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初恋の少年は冷徹騎士に豹変していました 全力で告白されるなんて想定外です!!  作者: 雨咲はな
第四章 過去、現在、見えない未来

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彼の事情

 


 ようやく諸々を諦めたらしいシリルは、非番の日、ラヴィを食事に誘った。

 もちろんラヴィは大喜びで承諾した。何を着ていくか、アンディに相談しながらさんざん迷い、きゃっきゃと盛り上がる。ようやくシリルと落ち着いて話ができるのだ、嬉しくないはずがない。

 アドキンズ伯爵の件についてはくれぐれも他言無用、とエリオットから厳しく言い含められているので、経緯についてはアンディに説明できなかったのだが、とにかくシリルとの仲が修復できそうだと伝えると、「よかったね、ねえさま」と祝ってくれた。


「ちなみにシリルさまとのことについて、父さまには話しているの?」

「ううん、ぜんぜん」


 ラヴィはけろっとして首を横に振った。

 そちらは口止めされているからという理由ではなく、単に「面倒そうだから」という理由による。父はあれでも一流の商人なので、ラヴィが厄介事に首を突っ込みそうな気配を察してしまうかもしれない。


「あまり心配させないようにね」

「いやだわ、わたしがお父さまに心配かけるようなことをしたことがあったかしら?」

「それについては返答を避けるけど、この間も、『早く縁談をまとめたほうがあの子も落ち着くかなあ』なんてこぼしていたよ」

「あら……」


 それを聞いて、ラヴィは目を瞬いた。

 たぶん、王立騎士団に出入りするようになったことが、父親を焦らせている原因の一つなのだろう。第二王子の口添えなんて、いかにも裏がありそうで胡散臭いと考えているに違いない。実際、そのとおりだった。


「あの、ねえさま、念のために確認するけど、シリルさまとは……」


 なんとなく遠慮がちに口を開いたアンディに微笑みかけて、ラヴィはその先に続くであろう言葉を遮った。


「判ってるわ」


 ちゃんと判っている。今はもう、八歳の子どもではないのだから。


「でも、わたしにとってはどうしても必要なことなのよ」


 長いこと抱き続けた恋心に少しずつ砂をかけて、胸の奥のほうへ埋めていくために、必要なことなのだ。



          ***



 ここに来てくれないか、とシリルに指定されたのは、城下町の中でもあまり目立たない、裏通りにある小さな食堂だった。

 ラヴィはこういう店に入ったことがないので少しドキドキしてしまったが、木の扉を開けて入ってみれば、ふわっと香ばしい匂いの漂う、穏やかそうな店だった。テーブルと椅子の数は多くないが、柄の悪い男たちが大声を上げて酒盛りしているということもない。


「ラヴィ、ここだ」


 先に来ていたシリルが、ラヴィの姿を見てほっとしたように軽く腰を上げた。


「お待たせいたしました、シリルさま」

「いや。そんなことより、ここまではどうやって? まさか屋敷から一人で来たわけではないんだろう?」


 尾行でもされていないかと警戒しているらしい。さすが騎士さまだけあって用心深いわ、とラヴィは感心した。


「近くまでは馬車に乗ってきましたけど、降りてからこのお店までは歩いてきました。後をついてくるような人がいないかどうか、一応確認しながら来たので、大丈夫と思いますけど」


 今のラヴィとシリルは、「第二王子から下された極秘任務」に着手したところだ。

 エリオットからは、極力二人で話しているところを他人には見られないように、と注意されている。ラヴィはラヴィで、それなりに緊張しながらここまで来たのである。


「そうか……絡まれたりはしなかった? ここらへんはあまり治安がよくないんだ。本当は俺が屋敷まで迎えに行くべきだったんだが」

「そんなことをしたら、いろいろ台無しになってしまいますよ」

「目立たないためとはいえ、こんなところまで来させて、ラヴィがもしも変なやつに狙われたりしたらどうしようかと、生きた心地がしなかった。もしも危ない目に遭ったりしたら、すぐ大声を出すんだよ、いいね?」


 んん……?

 ラヴィは首を傾げて、シリルの真面目な顔を見返した。

 なんだか、尾行を心配しているというよりは、単純にラヴィの一人歩きを案じているような……?


