捕獲
翌日からラヴィは本腰を据えてシリルの探索を開始した。
詰所に入ってその日の仕事を素早く終わらせると、誰彼構わず捕まえて、シリルはどこにいるかと聞いて回る。
外をうろついていたと言われればすぐさま駆け出し、演習場にいたようだと聞けばすっ飛んでいき、手洗いに行ったよと耳打ちされれば出口前で待ち伏せた。
はじめは驚いていた騎士団員たちは、くるくると走り回るラヴィを眺めているうちに面白くなってきたのか、積極的に協力してくれるようになった。ラヴィが詰所内に滞在できるのはほんの二十分程度のことなので、その間シリルを休憩所に留め置くための策まで考えてくれる。
「あいつ最近、昼飯もどこか別の場所で食っているようだからな」
「午前の仕事が終わってから、数人で囲んで強制的にここに連れて来ればいいんじゃないか?」
「もういっそ縄でぐるぐる巻いて縛りつけておけ」
かなり悪ノリ気味で過激なことまで言い出す騎士もいる。シリルがどうやら故意にラヴィを避けていると悟ってからは、むしろもっと困らせてやれと考えているらしかった。騎士団内に味方を作っておかないから、いざという時こういうことになるのである。
「この間なんて、『ラヴィ』の名前が出た途端、びくっと肩を揺らしてたぞ」
笑ってそう教えてくれたノーマンも、そのうちの一人だ。以前からシリルのことをよく思っていなかった彼は、完全に今のこの状況を楽しんでいた。
「それではまるで、わたしが恐怖の対象のようではないですか」
「だよなあ。俺はてっきり、騎士に自分勝手な妄想を抱いて執念深くつきまとう平民娘に対する怯えかと思ったんだが」
「ひどい」
「でもそれにしては、その名をチラチラと気にする素振りも見せるしな。迷惑なら迷惑だとはっきり言えば済むことなのに、ただ逃げ回っているだけだし……一体何を考えてるんだ?」
ノーマンは首を捻ったが、ラヴィも大いに同感だ。
自分はただ、シリルときちんと顔を合わせて話がしたいだけなのである。その場で「これ以上自分に関わるな」ときっぱり言い渡されれば、そうですかと引き下がるつもりでいる。
心の痛みはあるだろうが、それで少なくとも諦めはつくし、気持ちの区切りもつけられる。それなのにただ逃げられ、避けられるばかりでは、ラヴィの心は中途半端なまま、次の段階へと進むことができない。
「あっ、ラヴィ!」
その時、リックが慌てた様子で詰所内に駆け込んできた。
「ついさっき、厩のあたりでシリルを見かけたよ!」
「厩?! くうっ、そこは盲点でした! それではみなさま、また明日、ごきげんよう! ご協力のお礼に、今度ニコルソン商会から差し入れをいたします!」
大声で挨拶をし、すぐに走り出したラヴィの後ろで、騎士団員たちが「頑張れ」「今度こそ逃がすなよ」とやんやの声援を送ってくれた。
***
厩で馬を撫でながらぼーっとしていたシリルは、そろそろと背後から近づいていったラヴィに、まったく気づいていなかった。
「シリルさま!」
すぐ間近まで寄って、大声で呼びかける。
シリルは驚いた顔で振り返り、そこにラヴィの顔を認めると、咄嗟に逃げようと足を動かした。素早く通せんぼするようにその前に立ちはだかり、ラヴィは自分の腰に手を当てる。
「今度こそ捕まえましたよ! 大体どうしてそうお逃げになるんですか!」
「に……逃げてなんて……」
「本当は、わたしのこと、ちゃんと覚えているんですよね?」
言い返そうとしたのを遮って、真正面から問い詰めると、シリルはあからさまに動揺した。
迷うように視線が揺れ、口が開いたり閉じたりを繰り返す。往生際悪く一歩後ずさって周囲に目をやったが、近くにいる馬も自分を助けてくれないと悟ると、ようやく観念して、がっくりとうな垂れた。
「君のような人を忘れられるわけがないだろう……」
唸るような低い声で出されたのは、弟のアンディが言っていたのとよく似た台詞だった。
