いつの間にか推しに溺愛されてました!?
「はじめまして、エミリア嬢。僕はオズワルド・ベルディアです。よろしく」
(──────!!!)
そういって差し出された小さな柔らかい手のひらを凝視して、エミリアは雷に打たれたような衝撃が走った。毛先が少し跳ねた、けれど柔らかそうな濡羽色の髪にまだ幼さの残る金糸雀色の大きな瞳。影が頬に落ちる程の長いまつげに、綺麗な二重。すっと通った鼻筋に形のいい唇。まさに神が創りし彫像とも言えるうつくしさ。
(な、な、な、なんて……、なんて可愛いの……!!??)
まだ幼いオズワルドには「かっこいい」ではなく、「可愛い」が似合う、美少年だ。エミリアは今日初めて会ったオズワルドの美しさに当てられ、頬を赤くさせる。
「あ、あの、えとっ……!」
「?」
何か言わないといけないと分かっているのに口から出るのは意味のない言葉のみ。そんなエミリアにオズワルドは笑顔のまま首を傾げる。
(はうっ!)
なんと破壊力のある絵面だろう。エミリアは結局、小さな頭をショートさせて、ふらふらと気を失った。
* * *
「う……っ」
目を開けると見た事のない部屋。ズキズキと痛む頭を押えながらエミリアは目を覚ました。否、エミリアであるが、エミリアではないものが目を覚ました。
「こ、こは……?」
未だに痛む頭を押え、エミリアはゆっくりと上体を起こした。周りを見渡すと常に見ていた景色なのに初めてのように感じる景色。エミリアは自分に起きた出来事を理解していた。
(私、転生したんだ……)
エミリア10歳。無事?前世の記憶を取り戻した。記憶が戻ったからと言って、10年間過ごしたエミリアとしての人格が消えることはなく、前世というのはただの映像として記憶の一端に置かれた。しかし、唯一エミリアの人格を一部書き換えてしまうことがあったとすれば、それは''尊いもの''を常に追いかけるオタク本能を目覚めさせてしまったことだけだった。
前世のエミリアは普通の女子大学生だった。友達も普通にいたし、それなりに勉強もできて親に心配させたことはほとんどない。けれど彼氏いない歴=自分の年齢ということだけは気にしていた。そんな前世のエミリアは人には言えない絶対的な秘密があった。
それは『推し活』をすることだった。
なぜかは知らないが大学では高嶺の花として扱われていた前世のエミリア。だからそのイメージを崩してしまうことを容易にはできなかった。周りからのイメージなんてと思うかもしれないが、常に周りからの評価で生きてきた前世のエミリアにとってはイメージというのはそれなりに大切なものだった。
友達からも先輩、後輩、先生からも人目置かれていた前世のエミリアは当時が少し、生きづらかった。そんなときに『推し活』を知った。自分でも知らなかったが、どうやら重度の面食いだったらしく、バイトで稼いでいたお給料は生活費を除いて全て推し活へと注がれた。
何よりも美しいものを愛でる前世のエミリアは漫画や小説、乙女ゲームにも手を出してあらゆる推しを摂取した。あのときも新作の乙女ゲームが発売されるということで買いに行く途中、居眠り運転のトラックに轢かれて呆気なく死んだのだ。
(別に悔いはないけど、強いて言えば乙女ゲームをして推しを供給したかった……っ!)
そんな思いが幸か不幸かエミリアをこの世界へと転生させた。10年間は記憶がなかったみたいだが、オズワルドを見た瞬間、直感で感じたのだ。
───推しだ!
そこからエミリアは記憶を取り戻して今に至る。ベッドからぶらぶらと足を出しているが床につかないし、手も小さい。エミリアとして過ごした部屋も考えると、本当に転生したことを実感する。
「それにしてもオズワルドさま、かわいかった〜!大きくなったら絶世の美男子間違いなしよ!」
瞳を閉じればオズワルドの顔を思い出す。もちもちとしてそうな頬にやさしい笑顔。エミリアの歴代の推しナンバーワンを獲得したくらいだ。
(神さま!転生させてくださり、ありがとうございますっ!そしてオズワルドさまをこの世に生まれさせてきてくださり、感謝します!)
