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深炎の舞姫  作者: 鳴砂(なりすな)
第五章
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魔神の骨と戦火の少女21

 お願い、間に合って!


 ユイナは心の叫びを駿馬に託して手綱を操る。吹き付ける風は強く、無数の見えない糸となって体へとまとわり付き、行く手をふさごうとしていた。正面からぶつかって弾ける幾重もの風に引っ張られ、黒髪の一つ一つが生きているかのようにのたうち、純白にセフィルの紋章を織り込んだ学生服がはためいている。

 ユイナは空気の糸を引き千切って馬を駆る。目に涙を浮かべて進行方向を睨みつけ、馬が最短距離を走れるように、ぬかるんだ所のない安全な道を走れるように、手綱をあやつり続ける。

 ここまで走り抜けた栗毛の馬は、全身に汗を浮かべ、濡れ光っていた。荒い息を吐き出しつつも、スピードを落とさずに走り続けてくれる。あまりの速さに、まばらに生えた周りの木々が、霞みとなって後方へ流れていくほどだ。しかし、その体力も限界に近付いているようだった。大地を踏み抜く馬蹄の音が次第に弱くなっている。だというのに励ますことしかできない自分が歯がゆい。


「もう少しだから頑張って……っ」


 馬より速く走れるのなら代わりたい。なぜ人の足が馬より遅いのか。焦りと苛立ちを抱きつつ、最短距離となるカーブの内側を走らせる。

 魔術師達より先にアレスと合流できるかどうかは一刻を争う。しかも本道はラインハルトの魔術師団が使用しているはずなので細い道で迂回しなければならなかった。一秒も無駄にすることはできない。ユイナは今、自分に出来ることを精一杯やっている。


「ユイ姉さん、見えてきたよ!」


 ペントが左前方を指さして言った。


「あの小道が迂回路だよ!」


 近辺の地理に詳しいというペントが指差す先に、林の木々に隠されてしまいそうな小道があった。その小道を目に捉えたユイナは、思わず眉根を寄せる。

 行きしなには気付かなかったほどの小道だ。けもの道といっても差し支えないほどに道幅は狭く、あの隙間に馬を走り通さないといけないのかと固唾を呑む。


「かなり狭いけど、行けそう?」

「行くしかないよ。魔術師団よりも先にアレス達を見つけるんだから」


 馬を道の右側に寄せ、左の手綱を引き、緩やかなカーブを描かせて小道へと突っ込ませる。木々が一気に両脇へと迫ってきた。その中心を走り抜けるため、馬の進行方向を微妙に修正していく。

 後ろでペントが固唾を呑んだ。


「ねぇユイ姉さん、聞くのを忘れてたけど、馬で障害物とか飛び越えられる?」

「低い障害物なら越えられるよ。舞姫学校で練習したし、この馬もそういう教育を受けているみたいだしね。いけると思うよ」

「そっか、よかった」と安心するペント。


 どういう事かと思っていると、その答えが前方に現われた。木製の柵が前方の道を塞いでいた。柵の高さは馬のひざ上までありそうだ。柵は、まるで林をまるごと切り分けるかのように左右へと広がっている。


「あれが国境だよ」

「まさか、あれを飛び越えろというの!?」

「そ、そうだけど……無理?」


 一瞬、ユイナは迷った。しかし、迷っている時間はない。柵はそこまで迫っている。


「行くよ。衝撃があるから落とされないようにしっかりと掴まっていて」

「う、うん」


 全神経を柵越えに集中するユイナ。舞姫学校で教わった事を頭の中で何度も反芻する。

 柵はそこまで迫っている。目を見開き、柵を極限まで引きつけ、これ以上ないタイミングで馬に合図を送る。馬が前脚を振り上げ、次いで後ろ脚で大地を蹴り飛ばし、その巨躯を宙に踊らせた。一瞬、羽を広げて風に乗ったかのように体が浮き、柵が馬の下を通り過ぎていく。直後、馬は着地を決めて道の続きを駆け抜けていた。

 緊張が過ぎ去り、安堵と興奮が湧きあがる。


「や……やった……っ」

「すごいよユイ姉さん!」


 二人して歓喜の声を上げる。国境を越えられた。オルモーラに戻ってこられたのだ。


「アレス達はどこにいるんだろう」


 ペントが言った。ユイナは気を引き締め直す。


「たぶん、天女の泉で休息をとっていると思う。それか、もしかするとシルバートの国境に向かって移動を始めているかもしれない」

「天女の泉ってどこにあるの」

「そこまでは分からない。天女の泉といっても世界各地にあるらしいからね。どうにかして見つけるしかないよ。ペントは左側を見て。私は右側を見るから」


 わかった、とペントは返事して林道の左側へと目を配る。

 国境を越えてどれほど馬を走らせただろう。ずっと同じ景色を見せていた林道がかすかに変わる。右側を見ていたユイナは、暖かな光を林の奥から感じてその方角に目を凝らす。すると、立ちふさがるような木々の向こうに一部分だけぽっかりと開けた場所が見えてきた。その中心で、朝日に照らされた水面が宝石を散りばめたようにきらきらと光っている。


