第三話 戦慄~守りたい~ 前編
この作品は始めは一本で収めようと思ったのですが、想像以上に文字数が多くなったので、前編、後編に分けました。後編ももう少し推敲したら投稿します。
ちなみに、今回は会話回です。全く残酷描写はありません。あと登場人物達がかなりわちゃわちゃしてます。これは作者がオリキャラを愛してやまない上のことです。それを感じて頂ければ幸いです。
用語解説
五ツ時:午前八時頃。だいたい寺子屋が始まる時間。
朝日が差し込む台所にあくびを一つ。寝起きで頭が働かないまま羅山は鍋をかき混ぜている。竈かまどで火を焚き、漬物を切って、味噌を溶かす。慣れた手つきで一つ一つをこなしながら、ぼんやりと昨日の会話を思い出していた。
『人間。じゃあ先生は⋯⋯』
『人を殺した』
惺窩は静かに応えた。そして羅山の肩に顔を埋うずめて小さく震えだした。直接伝わる震えは羅山の口を塞いだ。
先生が弱ってる。いつも動じない先生が――
地面だけを見つめて無言で歩いて行く。しばらくして惺窩が口を開いた。
『すまなかった。酷い光景を見せてしまって、怖い思いをさせてしまって⋯⋯』
羅山のうなじに雫が落ちた。惺窩が泣いている。
先生のせいじゃない。私が先生の言うことを聞かないばっかりに――と罪悪感で胸が締めつけられていく。それでも、羅山の欲が消えることはなかった。
まだ知りたいが山ほどある。でもこれ以上深入りしたら――と考えていると、後ろから肩を叩かれた。咄嗟のことに驚いて振り返ると、心配そうな顔をした惺窩が立っていた。
「先生、おはようございます。どうかしましたか?」
「どうかしましたか?って、さっきからずっと呼んでるのに反応がないから……」
「え!? 失礼しました!」
「それと、鍋」
鍋と言われ見ると、味噌汁だったものはいつの間にかドロドロになっていて、中の野菜も溶けかけていた。
「凄い量の味噌入れてたよ」
「ごめんなさい先生」
しょぼんと項垂うなだれる羅山を見て、突然惺窩はおたまと小皿を手に取って味見をし始めた。そして鍋に水を加え、数分後再び味見をした。
「ほら、丁度良くなった」
差し出された小皿を受け取って味見をすると、普段通りの味が口に広がった。
「出汁だしも濃かったからその分も薄めたよ」
「凄い……ってことは、私は初めからぼーっとしていたのですね。本当にすいません……」
「無理もない。二日続けて人形事件に関わってるんだ。精神的に参っているのだろう」
参っている。確かにそのせいで羅山はろくに眠れていない。目の下のくまがそれを物語っている。でもそれは、先生も同じじゃないか――と惺窩の薄うっすらしたくまを見て思った。
「今日は寺子屋閉めた方がいいんじゃないか?」
その提案に羅山は首を横に振る。
「子供達の学びを止めるわけにはいきません。いつも通り開きますよ」
「……たまに心配になるよ。その真面目さ」
惺窩はそれ以上何も言わず、台所から出て行こうとした。その時、何かが吹きこぼれる音がした。そして羅山の絶叫が響いた。
「わあああああ! お米がぁぁぁぁぁ!」
五ツ時前、子供達が次々と教室に集まってきた。子供達の活気は羅山の疲れを吹き飛ばし、前向きな気持ちにしてくれる。今日もこうして始められる事に羅山は幸福を感じた。しかし皆して、入ってくるなり羅山の頬の傷について尋ねてくる。羅山は庭で転けて枝で引っ掻いたんだ、と繰り返し答えた。
しばらくして、一昨日事件に巻き込まれた女の子が入って来た。羅山は驚いて女の子の元へ駆け寄り、女の子の心配と両親の無事を尋ねた。すると女の子は母親は元気になった、父親も元通りに戻ったと笑顔で答えた。
「お医者さんがお薬で治してくれたの! 一瞬で!」
凄い話だ。あれだけ重症だった母が後遺症もなしに薬だけで治ったというのだ。まるで神話みたいだな――と羅山は思った。とはいえ家族全員元通り元気になったと聞いて、羅山は心の底から安心した。
すると女の子が急に改まって、羅山にこう尋ねた。
「お家うちにいた怖い人、誰?」
