魔神の骨と戦火の少女25
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永遠とも思える林の小道を走り続けていると、どこからか海のにおいがして、前方が明るくなってきた。木々の隙間に、シルバートの荒れた大地とは違う、目も眩むほどの豊かな草原が広がる。メリル王女の城も見えた。日の出前にあそこを城外したばかりなのに、半日もせずに戻ってくるとは予想もしていなかった。
ユイナは手綱をしっかりと握り直す。
林を飛び出して、風に波打つ草原に馬を踊らせると、後方で大地を引き裂くような雷鳴が轟いた。振り返る間もなく、濁流のように押し寄せてきた魔力に呑み込まれ、どろりとした粘液が背筋を伝い落ちる悪寒に襲われる。
馬が足並みを崩して嘶いた。振り落とされないように手綱を操り、どうにか馬を静める。
「今のはっ!?」
「きっと、ラインハルトが魔術を使ったんだ」
ペントが振り返りながら言った。その言葉に間違いはないだろう。離れていても身震いするほどの歪んだ魔力を放てるのは百雷の二つ名を与えられたラインハルトしかいない。
侯爵歓迎の席で巨大な魔口を開いていたが、その頃よりさらに禍々しくなっている。
バリバリバリバリッ!
再び、黒い稲妻が空を引き裂いた。
アレス達が心配だったが、戻ったところで足手まといになるだけだ。
彼らは強い。負けないはずだ。それよりも今は、オーデル伯爵の城を目指す。カトレア達はシルバートの魔術師が迫ってきている事を知らない。早く知らせてオルモーラを脱出しないと、魔術師たちに捕まってしまう。
「私達が先に出航しても、アレス達は別の船で追いかけてこられるんだね?」
道中でペントから教えてもらった話を確認する。それは、計画に支障が出てアレス達が昼を過ぎてもオーデル伯爵の城に来なかった場合、カトレア達は先に船で出港すること。そして、アレス達は別に用意している船でオルモーラを脱出し、カトレア達と海峡で落ち合う約束をしていること。
「うん、船といっても小舟だけどね。それがあるから先に出発しろって言ったんだ」
「まさか、小舟のこともラインハルト侯爵に知らせているわけじゃ……」
「大丈夫。それはしてないよ。できるわけがないよ……。サントも、その小舟には気付いていないと思う。でも、どうしてよりにもよってサントの叔父に食料の手配を任せてしまったんだろう。きっと食料の手配でカトレア姉さん達の居場所がわかったんだ。届け先がオーデル伯爵所有の港だと分かれば、船でオルモーラを脱出する事にも気付かれていておかしくない……」
「過ぎた事はしょうがないよ。今は、みんなを安全に逃がすことだけを考えよう」
「うん、ユイ姉さんの言う通りだね。急ごう」
ペントの言葉にうなずき、ユイナは前方を見据える。
風で波打つような草原を斜めに突っ切り、走りやすい本道へと出る。それから次の分岐点を左に折れ、メリル王女の城と海を右手に、先ほどとは別の林に入った。まずは林道を抜けてオルモーラの街を目指す。オーデル伯爵の城へ行くには、街を通り過ぎて港へ向かう道が一番わかりやすい。
だが、林を走っている途中で、魔術の気配を感じた。ラインハルトのものではなく、前方で無数の魔術がぶつかり合っている。
「魔術戦が行われている……?」
眉根を寄せてもらした言葉に、ペントが反応する。
「たぶん、オルモーラの魔術師と戦闘になってるんだ」
「オルモーラの魔術師と……」
条約違反という言葉が脳裏に浮かぶ。シルバートは、東のシラ=エン王国、西のネフェタリカ王国、そして、海峡を越えたウィンスター王国の四国間で、和平条約にサインしていた。条約の内容は、相手の領土を侵害し、戦争状態になれば、周りの強国が介入するというものだ。
不意に視界が開ける。林を抜けたのだ。前方に目をやると、遠くに見えるオルモーラの郊外で、シルバートの魔術師とオルモーラの魔術師が魔術をぶつけ合っての激しい戦闘を始めていた。
遠いと言っても、視力の良いユイナは相手の顔を見分けられるぐらいの距離しかなく、戦場に飛び交う怒号も生々しい。
「ここはウィンスターの領土……シルバートの魔術師は、和平条約を破ってウィンスターの領地を侵しているんだ」
それがどんな結果を生み出すのかと考えを巡らすと、顔から血の気が引いていく。
「回り道をしよう」
ペントがきつく抱き付いて言った。戦闘の技術は大人顔負けであっても、心は年相応に繊細で、戦場が怖いのだ。
「魔術師が戦闘に気を取られているうちに通り抜けるしかないよ」
「うん」
ユイナは迂回するルートを探して首を巡らす。
辺り一面は、油花を刈り取られた畑が肥沃な大地をむき出しにして眠っていた。その畑を大きく四角に区切る道がある。荷馬車を通すための道だ。その道を使えば戦場を迂回することができる。少し遠回りになるかもしれないが、それ以外に道はなさそうだ。
ユイナは手綱を操り、右に進路を変えて馬車道へと向かわせる。そして、馬上から戦場へと目を向けた。戦闘は始まって間もないのだろうが、戦況はすでにシルバート側へと傾きつつあった。数に違いはないのだが、戦力に雲泥の差があった。それに、シルバートの魔術師は巨大な弓を馬に引かせている。馬つきの車上につがえられた弓矢は大きく、大人の身長ほどもあろうかという巨大さだ。
「石弓だ……」
意外な物を見たとでもいうようにペントがぽつりともらす。
「いしゆみ?」
「城を落とすために使う兵器だよ。あんな巨大な石矢を受けたら、たとえ石造りの城でも防ぎきれないよ。もしかすると、一撃で壁を貫通してしまうかもしれない」
「城を落とすってことは、彼らはやっぱり、オーデル伯爵の城に攻め入るつもりなの?」
「そうだと思う。ひょっとするとカトレア姉さんを人質にして、アレス達を無抵抗にさせる腹かもしれない」
「そ、そんなことさせない!」
「早く港を離れて攻撃の届かないところまで逃げないと、船ごと沈められてしまうよ!」
ユイナは手綱を握り締める。
絶対に間に合わせる!
