第1話 密輸でミスってもミスティック
【はじめに】この小説は薬物犯罪ストップの啓発目的で書きました。この作品はフィクションです。日本で大麻を所持してはいけません。海外から日本に持ち込んでもいけません。犯罪だからです。必ず逮捕されます。現実とフィクションを区別してください。
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アムステルダム発、成田国際空港ゆきの飛行機が到着。
ゲートに向かって歩きながら、俺は自分の歩数を数える。心臓はバクバク鳴り始める。
税関ゆるキャラの着ぐるみが視界に入る。それだけで「危ねえかな」と不安になる。
何回やっても緊張する。だけど、この緊張が大事なんだ。緊張しなくなったら終わりだ。
「大麻の密輸なんて超楽勝じゃん!」そういう余裕こいた奴から順に、必ず税関で引っかかり、逮捕されていった。ちょっとでもナメたら即終了だ。
みんな知ってると思うが、オランダでは大麻は合法だ。あちこちに「コーヒーショップ」があり、大麻を買って吸う事ができる。
大麻はタバコみたいに吸うと凄く平和な気分になり、飯が美味くなり、ハッピーになる。だから最高なんだが、日本では違法だ。
俺は日本で大麻が違法な事を不服とは思ってない。実際そのおかげで俺は「ビジネス」できているんだ。
簡単な話。アムステルダムで大麻を沢山買って、日本に密輸して売り捌く。これで、すごく儲かる。
俺はラッパーだ。そして、売れてない。つまり「自称ミュージシャン」。
ラップだけで食えるやつは全体の1割に満たない。だけど、今さら真面目にサラリーマンなんてダルいし、オランダに旅行するだけでガッツリ儲かるこのストリート・ビジネスは、危険に見合った魅力がある。
二ヶ月に一回、俺はスキポールと成田を行ったり来たりする。回数を重ねながら、俺は「最適な頻度」を掴んでいった。これ以上の頻度でやったらダメだし、逆にこれ以下に回数を減らして一度に運ぶ量を増やすのもダメだ。
歩数を数えながら歩き続ける。ゲートが近づいてきた。俺は深呼吸した。ごく普通に通過するだけだ。自然にする。俺はただの観光客だ。自分に言い聞かせる。
「こちらのゲートにどうぞ」
係官が促した。俺に声をかけたのだという事に、一瞬気づかなかった。
「こちらです。お願いします」「え?」
俺は係官を見た。係官は真顔だった。
「お願いします」
「なんですか?」
俺はスッとぼけながら、心の中で脂汗をかいていた。終わったか? どうする。走って逃げるか。どこに。強行突破か。ゲートを? 絶対無理だ。
「スーツケース、こちらで開けてもらえます?」
「あ……ハイ」
俺は言われたとおりに大人しく従った。ここでビビったら一発でバレる。スーツケースは二重底だ。それが見破られなければ、どうという事はない。
「エット……俺……」
「こちらでやりますんで、大丈夫ですよ」
係官は、着替えや雑誌、ノートPCなんかを出して、テーブルにひろげていく。後ろから視線をチリチリ感じた。係官が三人に増えていた。
係官は今度はカッターナイフを取り出した。そしてそれをスーツケースの内張りに当てた!
「エ!? ちょっと待って下さい。何やってんすか。やめてくださいよ!」
俺は抗議したが、してみただけだ。どう考えてもアウトだという事はわかりきってる。後ろの係官二人が俺の腕を掴んだ。
係官がカッターナイフで内張りを切り裂き、中から、厳重に梱包されたビニール袋を取り出した。ミチミチに詰まった乾燥大麻。黄緑色のパイナップルクッシュ。最高品質だ。
俺は一瞬で我に返った。いや、頭がおかしくなったと言うべきか。俺は腕を掴む係官を振り払い、ビニール袋の大麻を奪い、抱えて走り出した。
完全にアウトだ。
「オイ!」「逃げた!」「捕まえろ!」
叫び声。振り返る暇もない。空港内を俺は走った。だけど、どこに逃げるっていうんだ? ふざけるなよ、やってられるかよ!? まだ俺は捕まった経験がない。執行猶予はつくだろうか?