思わず神に祈ってしまうほど、オズワルドはエミリアの好みど真ん中だった。けれどそれは恋愛感情ではない。エミリアは推したちにそんな不純な感情を抱いたりしないのだ。
「あのあと倒れてどうなったかは分からないけど、オズワルドさまに見苦しいものを見せてしまったわ!父様たちが友達だし、兄さまもオズワルドさまもお互い友達。だから兄さまの妹である私も顔見知りになっておこうということで呼ばれたのだけれど……」
はあ〜と思わずため息が漏れ出る。まさかオズワルドを数秒直視しただけで倒れてしまうとは。これはエミリアも予想外だった。
「とりあえず、侍女を呼びましょうか」
空腹を訴えるお腹を抑え、エミリアはベルを鳴らした。このベルは特別性でそこまで大きい音でもないのによく響く。だから何人もの足音がものすごい勢いでこの部屋に向かっているのも仕方がない。
バンッとノックなしに開けられた扉は普段はそんなことないだろう。しかし開けた本人である父様たちはそんなことにも気が回らないほど、エミリアが心配だったのだ。心配をかけてしまったのは事実なため、エミリアは元気だということを証明するように笑顔で挨拶をした。
「父様、母様、兄さまも。おはようござい───わっ」
「エミリア!」
しかし、エミリアの挨拶はあることによって途切れた。エミリアの2つしか違わない兄のリアムがエミリアの体をぎゅうっと抱きしめたのだ。エミリアと同じシルバーブロンドの髪をしたリアム。けれど瞳の色は母様譲りの翡翠色をしたエミリアとは違い、レッドサファイヤのような輝きを誇る父様の譲りの瞳。
「兄さま、少し苦しいわ」
「うん。でもまだこうさせて」
「……もう、仕方ないわね。兄さまだから特別よ」
強くぎゅうっとされて、エミリアの体は痛みを訴えていたがリアムが多少力を緩めてくれたおかげで痛みは軽減された。未だにエミリアの背中に手を回したまま動かない兄さまを愛おしく思い、扉の前で待っている父様たちに目を向けた。
「父様、母様、ご心配をおかけしました。もう大丈夫です」
「本当に平気?無理してない?」
「ええ、大丈夫ですよ。母様。強いて言えばお腹が減っているだけですが」
そしてまたしてもエミリアのお腹は鳴る。それに少し恥ずかしく思いながらも父様たちを見て食事の用意をお願いする。
「わかった、今すぐ用意させよう」
「ありがとうございます。父様」
エミリアに抱きついて安心したのか、リアムはエミリアを抱きしめていた腕を離してレッドサファイヤの瞳に薄く膜をはりながらエミリアに問いかける。
「本当に大丈夫なの?エミリア。僕たちに心配かけないように無理して言ってない?」
「もう、兄さまは心配性ね。本当に大丈夫よ。それに私があの場で倒れて、みんなに迷惑をかけたほうが心配だわ」
俯きがちで言うエミリアにリアムはワタワタしながら否定する。その仕草に「なんて可愛らしい反応なのかしら」と密かに思ったことは内緒だ。
「だ、大丈夫だよ!オズワルドも僕も迷惑だなんて思ってない。むしろオズワルドもエミリアを心配していたよ」
「!そうなの……?」
「うん、だから大丈夫」
(オズワルドさまに心配してもらえるなんて、なんて幸せなの……!でも、推しに心配させるなんてダメだわ。推しに憂いた顔は似合わないもの。何よりもそんな顔にさせたら自分を許せないわ)
エミリアはリアムの話を聞いて己の愚かさを知る。悶々としているエミリアのところに食べやすいお粥が運ばれてきて、エミリアの思考はそこで1度ストップした。
「火傷されないように人肌程度に冷ましてあるので安心してお食べ下さい」
「ありがとう。……では私は今から食事にするので父様たちはご退出ください」
侍女にお礼を言ったあと、エミリアは父様たちを見てそう述べる。明らかに傷ついたような顔をする3人だが、起きたばかりだということを忘れないでいただきたい。それに時間帯が時間帯だ。
「で、でも、僕はエミリアが心配だよ!」
「そうよ、私も心配だわ!」
「エミリアが倒れたと聞いてどれほど心配したか……!」
口々にそういう兄さま、母様、父様。別に意地悪して出ていって欲しい訳では無い。ただエミリアを心配したみたいに、エミリアもまた家族のことが心配なのだ。
「───父様たち。私が外の様子を見る限り、太陽は沈み、辺りは暗くなってきているように見えます」
「「「……」」」