後ろの壁に背中を預け、そのままずるずると滑るようにその場にしゃがみ込む。ラヴィも両膝を曲げたが、下を向いたシリルがどんな顔をしているのかは見えなかった。
「では、覚えていらっしゃるんですね? ラヴィ・ニコルソンのこと、子どもの頃のこと、文通をしていたことも? すっかり忘れていたのでも、記憶喪失になっていたわけでもなく?」
「ああ……」
「あの二年間のこと、すべて?」
「すべて」
肯定されたことに、ラヴィは自分でも驚くほど衝撃を受けてしまった。
シリルはラヴィのことを忘れていたわけではなかった。あの頃の記憶は、きちんと彼の中にも残っていた。本来はそれを喜ぶべきなのだろう。ラヴィだってそれを望んでいたはずだ。
でも、手放しで喜ぶには、再会した時から現在に至るまでに費やした時間が長すぎた。
しゃにむに追いかけているうちはまだよかったが、こうしていざ認められると、これまでシリルから向けられた冷たい表情と態度がどっと重くのしかかってくる。
本当は覚えていたのに、「知らない」と言いきられた。逃げられ、避けられ、突き放され続けた。改めてその意味を考えずにはいられない。
「そっ……そんなに」
ぶわっと涙が込み上げる。
顔を上げたシリルは、ぶるぶる震えながら唇を大きく曲げ、涙ぐんだラヴィを見て、ぎょっとしたように口を開けた。
「そんなに、わたしと関わりたくなかったのでしたら、最初の段階ではっきりとそう言ってくださればよかったのにっ……シリルさまとの思い出はわたしにはとても大切なものでしたけど、シリルさまにとって、それは忌まわしい記憶でしかなかったのですね。それならそれでもっと早く教えてくだされば、決してこんな真似はしませんでした……!」
「えっ、いや」
「わたしとシリルさまの間には、せめて友情があると思っていましたが、それはわたしの独りよがりな考えだったようです。申し訳ありません、わたしの顔も見たくないほどイヤなのに、無理やり追いかけ回してしまって。もう金輪際シリルさまの前には姿を見せないようにします。許可証についてはすぐにでも返上いたしますから」
「違っ、ちょっと」
「それではシリルさま、束の間の再会でしたが、お会いできて嬉しゅうございました。どうぞお元気で、シリルさまのお幸せを遠い地で陰ながらお祈りしています!」
一気に言い放ってすっくと立ち上がり、くるりと身を翻して走り出す。
「ラヴィ、待って!」
その腕を、シリルが慌てて掴んで引き留めた。
「違うんだ、そうじゃない」
「心配なさらなくても、もうシリルさまを煩わせることはありません。どうぞお構いなく」
「その思い込みが激しいところ、ぜんぜん変わっていないな……! とにかくちょっと話を聞いて」
「今までわたしから逃げ回っていたのはシリルさまじゃありませんか」
「だからそれには事情が……」
離して、離さない、と二人で揉めていたら、「ふうん」と第三者の間延びした声が割って入った。
「やっと本心を出したね、シリル」
ニコニコ笑いながらそう言って、歩み寄ってきたのは第二王子のエリオットだ。今日は騎士の制服姿ではなく、白に金の刺繍がされたジュストコールを身にまとっている。
詰所にも滅多にやって来ない名ばかりの騎士団長がどうしてこんなところにいるのかと、ラヴィは呆気にとられたが、シリルは顔を強張らせた。
「……団長」
「ほら、か弱い女性の腕を、そんなに強く掴むものじゃない」
窘めるように手を出して、シリルの手からラヴィの腕を解放させる。仲違いをする二人の間を取り持つようににこやかに、そのままラヴィを自分のほうへと引き寄せた。
「……つまりこの子が、おまえの唯一の弱点ということだな?」
ふいに声の調子が変わる。
──と。
次の瞬間、くるっとラヴィの身体が回転して、後ろからぎっちりと拘束された。
「えっ?」
何がなんだか判らずぽかんとしたラヴィのこめかみに、突然、短銃が突きつけられた。




