隠していたもの
黒々とした銃口がすぐ間近に迫り、ぎしりと固まる。
シリルが息を呑んだ。
「動くなよ、シリル。ラヴィ、君もね。下手をするとうっかり指が反応してしまう。騎士団内で最も射撃が得意なおまえと違って、僕はあまり銃の扱いは得意じゃないんだ。万が一暴発でもしたら困るだろう?」
エリオットは変わらず穏やかな笑顔のままだった。まるで世間話をするような表情と口調で、ラヴィを捕らえ、銃を突きつけ、平然と恐ろしい脅し文句を吐いている。
そのアンバランスさがかえって、「その気になったらこの人は本当に顔色一つ変えず銃の引き金を引くのではないか」と思えて、ラヴィは蒼白になった。
それに、動くなと警告されるまでもなく、少し暴れたくらいでは到底この拘束から抜け出せそうにない。細身であるにもかかわらず、エリオットの腕はぎっちりとラヴィの身を締めつけて、振りほどく余地はどこにもなかった。
シリルもまた石になったかのように動きを止め、顔を青くしていた。手足どころか指一本さえ微動だにしない。
「なかなか隙を見せないから、どうしようかと思っていたんだ。家族もいない上に、恋人どころか友人も作らない。徹底的に自分の周囲から他人を排除し続けていたおまえが、ラヴィにだけは反応した。騎士団の中に引っ張り込んで様子を見ていたら、案の定、どんどん自ら壁を崩していくじゃないか。回りくどい手を使った甲斐があったよ」
ラヴィはひたすら混乱するばかりである。彼は何を言っているのだろう。
これではまるで、ラヴィを利用して、シリルを罠に嵌めたかのような──
なんのために?
「正直に言え、シリル」
エリオットは顔から笑みを消して真顔になると、威厳のある声で命令した。
「おまえはアドキンズ伯爵の手の者か?」
「──違います」
シリルは血の気の引いた顔で、はっきりと否定した。
その目がエリオットの顔へ向き、それから捕らわれたラヴィへと移る。彼の表情が苦しげに歪められた。
「団長、どうか……」
「残念だが、すんなりその言葉を受け入れるわけにはいかないよ。おまえが内通の最有力容疑者だ」
「な、内通?」
ラヴィは困惑しながら目だけを動かしてエリオットを見た。王子の金色の瞳がこちらに向けられたが、それはひどく冷え冷えとして、無感情だった。
「アドキンズ伯爵というのは、以前から、黒い噂の絶えない人物でね。まあ、その内容については割愛するけど、とにかく王立騎士団はずっと伯爵を内密に調査していたんだ。しかしなかなか証拠が掴めない。……それどころか」
皮肉げに口の端が上がった。
「どう考えても、こちらの情報が漏れている気配がある。騎士団の動きが事前に察知されているのだとしたら、どれだけ躍起になったって無駄というものだ。かといって、かの人物を放置しておくわけにもいかない。腐った果物は、一つあるだけですぐに箱の中身をすべて腐らせてしまうものだからね、なるべく早く取り除いてしまわないと、腐敗は加速するばかりだ。それで僕は無能な団長の肩書きを使って、騎士団内の内通者が誰なのかを探っていたというわけさ」
「それがシリルさまだと……?」
震える声でラヴィが問いかけると、エリオットはこともなげに頷いた。
シリルは目を伏せて、唇を引き結んでいる。
「もちろん、他にも容疑者は数人いるよ。しかしどれも決定打に欠ける。次から次へと捕縛して尋問したところで、真実を吐かせられなければ意味がない。それに肝心の伯爵にシラを切られたらそれまでだ。あちらにとっては騎士団の間諜なんて、すぐに切り離せるトカゲの尻尾のようなものだろうからね。伯爵側には気づかれず内通者を特定して、その上で泳がせるか、こちらに取り込まなければ。──その点、このシリルは」
と、顎を動かして指し示した。
「以前から怪しい動きをしていたんだけど、なかなか捉えきれなくて。およそ弱みというものがない男だったから、こちらも手をつけかねていたんだよ。そうしたらある日、ラヴィという絶好の餌が転がり込んできた」
シリルが唯一、無反応でいられない相手。冷たく当たりながら完全に突き放すこともできず、無関心に見せながら常にその動向を気にしている。関わらないでいようとしつつ、それでもいざという時には手を差し伸べずにはいられない。
エリオットは滑らかにつらつらとそう語った。
「しかも平民だから、ある日いきなり姿を消してもそう大した騒ぎにはならないし。貴族の令嬢だとあれこれ面倒だからね。交渉の取引材料にするのにはこれ以上ないほど、うってつけの人材だ。本当によく僕の前に現れてくれたね、ラヴィ」
まるで褒めるようにエリオットは目を細めたが、ラヴィはちっとも嬉しくなかった。
「シリルさまは脅しに屈したりしませんよ」
「うん、その信頼がどこから来るのか謎だけど、この場合、悪党は僕ではなくシリルのほうだからね」
「だって、シリルさまにとって、わたしは思い出すのもイヤな昔馴染みなんですから。顔を見るだけでも腹立たしく、一切関わりを持ちたくないと思うほどの、どこからどこまでも憎々しい赤の他人なんです」
「……そうなんだ。本気でそう言ってるの? どうでもいいけど、さっきからシリルのほうがダメージを受けているようだよ」
いつの間にかシリルは地面に両膝を突き、悄然と肩を落としている。
「ラヴィはこう言っているけど、どうする? 本当に『憎々しい』と思っているのなら、彼女がどうなってもなんとも思わないかな? まあ僕も鬼じゃないから殺しはしないけど、ここまで内情を知られたからには、黙って帰すわけにも」
「やめてください」
シリルは素早く、そしてきっぱりと言って、膝だけでなく両手も地面につくと、深々と頭を下げた。
「──俺のことはどう扱っても構いません。お疑いでしたら、牢にでも入れてください。それでもご不満なら、ここで頭を撃ち抜いてくださってもいい。でもどうか、彼女は……ラヴィだけは、無事に家に帰してやってください。ほんの少しでも傷つけるようなことはしないでください」
額づいて、「お願いします」と血を吐くような声で懇願する。
「シリルさま……」
彼の頭のてっぺんを見つめて、ラヴィは茫然とした。
どうしてわたしのために、そこまで?