「つまりこの時間帯は父様たちもまた、夕食の時間になるということです。別に父様たちが嫌で出ていって欲しいわけではないのです。食事を抜くのは体に良くありません。父様たちが私を心配してくれるように、私も父様たちが健康でいてほしいと願っているのです」
エミリア……、と呟くリアムの声が聞こえる。父様たちはエミリアの言葉を嬉しそうに噛み締めている。
「それにせっかくシェフの皆さんが作ってくれた食事を廃棄するのは良くないです」
分かりやすく手でバツ印を作ると3人は「うっ」とつまり、最終的にはエミリアの希望通りになった。
「また明日来てください。待っていますから」
「!ああ、わかった。仕事を終わらせてすぐに行く」
「母様も夫人たちの会合が終わり次第に来るわ」
「僕は授業がないからずっといるね!」
ベッドの上でふんわりと微笑むと、3人は名残惜しそうにその場に留まる。しかし先程のエミリアの会話を思い出し、しぶしぶと出ていった。
誰もいなくなった部屋でエミリアは普段なら絶対にしないというスピードでお粥を食べ進める。''淑女たるもの、何時いかなる時も美しく''という母様の教育により、エミリアは優雅に食事を食べるのを基本としていたが、あまりの空腹具合に今はその言葉を頭の片隅に追いやり、驚くほどの速さでお粥を平らげていく。
「この程よい塩気がたまらないわ〜!」
侍女の話の通り、子供の舌でも火傷しない温かさのためエミリアはどんどん食べ進め、あっという間に空にしてしまった。
「ふう〜、食べたわね……」
すっかりと空になった器を眺めながら、エミリアはパンパンになったお腹をさする。そして父様たちが来る前に考えていたことを紙に書き記すために勉強机へと歩く。まだエミリアの手には大きい羽根ペンにインクをつけ、言葉を書いていく。
《推し活で大切なこと》
1、推しに害をもたらすものには最大の鉄槌を
2、推しを美しさを描く画家や作家には最大の資金援助を
3、毎日3回推しを眺め、崇め奉る
4、推しは推し。不純な感情を持つべからず
5、その場での臨機応変
少しグチャついているが、書ききれたことにエミリアは1種の達成感を覚える。そして紙を眺めるとうんうんと頷いて、一つ一つ事項を確認していく。
「まず1番目。これはオズワルドさまに害をもたらそうとするものに侯爵令嬢である私がお仕置をすること。もちろんオズワルドさまには知られてはいけないし、事前に察知しないといけないから情報収集は欠かせない。
2つ目はとっても大事なこと。オズワルドさまの美しさを称える画家達がいなければ私の生活は成り立たないもの。そのためには画家たちに最大の支援をしないといけないわ。
3つ目は当然のことよね。4つ目、これも当然。基礎中の基礎だわ。5つ目は……、まあその場を上手く切り抜ければいいから……」
確認が終わるとエミリアは誰にも見られないように鍵付きの引き出しへとしまい、鍵をかけた。推し活というのは同士がいないと楽しくない。同士が見つかるまでは秘密にしておこうと決めたのだ。
* * *
そしてあれから7年が過ぎた。エミリアは侯爵令嬢の一人娘として完璧な礼儀作法を身につけ、社交界ではそれなりに影響力のある令嬢へと成長した。この7年間、エミリアは様々な推し活をし続けた。
オズワルドさまに関する情報をあらゆる伝手を使って集め、害があるもの、無害なものと人物を選別していき、害があると該当したものには侯爵令嬢としての権力を使って徹底的に懲らしめた。オズワルドさまを陥れようとした方法と同じもので相手を陥れて。
オズワルドさまの美しさを完璧なまでに再現する画家と彫刻家にはエミリア専属として雇い、衣食住を保証した。隠し部屋としてある部屋にはオズワルドさまの絵や彫刻で埋め尽くされている。エミリアはそこで毎日お祈りをしたり、嫌なことがあったらそこで浄化したりしているのだ。
その他にもオズワルドさまのためになりそうなことを影から支援して、決してエミリアだとは気づかせないように徹底的に隠し続けてきた。けれど、シスコンもといリアムはエミリアがコソコソと何かを知っていることにいち早く気づき、オズワルドを推しているのを知った。
(あれには驚いたわ。隠し部屋でオズワルドさまを補充していたら突然その扉が開くんだもの。まあ兄さまはなんだかんだ黙っていてくれたけれど……)
エミリアは当時を思い出し、遠い目をしてしまった。
『───!!兄さま、なぜここに……!』