羅山は背中に冷や汗が伝うのを感じた。怖い人、すなわち人形ひとがたについて尋ねられるとは微塵も思っていなかった。女の子は純粋な瞳で答えを待っている。言えない、言えるわけがない。あの恐ろしい化け物が父親だ、なんて。
「その……先生にも分からないんだ。ごめんね」
「ふーん。先生にも分からないことあるんだね」
羅山は惺窩の気持ちを身に染みて理解した。惺窩が人形の存在を遠ざけたかったのは、紛れもなく羅山の為。それだけ人形ひとがたは危険なもの。それなのに羅山の興味は惺窩の思いを踏み潰した。羅山は申し訳ない気持ちで一杯になった。そして、知らなければこんな大きな不安を抱えることはなかっただろうな――と子供達を見て思った。
その日は授業が終わっても子供達と遊ばず、早く家に帰した。居間に戻ると、丁度惺窩が塗り薬を頬の傷に塗っていた。
「先生、その塗り薬どうしたのですか?」
「知り合いの医者から貰った。君も塗りな」
そう言って薬を差し出す。驚いた事に惺窩の傷は瞬く間に治り、傷痕も残っていなかった。羅山も薬を塗ると、傷口が塞がれていくのを感じた。
「凄い! 傷が消えた!」
「流石は名医の所の薬だ。話は変わるが、今から順庵じゅんあんくんの所に行くけど羅山くんも来る?」
「はい。この後用事もないので行きます」
順庵の屋敷はそう遠く無く、数十分で門前に着いた。いつ見ても立派な屋敷である。
二人が名前と要件を述べて門が開くのを待っていると、片方の扉が勢い良く開き、慌てた様子の少女が正面にいた羅山の胸元に飛び込んで来た。それに耐えられなかった羅山はバランスを崩し、後ろに倒れた。
「ごめんなさい! お怪我はありませんか!?」
慌てて少女は羅山を引っ張り起こし、羅山の背中に付いた土埃を払った。
「羅山くん、鳩巣くんも受け止められないんだね」
「哀れみの目はやめてください」
飛び込んできた少女は室鳩巣。順庵の弟子である。ぱっちりとした可愛らしい目と薄桃色の長髪が特徴の少女である。しかし彼女にはとあるプライドがあった。
「鳩巣ちゃん、そんなに慌ててどうしたの?」
「その前に『ちゃん』付けはやめてください! 僕は男です」
このように、彼女は自身を男だと言い張るのだ。一つ女の子扱いしようものなら必ず指摘してくる。
「ああ、ごめんね。鳩巣くんはどうして慌ててたの?」
改めて羅山が質問した瞬間、物凄い勢いでこちらに向かってくる足音が聞こえた。それは屋敷内からだった。
「うわっ! 来た!」
鳩巣は羅山を盾にするように隠れ、状況が飲み込めない羅山はパニック状態になった。
「鳩巣!!!」
もう片方の扉を壊す勢いで開き、鳩巣の名を怒鳴ったのは、竹刀を片手に恐ろしい形相をしている、鬼と言うに相応しい男だった。惺窩達より一回り大きな姿がより圧力をかけた。
「どうしたんだ。白石くん」
惺窩の声でようやく男は惺窩と羅山の存在に気づき、冷静になった。
「すまんな、見苦しい所を見せてしまって」
彼の名は新井白石。鳩巣の兄弟子の一人。普段は聡明であるが血の気が多い。そのため弟弟子からは『鬼』と恐れられている。その鋭い目付きに睨まれれば、武士も暴漢も動けなくなるだろう。
「師匠に用か?」
「ああ。今、屋敷に居る?」
「居るぞ。縁側から上がった方が早いから付いて来い。その前に……鳩巣! 羅山に隠れてないで出てこい!」
突然の大声に鳩巣は体を震わせた。しかし素直に出ていくことはなかった。間に挟まれた羅山は一旦白石をなだめ、鳩巣に事の顛末てんまつを尋ねた。
「白石さんの稽古が厳しすぎるから逃げ回っていたのです……」
羅山はそれに納得し、どうにかして二人を説得出来ないかと考えた。そこで羅山は鳩巣に質問した。
「じゃあ、白石さんが優しかったらちゃんと稽古する?」
鳩巣は優しい白石を想像してきっぱりと発した。
「嫌です」
「……そっか」
「ごちゃごちゃ言ってないで戻るぞ!」
痺れを切らした白石は、二回り小さい鳩巣を捕まえて片腕でひょいと抱えあげた。急に抱えられた鳩巣は頬を赤く染め、じたばたと暴れだした。白石はそれに動じること無く、頑丈な腕で鳩巣を離すことは無かった。
「下ろしてください! 恥ずかしいです……!」