ラヴィのことが嫌いだから、今までずっと避けていたのではないのか。
「美しい自己犠牲の精神だね。でも、僕が求めているのはお願いでも謝罪でもないんだ。判るだろう? まずは真実を明らかにせよ、シリル・レイクス。おまえはアドキンズ伯爵の手の者で、騎士団における内通者か?」
ラヴィに突きつけられた短銃はぴくりとも揺るがない。エリオットの声は威厳に溢れていて、苛烈で、逃げることも言い訳も一切許さない断固とした響きがあった。
「……違います」
シリルは再度否定した。
「内通者ではないと?」
「俺は騎士として王国に忠誠を誓った身です。決して裏切るようなことはいたしません」
「しかしアドキンズ伯爵の子息、ルパートと懇意なのは間違いないだろう?」
ルパート、と聞いてラヴィは目を瞠った。以前、シリルが追い払った品のない男性だ。
あれがアドキンズ伯爵の息子なのか。
シリルは少し迷うように視線を彷徨わせた。
「……アドキンズ伯爵に接近しようとしていたのは事実です」
「理由を述べよ」
「その前に、ラヴィを離して……」
「だめだ。時間を与えることもしない。今ここで、すべてを話すんだ」
エリオットは容赦なく畳みかけた。シリルの躊躇を、時間稼ぎかと疑っているようだ。
「…………」
シリルは少しの間無言で考えてから、ラヴィの頭近くにある短銃を見やった。
眉を寄せて下を向き、深い息を吐く。
ぐっと拳を握って、喉の奥から絞り出すように答えた。
「──アドキンズ伯爵は、昔、俺の父を陥れて、死に追いやった張本人だからです」
その内容に意表を突かれたのか、エリオットが目を瞬いた。
「おまえの父親? レイクス子爵か?」
「いえ、実の父、オルコット伯爵です。父は架空の投資話に騙され、財産を失い、借金まで背負わされて、絶望して自らの命を絶ちました。俺はずっと長いことそれについて調べて、ようやく、あの時裏で糸を引いていたのがアドキンズ伯爵だったと突き止めたんです。俺はどうしても、やつにその罪を償わせたい。あの男が手を染めた悪事のすべてを陽の下に明らかにして、相応の処罰を受けさせたいんです」
王子は何も言わない。シリルの言葉をどこまで信じていいものかと考えているらしい。
その手にある銃がすぐ近くにあるのも忘れて、ラヴィは身を乗り出し、真剣にシリルの話に聞き入った。
「……そのために、騎士の職務とは別に、単独でやつの周辺を探っていました。アドキンズ伯爵は用心深く、狡猾です。他人を容易には信用しない。だからまず息子のルパートに近づきました。あの男は父親と違って頭が軽く、脇も甘いので……」
淡々と述べていたシリルは、そこで言葉を切って顔を上げた。
そして、世にもイヤそうな表情になった。
たぶん、ラヴィが目を輝かせ、満面の笑みを浮かべているのを見たからだろう。
「シリルさま、シリルさま」
「ラヴィ、黙っていて。お願いだから」
「わたし、いいことを思いつきました!」
「君の父上の気持ちがよく判った。心の底から聞きたくない」
「わたしも協力します! 今ならお役に立てます! 七年前はできませんでしたが、今度こそ、一緒にお父さまの仇を討ちましょう!」
「くそっ、絶対にそう言うと思った! だからラヴィにだけは知られたくなかったのに……!」
その場に突っ伏して呻くシリルと、意欲満々なラヴィをまじまじと交互に見つめて、エリオットはようやく持っていた短銃を下ろした。
一拍置いて、ぶふっと勢いよく噴き出す。
「──よし、判った。シリル、可愛いラヴィに免じて、おまえのことは信用しよう。では、この三人でアドキンズ伯爵の罪を暴くとしようか」
その提案に、晴れ晴れと元気よく「はい!」と返事をしたのはラヴィだけで、シリルは両手で頭を抱え、何かを呪うような唸り声を上げた。