「見つけた。天女の泉だ」


 通れる場所を探して木々を迂回していると、水辺に二人の魔術師を発見した。魔術師達は馬蹄音に気付いていたのか、立ち上がってこちらを振り返っている。一瞬、敵の魔術師かとも思ったが、二人ともよく知る魔術師だった。

 馬を止め、ペントが馬上から飛び降り、ユイナもそれに続いて着地する。それから林を駆けて泉のほとりに出ると、魔術師の一人と視線を合わせる。フードに隠しきれない銀髪がちらりとのぞいている。


「アレス!」


 良かった……間に合った……。


 アレスは目を丸くしている。無理もない。計画ではシルバートの家に向かって帰路についている頃なのだから。


「なぜここに居る? 作戦は始まっているんだぞ」


 アレスが狼の声で咎め、横のザイがうなずく。


「そうだぜ。これから俺達はユイナが貴族の生活に戻れるように――」

「それどころじゃないんです! 計画を中止して逃げてください!」

「は?」

「何もかもラインハルト侯爵に知られているんです! 私達のことは筒抜けだったんです! 今、アレス達を捕まえようと魔術師がこちらに向かっているはずです」


 そう告げた瞬間、アレスとザイの眼光が鋭くなる。


「どこでその情報を仕入れた? そもそも俺達の捕縛は国をあげて行われている重大事項だ。その情報をユイナが耳にするのはおかしい。情報源はどこだ」

「それは……」


 一瞬、本当の事を言うべきか迷い、自然とペントと目を合わせる。


 “言わないで”


 彼はそういう目をしていた。

 そうだ。言えるわけがない。言ってしまえばスパイをしていたペントはどうなってしまうのだろう。この場を取り繕うしかない。そう思ってアレスと向き直ったユイナは、言い繕うために平生を装った顔を凍りつかせた。アレスとザイの視線が、ペントへと釘付けにされていたのだ。


「まさか、そういう事なのかペント……」

「俺達の中にスパイが紛れ込んでいたとはな」


 最初に動いたのはザイだった。ユイナの肩を引き寄せ、ペントを引きはがすように蹴り飛ばす。ペントは後ろに飛び退いて蹴りの衝撃をやわらげて着地すると、腰に隠し持っていたナイフを引き抜く。


「僕は、ここで死ぬわけにはいかないんです」

「上等だ」


 ザイが両手の間に魔法陣を開く。ユイナは、ザイとペントの間に立ち塞がる。


「やめてください! ペントもナイフをしまって!」

「ユイナ、そこをど(いて)ぇっ!?」


 ザイの声が裏返った。ギョッとして振り向くと、魔法陣から武器を取り出そうとしたザイの右手をアレスが握り締めていた。よほど握力が強いのか、ザイは涙目になり、指をほどこうとやっきになっている。が、アレスは握り締めた手を離すまいとますます力をこめて言う。


「ザイ、そろそろ腕力ではなく言葉で解決することも覚えろ」

「とか言いつつ、腕力でねじ伏せているこの手は何だ……っ。握力なら許されるとでも思ってんのかっ」


 ザイは握り締められた右手を指差してつっこみを入れた。驚異的な握力で指が白くなっている。


「魔法陣を閉じたら手を離す。ペントも武器をしまうんだ」


 ペントは躊躇していたが、ユイナが頷くのを見て、ナイフを鞘に戻す。魔法陣を閉じたザイも、右手を解放され、痛む指にフーフーと息を吹きかける。


「魔術師は近くまで来ているのか?」

「分かりません。ただ、本道から馬で来ているはずなので、本道から遠いこの場所は発見されにくいと思います」


 辺りに目を配ったアレスは、


「とりあえず話は林の中で聞こう。計画が知られているのなら、見つかりやすい場所にいるのは得策ではない」


 急かすようにユイナとペントの背に手を添える。ユイナもペントもそれに従い、ザイは油断なく横目でペントを見張りながら林の中へ足を踏み入れる。

 後方では、天女の泉が脈々と水を吐き出し、水面を下から盛り上げている。

 音もなく揺れる水面のように、妙な緊張が四人の間で張り詰めていた。


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