「こうでもしないとまた逃げるだろ。我慢しろ。二人も行くぞ」
白石はそのまま縁側の方へ向かった。惺窩と羅山はその後ろに続いた。
順庵の屋敷はとても広く、敷地内に松の森、竹林、鯉が住む池がある。それを奥に見て縁側が存在する。縁側に接する部屋に目当ての人物、木下順庵が居た。糸目で常ににこやかな彼は、来客である二人を見るなり笑顔で歓迎した。
「いらっしゃい。二人とも上がって。鳩ちゃん、麦茶の用意お願いしていい?」
「はい! 喜んで!」
一時的に白石から解放された鳩巣は、嬉しそうに台所へ走っていった。
「二人とも元気……ってわけでも無さそうだね。寝不足かな?」
「ここ二日間の話だがな」
「最近暑いからね。僕も暑苦しくてよく眠れないんだ。あ、鳩きゅうちゃんありがとう。二人とも喉乾いたでしょ?どうぞ」
「頂きます」
運ばれてきた麦茶を飲んだ瞬間、二人は吹き出した。
「どうしたの?」
「何か……からいです」
「からい?」
羅山の言葉で順庵も麦茶を飲んだ。
「あ、これ出汁だ。通りで色が薄いわけだ」
「え!? ごめんなさい!! すぐに取り替えてきます!」
「僕はこのままでもいいけどね」
「お体に悪いですよ! 替えてきます!」
慌てて湯のみを下げて台所へと向かおうとすると、今度は畳の縁へりにつまづいた。そしてお盆と湯のみは宙を舞い、中の出汁が勢いよく飛び出した。それを感知した白石と偶然通りかかった兄弟子、雨森芳洲が鳩巣と湯のみを受け止めた。
「お! 二人とも素早いね」
「こんな妹弟子がいたら自然と素早くもなります……」
「重ね重ねごめんなさい……今度は気をつけます」
「お前はもう稽古に戻れ。芳洲、代わりに入れてきてくれ」
「承知した」
「すいません芳洲さん……」
木下派は素早い連携で事を進めていった。それを見て、羅山は兄妹みたいだな、とほっこりしつつ羨ましく思った。
しばらくしてしっかりとした麦茶が置かれた。惺窩と羅山はそれを飲んで口直しをした。
「びっくりさせてごめんね。鳩きゅうちゃんのことは許してあげて」
「もちろんです。それに可愛かったのでむしろ癒されました」
「それは良かった。あ、きゅうちゃんが来た」
バサバサ、と隣の部屋から一羽の白い鳩が飛んできて、順庵の肩に乗った。この鳩は鳩巣の飼い鳩。『きゅうちゃん』と呼ばれて可愛がられている。
「本当、きゅうちゃんってお利口さんですよね」
「鳩ちゃんの躾が上手いのかな」
するときゅうちゃんは順庵の元を離れ、庭で稽古中の鳩巣の頭に止まった。そこへ面を打とうとした白石が竹刀をぎりぎりで止めた。
「こら、きゅう!稽古の邪魔するのはやめろ」
そう言われてもきゅうちゃんは知らん顔。叱ってくる白石を見て首を傾げた。順庵達は笑ってそのやり取りを見届けた。
しばらく近況報告で談笑した後、唐突に昨夜見た夢の話へと話題が変わった。実は、羅山は惺窩が人形ひとがた事件について報告するのではないかと少し期待していた。というのも、惺窩は度々順庵を訪ねており、人形関連の事を話しているのではないかと踏んでいるのだ。今日付いてきたのはこの為でもある。しかし様子を見るにその兆しも無く、たわいもない会話が続くばかりで羅山は少しがっかりした。
「昨日見た夢は中々妙だったな」
「どんな夢だったの?」
「羅山くんが女になった夢」
羅山はまたもやお茶を吹きそうになった。
「なんて夢見てるんですか!?」
「己れに言われても、ね……」
「それでそれで? 続きは?」
順庵に急かされて惺窩は話を続けた。
「まず己れが自室で読書していたら、羅山くんが入って来て急に抱きついてきたんだよ。その時不思議と柔らかいなと思ってよくよく見たら、羅山くんに胸があった」
その時点で既に羅山は恥ずかしさで赤くなっていた。今すぐ惺窩の口を塞ぎたい気持ちでいっぱいだった。惺窩はそれに気づいてさらに続けた。
「それで顔も見たら、潤んだ目で赤面してたよ。とりあえず引き剥がそうとすると、さらに力を込めて抱き締めてきたんだ。結局己れは引き剥がすことを諦めた。現実とは全然違うね」
「わざわざ言わないでください……!」
