閑話・危険
南大陸の一角。
コルテア。
南大陸の北西、中央大陸側のシャリアーゼ国の対岸にある国。
シャリアーゼとコルテアは歴史的事情により、中央大陸側から見ると別の国に見えるよう偽装しているが、実は、その実態はひとつの国だったりする。
コルテアの中心にある、普通の国でいえば最高責任者の部屋にあたる場所。
そこに、ハチが出会ったバラサの男に似た、巻き角をもつ種族……ただしこちらは羊でなく山羊だが……山羊族の系列に属する女がいた。
「……なんて厄介な」
女は、手に持っている資料を読み、ためいきをついた。
「漂着した異世界人は、すべて魔力に汚染されているものではないんですか?かの聖女やその従者がそうであるように」
「例外的存在、という事かしらね……勘弁してほしいものだわ」
魔力帯びし普通の異世界人なら、単に各国の奪い合いになるだけだ。
いつもの事なので、それに巻き込まれないようにすればいい。
そして、各国の力関係に注視していればどうにでもなる。
なのに。
「今を生きるアマルティアの申し子ですって?
アマルティア以上の超技術の塊である人工の肉体をもち、飛竜以上の速度で走る乗り物も、いわゆるアーティファクトではなく、純粋に技術的なもの……?
どうしてこんな厄介なものが、こんな時に現れるのかしらね?」
女の手にあったのは、商業ギルドから送られてきた緊急の知らせ。
そこには中央大陸のオアシス都市バラサの長の名前で、降臨した旅人についての注意喚起が書かれていた。
【異世界人についての注意喚起】
現在、中央大陸砂漠を南下中の自称ハチなる異世界人だが、時おりやってくる通常の異世界人とは全く異なる存在である事がバラサ市長ルワンにより判明した。
以下は調査結果である。
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既存の、魔力やアーティファクト目的の確保は意味がない。
まず、その身体は人間のものではなく、アマルティア以上の天界の超技術で作られている事が判明している。
推定になるが、ケラナマーの遺跡研究者の手でも解析不能と思われる。
また基本、魔力を持たないため、膨大な魔力を求める捕獲も意味がない。
運転しているアーティファクトについても、魔力と一切関係のない超技術の産物であり、この世界の者では奪ったところで解析も、そして利用もできない。
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かように、あまりにも異質すぎて既存の利用価値と折り合わない。
彼いわく、肉体や乗り物の製作者はご老人で、老後の嗜みのようなもので製作されたらしい。
彼の仕事は各地をめぐり、見聞きした旅の話を老人に聞かせ、楽しんでもらう事だという。
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要するに彼らは、この世の力関係や社会的な立場の外にある。
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彼らに手出しは百害あって一利なしであり、手出し厳禁。
長い目で見て平和的なつきあいをするのが最も有益と思われる。
逆に彼に手を出せば、伝説のアマルティア級か、それを上回る存在を敵に回す事になるだろう。
普通に旅人として扱い、よけいな事はしないのが一番であろう。
「手出しは有害無益だから、さわるなってことね……相変わらず甘いことだわ」
女は側頭部にある二つの巨大な巻き角を傾け、大きくためいきをついた。
羊や山羊の獣人は獣人族最大の魔力持ちで、強靭な肉体をもたないが長い寿命も持つ。
ゆえに政治家や組織のまとめ役をする事が多く、彼女──コルテア首長アリア・マフラーンもその典型例だった。
アリアは有能で、なおかつ理性的な良き政治家。
間違いなくこの惑星でも有数の、この時代を代表する政治家のひとりと言えた。
コルテアは南大陸という田舎にありながらも、中央大陸南端のシャリアーゼを擁するややこしい情勢下にある国。