いや、それだけじゃ済まない。留置場で警察に拷問されて、こんだけの量を誰にさばいていたのか、メチャクチャに詰められる事になる。もちろん口を割るつもりはない。仲間を売ったら俺はそれこそ全てを失う。終わりだ。
……ってことは、警察は期限いっぱいまで絶対に解放しないはずだ。いつまで勾留されるんだろう? その間、地元の仲間ともいっさい連絡取れずに!? クリスマスも檻の中か!?
「嫌だ……嫌だ!!」
息が上がる。頭が真っ白になる。意識が朦朧とする……俺は目の前の楕円の光の中に飛び込んだ。
楕円の光? 何だ、そりゃ?
おかしいと思った時には……。
……俺は、ストーンヘンジみたいなところに着地していた。
ストーンヘンジ、わかるか? イギリスにある、あの草の丘と、巨石群。俺は一度旅行で行ったことがあった。あそこに似ていた、とても。
だけど、イギリスじゃない事は確かだ。
理由1、さっきまで俺は成田国際空港で追いかけられていた筈。
理由2、地平線にクソでかい真昼の月が白く見えている。
理由3、俺の目の前に、エルフの女がいる。
耳が尖っていて睫毛が長い。外国人とも少し違う。美人なのは確かだ。だから、エルフだろう。エルフの肌の色は薄紫色で、髪は銀色、チャイナ服みたいにスリットが深く入った服を着ており、太腿がエロかった。
エルフは俺をびっくりした顔で見つめていた。俺は後ろを見た。
楕円の光が……収縮し……閉じて、消え失せた。
「え……」
俺はもう一度エルフを見た。エルフは俺を見て息を飲んだ。それから手をのばして、俺の頭に触れた。
「プァツカ・クゥルトゥエレン? レェウル・スェルトゥエレン」
「何? エ? ……痛てッ!」
こめかみに鋭い痛みが走った。
「ごめんなさい。これで大丈夫です」
エルフが言った。
「言葉が通じるようにしました。私の言葉、わかりますか」
確かに通じる。だけど、問題はそこだけじゃない。
「通じるけど、何だこれ? ここはどこだ?」
「え……えっと……夜エルフの街の……街外れです。この石の丘は霊的に強い場所で、魔術が行いやすく……」
「夜エルフって何だよ?」
「私の種族です。その……私の名前はレエネ」
「レエネ?」
尋ねながら、だんだん飲み込めてきた。間違いなくここは成田国際空港ではない。そもそも日本ですらない。アムステルダムでも、ロンドンでもない。
さっきの楕円の光をくぐって、要するに、このワケのわからない場所にワープしたという事。他に考えようがなかった。
「ごめんなさい……私……」
レエネはためらいがちに謝ってきた。嫌な予感がした。
「私が、貴方を呼び出してしまったんです」
「お前が? どうやって?」
「召喚魔術の練習で……」
「召喚魔術ね。わかった」
「わかりますか!」
レエネは表情を輝かせた。俺はかぶせた。
「わからねーよ!」
「ごめんなさい!」
「ふざけんな! 元の世界に帰……」
俺は言いかけて、やめた。空港に戻してもらって、その後どうする? その場で逮捕だろ。
俺はその場に座り込んだ。
「アー、マジでダリい」
「本当にすみません。送り返すことも、その、難しくて……」
レエネは謝り倒している。……いや、「送り返す事が難しい」? だいぶ聞き捨てならなかった。こっちの事情が事情だから結果オーライだが、そうじゃなかったらクソヤバい。
「お前、何考えてんだよ。呼ばれた奴の事情は無視か?」
「自分でも本当に成功すると思わなくて」
「お前だいぶヤベエな。後先考えねえのかよ」
「そうですよね……」
レエネはしょんぼりしていた。ひとまず俺は自分の事情は話さないことにした。それで足元を見られるかもしれないからだ。
俺は着の身着のままでここに来ている。服装は同じだし、足元には……さっき抱えて走った密輸のブツ……乾燥大麻がパンパンに詰まったビニール袋が転がっている。無事にだ! マジか! 俺はテンションが上った。
そして決めた。
とりあえず吸ってから考えよう。
「吸っていいよな?」「え?」
「いいでしょ。お前が勝手に呼び出したんだし」