「え……と、シリルさまは、こちらのお店によく来られるんですか?」

「ああ。この店は夜しか酒を出さないから、昼間は静かなんだ。知り合いに会うことは滅多にないし、町に下りた時にはここで食べるようにしている。味もまあ、悪くない。ラヴィの口に合うかどうかは判らないが」


 そう言いながら渡されたメニューを、ラヴィはわくわくしながら開いた。

 客から声をかけない限り寄ってこない不愛想な店主といい、殴り書きのようなメニューといい、ラヴィが普段行くような店とは何かと趣が違っている。


「すまない。ニコルソン商会の令嬢が入るような店でないことは承知しているが、今はあまり人目につくところには……」

「なぜ謝られるのです? いつも行くようなお店ではないからこそ、楽しいのではないですか。それに、シリルさまが味は悪くないとおっしゃるなら、なおさら期待してしまいますよ。あらっ、シリルさま、お豆と肉の煮込みですって、美味しそう!」

「ああ、この店のはじっくり時間をかけて煮込むから、肉がトロトロになっていて柔らかいんだ。固いパンを浸して食べると、さらに旨い。あと、この『玉ねぎのパイ』というのは、チーズをたっぷりかけて焼いたもので……」

「まあ、シリルさま、玉ねぎが食べられるようになったのですか。昔はこっそり皿の隅に除けるほど苦手でしたのに」

「いつの話を……」


 シリルが少し赤くなって、ラヴィはニコニコ笑った。彼はもう、過去の思い出を否定することも、覚えていないと突っ撥ねることもしない。それが本当に嬉しかった。

 彼の眼差しは落ち着いていて、言葉の端々にもこちらへの気遣いが感じられる。こうしていると、少年だった頃の優しくて面倒見のいいシリルが目の前に戻ってきたようだ。

 とにかく気になったものを片っ端から注文して、「しばらく待ってな」と愛想のない返事とともに店主が厨房へ入ったところで、シリルが改めてラヴィのほうに向き直り、姿勢を正した。


「……話をする前に、まずは謝罪したい。今まで君に対してひどい態度ばかりとって、すまなかった」


 真摯な口調でそう言って、深々と頭を下げる。

 ラヴィはそれを止めることも遮ることもせず、きちんと正面から受け止めた。謝ってほしいと思ったことはないが、きっとシリルにとっては、これが「必要なこと」なのだろうと思ったからだ。


「では、シリルさまのことをお訊ねしてもよろしいのでしょうか」

「もちろんだ」


 シリルが静かに頷いて、ラヴィと顔を合わせる。その視線が逸らされることはない。彼の青い瞳は、昔と同じく綺麗に澄んでいた。


「──そうだな、どこから始めようか」


 長い指がテーブルを小さくトンと叩く。

 中空に向けられた眼差しが、遠くを眺めるものになった。



          ***



 俺の父親、オルコット伯爵が亡くなったのは、ラヴィも知ってのとおり、十五の冬のことだった。

 寄宿学校で教師から伝えられたのは、「何か問題が起きたらしいから、すぐ領地に戻れ」ということだけで、詳細はさっぱり判らなかった。だから俺はてっきり領地内で大きな事故でもあったのかと考えていたんだ。

 帰ってみたら驚きだよ。父親は首を吊っていて、母親は泣くばかり。屋敷内は大混乱で、収拾がつかない有様だったからね。

 執事から聞き出してみれば、父は投資に失敗して、大きな借金を負い、領地も手放さなくてはならない状態だという。何から何まで、寝耳に水だった。母も何も知らず、何も気づかず、優雅に過ごしていたというから呑気なものだ。父は、自分の失敗を誰にも打ち明けることなく、表面上は威厳を保ち続けていたらしい。

 きっと、自分でも認めたくなかったんだろうね。自尊心の高い人だったから。怪しい投資話に乗っかって、全財産を失ったなんてこと、とても言えなかったんだろう。


 そして自分だけ、さっさと死に逃げてしまった。


 今でも思う。父は、死の直前まで、ちらりとでも妻子の顔が頭を過ぎらなかったんだろうか。過ぎったとしても、それは自死を思いとどまる理由にはなり得なかったんだろうか。自分だけが苦しかった? 父の死によって、残されることになる母と俺が、どれだけの苦しみを背負うことになるか、想像することもできないくらいに?