私の踊りであんなに喜んでくれた子供達を助けるためなら、シルバートに引き返せなくなってもいい!
もう、アレス達に付いて行くって覚悟しているのだから!
その時、戦場を見ていたペントが叫んだ。
「危ない! 射ってきた!」
「え!?」
振り返る。
シルバートの敵が放った矢は風に流されてはるか後方の畑に突き刺さった。
石弓ではない。通常の弓だ。
「僕達を敵と認識したみたい」
「魔法を使ってでも道を開けるよ!」
「魔法は使わないで。馬を走らせることだけを考えて、あとは僕に任せて」
ペントは覚悟を決めたように言い、ユイナにしがみついていた腕を離し、不安定な馬上だというのにゆっくりと立ち上がる。
「何をしているの!? 危ないよ!」
ユイナは度肝を抜かれて悲鳴にも似た声を上げる。
「ユイ姉さんは前だけを見てそのまま走らせて!」
「な、何をするつもりなの!?」
「飛んでくる弓を切り落とす」
「馬上で!? そんなの無茶よ!」
「できるような気がするんだ。いや、気がするじゃないね。ちゃんと厳しい訓練だって乗り越えてきたんだ、できるよ。今は少しでも早くみんなのところへ行かないと!」
ペントはユイナの肩に右手を添えただけでバランスをとり、馬の背に両足で立った。そして目を細めて相手の戦力を見極め、言い放つ。
「相手は魔術師と弓兵だよ。確かに相手の攻撃は届くけど、この距離で走っている相手を当てるのは難しい。振り切るしかないよ! 飛んでくる弓は、僕が何とかしてみせるから!」
そう言うと、ペントは空いた左手で腰に下げたナイフを引き抜く。
「落ちないように気をつけて!」
「そんなヘマはしないよ」
敵の弓矢が次々と放たれる。空に弧を描き、雨のように降り注ぐ矢。ペントがナイフを一閃し、命中しそうな矢を切り落とす。辺りは弓矢が空気を切り裂いて飛来する音と、深々と地面に突き刺さる音で埋め尽くされる。
「スピード落として!」
ペントが悲鳴のように叫んだ。咄嗟に手綱を引いて足を遅らせると、鼻先を凄まじい風が抜けていった。敵が放った風の刃が前方の空間を切り裂いたのだ。魔術師も攻撃に参加してきているらしい。
ペントを信じ、ユイナは前方だけを睨みつけ、次に現われた三叉路とその先の道を見極め、進路を決定する。
「もう少し行ったら右に曲がるよ! あ、ペントが私の肩にふれている方ね!」
「わかった。合図を送って」
「うん!」
進行方向に三叉路が迫る。
「三……二……一……曲がるよ!」
絶妙のタイミングで合図を送り、ペントがそれに合わせてきっちりバランスを取り、飛来する矢を切り落とす。
「次に曲がる時も、今の感じでお願い!」
ペントの言葉に「わかった!」と答える。二人の呼吸は、まるで何度も訓練してきたかのようにピタリと一致していた。それもそのはず。難しい舞踊劇を一緒に成功させたユイナとペントが、息を合わせられないわけがない。
左手にオルモーラの研究所が見えてきた。その少し離れた丘にシェリセーラの家も見える。フォークダンスで誰かと一緒に踊る楽しさを教わった天女の泉も見え、泉の前にはシェリセーラと子供達が見守っていた。きっとシェリセーラが子供達にダンスの楽しさを教えている時に戦闘が始まったのだろう。
ふと、こちらに気づいた子供達が、声を張り上げて何かを伝えようとしていた。その声はあまりに遠過ぎてほとんど聞こえなかったが、でも、どうやら『頑張れ』と言っているのだと気づく。シェリセーラがこちらをまっすぐ見て、ゆっくりとうなずく。
行きなさい、そう言っているような気がした。
ユイナは左前方の丘を睨みつける。その先にあるオーデル伯爵の城で、カトレアと子供達が待っている。城はまだその姿さえ見せていなかった。