『最近エリーの行動が気になって……。無名の画家や彫刻家に突然会いに行ったかと思えば家に連れてくるし、凄腕の情報屋と取引していると知ったし……。だから気になって調べていたんだ』
そしたらこれだ、と隠し部屋を見回しながらリアムは言う。エミリアは咄嗟のことで頭が回らなかったが、思考が戻ってくると慌ててリアムに言う。
『に、兄さま!お願い、このことは誰にも言わないで!』
『そんなに隠したいものなのか?父さんたちに言えば婚約なんて簡単に───』
『オズワルドさまに対してそんな感情は持ってないわ!あの方は私の神さまなのだから、そんな不純な感情を持つはずがないわ。だけど、令嬢としてあまり褒められたことでは無いと知っているの。だから兄さま、秘密にして!兄さまのお願いをひとつ聞くから!』
エミリアは焦りが出てしまったのか早口で言ってしまったが、リアムは正確に聞き取り、その上でエミリアの言葉に口角を上げた。
『なんでも聞いてくれるのか?』
『え、ええ。私に出来る事なら……』
『じゃあ仕方ない!このことは2人だけの秘密ということにしておこう』
リアムの言葉にエミリアは素で喜ぶ。
『ほんと……!?ありがとう、兄さま!』
『エリーも約束を守ってくれよ』
『もちろんよ、兄さま!』
そうして隠し部屋から出ていった兄さまを眺めて、エミリアは一息ついた。が、エミリアは安易にあんな約束を取りつけるべきではなかったと後悔する。単純にリアムのエミリアへとシスコン度合いを甘く見ていたのだ。
リアムがエミリアにお願いしたことは「一日だけリアムに付き合うこと」それだけだった。だからエミリアは特に深く考えることもなく、約束の日を迎え、リアムと共に王都へとショッピングに向かった。
けれど……
『ああ、これはエリーに似合いそうだ。エリー、1度これを着てみてくれないか?』
『わかったわ、兄さま』
リアムが選んだ3着のドレスを持って侍女と試着室へと向かう。そして一着ずつ着替えリアムに見せていくということを3回繰り返した。
『うん、どれも似合ってる。じゃあ、今着たのを全部もらおうかな』
『かしこまりました』
『えっ!?兄さま?』
そして次の店でも……
『エリー、このドレスとこの靴を試着してみてくれないか』
『わ、わかったわ』
次の店でも、次の店でも、次の店でも……
着替えに時間と労力のかかることを何度も繰り返すエミリアはあっという間に疲れてしまった。けれど約束をしたことだからエミリアに拒否権なんてない。ようやく一日が終わるとぐったりしているエミリアにリアムは言ったのだ。
『やっぱり、可愛い妹を着せ替えするのは楽しいな。エリーはなかなかこういうことをさせてくれないから。次はもっと着てみてくれ』
『そ、そうね。次があれば……』
(もう絶対に同じ轍は踏まないようにしないと!!)
エミリアはそう強く握ったのだ。
あの時のことを思い出し、苦笑いをした後、隣ににこにこと座っているリアムを見上げた。今日はオズワルドさまも来る夜会に参加しに来たのだ。リアムと色合いを揃えた深い青色をしたドレス。所々に金の刺繍が施されているが、これはリアムが選んだものだ。シスコンのリアムはエミリアに似合うものを完璧に把握していた。
馬車が着くとリアムはエミリアよりも先に降りて、馬車の中にいるエミリアに手をさし伸ばした。
「ではお姫様。お手をどうぞ」
「もう、兄さまったら……。そんなのだから未だに婚約者ができないのよ」
「俺はエリーの婚約を見届けるまでは婚約者はいらないから問題ない」
「何が問題ないって言うのよ……!まったく!」
ぷんすかと怒るエミリアにリアムは「ごめんごめん」と謝る。エミリアはその様子をちらりと見ると差し出された手に自分の手を乗せたのだ。
会場に入ると、侯爵家ということもあり、一斉に注目させる。それに兄妹揃って婚約者が居ないのだ。婚約者の座を狙うものは少なくない。そんな中、エミリアはとある人物を探すために辺りを見回していた。
「ん?あいつを探しているのか?」
その様子に目ざとく気づいたリアムはそうエミリアに尋ねると、案の定エミリアは肯定する。
「ええ、オズワルドさまを探しているのだけれど……。あっ、いたわ!」
「どこだ?」
「ほら、あそこよ。令嬢たちが異様に集まっているところの先!」
「……ああ、ほんとだ」
エミリアに指さされた方向をリアムは目を凝らしてみると、確かにオズワルドの濡羽色の髪が見えた。それにあんなに令嬢が集まっているのだ。オズワルド以外、考えられない。
(はあー!ほんとステキ!)
