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第三四話「え、シンプルに反則じゃない? 強すぎないか?」

 夜に浮かんでいた薄明かりが揺らいだ。

 溶けるような闇が俺を鞭打った。


 べん、べん、べん……とその場に存在しない弓形ハープが搔き鳴るたびに、揺れた空間が俺に襲いかかる。

 張り詰めた弦の奏でる音律の調べに呼応して、空間が揺蕩って、夜闇を自在に駆け走る。全ての虚空が音と連動している。

 それは無形の鞭だった。


(え、シンプルに反則じゃない? 強すぎないか?)


 言葉を失う。

 何かしら制約があるのだろうが、それにしてもあまりにも自由度が高すぎる。

 トンファーで頑張って衝撃を捌くものの、形のない攻撃をいなすには限度がある。


 遠隔攻撃の完成形。離れた場所から、変幻自在の見えない攻撃を飛ばしてくる。

 子供が考えたんじゃないかと思うぐらいに出来すぎている。あまりにも理不尽。戦況は一瞬で相手に優位に傾いた。


 咄嗟に距離を詰める。

 普通は後ろに退きたいところだろうが、攻撃の形もリーチも掴めていないところで距離を取っても意味がない。

 短期決戦上等、前進あるのみ。


 意表を突かれたのか、一瞬目を丸くするアシュタロトに向かって更に威圧を重ね飛ばして俺は叫ぶ。


「今だっ!」


 クロエに目配せをする――と同時に五月雨に石を投擲する。前に進んだ距離の分、スリングを引っ張る加速距離が伸びて勢いが増す。

 やたらめったらに飛ぶ石つぶて。肩と太ももを撃ち抜いたことを目視する。しかし、それでもアシュタロトの動きは止められない。一瞬苦悶するも、彼女は踊るように指先で闇を掻き撫でる。


 二段構えにクロエの石つぶてが襲いかかる。俺の石つぶてより狙いが甘い分、むしろ逃げる先を絞らせない攻め手となる。だが彼女はくすりと笑うと、今度は正確にその石を弾き飛ばした。


 刹那、空気がざわついた。


「! クロエ、下がれ!」


「ふふ、坊やの石つぶてと違って、あの子の石には退魔の付与魔術がないのね」


 まずい、と咄嗟に突き出したトンファーをかわしながら。


 ――鬱陶しいわね、と。

 五重にも六重にも折り重なった虚空の鞭がクロエを襲った。成すすべなく木の葉のように空に舞い上がる彼女の華奢な身体が、今度は突如背中から地面に叩きつけられていた。

 べしゃりと。


 それは一瞬。




「て、め、ぇぇええええっ!!」


「よそ見をしちゃ駄目よ、私の鞭はあなたを退屈させないわよ。……そうでしょ?」




 身が爆ぜる。

 横殴りにされて吹き飛ぶ身体。

 夜闇を切り裂く鞭が視界を横切る。遅れて俺の血。

 だが、強引に大地を蹴って途中で踏みこらえる。二撃三撃と意識の飛びそうな猛攻が続くが、がむしゃらに前へと突き進む。

 胸から噴き上がった怒りが力に変わる。


 足の裏の魔法陣を展開させる。

 加速。自分以外の全てを置き去りにして、ただ前に渾身の一撃を叩きつける。


「――ぅぐっ」


 めり込んだ感触。

 同時に顔面が吹き飛ぶような衝撃。耳がきんと鳴り目が眩む。たまらず仰け反るが、それでも全身の筋力でその場に踏みこらえる。


(今一撃入った! まだこれからだ!)


 加速するインファイト。

 敵が下がれば俺は詰め寄る。乱打戦は凄絶を極める。終わりを与えぬ格闘術。滅多打ちと滅多打ち、空恐ろしいほどの音が鳴る。

 まさに血みどろの戦い。ぬるりと手に血が滴る感触を、俺は吠えて誤魔化す。

 威圧の咆哮は、相手を萎縮させるだけでなく、自分を昂らせる効果がある。ウォークライ。大音響にびりびりと全身が震え、視界が赤く染まったように感じられる。


「ぅ、ふ、ふふ……野蛮ね、可愛い子」


 はじけるような鞭の連打。それを両腕で強引に切り開いて前に詰め寄る。

 まだ逃がすものか。絶対に許すものか。

 視野狭窄、まさに攻め続けることのみを考える暴力の化身となった俺は、すべての怒りをアシュタロトへと叩き込む。

 めしり、と確実に骨を折ったような感触。


 だが刹那、俺の手を彼女はつかんだ。直感が俺の背中を突き抜ける。死だ。


「ん゛っ……く、ふ、それよ、それが、あなたの失敗」


 びいん、と手に何かが巻き付く感触。

 めきり、と他人事のような音が鳴った。自分事だと思えなかった。脳が冷える。声は出なかった。

 いや、現実の俺は絶叫していた。手があらぬ方向に一回転していた。

 激痛が俺の思考のすべてを吹き飛ばした。




違うね(・・・)




 分裂した思考が口を動かす。俺もアシュタロトも虚を突かれる。否、俺だ、並列思考のスキルだ。

 パイルバンカーが冷静に彼女の胴体をぶち抜いていた。

 全てが遅れて元に戻る。

 絶叫。

 俺に怒涛の闇の鞭が襲い掛かる。


 大罪の悲鳴が、俺には聞こえた。


(まだ、いける……っ、まだ、前に、っ、行けよ!!)


 痛みで全て失われた一つの思考を切り離し、俺は前に進む。

 別の思考が俺に治癒魔術を連続してかける。

 また別の思考が俺に付与魔術を重ねがけする。

 逃がしは、しない。


 音楽が加速する。それはより研ぎ澄まされた嵐のような調べに変わる。

 例えるなら暴風雨。すべてをかき消す気まぐれな嵐。

 夜がすべて形を変えて揺らいでいた。何もかもを塗りつぶしてしまうほどの濃密な気配だけが本物だった。

 今ならわかる。今のこの夜すべてが彼女の世界だと。


 クネシヤ学院すべてが一つの大罪の迷宮。様々な人が行きかうせいで本質を見失ってしまうが、すべて彼女の庭の中。

 迷宮のありとあらゆる魔法陣が輝きを放つ。俺は瞬間的に叫んだ。


「血を、よこせっ!!」


 どばあ、と彼女から血が滝のように零れる。傷口が極めて大きいこともあったが、俺の血液魔術が十分に混ざりあった(・・・・・・)こともこれで分かった。

 集まるは祈りの手。俺の手袋のロザリオは、血を欲していた。

 俺の技術の粋をより集めた技巧の魔法――俺が高度な裁縫で作り上げた手袋には、血液魔術を十分になじませていたのである。


 ――すべてを塗りつぶすような戦慄。

 感情を失った、無貌の相で、その女は、俺を睨んでいる。


「どうした、怒れよ、もうお前には余裕がないんだろ」


「……ミロク君、あなた、本当に、本当に」


 続きはない。

 俺が血に濡れた石の散弾を投擲し、彼女の無形の鞭が俺を五月雨に襲ったからだ。

 攻撃が交差する。俺と彼女の身体は傷つきあう。


 だが、なおも構わず。けだものとけだものは真っ向から組み合って勝負をさらに混沌の最中へと巻き込むことを選ぶ。

 それは、戦闘がより激しさを増して、次の段階へと進んだ合図。その引き込まれるような闇夜の中には、もう後戻りの余地など存在しなかった。



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