 ……ああ、ごめん。どうしても少し感情的になってしまって……なるべく事実だけを話すようにするから。


 それで──そう、寄宿学校から戻ってきた俺は、ひたすら父が投げ出したものの後始末に追われることになった。母は嘆くばかりでろくに話もできないから、執事と相談してなんとか葬儀の手配をして……葬儀といっても、弔問客は野次馬か借金取りくらいのものだったけどね。

 ラヴィの父上からも訪問したいと言われたけど、母が断ってしまった。彼女としては、これ以上我が家の恥を知られたくない、という一心だったんだろう。

 それまでに周囲からさんざん侮蔑的なことを言われて、ただでさえ精神的に消耗していたから、金切り声で喚いて手に負えなかった。あの時、ニコルソン商会の会長に相談に乗ってもらえていたら、少しは状況がマシになっていたんじゃないかと、今でも後悔している。

 いや……違うな。たぶん俺にも、母と同じく、見栄があったんだろう。

 父が自死して財政が破綻し、学校も退学することになり、屋敷も領地も手放さざるを得なくなったなんて、ラヴィに知られたら恥ずかしい、と思う気持ちは確かにあった。


 いつでもキラキラした目で俺を見てくれる君にだけは、幻滅されたくなかったんだ。


 結局、俺たち二人は、母の実家のレイクス子爵家に身を寄せることになった。市井に下りて一からやり直す、という発想は、母の頭にはカケラもなかったよ。もしそんなことになったとしても、母には耐えられなかっただろうけど。

 でも、子爵家に行ったところで、俺たち親子に居場所なんてなかった。以前は、格上の伯爵家に嫁いだために実家から一目置かれていた母だけれど、その後ろ盾も財産もなくなれば、単なる邪魔な居候でしかない。子爵家は代替わりして、当主が母の父ではなく弟になっていたから、余計にね。

 俺と母は、小さな離れを与えられ、理由がなければ母屋には立ち入ることも許されなかった。食事も最低限、それでさえいちいち子爵夫人に嫌みを言われる。


 前当主の計らいで、俺は名前だけ子爵家の養子ということになったけど、実態はただの使用人扱いだった。


 朝から晩まで慣れない労働をさせられて、年下の従弟の従者役を押しつけられた。こいつがまた、甘やかされて育ったからか、我儘放題のクソガキで……少しでも気に入らないと殴りつけてくるわ、剣の稽古の相手をしろと言いながら無抵抗を命じてくるわで、俺はいつも生傷が絶えなかったよ。

 結局あいつは節制からは程遠い食生活のせいで、病気になって早死にする羽目になったわけだが、同情はしなかったね。

 いや、俺のことはいいんだ。腹立たしいこと、悔しいことは数えきれないくらいあったけど、しょうがないと割り切ることもできたし、怒りを土台にして踏ん張ることもできた。


 でも……母は。


 生まれた時から貴族令嬢として囲い込まれて育ち、特に伯爵夫人になってからは常に他人から見上げられる立場にあった母は、一年も経たないうちに、その生活にすっかり参ってしまった。

 無理もない。ただでさえ、心痛が重なっていたんだ。

 身体は痩せ細って、見る影もないくらいに窶れ、精神的にも不安定になり、一日中ぼんやりしていた。何かと庇ってくれた前当主──母の父親が亡くなると、とうとう倒れてそのまま寝つくことになった。

 そうなったら余計に子爵家では持て余されてね……まあ、なんの役にも立たないのに、薬代はかかるというんじゃ、母の存在はただの厄介者でしかなかったんだろう。


 結果、ますます冷遇されて、最後は俺以外の誰からも面倒を見てもらえず、ひっそりと息を引き取った。


 死の間際、苦しい息の下で、俺の顔を見て「まあシリル、あなたいつ寄宿学校から帰ったの?」なんて言うものだから、咄嗟に「たった今」と答えてしまったよ。

 きっと、俺がラヴィと会った十三歳くらいの時の夢を見ていたんじゃないかな。母にとって、それが人生でいちばん幸せな頃であっただろうから。

 自分の弟に邪険にされて、その妻には苛められても言い返せず、父亡き後の母はつらいことばかりの毎日だったけど、その幸せな夢の中で逝けたことは、まだよかったと思っている。

 ──母がいなくなれば、子爵家にい続ける理由もない。父同様、悼む人もいない寂しい葬儀を終えると、俺はそこを飛び出して騎士団に入った。


 騎士になれば宿願が果たせると──そう思ったんだ。






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『自死』という表現について この作家さんへの批判ではなく、若い人たちに『自死』という言葉が三十年ほど前に『自殺』に変わり出てきたことを知って欲しくて、ここに書きます 自殺=自分を殺すこと 他殺=他…
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