「そこでどうしたのかと聞いてみたんだ。そしたら急に『先生……』と色っぽい声で押し倒してきた」
雲行きが怪しくなってきた。羅山が耳を塞ごうとすると、惺窩が羅山の手を拘束し、わざと大きい声で続きを話し出した。
「そのあとは、接吻せっぷんに始まりあんなことやこんなこと――」
「わー聞こえない聞こえない!!」
目の前で騒ぎ始める二人を見て、順庵は声を上げて笑った。
「惺窩くん、本当に人をいじるのが好きだね」
「否、羅山くんをいじめるのが好きなんだ」
「何で私限定なのですか!? もっと大事に扱ってくださいよ!」
羅山の顔は真っ赤に染まり、遂に俯いて何も言わなくなった。一方でもう一人こんな様子になってしまった人物がいた。
「おい惺窩! あんまり卑猥な事言うな! 鳩巣が動けなくなったじゃねぇか!」
見ると、鳩巣が耳まで真っ赤に染まった顔を両手で隠し、しゃがみこんで動けなくなっていた。純粋な彼女には惺窩の話は少々刺激が強かったようだ。
「二人とも純粋で可愛いね」
「笑い事じゃないです師匠。鳩巣、ちょっと休憩だ。代わりに惺窩、責任取って俺の相手しろ」
惺窩は逃げようと立ち上がった。が、白石の方が速く、お構い無しに惺窩を連れていった。羅山は自業自得だ――と心の中で舌を出した。
部屋の中は順庵と羅山、隅にうずくまる鳩巣だけとなった。順庵が鳩巣の元に麦茶を持って行くのを横目に、羅山も無駄に上がった体温を下げようと麦茶を口に含んだ。
「惺窩くん、意外と剣術上手だね」
庭を見ると、竹刀同士が激しくぶつかる音がして、白石と惺窩が互いに受け止め合っていた。そして一度離れたかと思えばまた竹刀をぶつけ合った。白石は武士身分の人間で剣術に特化している。では、現役武士と互角に戦っている学者、惺窩は何者なんだ――と羅山は思った。
「ところで、羅山くんは何か悩みでもあるの?」
意表をつく質問に羅山は目を丸くした。順庵はただただ微笑んでいる。
「どうしてそう思ったのですか?」
「来た時に浮かない顔をしてたからね。もし良かったらだけど、聞かせてくれないかな?」
羅山は迷った。悩みの種は人形。それを順庵に話していいのかと。
「……もしかして人形関連?」
順庵は小さな声で尋ねた。順庵も人形について知っているようだ。ならば――と羅山は頷いて話し始めた。
「実は……一昨日と昨日、連続して人形ひとがた事件に巻き込まれたのです。いえ、昨日は自ら飛び込んでいきました」
「そうだね。怪我人も死人も出て悲惨だったそうだね」
「え? 何故ご存知なのですか?」
「惺窩くんから聞いたからね」
聞いたって夢の話しかしていなかったはず――と思いつつ、羅山はそのまま続けた。
「それで私の悩みというのは、もし寺子屋に人形が入ってきたらどうしよう、という不安と、私が知る度に先生が苦労するのではないか、という不安です」
羅山には二つの事件を経てこの不安が芽生えていた。一つ目の事件では羅山の生徒とその家族が巻き込まれ、人形の恐ろしさと己の無力さを知った。そして二つ目の事件では人形ひとがたの知能の高さと正体を知り、そこで人形ひとがたはいつどこで出現してもおかしくないと考えた。
しかし、羅山が追求するほど惺窩への負担が大きくなっている気がした。実際二つ目の事件で惺窩は危うく死ぬところだった。これ以上惺窩に負担をかけたくない、そうも思っている。
「つまり、子供達を守るか惺窩くんを守るか。葛藤しているんだね?」
「はい。……そこで教えて頂きたいのです。神気について」
「神気?どうして?」
「先生が使っているのを見て気になったからです」
順庵は少し庭の方へと視線を移した。少しして再び羅山を見てこう言った。
「良いの?もっと悩んじゃうよ」
羅山は直ぐに応えた。
「構いません」
「……分かった。まず神気の概要について話そうか。神気というのは人が使える能力のこと。人によって能力の要素は異なり、大まかに四つに分けられる。霊体型・術型・獣型・治癒型。ちなみに惺窩くんの神気は、霊体型に分類されるよ」
ここまで話したところで羅山が質問をした。
「霊体型ということは、先生から出てきたのは幽霊ですか?」