俺は懐からペーパーを出して広げ、そこに乾燥大麻を入れて、紙巻を作った。レエネはじっと見ている。ポケットを探ると、ライターも出てきた。助かる。
着火し、煙を吸い込み、グッと溜めた。それから……煙を吐き出した。自分で買い付けておいてなんだが、最高のクッシュだ。俺の取り扱い品はストリートでも評判で、マジですぐに売れるし、予約でいっぱいになる。
すぐに煙が回ってきた。空の薄水色が鮮やかに感じられ、巨大な月が言いようもなく綺麗だった。レエネもものすごく可愛く見えた。
もともとレエネは――少なくとも、地球の人間基準で見れば――美人だと思ったが、さらにそれが際立って美しく感じられた。この世のものではないくらいに。いや、ここはこの世ではないのか。ははは。俺は楽しくなってきて、笑顔がこぼれた。
「マジ、チルい」(※チル:リラックスしてくつろぐこと)
「チルですか」
レエネが俺をじっと見ている。
「ア? これ、気になるか?」
「はい、貴方のこと全部気になりますけど……」
「吸ってみ」
俺はレエネにジョイントを渡した。レエネは少し躊躇った。
「香草ですか」
「そう。そんなようなもの。咥えて、煙を吸う。そう。そんで、思い切り吸って、息を止める。グーッと。そう」
「……」
「で、吐く。な?」
「……!」
レエネの表情がとろんとして、笑顔になった。俺も笑った。
「いい感じか?」
「いい感じです……! はあ……!」
「それ吸っていいよ」
俺は自分用にもうひとつ巻いて、吸った。それから草に寝そべって、空を見ると、昼でも星が輝いていて、最高な眺めだった。なんかもう、どうでも良くなってきた。
「お名前、なんて言うんですか」
レエネが俺の横に座り、覗き込んだ。
「俺?」
本名はなんとなく気が引けたので、ラッパーとしてのMCネームを名乗った。
「石火」
「セッカ。……セッカさん」
「セッカでいいよ」
「セッカさん。ふふ」
レエネは優しく笑った。レエネもピースフルな気分なのだ。俺は正直ムラムラしてきた。レエネの手首を握った。レエネは拒否しなかった。レエネの手は柔らかく、ひんやりして気持ちが良かった。この丘には他に誰もいない。手を引っ張ると、レエネが覆いかぶさってきた。
「うーん……いけないような……でも、いいですよね、きっと……」
「いいよ、多分」
俺はレエネをハグして、そのまま続けようとしたが……その時、空が真っ黒に染まり、物凄い巨大な影が横切った!
「ウワアアアアアアッ!」
俺はマジで驚き、悲鳴を上げた! レエネもびっくりして跳ね起きた。
巨大な影はバサバサと羽ばたき、そのまま東の地平に飛んでいった。地平には街の影が見えた。
「何……エ……何? 今の何? 今の、アレだよな? ドラゴンだよな?」
「は、はい」
レエネは緊張していた。
「竜太公です! こ――こんなところを飛んでいる事はあんまりないのですが」
「あっち、街だろ!? なんか、ヤバいんじゃねえの?」
「竜太公はこの一帯を支配する大貴族なんです! 街ではヒトの姿に戻ります。きっと、魔物退治に出た帰りですね……」
「ハアー……マジビビった」
俺は背中を叩いて起き上がった。
「マジ半端ねえんだな、ここ。ヤバすぎるわ」
俺とレエネは顔を見合わせた。レエネが微笑んだ。やらしい気分も、パイナップルクッシュのトビも、ちょっと吹き飛んでしまった。
「空、真っ黒なままだ」
「夜ですよ?」
「そういうもんか。ふーん」
夕方もなく、急に切り替わるという事みたいだ。あまり気にしないことにした。
「とりあえず、ウチに来てください。お腹がすきませんか」
「ああ……まあ、そうな。わかんない事多いし色々教えてくれよ」
「勿論です、セッカさん!」
丘のふもとに石造りの家々が見えた。この世界にはとりあえずテレビやネットはなさそうだ。どうしたものかな。レエネの後をついて丘を降りながら、俺はこのだいぶヤバい世界でどう振る舞うか、考えようとしていた。パイナップルクッシュはずっしり重い。俺は大切に袋を抱えた。
(続く)