そんな国を、羊人族の長い寿命を生かし、現時点でも数十年に渡り統治し続けている、間違いなく非凡な人物だった。
だがしかし。
「魔力がほとんどないなら、たしかに魔力を絞る利用価値はないでしょうけど……だったらアーティファクトだけでも召しあげようって連中が動くに決まってるわよねえ。
彼は、ルワンはどうしてそれが理解できないのかしら?」
有能なアリアだったが、有能すぎるがゆえに読み違える事があった。
その最も悪い例が、今回の異世界人対策に現れてしまった。
せっかくバラサの有力者が、自ら調査に赴いて入手した情報の、真の重要部分──つまり価値に対して発生する損害が大きすぎるため、来る者拒まず去る者追わずで、普通に旅人くらいに見とけという調査結果を、甘い見通しだと切り捨てた。
そして過去の異世界人の実例から、自分なりの対策を組み立てていく。
「下手に受け入れて、中央大陸の連中が大挙してやってくるのは困るわね。
となると、シャリアーゼに入国拒否させようかしら……地上を走る乗り物なら、船とトンネルをおさえたら南大陸には渡れないわよね?」
「首長」
「なあに?」
傍らに静かに立っていた男──秘書のようだが、身体に海洋種族に特有の特徴があった。
水棲人、あるいは海人族などと呼ばれる種族で、もちろん彼らもコルテア市民である。
「それだと中央大陸の人間族に利敵する事になりますが、よろしいのですか?」
「いいわけないわ……けど、これを捕縛せよって命令書が、シャリアーゼに対してガンガン届いているのは知ってるでしょ?」
「まぁ、彼ら人間族国家にとってみたら、シャリアーゼは南端の属国ですからね」
「それは勝手に誤解させときゃいいんだけど、実際に『権利』を行使されるのはまずいのよ。
問題があればシャリアーゼに入って好きにしていいとか、そんな前例作られたら迷惑でしょ?」
この土地は、ちょっとややこしい事情があった。
それはこの世界の種族問題のせいなのだが、まぁそれは今は関係ない。
重要なのは、シャリアーゼがとても微妙な土地であるという事。
少なくとも、中央大陸の人間族国家の軍が入り込むような、そんな前例は絶対に拒否したかった。
「まさか、命令にしたがって捕縛を……」
「するわけないでしょ」
「はい」
ふたりは顔を見合わせた。
「だけどシャリアーゼに入れる事はできないわ」
「それは、やはりこれですか?」
「そうよ」
ふたりの前にある、もうひとつの報告書。
そちらには、すでに中央国家の先遣隊が飛空艇や飛竜でシャリアーゼに向かっている事が示されていた。
「異世界人をシャリアーゼに入れてしまえば、彼らがシャリアーゼに突入する理由を作ってしまう。
しかも、一度入れたからと前例ができたら、次から好き放題に入ってくるようになる」
「……シャリアーゼに中央国家の軍が侵入すれば」
「ええ、おそらく完全に露見するでしょう」
シャリアーゼとコルテアは、移民問題絡みで長年手を組んでいる。
というか、事実上シャリアーゼは、コルテア国のシャリアーゼ特別区、つまりコルテアの一部なのだ。
そのつながりが今まで漏洩してこなかったのは、中央大陸の人間族社会からあまりにも遠すぎたから。
そして、ここに近づく平民や末端貴族などは、住めば都でシャリアーゼの不利になる情報を流さない。
だが軍隊が派遣されれば、今までのようなわけにはいかないのは確実だった。
「だから入れられないのよ。
かわいそうとは思うけど、私は一国の首長だもの。国民を優先するわ」
「しかし飛竜なみの速さで走れる乗り物など、人間族側の自由にさせるのも危険ではありませんか?」
「ええ、そうね」
ふうっと、ためいきをついた。
「だから、かわいそうだと言ったでしょ……運がなかったのね」
「それは……さすがにまずいのではありませんか?」
アリアの言葉の意味を理解した秘書が、眉をしかめた。
「どうして?
魔力のない異世界人なんて、彼らは欲しくないでしょう?
アーティファクトさえ手に入れば、文句は言わないと思うわよ?」
「そちらではなく、ハチにアーティファクトを与えた存在です。
古代アマルティア級の天界の超技術の持ち主であり、ハチの様子に今も注目しているとありますが?