この世に生まれてきてくれてほんとうに感謝しかない。
「ああっ、あの笑顔!面倒くさいと感じていながらも決してそれを表に出さないオズワルドさまの笑顔!素の笑顔も素敵だけれど、あの笑顔も素敵だわ!帰ったら描いてもらわないと!」
「またあの部屋に物が増えるのか?」
「ええ、尊いものは常に残しておかなければならないから」
飲み物を持っていた使用人からグラスを受け取り、兄とともにテラスへと出る。夜風が涼しく、月に照らされた庭園はうつくしい。エミリアは美しいものをこよなく愛するのだ。
「───それにしても、そんなに好きなら婚約でも取り付ければいいんじゃないか?父さんたちだって協力してくれるだろうし、向こうもOKしてくれるんじゃないか?」
「むっ、分かっていないわね。兄さまは」
グラスのシュワシュワと炭酸が弾ける飲み物を口に含んで、喉を潤してからエミリアは口を開く。
「オズワルドさまは推しなのよ!?推しに不埒な感情なんて抱くはずないでしょ」
「けど、あいつもあいつの家族もエリーを大切にしてくれているんだし……」
「確かに遊びに行くと親切にしてくれるけど、それはあくまで妹みたいな感じだわ。公爵夫妻だって似たようなものよ」
エミリアの言葉を聞いてリアムは「うわぁ、見向きもされてない。かわいそう」と小さく呟いたのはエミリアには聞こえなかった。
「それに!私は今後オズワルドさまとオズワルドさまの愛する人のイチャイチャを見ていたいの!だからオズワルドさまとは婚約なんてしないわ」
「そうかそうか、そんな夢があったとは。俺が悪かった」
「分かればいいわ」
残り少ない飲み物を一気に飲んでいたエミリアは気づかなかった。リアムがちらりと扉の近くを見て、「面倒なことになった……」と呟いていることも、エミリアとリアムの会話を初めから最期までオズワルドがカーテンの影から聞いていたことも。そしてエミリアが見たこともない瞳でオズワルドがエミリアを見ていたことも……。
* * *
夜会から何日か経ったあと、その日は突然としてやってきた。いつものように部屋で読書をしているとあわてた様子の侍女がやってきた。
「大変です、お嬢様!」
「一体どうしたの?そんなに慌てて」
「ベルディア公子さまが、いらっしゃいました!」
「うぇっ!?」
可愛くない声をあげてしまった自覚はある。けれどオズワルドは今までこんな前触れ無しの訪問なんてしたことがなかったのだ。
「い、今はどこに!?」
「下のホールでお待ちです!」
「わかったわ!」
読んでいた本に栞を挟み、エミリアは急いで部屋から出る。階段を降りて下のホールを見ると、確かにそこにはオズワルドがいた。
「オズワルドさま!」
「エミリア!急に来てしまってごめんね」
「あ、いえそれは別に構いませんが……」
この7年間鍛えられたからと言って推しであるオズワルドを直視すると人知れず心拍数が上がってしまうのだ。だからオズワルドと会う時は必ずリアムがいて、そのリアムを介して話していたのに、今日に限っていないのだ。
「それで本日はどのような御用で……?」
「今日は正式に打診しに来たんだ。ベルディア公爵家からオフィール侯爵家に」
「な、なにを、ですか?」
今更だが、エミリアは気づいてしまった。オズワルドの纏う雰囲気が今までとは違うことに。まるで獰猛な肉食動物のような……。エミリアは捕食される草食動物のような気分にしかなれず、思わず1歩後ずさってしまった。それに気づいたオズワルドはエミリアの手を引いて自分の胸元へと引き寄せた。
「!!??」
「だめだよ、エミリア。これから大事な話をするんだから」
耳元で囁くように言われたうえに、こんな至近距離。エミリアの頭はショート寸前だ。
「あ、あの、えと……!!」
「エミリアの侍女たちは優秀だね。ここに人気配がひとつもない」
「え!?」
そう言われて初めて付いてきていた侍女がいないことや本来ホール掃除を担当している侍女たちがいないことに気づいた。
「な、なんで……」
「だから言ったでしょ、優秀だねって。───そして話を戻すけど、大事な話って言うのは」