「その通り。具体的に言えば守護霊かな。霊体型を使える人の大抵が自分に憑いている守護霊を使ってるよ。そして術型は超自然現象、概念を元とする神気。水を操ったり、人の精神を操ったりする能力はこの類。獣型は生物の力を元とする神気。妖とかもこれに含まれるよ。治癒型は読んで字の如く、生き物を治療できる神気のことだよ」
「なるほど。結構種類ありそうですね」
「人の個性のようなものだからね。さて、そんな便利な能力だけど皆が皆使えるわけじゃないんだ。だけど能力の種は皆持っているよ」
羅山は少し混乱した。ぽかんとする羅山に順庵はくすっと笑って説明を続けた。
「本来神気というのは潜在能力なんだ。誰にでも宿っている種さ。それは先天的、後天的に芽吹くことがある。大半が後者でその原因は事件、事故、病気等の不幸体験、もしくは親や師匠からの引き継ぎ。ただし引き継いでも自分の能力型に合わないと使うことは出来ないんだ。例えば親が霊体型で子供が獣型なら引き継ぎ失敗。神気は芽吹くまではどんな能力か分からない。だから引き継ぎは偶にある位かな」
「ということは、私にも神気の種があるのですね。ところでこの屋敷の方々は神気を使えるのですか?」
「鳩きゅうちゃん以外はね。芳洲くんが霊体型、白石が獣型、僕が術型だよ。どんな能力かは秘密。ちなみに神気には宿す器が必要で肉体か物か選べるんだよ」
「つまり神気の素を物に移すことが可能ということですね?」
「そういうこと」
順庵は麦茶を飲んで一息ついた。いつの間にか白石と惺窩の対戦は激しくなっており、縁側では芳洲と鳩巣が観戦していた。
「二人ともこんな暑いのに元気だね」
「先生、昨日は疲れて動けないとか言ってたのに……。そういえば、先生は事件が解決すると必ず疲労により動けなくなるのですが、それは神気しんきに関係するのですか?」
「お! 羅山くん鋭いね」
順庵は嬉しそうに話を再開した。
「神気は無限に使えるって訳じゃないんだ。それは神気の体力に依存しているから。神気を使えば使うほど体力を消耗するってこと」
「だから先生は倒れるほど疲れていたのですね……」
「惺窩くんの神気は消耗が激しいからね。というのも惺窩くんの神気は戦闘に特化している。戦闘に向いているほど体力が削られるんだ。逆に戦闘に不向きなほどわずかな体力で使える。他にもどれだけ上手く扱えるか、器が肉体か物かでも変わるんだ。上手だったら余分に使わずに済むし、下手ならそれだけ消費する。器が物なら節約できるし、器が肉体なら削られ易い。神気は『諸刃の剣』なんだよ」
そこまで聞いて、羅山は一つ疑問に思った。
「では、神気を使い過ぎるとどうなってしまうのですか?」
順庵は少し声のトーンを落として言った。
「死ぬ」
羅山の胸が大きく波打った。使い過ぎれば死ぬ。ならば――
「……先生も死ぬ可能性がある」
「そうだね。惺窩くんは神気上級者だけど一回の消耗量が激しい。使い続けても二時間ぐらいが限界かな」
羅山は泣きそうになるのを堪えた。一歩間違えたら、神気のせいで、私のせいで先生は死んでいたかもしれない――と今更怖くなったのだ。
「……さて、話を戻そうか。君は子供達と惺窩くんのどちらを守りたい?」
「……どちらかなんて選べません。どちらも守りたいです」
「そうだよね。でも残念ながら守れるのは片方だけだよ」
そう言われて羅山は一瞬落ち込むが、すぐにある事を思い出した。
「そうだ! 神気は後天的に身につけることが出来るって言ってましたよね。ならば私も神気を身につければ良いのでは――」
「それは一番難しいよ」
順庵は冷静に告げた。
「神気を身につけるには不幸体験か引き継ぎ。確率が低い。仮に身につけられたとしても、完全に操れるようになるには年数単位の時間が必要。その前に君が死んじゃうかもよ」
羅山の期待の表情は一気に曇った。そしてしばらく口を閉ざした。順庵は麦茶を飲み干して穏やかな口調で提案した。
「ならば、一つ決断の機会と気分転換になることをしようか」
「決断の機会?一体何をするのですか?」
順庵は笑って悪戯いたずらっぽく言った。
「『肝試し』だよ」