ただ、常用していれば、普通の生活くらいはできるようになります。けれども……なによりこれが重要なのですが、その薬は使い続けていると、副作用が出てくるのです」
「副作用?」
「そうです。それも、人体に悪い影響を及ぼす類のものです」
「具体的には」
「譫妄状態──つまり、意識が混乱してくる、と言えばよろしいでしょうか。最初は少しぼんやりする、というくらいなのですが、使用を続けているとそれが徐々に悪化していくのです。ひどい場合には、うわ言を言ったり、幻覚を見たり、叫んだり暴れたりすることもあります。この薬の最も厄介なところは、そのような症状が出てきて、本人や家族が異常に気づいた時にはすでに、薬なしではいられない身体になっている、ということなのです。一度手を出したら、あとはずぶずぶと泥沼に沈むように堕ちていくだけ……そういう理由から、『魔女の血』という名がついた、と言われています」
エリオットは顔をしかめた。
「それは……最悪だ」
クレアも「そのとおりです」と同意して、深く頷いた。
「ですから国によっては、厳しく法で禁じているところもあります。でもディルトニアには、まだその危険性が伝わっておりません。わたくしは自分自身が飲むものですから、『竜の血』と『魔女の血』について、文献を取り寄せてでも調べましたが、この国でそれらの薬の名を二つとも知っている人は、ほとんどいないと思います」
きびきびとした調子でそこまで説明したクレアは、急に我に返ったようにはっとして、口に手を当てた。
「申し訳ございません、わたくしったら……」
今自分が話している相手は王子だった、ということを思い出したらしい。
一緒になって頭を下げたギルバートとクレアの二人に向けて、エリオットは手を振った。
「いや、本当に気にしないでくれ。話を聞きたいと押しかけてきたのは、こちらなのだからね」
「そうですよ、クレアさま。勝手についてきたのはエリオットさまなのですから」
「ラヴィはもうちょっと僕への敬意があってもいいと思うけど。とにかく、非常に判りやすくて助かった。夫人は博識だな」
「い、いいえ、とんでもないことでございます」
クレアは畏まって身を縮めたが、嬉しそうだ。
エリオットは騎士団内では「名前だけの無能な騎士団長」として振る舞っているし、団員からも陰でこそこそ言われていたりするのだが、こうして鷹揚に労う態度を見ていると、やはり威厳がある。王族に認められるというのは、貴族としてなにより栄誉なことなのだろう。
「なんだい、ラヴィ。ようやく僕を見直す気になった?」
「はい。クレアさまをもっと褒めて差し上げてください」
「夏鳥! あ、あら、失礼いたしました」
以前の愛称でラヴィを叱りつけて、クレアが赤くなる。
「夏鳥?」とシリルとエリオットが不思議そうな顔をしたが、それについてはクレアもラヴィも返答を避けた。あまり積極的に話したい由来ではないのだ。
「まあいいや。とにかく、そんなものが大量にこの国に出回ったりしたら大変なことになる。知っていて売っているのだとしたら、なおさらだ」
竜の血はかなり高額で、病気に効くと判っていてもなかなか手を出せない。しかし、もっと安くて似たような効用の薬があると知ったら、欲しがる人は多いはずだ。
だがそれを一度使い始めたら、同じものを購入し続けなければならない。度重なる使用により「幻を見て、おかしなことを言ったり騒いだりするようになる」という副作用を発症した貴族は、致命的な噂に発展するのを恐れて、必死に隠すだろう。
シリルが訝しんでいた「どこからも被害を訴える声がない」というのは、そういう理由によるものだったのではないか。
それらを見越した上で売っているのなら、少しでも良くなりたいと願う病人の気持ちに付け込んだ、あまりにも悪質な手口だ。
「罪に問えますか」
シリルがひたとエリオットに視線を据えて、慎重に訊ねた。
「魔女の血」は、ディルトニア王国ではまだ法で禁じられていない。「竜の血」だと思っていた、副作用についても知らなかった、と言い逃れをされてしまえばそれまでだ。違法行為あるいは犯罪として捕縛できるかどうかは、かなりギリギリの線だろう。アドキンズ伯爵というのは、確かに悪知恵の働く人物であるらしい。
いつも何を考えているのかよく判らないエリオットは、薄い笑みを浮かべた。
「こう見えて僕は王子だぞ? これを『罪』にするための根回しや下準備なんて、いくらでもしてやる。いいか、これから本格的に動く。今度こそ、奴の尻尾を掴むんだ」
「はい」
シリルは真剣な面持ちで頷いた。
「シンプソン夫妻も、この件は内密に頼む。ラヴィが君たち二人のことは信用できると言っていた」
「承知しました。決して外に漏らすことはいたしません。私たちにできることがあれば、協力させていただきます」
「ええ。病で苦しむ人をさらに苦しめるような人間を、許してはおけません」
ギルバートとクレアも、礼を取って誓いを立てる。
エリオットが不敵な笑みを浮かべた。
「よし、我々は一つのチームというわけだ。ラヴィにも働いてもらうよ、いいかい?」
「はい!」
念押しされたラヴィが嬉々として返事をすると、シリルはまた深いため息をついた。
諦めの悪い人である。