そこで一度区切り、オズワルドは金糸雀色の瞳で翡翠色のエミリアの瞳を見つめる。人を惹きつける魅力のあるその金糸雀にエミリアは視線を逸らすことができなかった。
「俺と婚約してほしいって言うことだよ」
エミリアは形の良い唇から美しいテノールボイスの声がつむぎ出される瞬間をじっと見ていた。しかしつむぎ出された言葉を瞬時に理解することはできなかった。
だがだんだんと、ひとつひとつの言葉をかみ締めて理解していくと、エミリアは自分の顔が熱くなっていくのがわかった。
「え、な、なんて……」
「だから俺と婚約して欲しい、エミリア」
「っ!」
なんと甘い声なんだろう。気を失わなかった自分を褒めて褒めてもらいたい。けれどオズワルドの追撃は続く。エミリアの白く小さな指先を掴むと口元へと連れていき、小さなリップ音をつけながらキスをした。
「ひうっ!」
「可愛い反応をしてくれるね、食べたくなっちゃうよ。けどまだ食べないから安心して」
今一瞬、物騒な言葉が聞こえた気がするが、頭がぐるぐるとしているエミリアには正確にその言葉は届かない。ダメだとわかっているのに、エミリアは2度目のオズワルドの目の前で気絶してしまった。
* * *
(ああー!またやってしまったわ!)
起きたばかりのエミリアはつい枕をぼふぼふと殴ってしまうほど、気が動転していた。昨日の出来事を鮮明に覚えているがゆえにさらに悪化している。ちなみに父様と母様には既に話がいっていたらしく帰ってきたときには「どうするの!?」と乗り気だし、リアムも「あいつならなぁ〜」とか言って結構婚約に賛成していたのだ。
(私は推しに不埒な感情なんて持ってないのに!健全な心で信仰しているわよ!)
形の崩れた枕を更にぼふぼふしていると、侍女がエミリアにひとつの手紙を出してきた。差出人の名前を見ると「オズワルド・ベルディア」と書かれていた。思わず叫んでしまいそうになるのを必死に我慢して封筒を開ける。内容を要約すると明日に行われるベルディア公爵家主催のパーティーでエスコート役をさせて欲しいというものだった。
「あら、良かったではありませんか。お嬢様は常々ベルディア公子に熱烈な視線を送っていらしていたでしょう?」
「恋愛感情で見ていたのではないわ!あの方は神様に等しい方なのだから!そもそも私、このパーティーには兄さまにエスコートしてもらうよう頼んであるのよ?」
「ああ、その件でしたら先程リアム様から、『今回ばかりはあいつに譲ってやる』とのことでエスコート役はなしとなりました」
「ええっ!!」
なんてことだ。あのシスコンのリアムがエスコート役を辞退するだなんて。天変地異でも起こるのか……?なんて思ったけれど、単純に考えれば公爵家という断れない相手。リアムが辞退したのも頷ける。
「……兄さまがエスコートしてくれないならオズワルドさまに頼むしかないわ。手紙の返事を書くから便箋とインクを用意して」
「かしこまりました」
持ってきてもらった便箋に丁寧に間違いのないように気をつけながら一語一語書いていく。何度も読み直して間違いがないことを確認すると、侍女に早めに届けてもらうように頼んだ。
「婚約してくれ、だなんて、そんなことできるはずがないじゃない……。オズワルドさまは推しなのだから」
エミリアは引き出しにしまっていた《推し活で大切なことリスト》を見ると、そのまままた大事に鍵をかけてしまった。
* * *
エミリアはガタゴトと小さく揺れる馬車にリアムと二人で乗っていた。普段のパーティーならドレスの色合いやデザインをお揃いにするが、今回ばかりはオズワルドからのエスコートがあるため、リアムとはお揃いにしなかったのだ。
「───エリー、会場で何があっても決して慌てるなよ」
「どういうことよ、兄さま」
「まあ、俺はエリーの幸せを願っているけど」
「だから自己解決しないでよ」
納得のいかない返事を貰ったせいでもやもやとしているエミリアだったが、馬車が会場へと着いたため気持ちを切替える。リアムが先に降りたが、エミリアに手を差し伸べることなく、とある人物にその場を譲る。
「じゃあこの時間だけエリーを貸してやる」
