「アル中とヤク中」
「アル中とヤク中」
抗不安薬が医師から処方されてから、次第に薬を過剰摂取する様になり、記憶が飛ぶような日々が日常的になっていった。
そして僕は元々、酒が好きでは無い。舌が子供のままなのか、酒を美味しいと思った事は無い。ビールも苦さしか感じない。しかし酔った感覚になると気が大きくなるというか、少し意欲が出てくるように感じたので、鬱病が酷いけれど何かやりたい事があるという時には、気付けの一杯という感じで酎ハイを飲み始めた。
飲む時はいつも、ああ不味い不味いという感じなのだが、次第にやりたい事があるかどうかに関わらず飲むようになり、自ずと飲酒量は増えていった。酔った感覚を持続させるために、酔いが醒めそうになると近所のコンビニに酎ハイを買いに行くというのが日課になった。時には千鳥足になって体勢を崩し、家具の一部を壊したりする事もあった。その様な日々が続き、気付くと僕はアル中になっていた。
僕は酒が入るとすぐに顔が赤くなるタイプで、僕としては飲酒してから大分時間を空けていると思ってはいても、父親からは「お前は本当に酒がぬけんな」と言われたりしていた。そんな日々が続いた結果、肝臓のアルコールの負担を示すγGTPなるものの数値が1300を越えている事が病院の検査で分かった(200でも危険値である)。臨床心理士とは距離を置いていたが、向精神薬欲しさに、精神科医には定期的に看て貰っていた。その先生に「本気で死ぬぞ、脅しとかじゃなくて」と言われてしまい、飲酒量を減らしていく努力を行った。
しかしアル中はただの酒好きとは全く違うのである。僕自身、その二つの違いは自分が実際にアル中になるまで分かっていなかったが、歯を食いしばって根性で止められるのが酒好きで、根性だけで止めるのが不可能なのがアル中という病気なのである。実際、重度のアル中患者の場合は障害者手帳も今や支給されている。僕が後に参加する事になる断酒会の会員方は、そのほとんどが障害者手帳を持っていた。
ともかく鬱病に、酒に薬。僕の体や脳がどんどん壊れていくようだった。以前は少しは活字の本も読んでいたのだが、それが全く読めなくなった。起きる時間も、寝る時間もバラバラで、起きていたとしても基本的にベッドで横になっているだけ。食事の時間も勿論バラバラ。病院でアルコールの過剰摂取によって脳が萎縮していると診断されても、飲酒を抑える事は出来ず、加えて抗不安薬や睡眠薬の過剰摂取も変わらず日常的に行っていた。