もしもハチに何かあれば、その存在が動き出すのではありませんか?」
「……あのねぇセルジ」
アリアは秘書を役職でなく、名前で呼んだ。
「古代アマルティア人なんて、神話時代の存在が今現在、活動しているわけがないでしょう?
せいぜい、今まで認知されてないドワーフの研究者がいる程度の事でしょ。
まったく、慎重なのはいいけどルワンの夢見がちなとこまで真似ないでちょうだい」
「つまり、この異世界人に何かあって、その者を怒らせても対処可能だと?」
「ええ」
「かりにドワーフだとしても、彼らはアマルティア時代の存在なのですよ?」
「もちろん、わかった上で言ってるのよ。
そもそもドワーフたちは伝説級のお年寄りばかりで、昔の研究をチマチマ続けているだけの引きこもりじゃないの。
尊敬すべき先達ではあるけど、それだけよ。
こちらも進んでぶつかりたいわけじゃないけど、国家の存亡に関わる問題なんだもの。
文句を言われても困るし、もしそれで我が国に歯向かうというのなら、悪いけど踏み潰すだけよ」
「……」
「わかった?現実なんてそんなものよ。
あの人たちは凄まじい技術を持っているかもしれないけど、それだけよ。
どんな力があろうと、それで世の中を良くしようとか、現実を見ていない。
壁にかかった絵画と大差ない同じ存在に、現実に生きてる我々が負けるわけにはいかないのよ」
「ほう……その言葉、大切なお友達にもおっしゃるのですか?」
「え?オルガの事?」
「はい」
「あら、私は友達をその主義主張で区別するような事はしないわ」
「……」
「オルガの主張にはついていけないけど、それはオルガも思ってる事でしょ。
思想や主張は人それぞれ、他人に押し付けるものではないわ」
「それでは、あの方と対立した場合はどうなさるのです?」
「オルガは良くも悪くも学者だから、政治的に対立することはないわ。
それは無意味な推測でしょう」
「……そうですか」
セルジは空気の読める男だった。
この状態のアリアに何をいっても無駄なのも理解していた。
だから会話はそれで終わった。
夕刻になり、アリアが退室してからセルジは、小さくためいきをついた。
「やれやれ。
とりあえず点数稼ぎはしておきますか」
通信魔道具に手をかけ、誰かを呼び出した。
「ああすまない、ちょっと伝言を頼みたい……そうだオルガ博士だ。
お友達が暴走しそうなので、すまないけど、どうか助けてくれませんかと。
そうだ、すまないが頼むよ」
そこまで言うと、セルジは通信を止めた。
「さて、あとは打てる手をいくつか打っておくかな?」
そういって、アリアの前ではできない手をいくつか動かした。
そしてその結果に「ふむ、こんなものかな」と思っていたら、退室したアリアから通信が入った。
「アリアかい?」
『セルジ、こっちはもう終わったわ。そっちの処理は?』
「ああすみません、しばしお待ちを」
『え、まだ?セルジ、手伝おっか?』
「いやいやもうちょっとだよ、待たせてごめん」
もはや仕事モードではないのか、さきほどの硬さがウソのような優しい雰囲気だった。
まるで新婚夫婦だ。
「……よし終わった」
届いていた連絡にいくつか返答を飛ばすと、セルジはデスクを軽くまとめると、部屋を出ていった。
そしてドアの向こうでは。
『お疲れ様、そんなに大変だったの?言ってくれれば手伝ったのに』
『それもあったけど……』
声がだんだん遠くなっていく。
仲良さそうに、そのふたつの声は去っていった……。
異世界人ハチについてのふたりの会話は、それで終わってしまった。
ふたりの意見の相違はある。
だが、彼らはハチとその上にいる者を軽く見ていた……警戒していたセルジと呼ばれた者でさえ。
そして彼らは後日、その意味を知る事になるのだった……。