「この時間だけじゃなくて、これからもそうなると思うけど?」
「それはエリーが決めることだ」
「俺が1度でも失敗したことあった?」
リアムとオズワルドは互いに言い合いをしていたが、オズワルドの最後の一言で顰め面をしたリアムはエミリアに「頑張れよ、エリー」と一言だけ言って会場へと先に入っていった。
その様子を見ていたエミリアはこれから何が起こるのかが予想がつかず、少し不安に思っていたが、推しであるオズワルドがエミリアをエスコートして馬車から下ろしてくれると、さっきまでのもやもやとした感情は一瞬にしてなくなった。
(我ながらチョロいと思うけど、これは仕方ないわよ。だってオズワルドさまにエスコートしてもらっているんだもの。笑顔になるに決まってる)
そのまま会場までエスコートされ、中に入る。案の定、オズワルドと一緒に中に入ったことで様々な視線に晒される。羨望、嫉妬、落胆。本当に様々だ。だが会場に入ってしまえばエスコートは終わり。すぐに手を離してリアムと合流しようとするエミリアの手を、なぜかオズワルドは引き止めた。
(????)
内心意味がわからないと疑問符ばかりを浮かべているが、オズワルドの輝かしい笑顔で体は硬直し、なすがままになる。
そうしてホールの真ん中へと連れていかれると、オズワルドはよく通るテノールボイスで宣言した。
「俺はここにいるエミリア・オフィール侯爵令嬢と婚約することを本日をもって宣言する!」
「え……、えーっ!!」
オズワルドとエミリアを祝福する歓声により、エミリアの声はかき消される。一体どういうことなのかと観衆に紛れて拍手を送っている兄に視線を送るが、困ったように笑うだけ。ならばと父様と母様を探すが、公爵夫妻と仲良く話している。四面楚歌状態でオズワルドを見上げるとはちみつのような蕩ける笑顔でエミリアに言う。
「これでエミリアは俺の婚約者だ。これから先、エミリアのエスコート役はリアムじゃない」
「───って、私あのときのに返事してないんですけども!?」
「返事を待っていたら横から君を攫われる。幸いこの婚約に反対しているやつもいなかったしな」
「いやいや、私がいるでしょう!?」
流されそうになるのを堪えて反対する。するとオズワルドとは信じられないことを口にした。絶対にバレてないと思っていたエミリアの最大の秘密を。
「知っているぞ?エミリアが俺の絵や彫刻を集めているのを」
「なっ!」
「ああ、一応リアムのために言っておくけどリアムから聞いた話じゃない。これは俺が調べたことだから」
オズワルドがリアムから聞いた訳じゃないと言われなかったら、明日からリアムとは口を聞かないと思っていたけど、調べられて知られるのも困る。
「俺はエミリアにとって推しなんだろう?だったら推しである俺と婚約できるのはいい事じゃないか」
「むっ、違うわ。私はオズワルドさまにそんな不純な感情を抱いてないわ。私の夢は将来オズワルドさまが愛する人とイチャイチャしてるのを見て、その子供の乳母になりたいだけよ!」
エミリアは強く強く語る。けれどオズワルドはそんなエミリアの話を一切聞いていない。なぜならオズワルドとの愛する人とはエミリアのことだからだ。
「はあー、エミリアは昔から思い込みが激しいから。これは長期戦だとは思っていたけど、ここまで意識されてないとは」
「いや意識はしているわ!だって推しだもの!」
「うん、なんか悲しくなってきた。……エミリア、こうしよう」
「?」
「エミリアが俺の婚約者になってくれるなら、今言ったエミリアの夢を全て叶えてあげる」
「えっ、ほんと!?」
エミリアが勢いよくその話に食いつくと、オズワルドは意地の悪い笑顔で答える。
「ああ、もちろん。可愛い可愛い僕たちの子どもが待ってる」
「んー、とてもそそられる話だけどそれだとオズワルドさまの愛する人ができた時、私の存在が困らないかしら?」
「大丈夫だよ、俺がしっかりとその時は説明するし、ね?」
「うぅ〜!」
「エミリア、迷うなら婚約しよう。その後から考えても遅くはないよ」
悩んでいるエミリアを手をそっと優しく包み込み、安心させるような笑顔でそう言われて、エミリアはいつの間にか頷いていた。
「ありがとう、エミリア!!」
抱きつかれ背中に回された大きな手にドキドキしながらも、エミリアは同じく抱き締め返した。
* * *
「かんっぜんに騙されたわ!あのあと婚約を解消しようとしたけど上手く外堀を埋められててとてもじゃないけど解消なんてできなかったわ!」
「けどエミリアの夢はちゃんと叶えてあげたよ?」
「それはそうだけど!」
そう、あのあとエミリアはオズワルドに相応しい相手を探して何度かオズワルドと引き合わせようと試みたのにことごとく失敗し、そのまま時は流れて結婚してしまったのだ。
「ほら、そんなに怒ると寝ているキャロラインが起きてしまうよ?それにお腹にいる子にも悪い」
「うっ、ごめんなさい」
オズワルドはエミリアの願いをちゃんと叶えた。オズワルドとエミリアの子供を。第1子として生まれてきた長女のキャロライン。そして第2子としてエミリアのお腹にいる子。まだほんのりとお腹が膨らんできた程度にしか分からないが、ちゃんとエミリアのお腹にはオズワルドととの子供がいる。
「エミリア、俺はエミリアのことが好きだよ。だけどエミリアは俺のことを推しとしてではなく、一人の男として好き?」
「そ、それは……」
「ねえ、顔を隠してないでちゃんと答えて」
分かっているのだ。既にオズワルドを推しとしてではなく、一人の男として好きだという、恋愛感情を持っているということを。だけど恥ずかしくてそれをオズワルドには言えていない。
「……っす、すき」
「───聞こえなかったなあ〜、もう一度言って、エミリア」
「ぜ、絶対に聞こえてたでしょ!」
「お願い、エミリア」
「うう〜、好きよ!」
半ばやけくそのように叫んだ「好き」。けれどオズワルドは嬉しそうにエミリアに抱きついた。
「俺もだよ、エミリア。長かったなぁ。エミリアったら全然俺のこと推し以外で見てくれないから」
「だ、だってオズワルドさまは推しなんだもの!」
「うん、それでも嬉しいけど、やっぱり男として好かれている方が嬉しいよね」
* * *
なんだかんだがあったけれど、エミリアは推しであるオズワルドと相思相愛となり、国一番のおしどり夫婦として知られていった。3人の子どもに恵まれ、才色兼備のエミリアは公爵夫人としても優秀で、社交界では最も影響力のある人物へとなった。
以上、《エミリア・ベルディアの物語》より
これはエミリアとリアムがとある夜会で話していたことをオズワルドが聞いていて、エミリアとの結婚後にその話をしているオズワルドとリアムの話です。
「それにしてもこうも上手くまとまってくれて良かったよ。あのときお前があの会話を聞いていたのを知って、終わったなあ〜と思ったけど」
「あれには俺も驚いた。まああれのおかげで今があるけど」
「あのときのお前の顔はやばかった。エリーと婚約するために色々頑張っていたのを知ってはいたが、男として見られていないとは」
リアムはあの夜会を思い出し、クククっと笑う。けれど目の前で優雅にお茶を飲んでいるオズワルドは笑顔のはずなのに決して目は笑っていなかった。
「ところで前々から言おうと思っていたけど、そのエリーっていうのやめてくれない?俺のエミリアなんだけど?」
「何を言ってる。エリーは俺の妹だ」
「そのシスコンどうにかした方がいいと思うよ。だから未だに婚約者ができないんだ」
「エリーと同じことを言うな」
こうして言い争いをしているが実際は仲のいい二人だ。ただエミリアが絡むと、ポンコツかつ、くだらない争いをしてしまうおバカだが。
「あーあ、エリーが俺だけのエリーじゃないのが悲しいな」
「癪に障るような言い方をしないでくれるかな?だいたいエミリアと二人でショッピングに言ったと聞いた時には、まじで君をこの世から抹殺してやろうかと思ったくらいだ」
「それはやめた方がいい。エリーが悲しむ」
結局はエミリア至上主義の2人は「エミリアのため」を優先して行動しているため、お互い協力し合うのだった。
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